| 2023年05月19日(金) |
見捨てることなど出来ない |
午後には雨が降り止み今は西の空が茜色に染まっている。
それにしても随分と日が長くなったものだ。
今朝のSNSでK子さんから
「思い切って、過去は振り返らず、愛するご家族のこと、
今の友人のことを詩になさったらいいのではと思います。
後ろのものを忘れひたすら前へと!」コメントを頂いた。
人生の大先輩でもあるK子さんの言葉はとても有難かったが
私はずっと「いのち」をテーマに詩を書き続けて来たので
いきなり家族や友人と言われてもなんだか戸惑ってしまう。
それと決して過去にばかり囚われているつもりはなかった。
確かに最近は暗い詩が多かったがそれが過去だとは言い難い。
しかし前向きな詩が書けなくなっていたのは事実であった。
「他人から何を言われても」とある詩人さんから言われたことがある。
それは何を言われても自分を信じ貫くことが肝心だと言うことである。
私はいつも自分と向き合って来たしありのままの自分を書いて来た。
それは他人から見たら見苦しく目を反らしたくもなったことだろう。
だからと言って自分から逃げるつもりはない。
人目を気にし体裁ばかり繕った詩になんの感動があるだろうか。

「ニコチネル」9日目。やはり子豚が私の傍から離れない。
ニコチネルの説明書を改めて読んでみたのだけれど
離脱症状を軽減する効果があると記されていた。
それは絶対に嘘であると断言しても良い。
効果どころか何の実感も感じないので今までと何も変わらないのだ。
離脱症状は今日も最高レベルとなり我慢の限界となってしまう。
気分が落ち着かずそわそわして仕事に集中出来ない。
今日は特に仕事が忙しかったので気が張っていたのだろう。
風船に例えると破裂する寸前のようだった。
子豚が猫撫で声ならず豚撫で声で近づいて来るのを払いのける。
何度もそれを繰り返しているうちのとうとう負けてしまったのだった。
悔しくてならない。敗北感がそのまま後悔になっていく。
禁煙外来に行くときっと救われるはずだと信じていたが
今はなんだか雲を掴むような気持になっている。
雲を掴むのは不可能だから当然のように落ち込んでしまうのだった。
週末は完全禁煙が出来そうだが週明けが怖くてならない。
またひたすら我慢で必死に耐えなければいけないのだろう。
ああ嫌だなこんな私。でも見捨てることなど出来ない。
ぽつぽつと小雨降る一日。気温は昨日よりも10℃低い。
暑さは和らいだがなんだか梅雨を思わすような天気であった。
今朝は高知新聞のローカルジャーナルを見ていて気になる詩誌があった。
なんとか手に入れられないかと高知新聞に電話して訊ねてみたら
発行元に連絡してくれてとても親切な対応を受ける。
林嗣夫さんは高知を代表する有名な詩人であった。
まさか直接話が出来るとは思っていなかったのでとても感激する。
そうしたらまた思いがけないことに明後日詩の講演会をするのだそうだ。
場所はすぐ隣町の黒潮町とのこと。なんだか夢のようであった。
「是非お会いしましょう」と言ってくれて胸がいっぱいになった。
その時に詩誌をわざわざ持って来てくれるのだそうだ。
これはあくまでも私の直感ではあるが不思議な縁を感じたのだった。
思い上がりかもしれないけれど私の詩を読んでくれるかもしれない。
その上にその詩誌の同人に加えてもらえるかもしれないと思った。
駄目で元々である。とにかく自分に出来ることをやってみようと。
私にとっては最後のチャンスに思えてならないのだった。
私はこのまま一生芽を出せないかもしれないけれど
最後の最期まで書くことを諦めないでいたいと思っている。

「ニコチネル」8日目。今日も貼っている実感は全くない。
しかし今日こそは絶対に我慢しようと心に決めていた。
けれどもお昼前まで必死に我慢をしていたが堪忍袋の緒が切れる。
もしかしたら私はニコチン中毒ではないのかもしれないと思った。
ニコチネルで体内にニコチンを吸収させているはずなのに
どうして煙草を吸いたくなってしまうのか理解出来ない。
仕事をしていてもそわそわと落ち着かず集中力が殆ど無かった。
さすがの同僚も機嫌が悪く苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
禁煙日誌に正直に書く。そうしながら後悔をするのだった。
親身になってくれ応援してくれた医師や看護師さんに会いたくてならない。
話を聞いてもらえるだけでどれほど救われるだろうか。
もう駄目だと決めつけてはいけない。
成功する可能性はまだあるのだと思っている。
意志よりも医師だと言ったが、やはりい一番大切なのは意志なのだ。
| 2023年05月17日(水) |
いまこそ努力をするべき時 |
山里では30℃を超え今年初の真夏日となった。
風があったので室内ではエアコン無しでなんとか過ごせたが
屋外で仕事をされていた方には辛い一日だったことだろう。
まだ5月の事、これから夏本番となるとどれほどの猛暑になることか。
このところ短歌が全く書けず同人誌の締め切りが近づいており
今日は代表者のDさんに電話をして次号を休ませてもらうことにした。
Dさんは了承してくれたが少し残念そうな口ぶりであった。
同じ同人誌仲間のHさんが毎回批評をしてくれていて
それは励みにもなり時には落ち込むこともあったが
今日はそのHさんがかつて国語の教師をしていたことを知った。
私のような者の短歌を丹念に読んでくれていることに感謝せずにいられない。
どうでも良いものなら批評などしないだろうと思う。
気にかけてくれているからこそ伝えてくれる言葉があるのだろう。
Dさんの電話を切ってからふと中学時代の恩師の顔が目に浮かんだ。
私に短歌の素晴らしさを教えてくれたM先生である。
初心に返るのとは少し違うかもしれないが短歌が書きたいと思ったのだ。
書けないことを理由に休むことは容易い。けれども休み続けていたら
私はこのまま一生書けないかもしれないと思い始めた。
締め切りまでまだ一週間ある。今こそ努力をするべき時ではないだろうか。

「ニコチネル」7日目。子豚は相変わらずであった。
自覚が全く足らないのは言うまでもない。
いったい何のために禁煙外来へ行ったのか今一度考えてみる。
「一緒に頑張りましょう」と言ってくれた医師や看護師さん達を
平気で裏切っているのである。その反省さえもせずにである。
ネットでニコチネルと喫煙について調べてみたら
命に関わる危険はないが稀に不整脈を起こす場合があるそうだ。
過度のニコチン摂取が身体に悪影響を及ぼすのは当然の事だろう。
子豚のようにふざけている場合ではないのである。
もっと真剣になって禁煙と向き合っていかなければいけない。
このままで良いはずはなく明日から本腰を入れようと決心をした。
まずは絶対に喫煙所へ行かないことだ。
そわそわと落ち着かず仕事に集中出来ないけれど
自分に釘を刺すような気持でひたすら辛抱するしかないだろう。
私も子豚もそうそう簡単に変われないかもしれないけれど
救われる道はきっとあるのに違いないと思っている。
| 2023年05月16日(火) |
そっとしておいて欲しい |
最高気温が29℃まで上がりほぼ真夏日となる。
江川崎では31℃を超えていたそうだ。
明日は今日よりも暑くなるらしい。
異常気象とは思えずもうそんな季節なのだろう。
今は心地よい夕風に吹かれながらこれを記している。
今朝は詩に行き詰まる。一昨日K子さんから伝えてもらった言葉が
気になってならず思うように書けなかった。
「自己への語りであり内省」私はずっとそうして来たのだった。
自分以外の誰に語り掛ければ良いのだろうと途方に暮れてしまう。
あがいた挙句に「きみ」を連れて来た。
特定の誰かを指すのではなくあくまでも自分以外の者を指すのだ。
結果、とても詩とは呼べないような駄作となってしまった。
そうしたら今朝もK子さんからコメントがあり
「きみ」とはいったい誰か?と言う。
どうやら過去の人であってはいけないような口ぶりであった。
「きみ」はきみ以外の誰でもないと私は思う。
とにかくそこに私は居ない。居てはいけないのだと思っていた。
書きたいように書けないのはとても虚しい。
たとえ欠点だらけの詩であっても私は私の詩を書きたくてならない。
「そっとしておいて欲しい」とはとても言えなかった。
SNSで詩を発信している以上避けられない宿命のようなものなのだ。

「ニコチネル」6日目。何度胸に手を当てたことだろう。
貼っている実感が全くないので確かめては自覚するしかなかった。
午前中は全く仕事に集中出来ない。苛々するのではないけれど
なんとなく落ち着かず気分が散漫とするのであった。
喫煙所にはもう同僚の煙草は置いていなかった。
昨日頼んで置かないようにして欲しいと頼んだのである。
とにかく子豚に煙草を見せてはいけない。
しかしお昼前にどうしても我慢が出来なくなり一本だけ分けてもらった。
子豚に反省の色は見えずなんとふてぶてしいことだろう。
禁煙日誌には正直に記した。離脱症状のレベルは今日も5である。
自分を責めることをしなくなったので精神的には楽であるが
やはり多少の罪悪感はある。それを自分で無理やり赦そうとしている。
次回の診察日は8日後であるが果たして医師の反応はどうだろう。
叱られるかもしれないが私はありのままでいたいと思っている。

昨夜はこの日記を書き終えてから隣室の子供部屋をノックして
あやちゃんに「おやすみなさい」が言えた。
あやちゃんは背中ではなくちゃんと振り向いてくれて
「おやすみぃ」と言ってくれて嬉しかった。
一日一言で良いのだと思う。今夜もそうしてみようと思っている。
| 2023年05月15日(月) |
自分の胸に手を当てる |
晴れてはいたが梅雨時を思わすような蒸し暑さだった。
大気が不安定だったのか山里では少しだけにわか雨が降る。
ツツジとサツキの違いがよく分からないけれど
サツキの花はツツジより少し小さいようだった。
私は4月に咲くのがツツジで5月に咲くのがサツキと覚えている。
春夏秋冬。それぞれの季節に咲く花があるのは有難いことだと思う。
仕事を終えてから母の入居料を支払いに病院へ行っていた。
母に会えるとは思っていなかったが手渡してもらおうと
母の好きなクロスワードの本とミレービスケットを持って行った。
ささやかではあるが一日遅れの母の日のつもりであった。
いくら薄情な娘であっても少しは思いやりがあるのだろう。
ケアマネさんと話をしていたら介護士さんも来てくれて
母をロビーまで連れて来てくれることになった。
コロナが5類になったので面会が可能になったのだそうだ。
とはいえゆっくりとはいかず短時間に限られている。
それでもつかの間とはいえ母に会うことが叶いとても嬉しかった。
そうして自分の本当の気持ちに気づくのもなんだか照れくさいものだ。
母は私の白髪頭を見て驚きどうして染めないのかと嘆いていた。
二人で並んでみれば母よりも私の方が白髪が多いのだった。
ほんの冗談のつもりで「苦労をしよるけんね」と言ったら
母はそれをまともに受け取ったらしく困ったような顔をしていた。
余計な心配をかけてしまったなと反省する。
けれども私はもう二度と白髪を染めるつもりはない。
笑顔で手を振って別れたけれど足の痛みに気づかれたようだった。
そう思って杖を付かずに行ったのだが歩き方で分かったらしい。
もう立ち止まって話は出来ない。私は逃げるように外に出て行った。
今日の母との再会を介護士さんが写真に撮ってくれて
近いうちにSNSでアップしてくれるのだそうだ。
もちろん私の顔にはモザイクが掛かっているので心配なく
その代わりに母の満面の笑顔が見られることだろう。

ニコチネルの禁煙治療も5日目となった。
困ったことに自分で意識しない限りニコチネルの効果が全く分からない。
それとやはり汗に弱いらしく今日も夕方には剥がれていた。
これでは真夏には全く使えない治療薬となることだろう。
離脱症状のレベルは真ん中の5であった。
やはり土日の完全禁煙の反動が大きく現れて来る。
苛々するばかりで仕事に全く集中できないのだった。
精神状態がまともではなくなりとうとう同僚の煙草に手を付けた。
それも一本では収まらない。帰り際に懇願してもう一本もらった。
胸にはニコチネルが貼ってある。その胸に手を当ててみるが
無情にも何も応えてはくれないのである。
こんなはずではなかったと子豚は思っている。
禁煙外来は最後の手段でありもう他に手立てはないのである。
もう子豚を責める気持ちは一切ないが
いま一度自分の胸に手を当ててみるべきなのだろう。
夜明けとともに雨が止みゆっくりと晴れ間が広がっていく。
ご近所さんの庭先にドクダミの花が咲き始めていた。
匂いを嫌う人もいるけれど花は純白で十字架のような形をしている。
昔から医者要らずと云われ薬草として重宝されていたそうだ。
嫁いですぐのことだったか姑さんがドクダミ茶を作っていて
おそるおそる飲んだことがあるが臭みは無くとても美味しかった。
今はドクダミを刈り干す光景も見られなくなったが
昔は何処の家でも軒下に吊るし干していた記憶がある。
今朝は少し暗い詩を書いてしまって鬱々としていたのだけれど
いつも読んで下さっているK子さんからコメントを頂き
読んでいて心が苦しくなったと記してあった。
「自己への語りであり内省である」と。
それは自分ではまったく気づかないことであった。
「自己にしがみつかず心の殻を破るように」と言って下さり
目から鱗が落ちるようにはっとしたのだった。
もしかしたらそれが私の最大の欠点かもしれないと思う。
ずっと固い殻に閉じ籠っていたのだろう。
そこにはおそらく希望の欠片も無かったのかもしれない。
母と同い年のK子さんに大切なことを教わった気がする。
母がもし私の詩を読んだら同じことを言ったかもしれない

「母の日」であったが母には何も出来なかった。
まだ面会の許可も下りず施設を訪ねることも出来なかった。
母が恋しいわけではない。会いたいとも思っていない薄情な娘である。
少女の頃、母の日なんて無くなれば良いと思っていた。
いっそ死んでしまえばいいと何度思ったことだろう。
けれども私を生んでくれたのは他の誰でもなかったのだ。
自分が「母の日」に何もしないものだから
当然のように私にも「母の日」は無かった。
カタチではなく気持ちの問題なのだなと思う。
娘と肩を並べて夕食の支度を出来ただけでも幸せである。
そう思えば私にとっては毎日が「母の日」なのだった。

朝からあやちゃんの顔も見ないまま夜になった。
声だけは少し聞こえて明るい声だったのでほっとする。
今も隣の子供部屋に居るが決してドアを開けてはならない。
干渉しないのは会話をしないことと同じなのだろうか。
そうではないのかもしれないけれど臆病になってしまうのだった。
あれこれ考えていると煙草を吸いたくてたまらなくなる。
ぽつぽつと小雨が降っている。
一雨ごとに初夏らしくなっていくことだろう。
SNSのアカウントにしばらくログインが無い場合
そのアカウントは削除されるらしい。
まだ正式に決まった訳ではないようだが目の前が真っ暗になった。
それは死んだらもう何も残せないと云うこと。
私が確かに存在していたことも闇の中に消えてしまうのだろう。
短歌も詩も形見になればと思って書き続けて来たが
形見どころかお墓にもなれないのである。
私はそれほどまでに儚い存在なのだろうか。
後どのくらい生きられるのだろうかそればかり考えている。

午前中にカーブスへ行き良き気分転換となった。
足の痛みは相変わらずだけれど出来る範囲で頑張ってみる。
うっすらと汗を流しとても心地よく感じる。
困ったのは朝貼ったばかりの「ニコチネル」が剥がれてしまったこと。
どうやら汗などの水分に耐えられない物らしい。
一度剥がれてしまうともう皮膚にくっつかなくなってしまった。
土日は煙草を止めていたのでまあいいかなとそのまま過ごしていた。
離脱症状のレベルはゼロではないが僅かにあるようである。
それも正直に日誌に記しておかなければいけない。
自分が治療中である意識をもっと深めなければいけないとも思う。
軽はずみな行動は断じて許されないのだ。

あやちゃんがまだ夕食を食べていないようだ。
娘達もほったらかしにしているようで気になってしょうがない。
もしかしたら私と顔を合わすのが嫌なのかもしれないと思い
そっと声をかけたら「そうじゃないけん」と背中で応えてくれた。
娘達の方針はよく理解出来ないが「自由」にさせているのだろう。
しかしずっとこのままで良いのだろうかと老婆心が芽生えて来る。
あやちゃんがどんどん遠く離れていく。
私は追い駆けていくことがもう出来なくなった。
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