朝と日中の寒暖差が大きくて戸惑う。
毎年のことなのかもしれないが今年は特別ではないだろうか。
まだ炬燵も仕舞わずにいて暖房を点ける朝もある。
一気に夏になるよりは良いのかもしれない。
今日は珍しく義父が居てくれて随分と仕事が捗った。
同僚と二人で頭を悩ませてもどうしようも出来なかったのだ。
しかし義父の短所と云うべきか長所なのかもしれないが
一つの事に集中し始めると無我夢中になってしまう癖がある。
お昼休みも忘れてしまうので今日は私が犠牲になった。
けれども一気に仕事が片付きなんとほっとしたことだろう。
義父もそれなりに工場のことを考えていてくれるのだと思う。

禁煙外来は2時半の予約だった。少し余裕を持って早めに行く。
初めての病院だったが受付の女性がとても親切で優しかった。
先日電話で応対してくれた看護師さんにも会えて嬉しくてならない。
医師も穏やかな笑顔でとても親身になってくれた。
「一緒に頑張りましょう」と励ましてくれなんと心強いことだろう。
治療には2ヶ月余り掛かるのだそうだ。
まずは「ニコチネル」と云う貼り薬を身体に貼り様子を見ていく。
その薬は身体にニコチンを吸収させるのだそうだ。
その上に煙草を吸ったら身体に悪影響を与え危険だと言われた。
まれに我慢できずに吸ってしまう人もいるらしい。
その時は正直に報告することが義務付けられている。
しかし危険だと分かっていて吸うことなど私は出来ないと思う。
もう覚悟は出来ているのだ。それが揺らぐことはないだろう。
帰宅して娘には話したが夫には話すことが出来なかった。
煙草が大嫌いで憎むほどの夫にどうして話すことが出来よう。
隠し事をするようで気が咎めるがいつかずっと先になって
「いつの間に止めたんだ」と言わせたいと思っている。
子豚は死んだわけではないがもう姿を現すことはないだろう。
最後に吸ったラッキーストライクが美味しかった。
もう思い残すことはないだろうと思っている。
| 2023年05月09日(火) |
もうどうなってもいいや |
五月晴れ(さつきばれ)は本来梅雨の晴れ間を云うのであり
「ごがつばれ」と読めば今の時期の晴れ間を云うのだそうだ。
それも最近になってからだそうでテレビや新聞から広まったらしい。
今日テレビで「ごがつばれ」と言っていて違和感を感じたけれど
調べてみたら間違いではないことが分かった。
大昔からある日本語もそうして進化していくのだろう。
山里に大きな栴檀の木があり薄紫の花が見事に咲いていた。
風に揺れる花はいかにも初夏らしい風景である。
栴檀の木は季節ごとに姿を変えるがどの季節も私は好きだ。
秋になればオリーブ色の実を、冬には黄金色に変わる。
その実を鳥が啄み糞をすればまた新しい木が生えるのだそうだ。
すごい生命力だなと思う。きっと「実」こそが命なのだろう。

昨夜はどうしたことか一時間ごとに目が覚めてしまいよく眠れなかった。
いつもは爆睡なのでいささか辛い夜になってしまった。
変な夢ばかり見る。喪服を着て誰かのお葬式に行こうとしているのだが
黒い靴を履いていないのだった。これでは行けないと焦っていると
はっと目が覚めてまたしばらく眠れなくなってしまうのだ。
もしかしたらストレスかなと思う。昨夜は特に気が滅入っていた。
その上に「書く」と云う行為が拍車を掛けたのかもしれない。
酒量も多かったので少し興奮していたようにも思うのだ。
ニコチン中毒の上にアル中かともう救いようがなくなっているようだ。
今夜は昨夜ほどの苦しさはなく気分も落ち着いているような気がする。
早い話が観念さえすれば済むことなのだった。
「観念」とはもうこれまでだと諦めること。覚悟することである。
今日は同僚の煙草をくすねてはなんとか凌いだ。
もう最後だからと言い訳をしていたがまだ明日もある。
禁煙外来は午後からなので午前中は子豚の姿を見かけるだろう。
正直言ってもううんざりしている。未練がないわけではないが
ここに子豚と書くだけで嫌悪感が沸き起こって来るのだった。
結局最後まで殺すことは出来なかった。
後は子豚の息が絶えるのを見守るしかないだろう。
これまで闘って来たせいか敗北感が半端ではなかった。
「もうどうなってもいいや」と今夜は思っている。
夜明け前には強い風が唸るように吹いていて
雨雲を東へと追いやったのだろう。
夜が明けたら雨上がりの爽やかな青空が広がっていた。
連休のあいだ気分が鬱々と停滞気味であったせいか
月曜日が嬉しく浮き立つような気分で職場に向かう。
国道沿いの土手には茅の白い穂がちろちろと風に揺れていた。
四万十川は少し濁っていたがさらさらと雄大な流れである。
お遍路さんが三人軽快な足取りで歩いていた。
ああ日常が返って来たなと思う。私はそんな朝の道が好きでならない。

職場に着くなり子豚がずる賢く騒ぎ出す。
やはり思っていた通りだった。もう誰にも止めることが出来ない。
連休前に同僚から貰っていた煙草が10本程残っていた。
それを気が狂ったように吸いまくり午前中には空箱になる。
「我慢」の反動はとてつもなく大きいものだった。
その上に集中力が全く無くなり仕事が手に付かない。
そわそわと落ち着かず何度も喫煙所に向かった。
同僚もずっかり呆れ顔でお手上げ状態だったようだ。
明後日には禁煙外来である。もうこそ観念しなければと思う。
子豚も年貢の納め時なのだ。もっと自覚しなければいけない。
昼間の喫煙が祟り案の定今は悶え苦しんでいる。
娘夫婦が台所の換気扇の下で連れモクをしていた。
吸殻で良いから分けてもらえないかとその一言が言えない。
連休のあいだ我慢出来たのだからと自分を励ましている。
それにしても今夜が今までで一番苦しいのではないだろうか。
予定では明日が子豚に会える最後の日である。
しかし餌を断たれてしまったらその予定も叶わないだろう。
同僚がドラえもんになってくれる保障など在りはしない。
「どうする家康」ではないが「どうする子豚」になってしまいそうだ。
とにかく年貢を納めなければいけない。
いくら不作であっても納めなければいけないと昔から決まっている。
納められないと娘を売らなければいけなかったそうだ。
うちの娘はもう40を過ぎているので売れもしないだろう。
あれこれ考えていると気が変になりそうだ。
今夜はぐだぐだと書き殴るのも程々にした方が良さそうに思う。
さっさと寝るべし。おや?済みませんが済まして下さい。
大雨にこそならなかったが雨が降り続いている。
かなり蒸し暑くまるで梅雨時のようだ。
汗をかきやすくなったのは「たんぱく質」のせいらしい。
プロティンを飲み始めてから体質が変わったようだ。
筋肉量が増えれば太り難い身体になるそうだが
それは今のところ成果が表れていないように思う。
髪の毛がふさふさになった。爪が伸びやすくなった。
それもすべて「たんぱく質」のせいなのだそうだ。
「おかげ」と云うべきかもしれないがあまり有難みを感じない。
理想としては筋肉量を増やし足の痛みを軽減させたい。
そうしてもちろん少しでも痩せられたら云うことはない。

連休も最終日。退屈でたまらず溜息ばかり出て来る。
生憎の雨模様でドライブの気分ではなかったが
無性にラーメンが食べたくなり宿毛市の「一風」まで行っていた。
郊外のレストランでありラーメン屋さんではないのだけれど
あっさり系のラーメンは昔ながらの中華そばでとても美味しい。
ラーメンセットを注文したので半チャーハンも付いている。
このチャーハンもまた美味しくやみつきになるのだった。
今日は福神漬けが赤いのではなく黄色いやつだった。
一瞬あれ?と思ったが黄色のもなかなかいける。
月に一度は食べたいラーメンセット。来月もきっと食べに来よう。

計画禁煙5日目。成功しているようにも思えるがダメージが大きい。
我慢の反動で明日はまた煙草を吸ってしまいそうだ。
そもそも「止めたい」と云う気持ちがすっかり薄れてしまって
「止めなくてはいけない」と精神的に追い詰められているように思う。
やはり私は病気なのだろう。意志よりも「医師」が必要である。
求めてはいけないことを求める。そのジレンマに押しつぶされそうだ。
けれどもこの5日間、我ながらよく耐えたと思う。
禁煙外来に行けば観念するのではないだろうか。
我慢するために行くのではない。煙草を止めるために行くのである。
どうしようもなく落ちぶれてしまった子豚であるが
この数ヶ月の間にずいぶんと成長したようにも思う。
一番に自分と真っ直ぐに向き合うことが出来るようになった。
それは最後まで自分を見捨てないことに等しい。
明日のことは明日になってみないと分からないが
どれほど無様であっても自分の運命を受け止められるだろう。
二十四節気の「立夏」暦の上では今日から夏である。
雨の予報であったが降りそうで降らず
湿度が高いせいか蒸し暑さを感じた。
我が家の庭先でとても不思議なことが起きた。
去年の秋に植えていた小菊の花が咲き始めたのだ。
花が終った時に剪定をしていたのが良かったのだろうか。
それにしても初夏に咲く菊など今まで見たこともない。
これからの暑さを乗り越えられるか心配であるが
枯らさないように水遣りだけは怠らずにいようと思っている。
午前中にカーブスへ。体重測定がありこの一週間でまた2キロ増えていた。
禁煙を決意した時からだと4キロ増えたことになる。
やはりストレスなのだろうか食欲は留まることを知らない。
なんとか元の体重に戻そうと努力しているつもりであるが
今は禁煙のことで頭がいっぱいになっており余裕がないようである。
体脂肪率は先月と変わらずなんとか維持できているようだった。
今の私にあれもこれもは無理だろうと思う。
ひどく焦る気持ちもあるが焦ってもどうしようも出来ないだろう。
まずは禁煙であるがこれがなかなかに手強い。
完全禁煙も4日目が終ろうとしている。正直言ってかなりつらい。
禁断症状は薄れているつもりであるがあくまでも「つもり」なのだろう。
娘の吸殻は何処にも見つからずすっかり諦めてしまっているが
娘婿の吸殻はそこらへんにいつでもあり誘惑の手を伸ばしている。
しかし娘と同じ加熱式煙草であっても種類が全く違うので
火を点けて吸うこと自体が出来ない代物であった。
それをどうするかである。愚かなことにそれを口に咥えているのだった。
ついにそこまで落ちぶれてしまったのかと情けなくてならない。
それは無味無臭のフィルターのような物であった。
とにかく「我慢」することと「手放す」ことは違うのだと思う。
我慢は精神的に追い詰めることでありそれには辛抱が連なる。
「辛抱」という字は辛さを抱くのであるからどれほど苦しいことだろう。
その上に我慢の先に明るい未来が待っているとは限らないのだ。
子豚を殺すことは容易くはない。
どれほど愚かな子豚でも掛け替えのない「いのち」を持っている。
もう生きる価値などないのだろうか。
ふと子豚が憐れでならなくなった。
私は明日も辛さを抱くのであろうか。
能登で震度6強の大きな地震があったようだ。
明日は我が身だと覚悟はしているつもりだが
どんなにかパニックになるだろうかと不安でならない。
能登では余震が続いているらしく今夜は眠れない夜になることだろう。
被害がこれ以上大きくならないことをひたすら祈るしかない。
GWもあっという間で国民の祝日は今日が最後である。
職場は29日に仕事をしているので明日が代休であった。
正直言って休みはもういいかなと思っている。
とにかく退屈でならなくてそれが苦痛にさえ思えるのだった。
今日は午前中本を読んでいた。椎名誠の「そらをみてますないてます」
一週間掛かってやっと読了した。私小説でとても興味深かったが
平日は時間が取れず殆ど読めなかった。この三日で一気に読む。
読後感がとても素晴らしくますます魅了されずにいられない。
書けるものなら私も私小説が書きたいと思った。
夢で終わるかもしれないけれど夢を見させて欲しいと願う。
あと20年は生きられるかもしれない。まだ時間はあるだろう。

計画禁煙も3日目が終ろうとしている。
まだわずかに禁断症状があるものの日に日に楽になっている。
けれどももし目の前に吸殻があれば火を点けてしまうだろう。
だからまだ決して完全だとは言えないのだと思う。
タイムリミットはあと2日である。なんとしても我慢しなければいけない。
いや本当は我慢ではいけないのだ。我慢すれば反動が大きくなり
連休明けにはまた煙草を吸ってしまう可能性が大いにあるのだった。
すぐに禁煙外来に行く予定ではあるが治療を始めると
一切煙草を吸ってはいけないのだそうだ。
治療に失敗すると1年後に再挑戦しなければいけないらしい。
あれこれ考えていても結果が分かるはずもなく
とにかくこれだけはやってみないと分からないことなのだと思う。
正直なところ今は煙草が吸いたくてたまらない。
悔しくてならないけれど子豚はまだ生きているようだった。
曇り日。午後僅かに陽射しがあったものの夕方にはまた曇る。
明日はどうやら雨になりそうである。
GWなど関係ないと言いながら家に籠っていたけれど
さすがに退屈になり今日は少し出掛けていた。
とはいえ観光地は避けなければならず近場の土佐清水市まで。
県外ナンバーの車が多く見られたが道路は比較的空いていた。
例の如くで土佐清水市内でほか弁を買い求める。
もちろん大好物の「とりソバ」であった。
とり弁セールをやっていたがとり弁だけでは物足らない。
やはり甘辛いソースの焼きそばが無くてはならなかった。
「ジョン万次郎記念館」の近くの港でほか弁を食べる。
周りには大勢の釣り客が居てのどかに釣り糸を垂れていた。
家族連れも居てめいちゃんによく似た女の子も見つける。
家族旅行も良いのかもしれないが近場で釣りもまた良いものである。
竜串方面へと向かい水族館の混雑ぶりを横目で確かめながら帰る。
駐車場はほぼ満車状態だった。今こそ書き入れ時なのだ。
下川口から県道の山道へ入る。昔ツガニ漁をしていた川があり懐かしい。
かれこれ40年も昔のことで私達夫婦も随分と若かった。
幼子を抱えよく生計が成り立ったものだと今更ながら不思議に思う。
貧乏には違いなかったがそれが苦しかった記憶は殆どなかった。
山道は延光寺に続く遍路道にもなっており二人連れのお遍路さんに会う。
なんと外国人のカップルであった。にっこりと会釈を交わし合う。
山深い寂しい道も二人なら心強いだろうと思った。
あたりの新緑が目に沁みる。今日は「みどりの日」だったのだ。

計画禁煙も二日目。今日も一本の吸殻さえ見つけられなかった。
それに比例するように禁断症状が薄れていく。
だからそれは子豚にとって有難いことなのではないだろうか。
とにかく禁断症状さえ無くなればきっと楽になるのに違いない。
あと三日の猶予がある。けれどもまだ子豚の吐息を感じている。
なんとしても息の根を止めなければならないが憐れにも思えて来る。
今生の別れをするにはあまりにも未練があり過ぎる気もしているのだ。
とにかくあと三日耐えてみよう。死ぬか生きるかだ。
感傷的になっている場合ではないのかもしれないけれど
私はもし子豚を殺すことが出来ても悲しくてたまらないのかもしれない。
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