ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年05月05日(金) 不完全な子豚

能登で震度6強の大きな地震があったようだ。

明日は我が身だと覚悟はしているつもりだが

どんなにかパニックになるだろうかと不安でならない。

能登では余震が続いているらしく今夜は眠れない夜になることだろう。

被害がこれ以上大きくならないことをひたすら祈るしかない。



GWもあっという間で国民の祝日は今日が最後である。

職場は29日に仕事をしているので明日が代休であった。

正直言って休みはもういいかなと思っている。

とにかく退屈でならなくてそれが苦痛にさえ思えるのだった。


今日は午前中本を読んでいた。椎名誠の「そらをみてますないてます」

一週間掛かってやっと読了した。私小説でとても興味深かったが

平日は時間が取れず殆ど読めなかった。この三日で一気に読む。

読後感がとても素晴らしくますます魅了されずにいられない。


書けるものなら私も私小説が書きたいと思った。

夢で終わるかもしれないけれど夢を見させて欲しいと願う。

あと20年は生きられるかもしれない。まだ時間はあるだろう。





計画禁煙も3日目が終ろうとしている。

まだわずかに禁断症状があるものの日に日に楽になっている。

けれどももし目の前に吸殻があれば火を点けてしまうだろう。

だからまだ決して完全だとは言えないのだと思う。

タイムリミットはあと2日である。なんとしても我慢しなければいけない。

いや本当は我慢ではいけないのだ。我慢すれば反動が大きくなり

連休明けにはまた煙草を吸ってしまう可能性が大いにあるのだった。

すぐに禁煙外来に行く予定ではあるが治療を始めると

一切煙草を吸ってはいけないのだそうだ。

治療に失敗すると1年後に再挑戦しなければいけないらしい。


あれこれ考えていても結果が分かるはずもなく

とにかくこれだけはやってみないと分からないことなのだと思う。



正直なところ今は煙草が吸いたくてたまらない。

悔しくてならないけれど子豚はまだ生きているようだった。



2023年05月04日(木) 悲しくてたまらない

曇り日。午後僅かに陽射しがあったものの夕方にはまた曇る。

明日はどうやら雨になりそうである。

GWなど関係ないと言いながら家に籠っていたけれど

さすがに退屈になり今日は少し出掛けていた。

とはいえ観光地は避けなければならず近場の土佐清水市まで。

県外ナンバーの車が多く見られたが道路は比較的空いていた。


例の如くで土佐清水市内でほか弁を買い求める。

もちろん大好物の「とりソバ」であった。

とり弁セールをやっていたがとり弁だけでは物足らない。

やはり甘辛いソースの焼きそばが無くてはならなかった。


「ジョン万次郎記念館」の近くの港でほか弁を食べる。

周りには大勢の釣り客が居てのどかに釣り糸を垂れていた。

家族連れも居てめいちゃんによく似た女の子も見つける。

家族旅行も良いのかもしれないが近場で釣りもまた良いものである。


竜串方面へと向かい水族館の混雑ぶりを横目で確かめながら帰る。

駐車場はほぼ満車状態だった。今こそ書き入れ時なのだ。


下川口から県道の山道へ入る。昔ツガニ漁をしていた川があり懐かしい。

かれこれ40年も昔のことで私達夫婦も随分と若かった。

幼子を抱えよく生計が成り立ったものだと今更ながら不思議に思う。

貧乏には違いなかったがそれが苦しかった記憶は殆どなかった。


山道は延光寺に続く遍路道にもなっており二人連れのお遍路さんに会う。

なんと外国人のカップルであった。にっこりと会釈を交わし合う。

山深い寂しい道も二人なら心強いだろうと思った。


あたりの新緑が目に沁みる。今日は「みどりの日」だったのだ。





計画禁煙も二日目。今日も一本の吸殻さえ見つけられなかった。

それに比例するように禁断症状が薄れていく。

だからそれは子豚にとって有難いことなのではないだろうか。

とにかく禁断症状さえ無くなればきっと楽になるのに違いない。

あと三日の猶予がある。けれどもまだ子豚の吐息を感じている。

なんとしても息の根を止めなければならないが憐れにも思えて来る。

今生の別れをするにはあまりにも未練があり過ぎる気もしているのだ。


とにかくあと三日耐えてみよう。死ぬか生きるかだ。


感傷的になっている場合ではないのかもしれないけれど

私はもし子豚を殺すことが出来ても悲しくてたまらないのかもしれない。



2023年05月03日(水) 子豚を殺さなければいけない

爽やかな晴天。ほぼ夏日となり汗ばむような陽気となる。

お隣の黒潮町入野海岸では「砂浜Tシャツアート展」が開かれており

県内外から多くの観光客が訪れていたようだ。  

四万十市でも伝統の「一條公家行列」が行われていたらしい。

昔一度だけ見に行ったことがあるが華やかで厳かな行事であった。


元々行動力はあまり無い方だが最近は特にどんどん衰えている。

第一にまともに歩くことが出来ない。その上に人混みが苦手である。


GWで5日も連休を頂いたがあまり嬉しくはなかった。

理由は色々あるが仕事が無いと日給がもらえない。

そのくせ出費が多くなるので家計が一気に苦しくなる。

それからとにかく暇である。何処にも出掛けたりしないので

家で溜息をつきながらごろごろするばかりであった。

貧乏性と云ってしまえばそれまで。少しも夢など感じられない。



計画禁煙は予定通り実行したが午前中はとても苦しかった。

娘はやはり吸殻を隠しているらしく何処にも見つからなかった。

とにかく完全に諦めなければ前へ進むことが出来ないのだと思う。

これは本当に経験者にしか分からないことだが気が狂いそうだった。

そわそわと落ち着かず本を読むことも出来ない。

その代わり食欲は異常なほどにあり体重増加に拍車をかけている。


子豚を殺さなければいけない。そればかり考えている。

あと4日のうちになんとしても息の根を止めよう。

それが出来なければ私は永遠に苦しみ続けるだろう。


じわじわと得体の知れないものが押し寄せてきている。

子豚はまだ生きているようだ。なんとしぶとい奴だろう。


子豚の死顔はきっと安らかに違いない。

その顔を確かめるために私は生きているのかもしれない。



2023年05月02日(火) 見届けて欲しい

5月になっても肌寒い朝が続いている。

日中との温度差が15℃位あるのではないだろうか。

老体がよく耐えているものだと我ながら感心している。


血圧の高い日がずっと続いていたが今夜はやっと平常値になっていた。

やはりストレスのせいだと思っているのだけれど

じゃあなにが?と訊かれても即答できることは出来ない。

ただいつも苛々しており落ち着くことが出来ずにいる。


医師はぽっくり死ぬことはないと言ったがどうして断言出来るのだろう。

命は取り留めても半身不随になる可能性だってある。

それならばいっそぽっくり死んだ方がマシなのではないだろうか。


ついつい悪いことばかり考えてしまうがこれも歳のせいかもしれない。

楽天家ではないし悲観ばかりしている。根性も勇気もありはしない。





昨夜は「一見さんお断り」などと書いたが少し後悔している。

まずそれならばSNSにリンクを貼るべきではなかった。

SNSを始めてもうすぐ10年になろうとしているが

興味を持って下さった方が何人かいて今も読み続けてくれているようだ。

それはとても有難いことだし身に余ることであるのは確かである。

今日はアクセス数が元に戻っていた。わずかに数人増えていたが

決して興味本位ではないだろうと信じたいと思っている。

今日の日記を読んでしまえば明日が気になって仕方ない。

私の日記はそんなふうに出来ている。読まずにはいられなくなるのだ。

それは私が生身の人間だからだろう。云わば捨てがたい存在なのだ。

そんな偉そうなことを言いながら自信など全くないのであった。


私に幻滅して去って行かれる方も必ずいるだろう。

特に子豚シリーズは私の大きな汚点であった。

去る者は追わずであるが現在残っていて下さる方は神様のように思える。

子豚の未来を見届けて欲しい。私の最期を見届けて欲しいと願っている。



2023年05月01日(月) 一見さんお断り

そして五月。日中は初夏のような陽気となる。

やはりツツジは枯れるのだ。それもまるで腐ったかのように

残った花弁にべっとりと泥のようにへばりついている。

目を反らしてはいけないと思うけれどとても凝視など出来ない。

なんと憐れなことだろうか。もう終らなければいけないのだ。

けれども花は死なない。その証拠にまた春が来れば咲き誇るだろう。

「再生」と云うべきか。生まれ変わるような意味があるらしい。

人間もそうであれば良いけれど命の再生があるのだろうか。





昨日のSNSの思わぬ反響のせいかこの日記にもその流れがあったようだ。

アクセス数が今までの倍以上になっていてとても驚く。

もちろんこの21年間で最も多い数であった。

おそらく興味本位の一度切りのことだとは思うが

沢山の方に読んでもらえて素直に喜ぶべきことだろう。

しかし理想としては長年の読者を尊重したいと思っている。

京都のお茶屋さんではないが「一見さんお断り」みたいなことである。

21年間ずっと読み続けてくれている方がいる限り

昨日今日でちょいと暖簾をくぐられてもいささか戸惑わずにはいられない。

縄張りがあるわけではないが云わば固定客で保たれているのである。

「ゆらゆら茶屋」はこじんまりとした小さな店なので

大広間などないし女将の私と差し向えるのも限られた方だけであった。





一刻も早く職場に着きたくて車を走らす子豚の朝である。

一昨日同僚が買い与えてくれた煙草が10本ほど残っていた。

昨日の禁断症状の反動は大きい。「餓え奴」になって吸いまくる。

ああなんてことだろうと嘆きつつ幸せを噛みしめているのであった。

見苦しさは覚悟している。形振り構わずとはこのことであろう。


同僚が「明日でお終いやね」とからかうように言っていた。

言われなくても分かっている。覚悟の上のことなのだから。


あがけばあがくほど苦しくなるがこれはもう宿命だと受け止めている。



初めて吸ったのは20歳の頃だったろうか。

「俺は煙草を吸う女は嫌いだ」と好きな男に言われた。

その一言できっぱりと煙草と縁が切れたのだ。


子豚にもそんな若い頃があった。とてもとても遠い日のことである。





2023年04月30日(日) 思い残すことがないように

雨は止んでいたがすっきりとしない空模様だった。

大量の洗濯物を干して間もなく小雨が降り始めてしまう。

夫が取り入れるのを手伝ってくれて乾燥機も回してくれた。

足の痛みが酷く思うように動けない。つい家事も疎かになる。


今朝はふと思い立って私と詩についての複雑な思いをSNSで発信した。

ずっと独りで抱え込んできたことだったので誰かに聴いて欲しい

そんな気持ちがあったのだと思う。この歳になり大人げないことだが

思いがけずに反響が大きくすっかり驚いてしまった。

これまでささやかに繋がっていた方からコメントを頂く。

初めてのコミュニケーションであった。なんと有難いことだろう。

今日は沢山の方と話すことが出来てなんだか夢のようだった。

普段は沈黙していても掛け替えのない読者なのだと思う。


とても不思議に思ったのはあの松下育夫さんが私の発信のすぐ後に

まるで私に声を掛けて下さっているようなツイートをしていたことである。

その言葉がとても心に沁みた。偶然だと思うがまるで奇跡のようであった。


「書き続けて下さい。応援しています」と言って下さった方もいた。

私のような者にそれは身に余るほどの尊い言葉である。

この先一生認められることはないと思っているが書き続けることは出来る。

たった一人の人でいい。その人の心を打つような詩を届けたいと思う。






子豚にとっては苦痛に苛まれた一日であった。

娘が仕事だったのでこれ幸いと吸殻を探したが

今まで隠していた場所には一本も見つからなかったのである。

おそらく娘が気づいて隠し場所を変えたのだろうと思う。

そこまで母を追い詰めなければいけないものだろうか。

禁煙外来にも誘ってみたがまったく聞く耳を持たなかった。

そうかそれならば一生吸っていなさいと言いたい。


完全に禁煙出来れば禁断症状から解放される。

それはすでに経験済みだから十分に理解しているつもりである。

一日中「頑張れ、頑張れ」と自分を励まし続けていた。

その反動で明日になったら思う存分吸えるのだと期待してしまう。

それが悪循環していることはもう分り切っているのだった。


そんなジレンマと闘うのもあと数日のことだろう。

計画禁煙だけはなんとしても達成しようと思っている。


子豚にも明るい未来があるのに違いない。

すべての欲を手放すのだ。もう思い残すことなどないように。



2023年04月29日(土) 最後のあがき

朝から雨が降り続いている。今夜は大雨になるかもしれない。

ずいぶんと日が長くなってもうすぐ7時だと云うのにまだ明るい。

川向の山に雨雲が掛かり靄のように見えている。



工場の仕事が立て込んでおり今日は休日返上だった。

代わりに5月6日を休業にすることにした。

同僚は明日田植えとのこと。お天気が回復しそうで何よりである。


事務仕事は暇で手持無沙汰でならない。

詩人の松下育夫さんがSNSで随筆を発信しているのを読んでいた。

文章がすうっとこころに沁み込んできて感動をおぼえる。

暇つぶしだなんてとんでもないことだ。読む機会があって良かったと思う。


なぜかふと詩人の島田奈津子さんのことを思い出した。

もしかしたらSNSのアカウントがあるかもしれないと探したが

検索では見つからなかった。ずいぶんと遠い存在になってしまったようだ。

かれこれ20年前だったか私のホームページに詩を投稿してくれていた。

掲示板でも会話をすることがあり一気に親しくなっていたように思う。

私は彼女の詩が大好きである。今でも彼女の詩を読みたくてたまらない。


松下育夫さんが「好きな詩人の詩だけを読めばいい」と書いてあった。

だからなのかもしれない。それはもう奈津子さん以外に考えられない。






子豚は最後のあがきである。言葉は悪いが吸いたいだけ吸いまくる。

禁煙外来に行くことが決まり精神的には随分と楽になったけれど

どう言って説明したら良いのだろう上手く言葉に出来ないが

まるで最後の晩餐のような気持になり焦っているようである。

「いま食べてしまわないともう後はないぞ」と声が聴こえてくる。

残さずに食べようとお腹いっぱいになっても詰め込んでいるようだ。

食べ過ぎて気分が悪い。それでも止めることが出来なかった。


ニコチン中毒はれっきとした病気なのだそうだ。

だから治療が必要なのである。自力で治すのは並大抵のことではない。

それは子豚自身が今までどれほど思い知ってきたことだろうか。


今夜も苦しくないと云えば嘘になる。

とにかく火を点けたくてたまらなくなって

さっきお線香の箱を開けようとしていて我に返り可笑しかった。


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