ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年05月03日(水) 子豚を殺さなければいけない

爽やかな晴天。ほぼ夏日となり汗ばむような陽気となる。

お隣の黒潮町入野海岸では「砂浜Tシャツアート展」が開かれており

県内外から多くの観光客が訪れていたようだ。  

四万十市でも伝統の「一條公家行列」が行われていたらしい。

昔一度だけ見に行ったことがあるが華やかで厳かな行事であった。


元々行動力はあまり無い方だが最近は特にどんどん衰えている。

第一にまともに歩くことが出来ない。その上に人混みが苦手である。


GWで5日も連休を頂いたがあまり嬉しくはなかった。

理由は色々あるが仕事が無いと日給がもらえない。

そのくせ出費が多くなるので家計が一気に苦しくなる。

それからとにかく暇である。何処にも出掛けたりしないので

家で溜息をつきながらごろごろするばかりであった。

貧乏性と云ってしまえばそれまで。少しも夢など感じられない。



計画禁煙は予定通り実行したが午前中はとても苦しかった。

娘はやはり吸殻を隠しているらしく何処にも見つからなかった。

とにかく完全に諦めなければ前へ進むことが出来ないのだと思う。

これは本当に経験者にしか分からないことだが気が狂いそうだった。

そわそわと落ち着かず本を読むことも出来ない。

その代わり食欲は異常なほどにあり体重増加に拍車をかけている。


子豚を殺さなければいけない。そればかり考えている。

あと4日のうちになんとしても息の根を止めよう。

それが出来なければ私は永遠に苦しみ続けるだろう。


じわじわと得体の知れないものが押し寄せてきている。

子豚はまだ生きているようだ。なんとしぶとい奴だろう。


子豚の死顔はきっと安らかに違いない。

その顔を確かめるために私は生きているのかもしれない。



2023年05月02日(火) 見届けて欲しい

5月になっても肌寒い朝が続いている。

日中との温度差が15℃位あるのではないだろうか。

老体がよく耐えているものだと我ながら感心している。


血圧の高い日がずっと続いていたが今夜はやっと平常値になっていた。

やはりストレスのせいだと思っているのだけれど

じゃあなにが?と訊かれても即答できることは出来ない。

ただいつも苛々しており落ち着くことが出来ずにいる。


医師はぽっくり死ぬことはないと言ったがどうして断言出来るのだろう。

命は取り留めても半身不随になる可能性だってある。

それならばいっそぽっくり死んだ方がマシなのではないだろうか。


ついつい悪いことばかり考えてしまうがこれも歳のせいかもしれない。

楽天家ではないし悲観ばかりしている。根性も勇気もありはしない。





昨夜は「一見さんお断り」などと書いたが少し後悔している。

まずそれならばSNSにリンクを貼るべきではなかった。

SNSを始めてもうすぐ10年になろうとしているが

興味を持って下さった方が何人かいて今も読み続けてくれているようだ。

それはとても有難いことだし身に余ることであるのは確かである。

今日はアクセス数が元に戻っていた。わずかに数人増えていたが

決して興味本位ではないだろうと信じたいと思っている。

今日の日記を読んでしまえば明日が気になって仕方ない。

私の日記はそんなふうに出来ている。読まずにはいられなくなるのだ。

それは私が生身の人間だからだろう。云わば捨てがたい存在なのだ。

そんな偉そうなことを言いながら自信など全くないのであった。


私に幻滅して去って行かれる方も必ずいるだろう。

特に子豚シリーズは私の大きな汚点であった。

去る者は追わずであるが現在残っていて下さる方は神様のように思える。

子豚の未来を見届けて欲しい。私の最期を見届けて欲しいと願っている。



2023年05月01日(月) 一見さんお断り

そして五月。日中は初夏のような陽気となる。

やはりツツジは枯れるのだ。それもまるで腐ったかのように

残った花弁にべっとりと泥のようにへばりついている。

目を反らしてはいけないと思うけれどとても凝視など出来ない。

なんと憐れなことだろうか。もう終らなければいけないのだ。

けれども花は死なない。その証拠にまた春が来れば咲き誇るだろう。

「再生」と云うべきか。生まれ変わるような意味があるらしい。

人間もそうであれば良いけれど命の再生があるのだろうか。





昨日のSNSの思わぬ反響のせいかこの日記にもその流れがあったようだ。

アクセス数が今までの倍以上になっていてとても驚く。

もちろんこの21年間で最も多い数であった。

おそらく興味本位の一度切りのことだとは思うが

沢山の方に読んでもらえて素直に喜ぶべきことだろう。

しかし理想としては長年の読者を尊重したいと思っている。

京都のお茶屋さんではないが「一見さんお断り」みたいなことである。

21年間ずっと読み続けてくれている方がいる限り

昨日今日でちょいと暖簾をくぐられてもいささか戸惑わずにはいられない。

縄張りがあるわけではないが云わば固定客で保たれているのである。

「ゆらゆら茶屋」はこじんまりとした小さな店なので

大広間などないし女将の私と差し向えるのも限られた方だけであった。





一刻も早く職場に着きたくて車を走らす子豚の朝である。

一昨日同僚が買い与えてくれた煙草が10本ほど残っていた。

昨日の禁断症状の反動は大きい。「餓え奴」になって吸いまくる。

ああなんてことだろうと嘆きつつ幸せを噛みしめているのであった。

見苦しさは覚悟している。形振り構わずとはこのことであろう。


同僚が「明日でお終いやね」とからかうように言っていた。

言われなくても分かっている。覚悟の上のことなのだから。


あがけばあがくほど苦しくなるがこれはもう宿命だと受け止めている。



初めて吸ったのは20歳の頃だったろうか。

「俺は煙草を吸う女は嫌いだ」と好きな男に言われた。

その一言できっぱりと煙草と縁が切れたのだ。


子豚にもそんな若い頃があった。とてもとても遠い日のことである。





2023年04月30日(日) 思い残すことがないように

雨は止んでいたがすっきりとしない空模様だった。

大量の洗濯物を干して間もなく小雨が降り始めてしまう。

夫が取り入れるのを手伝ってくれて乾燥機も回してくれた。

足の痛みが酷く思うように動けない。つい家事も疎かになる。


今朝はふと思い立って私と詩についての複雑な思いをSNSで発信した。

ずっと独りで抱え込んできたことだったので誰かに聴いて欲しい

そんな気持ちがあったのだと思う。この歳になり大人げないことだが

思いがけずに反響が大きくすっかり驚いてしまった。

これまでささやかに繋がっていた方からコメントを頂く。

初めてのコミュニケーションであった。なんと有難いことだろう。

今日は沢山の方と話すことが出来てなんだか夢のようだった。

普段は沈黙していても掛け替えのない読者なのだと思う。


とても不思議に思ったのはあの松下育夫さんが私の発信のすぐ後に

まるで私に声を掛けて下さっているようなツイートをしていたことである。

その言葉がとても心に沁みた。偶然だと思うがまるで奇跡のようであった。


「書き続けて下さい。応援しています」と言って下さった方もいた。

私のような者にそれは身に余るほどの尊い言葉である。

この先一生認められることはないと思っているが書き続けることは出来る。

たった一人の人でいい。その人の心を打つような詩を届けたいと思う。






子豚にとっては苦痛に苛まれた一日であった。

娘が仕事だったのでこれ幸いと吸殻を探したが

今まで隠していた場所には一本も見つからなかったのである。

おそらく娘が気づいて隠し場所を変えたのだろうと思う。

そこまで母を追い詰めなければいけないものだろうか。

禁煙外来にも誘ってみたがまったく聞く耳を持たなかった。

そうかそれならば一生吸っていなさいと言いたい。


完全に禁煙出来れば禁断症状から解放される。

それはすでに経験済みだから十分に理解しているつもりである。

一日中「頑張れ、頑張れ」と自分を励まし続けていた。

その反動で明日になったら思う存分吸えるのだと期待してしまう。

それが悪循環していることはもう分り切っているのだった。


そんなジレンマと闘うのもあと数日のことだろう。

計画禁煙だけはなんとしても達成しようと思っている。


子豚にも明るい未来があるのに違いない。

すべての欲を手放すのだ。もう思い残すことなどないように。



2023年04月29日(土) 最後のあがき

朝から雨が降り続いている。今夜は大雨になるかもしれない。

ずいぶんと日が長くなってもうすぐ7時だと云うのにまだ明るい。

川向の山に雨雲が掛かり靄のように見えている。



工場の仕事が立て込んでおり今日は休日返上だった。

代わりに5月6日を休業にすることにした。

同僚は明日田植えとのこと。お天気が回復しそうで何よりである。


事務仕事は暇で手持無沙汰でならない。

詩人の松下育夫さんがSNSで随筆を発信しているのを読んでいた。

文章がすうっとこころに沁み込んできて感動をおぼえる。

暇つぶしだなんてとんでもないことだ。読む機会があって良かったと思う。


なぜかふと詩人の島田奈津子さんのことを思い出した。

もしかしたらSNSのアカウントがあるかもしれないと探したが

検索では見つからなかった。ずいぶんと遠い存在になってしまったようだ。

かれこれ20年前だったか私のホームページに詩を投稿してくれていた。

掲示板でも会話をすることがあり一気に親しくなっていたように思う。

私は彼女の詩が大好きである。今でも彼女の詩を読みたくてたまらない。


松下育夫さんが「好きな詩人の詩だけを読めばいい」と書いてあった。

だからなのかもしれない。それはもう奈津子さん以外に考えられない。






子豚は最後のあがきである。言葉は悪いが吸いたいだけ吸いまくる。

禁煙外来に行くことが決まり精神的には随分と楽になったけれど

どう言って説明したら良いのだろう上手く言葉に出来ないが

まるで最後の晩餐のような気持になり焦っているようである。

「いま食べてしまわないともう後はないぞ」と声が聴こえてくる。

残さずに食べようとお腹いっぱいになっても詰め込んでいるようだ。

食べ過ぎて気分が悪い。それでも止めることが出来なかった。


ニコチン中毒はれっきとした病気なのだそうだ。

だから治療が必要なのである。自力で治すのは並大抵のことではない。

それは子豚自身が今までどれほど思い知ってきたことだろうか。


今夜も苦しくないと云えば嘘になる。

とにかく火を点けたくてたまらなくなって

さっきお線香の箱を開けようとしていて我に返り可笑しかった。



2023年04月28日(金) 捨てる神あれば拾う神あり

各地で夏日を記録したらしいが四万十市は20℃ほど。

爽やかな風も吹き過ごしやすい一日だった。


実質的には今日が月末であり会社の資金繰りに頭を悩ませていた。

すべての支払いを済ませると預金残高はあとわずかである。

これまでずっと順調だったので一気に窮地に立たされた気がした。

それでも母が資金繰りをしていた頃に比べると

取引先に迷惑をかけないだけでもマシなのだろうと思う。

お金は天下のまわり物と云うが出て行くばかりで入ってこない。

そんなことも珍しく今月は良き教訓になったのかもしれない。





今朝は同僚と連れモクをしていて「禁煙外来」の話になった。

同僚も子豚と同じくもううんざりしているのだろう。

子豚が毎日嘆くものだからふっと思いついたのかもしれなかった。

「ネットで検索してみろや」と言うので早速試してみる。

「四万十市禁煙外来」と入力したら5件くらいヒットした。


まず最初のクリニックに電話したら保健対応が出来ないとのこと。

親切な受付の女性が他の病院を紹介してくれたのだった。

K病院は昔から市内にある大きな病院である。

電話をしたら予約制だと言うことで担当の看護師さんが対応してくれた。

その看護師さんのなんと優しく親身になってくれたことだろう。

これまでのいきさつをすべて話し今の精神的な苦痛も聞いてくれた。

意思が弱いのではないのだから自分を責めてはいけないと言ってくれる。

その一言でどれほど救われたことだろう。子豚は涙が出そうになった。


計画禁煙の事も話し連休が明けてから10日に予約を入れる。

その日ならその看護師さんが外来に勤務しているのだそうだ。

会いたいと思った。どんな女性なのだろうと今から楽しみでならない。


看護師さんに話を聞いてもらってから目の前がぱあっと明るくなった。

子豚に未来などあるものかと自棄になりかけていたけれど

まさしく捨てる神あれば拾う神ありである。


もうくよくよと思い詰めることはないだろう。

ただし禁煙外来で治療しても百パーセント成功するとは限らないそうだ。

もし50パーセントでもあっても子豚はなんとしても成功したい。


禁煙を決意してからの苦悩を思えば些細なことなのかもしれない。

やってやれないことはないのだと今は思っている。



2023年04月27日(木) 何処に向かっているのだろう

少し肌寒い朝となったが日中は随分と暖かくなった。

人間の身体には20℃位が最適ではないかと思う。


今朝のラジオで「ツツジが散り始めましたね」と声が聴こえた。

そんなはずはないツツジは散ることのできない花である。

ラジオは一方通行なので反論できないのがもどかしかった。

もしかしたら私が間違っているのかもしれないと気になり始め

ツツジの咲いている場所に行ったら確かに散ってはいなかった。

紫陽花と同じである。花弁が茶色になり朽ちていくのだ。

どんな花も終る時はせつないものである。




母に急変がなかったのか昨夜は電話がなく安堵していたが

その後の容態が全く分からず落ち着いてはいられない。

看護師さんも忙しいのだろうと察しケアマネさんに電話してみた。

そうしたら今朝の母はケロッとしていて冗談まで言っていたそうだ。

熱は微熱になっておりもう心配はなさそうであった。

ただ高熱が出た原因がまだ分かっていないのが気掛かりである。

今回は大事に至らなかったが今後また何があるか分からない。

その度に覚悟をしなければいけないのだろう。





仔豚のことに触れるのはもういい加減にしなければと思っている。

最後まで見守って欲しいと言いつつ子豚自身がうんざりしているのだ。

嫌悪感は日に日につのるばかりでもう顔も見たくなかった。

これまでどれほど嘘をついて来たことだろう。もう数えきれない。

おそらく精神を病んでいるのだろう。自分で自分が怖ろしくなった。


GWの計画禁煙まであと数日となった。

なんとしてもと思いつつ本音を云えば自信がない。

数日は禁煙出来てもまた元の木阿弥になってしまうのではないか。

そんなことを考えているといつまでたっても救われる日が来ない。


自分が何処に向かっているのか分からない。

もはや意思が強いとか弱いとかのモンダイではないと思う。

狂っている精神をいかに立ち直せるかだ。


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