ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年04月29日(土) 最後のあがき

朝から雨が降り続いている。今夜は大雨になるかもしれない。

ずいぶんと日が長くなってもうすぐ7時だと云うのにまだ明るい。

川向の山に雨雲が掛かり靄のように見えている。



工場の仕事が立て込んでおり今日は休日返上だった。

代わりに5月6日を休業にすることにした。

同僚は明日田植えとのこと。お天気が回復しそうで何よりである。


事務仕事は暇で手持無沙汰でならない。

詩人の松下育夫さんがSNSで随筆を発信しているのを読んでいた。

文章がすうっとこころに沁み込んできて感動をおぼえる。

暇つぶしだなんてとんでもないことだ。読む機会があって良かったと思う。


なぜかふと詩人の島田奈津子さんのことを思い出した。

もしかしたらSNSのアカウントがあるかもしれないと探したが

検索では見つからなかった。ずいぶんと遠い存在になってしまったようだ。

かれこれ20年前だったか私のホームページに詩を投稿してくれていた。

掲示板でも会話をすることがあり一気に親しくなっていたように思う。

私は彼女の詩が大好きである。今でも彼女の詩を読みたくてたまらない。


松下育夫さんが「好きな詩人の詩だけを読めばいい」と書いてあった。

だからなのかもしれない。それはもう奈津子さん以外に考えられない。






子豚は最後のあがきである。言葉は悪いが吸いたいだけ吸いまくる。

禁煙外来に行くことが決まり精神的には随分と楽になったけれど

どう言って説明したら良いのだろう上手く言葉に出来ないが

まるで最後の晩餐のような気持になり焦っているようである。

「いま食べてしまわないともう後はないぞ」と声が聴こえてくる。

残さずに食べようとお腹いっぱいになっても詰め込んでいるようだ。

食べ過ぎて気分が悪い。それでも止めることが出来なかった。


ニコチン中毒はれっきとした病気なのだそうだ。

だから治療が必要なのである。自力で治すのは並大抵のことではない。

それは子豚自身が今までどれほど思い知ってきたことだろうか。


今夜も苦しくないと云えば嘘になる。

とにかく火を点けたくてたまらなくなって

さっきお線香の箱を開けようとしていて我に返り可笑しかった。



2023年04月28日(金) 捨てる神あれば拾う神あり

各地で夏日を記録したらしいが四万十市は20℃ほど。

爽やかな風も吹き過ごしやすい一日だった。


実質的には今日が月末であり会社の資金繰りに頭を悩ませていた。

すべての支払いを済ませると預金残高はあとわずかである。

これまでずっと順調だったので一気に窮地に立たされた気がした。

それでも母が資金繰りをしていた頃に比べると

取引先に迷惑をかけないだけでもマシなのだろうと思う。

お金は天下のまわり物と云うが出て行くばかりで入ってこない。

そんなことも珍しく今月は良き教訓になったのかもしれない。





今朝は同僚と連れモクをしていて「禁煙外来」の話になった。

同僚も子豚と同じくもううんざりしているのだろう。

子豚が毎日嘆くものだからふっと思いついたのかもしれなかった。

「ネットで検索してみろや」と言うので早速試してみる。

「四万十市禁煙外来」と入力したら5件くらいヒットした。


まず最初のクリニックに電話したら保健対応が出来ないとのこと。

親切な受付の女性が他の病院を紹介してくれたのだった。

K病院は昔から市内にある大きな病院である。

電話をしたら予約制だと言うことで担当の看護師さんが対応してくれた。

その看護師さんのなんと優しく親身になってくれたことだろう。

これまでのいきさつをすべて話し今の精神的な苦痛も聞いてくれた。

意思が弱いのではないのだから自分を責めてはいけないと言ってくれる。

その一言でどれほど救われたことだろう。子豚は涙が出そうになった。


計画禁煙の事も話し連休が明けてから10日に予約を入れる。

その日ならその看護師さんが外来に勤務しているのだそうだ。

会いたいと思った。どんな女性なのだろうと今から楽しみでならない。


看護師さんに話を聞いてもらってから目の前がぱあっと明るくなった。

子豚に未来などあるものかと自棄になりかけていたけれど

まさしく捨てる神あれば拾う神ありである。


もうくよくよと思い詰めることはないだろう。

ただし禁煙外来で治療しても百パーセント成功するとは限らないそうだ。

もし50パーセントでもあっても子豚はなんとしても成功したい。


禁煙を決意してからの苦悩を思えば些細なことなのかもしれない。

やってやれないことはないのだと今は思っている。



2023年04月27日(木) 何処に向かっているのだろう

少し肌寒い朝となったが日中は随分と暖かくなった。

人間の身体には20℃位が最適ではないかと思う。


今朝のラジオで「ツツジが散り始めましたね」と声が聴こえた。

そんなはずはないツツジは散ることのできない花である。

ラジオは一方通行なので反論できないのがもどかしかった。

もしかしたら私が間違っているのかもしれないと気になり始め

ツツジの咲いている場所に行ったら確かに散ってはいなかった。

紫陽花と同じである。花弁が茶色になり朽ちていくのだ。

どんな花も終る時はせつないものである。




母に急変がなかったのか昨夜は電話がなく安堵していたが

その後の容態が全く分からず落ち着いてはいられない。

看護師さんも忙しいのだろうと察しケアマネさんに電話してみた。

そうしたら今朝の母はケロッとしていて冗談まで言っていたそうだ。

熱は微熱になっておりもう心配はなさそうであった。

ただ高熱が出た原因がまだ分かっていないのが気掛かりである。

今回は大事に至らなかったが今後また何があるか分からない。

その度に覚悟をしなければいけないのだろう。





仔豚のことに触れるのはもういい加減にしなければと思っている。

最後まで見守って欲しいと言いつつ子豚自身がうんざりしているのだ。

嫌悪感は日に日につのるばかりでもう顔も見たくなかった。

これまでどれほど嘘をついて来たことだろう。もう数えきれない。

おそらく精神を病んでいるのだろう。自分で自分が怖ろしくなった。


GWの計画禁煙まであと数日となった。

なんとしてもと思いつつ本音を云えば自信がない。

数日は禁煙出来てもまた元の木阿弥になってしまうのではないか。

そんなことを考えているといつまでたっても救われる日が来ない。


自分が何処に向かっているのか分からない。

もはや意思が強いとか弱いとかのモンダイではないと思う。

狂っている精神をいかに立ち直せるかだ。



2023年04月26日(水) 心配事はあるけれど

雨上がりの晴天。気温は高くなったが風の強い一日となる。

満開を過ぎた躑躅(ツツジ)が少しずつ枯れ始めた。

5月になれば皐月(サツキ)だろうか。

バトンタッチをするように花は咲き季節を知らせてくれる。



夕飯の支度をしていたら母の施設の看護師さんから電話があった。

母が発熱とのこと。40℃近い高熱と聞きおどろく。

今夜は抗生剤で様子を見て明日血液検査をするのだそうだ。

コロナの症状は見られずPCR検査は行わないらしい。

急変があれば夜中でも知らせてくれると言っていたが

気になって眠れないかもしれない。いや、眠ってはいけないようでもある。


いくら薄情な娘でも心配でならなかった。

そのくせ正直に言えば「もういいかな」とも思っている。

もう85歳の母のことだ。私はいつだって覚悟をしているつもりである。





家族のことでも心配事があるがここに記すことは控えたい。

書かないことが守ることのように思えて慎重になっている。

あやちゃんは年頃の傷つきやすい少女になった。

腫れ物に触るような日々がずっと続いている。



心配事ではないけれど困ったことは子豚を飼っていること。

自ら養豚場の経営者になっていることだった。

廃業したいと何度思ったことだろう。

世間では「まだやっているのか」と批判の声も聞こえて来る。

聞こえは悪いが餌を仕入れず横領しているという噂もある。

それは事実であるだけにもはや身の置き所がなかった。

いっそ豚コレラでも蔓延してくれたらと願ってしまうのだった。


「今日こそは」「明日こそは」と言い続けてもう幾日経ったのだろう。

最初のうちは好評だった子豚シリーズも下火になってしまった。

それはどれほどの人が呆れてうんざりしているかの証拠でもある。


そんな誰よりもうんざりしているのは子豚自身であった。

今日も駄目だった。明日も駄目かもしれない。

それでも立ち向かう気力だけはまだあるようである。





2023年04月25日(火) もう誰も信じてはくれない

冷たい雨の一日。最高気温が札幌とほぼ同じだったようだ。

気圧のせいか足の痛みが辛かったが穀物には恵みの雨になったことだろう。

この雨が上がればまた初夏の陽気が訪れるらしい。


晴耕雨読ではないけれど義父が工場に居てくれて随分と助かる。

しかし良いことばかりではなく朝から雷が落ちたりした。

義父の性格には慣れているつもりだがいささかショックであった。

娘とは言ってくれない。あくまでも私は事務員なのである。


ストレスだろうか苛々が治まらず子豚が顔を覗かせる。

「来るな、近寄るな」と言っても押しとどめることが出来なかった。

情けなさを通り越して嫌悪感が沸き起こって来る。

同僚は笑わなかった。憐みのこもった顔をして子豚を見ていた。

煙草は子豚にとって鎮静剤のような物であると改めて思い知る。


「今日こそは」言いつつまた嘘をついてしまった。

「明日こそは」と言ってももう誰も信じてはくれないだろう。





夕方には小降りになっていた雨がまた激しさを増してきた。

今朝SNSで発信した詩にコメントを届けてくれた方がいて

その方のこころに何か伝わるようなものがあったらしい。

昨年暮れに奥様を亡くされたばかりの方で

まだ悲しみも癒えず苦しい日々を送っているようだった。


私の詩は「いのち」を主題にしているものが多いので

さりげなくではあってもその方のこころに触れているのかもしれない。

それこそが私の本望であると言っても過言ではない。


詩はそれを書いた本人のものではなくあくまでも読者のものらしい。

詩を発信するということはそれを覚悟した上のことなのだろう。

読み手によっていかようにも解釈されるべきである。


毎朝午前4時のこと。どうしても書けない日もあるかもしれないが

私はたった一人の読者であっても書き続けていきたいと思っている。


いつかは最後の詩になるだろう。

私がこの世からいなくなっても誰かのこころに残り続けるような

詩を書きたいと思う。それこそが私の「いのち」なのだから。









2023年04月24日(月) 毎日が挑戦

曇り日。気温があまり上がらず肌寒い一日となる。


今朝山里へ着いたら義父が「田起こし」をしていた。

職場のすぐ近くの田んぼでトラクターの音が勇ましく響く。

私は稲作にあまり詳しくないが田起こしをしてから水を張るらしい。

水を張ればすぐ田植えかと思いがちだがその前に「しろ掻き」をする。

それもトラクターで泥田の中を走り回るのだった。

以前に聞いたことがあるがしろ掻きをせずに稲を植えてしまったら

雑草だらけの田んぼになってしまうのだそうだ。

今でこそ機械化されているが昔はどれほど大変だったことだろう。

子供の頃祖父の家では牛を飼っていたことを微かに憶えている。





残念ながら完全禁煙は出来なかったが「ほぼ禁煙」は出来たようだ。

「ほぼ」とはとても曖昧であるが子豚的には上出来だと思う。


同僚のドラえもんはやはり新しい煙草を買って来ていた。

けれどもそれをポケットには入れず車の中に置いてあると言う。

それがとても助かった。とにかく子豚に見せてはならないのだ。

今日こそはと意を決してひたすら我慢と辛抱をする。

11時頃だったろうか、我慢の限界となり喫煙所に行ったら

同僚のラッキーストライクが3本だけ置いてあった。

それを吸っても良いのかもしれないと勝手に解釈してしまったのだ。

見て見ぬふりをしてくれたのだろう。同僚は何も咎めずにいてくれた。


とにかく吸いたいだけ吸うことだけからは逃れられたと思う。

それは子豚にとってそれなりに大きな成果であった。

以前にも言ったけれど絶対に禁煙しなければいけないのではない。

それも一気にゼロにしてしまうのは並大抵のことではなかった。

少しずつ減らしていくことはきっと出来るのではないだろうか。


「出来ない」と諦めてしまわないことだ。


何事もやってみないと分からないことだから「挑戦」するのである。



2023年04月23日(日) 毒のようなループ

穏やかな晴天。ぽかぽかと春らしい陽気となる。


近所の地場産市場で花の苗を買った。

ペチュニアと金魚草、どちらも夏まで咲きそうだ。

レジで支払いをしていたら店員の女の子が車まで運んでくれる。

杖を付いていたので気遣ってくれたのだろう有難いことである。


家に帰り早速庭先に植えようとしたのであるが

プランターを動かすことが出来ない。草も引けなかった。

地べたに座り込み這うようにしてなんとか植えることが出来る。

足が不自由になってから出来なくなったことが多くなった。

嘆いても何も変わらないのだと思う。受け止めるしかないのだろう。

まだまだ先が長いのだ。今から弱音を吐くわけにはいかなかった。





今日こそは完全禁煙をと決めていたが出来なかった。

夜明け前に娘の吸殻を5本ほど吸ってしまう。

昨日見つけた物の残りでなんと目障りなことだろう。

とにかく早く始末しなければと少し焦っていたようにも思う。


昼間はなんとか我慢が出来た。娘が仕事で留守だったので

吸殻は簡単に手に入れることが出来たがあえてそれをしなかった。

ほとほと自分に嫌気が差していたし馬鹿らしくてならない。

吐き気がするほど不味い物をどうして吸わなければいけないのだろう。



子豚はつくづく煙草の無い世界に行きたいと思う。

同僚や娘が吸っていなかったらとっくに禁煙出来ていた。

それはとても卑怯だし責任転嫁も甚だしいことであるが

周りからの影響と云うものはとても大きいと言わざるを得ない。

人は人。自分は自分と割り切れることが出来たらどんなに良いだろうか。

そのために必要な強い意思が子豚には足らなかったのだろうと思う。


明日はまた快楽に溺れるのかと思うと情けなくてならない。

この毒のようなループを断ち切ることは出来ないのだろうか。


子豚はまだ挫折はしていない。それが唯一の救いである。


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