ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年04月26日(水) 心配事はあるけれど

雨上がりの晴天。気温は高くなったが風の強い一日となる。

満開を過ぎた躑躅(ツツジ)が少しずつ枯れ始めた。

5月になれば皐月(サツキ)だろうか。

バトンタッチをするように花は咲き季節を知らせてくれる。



夕飯の支度をしていたら母の施設の看護師さんから電話があった。

母が発熱とのこと。40℃近い高熱と聞きおどろく。

今夜は抗生剤で様子を見て明日血液検査をするのだそうだ。

コロナの症状は見られずPCR検査は行わないらしい。

急変があれば夜中でも知らせてくれると言っていたが

気になって眠れないかもしれない。いや、眠ってはいけないようでもある。


いくら薄情な娘でも心配でならなかった。

そのくせ正直に言えば「もういいかな」とも思っている。

もう85歳の母のことだ。私はいつだって覚悟をしているつもりである。





家族のことでも心配事があるがここに記すことは控えたい。

書かないことが守ることのように思えて慎重になっている。

あやちゃんは年頃の傷つきやすい少女になった。

腫れ物に触るような日々がずっと続いている。



心配事ではないけれど困ったことは子豚を飼っていること。

自ら養豚場の経営者になっていることだった。

廃業したいと何度思ったことだろう。

世間では「まだやっているのか」と批判の声も聞こえて来る。

聞こえは悪いが餌を仕入れず横領しているという噂もある。

それは事実であるだけにもはや身の置き所がなかった。

いっそ豚コレラでも蔓延してくれたらと願ってしまうのだった。


「今日こそは」「明日こそは」と言い続けてもう幾日経ったのだろう。

最初のうちは好評だった子豚シリーズも下火になってしまった。

それはどれほどの人が呆れてうんざりしているかの証拠でもある。


そんな誰よりもうんざりしているのは子豚自身であった。

今日も駄目だった。明日も駄目かもしれない。

それでも立ち向かう気力だけはまだあるようである。





2023年04月25日(火) もう誰も信じてはくれない

冷たい雨の一日。最高気温が札幌とほぼ同じだったようだ。

気圧のせいか足の痛みが辛かったが穀物には恵みの雨になったことだろう。

この雨が上がればまた初夏の陽気が訪れるらしい。


晴耕雨読ではないけれど義父が工場に居てくれて随分と助かる。

しかし良いことばかりではなく朝から雷が落ちたりした。

義父の性格には慣れているつもりだがいささかショックであった。

娘とは言ってくれない。あくまでも私は事務員なのである。


ストレスだろうか苛々が治まらず子豚が顔を覗かせる。

「来るな、近寄るな」と言っても押しとどめることが出来なかった。

情けなさを通り越して嫌悪感が沸き起こって来る。

同僚は笑わなかった。憐みのこもった顔をして子豚を見ていた。

煙草は子豚にとって鎮静剤のような物であると改めて思い知る。


「今日こそは」言いつつまた嘘をついてしまった。

「明日こそは」と言ってももう誰も信じてはくれないだろう。





夕方には小降りになっていた雨がまた激しさを増してきた。

今朝SNSで発信した詩にコメントを届けてくれた方がいて

その方のこころに何か伝わるようなものがあったらしい。

昨年暮れに奥様を亡くされたばかりの方で

まだ悲しみも癒えず苦しい日々を送っているようだった。


私の詩は「いのち」を主題にしているものが多いので

さりげなくではあってもその方のこころに触れているのかもしれない。

それこそが私の本望であると言っても過言ではない。


詩はそれを書いた本人のものではなくあくまでも読者のものらしい。

詩を発信するということはそれを覚悟した上のことなのだろう。

読み手によっていかようにも解釈されるべきである。


毎朝午前4時のこと。どうしても書けない日もあるかもしれないが

私はたった一人の読者であっても書き続けていきたいと思っている。


いつかは最後の詩になるだろう。

私がこの世からいなくなっても誰かのこころに残り続けるような

詩を書きたいと思う。それこそが私の「いのち」なのだから。









2023年04月24日(月) 毎日が挑戦

曇り日。気温があまり上がらず肌寒い一日となる。


今朝山里へ着いたら義父が「田起こし」をしていた。

職場のすぐ近くの田んぼでトラクターの音が勇ましく響く。

私は稲作にあまり詳しくないが田起こしをしてから水を張るらしい。

水を張ればすぐ田植えかと思いがちだがその前に「しろ掻き」をする。

それもトラクターで泥田の中を走り回るのだった。

以前に聞いたことがあるがしろ掻きをせずに稲を植えてしまったら

雑草だらけの田んぼになってしまうのだそうだ。

今でこそ機械化されているが昔はどれほど大変だったことだろう。

子供の頃祖父の家では牛を飼っていたことを微かに憶えている。





残念ながら完全禁煙は出来なかったが「ほぼ禁煙」は出来たようだ。

「ほぼ」とはとても曖昧であるが子豚的には上出来だと思う。


同僚のドラえもんはやはり新しい煙草を買って来ていた。

けれどもそれをポケットには入れず車の中に置いてあると言う。

それがとても助かった。とにかく子豚に見せてはならないのだ。

今日こそはと意を決してひたすら我慢と辛抱をする。

11時頃だったろうか、我慢の限界となり喫煙所に行ったら

同僚のラッキーストライクが3本だけ置いてあった。

それを吸っても良いのかもしれないと勝手に解釈してしまったのだ。

見て見ぬふりをしてくれたのだろう。同僚は何も咎めずにいてくれた。


とにかく吸いたいだけ吸うことだけからは逃れられたと思う。

それは子豚にとってそれなりに大きな成果であった。

以前にも言ったけれど絶対に禁煙しなければいけないのではない。

それも一気にゼロにしてしまうのは並大抵のことではなかった。

少しずつ減らしていくことはきっと出来るのではないだろうか。


「出来ない」と諦めてしまわないことだ。


何事もやってみないと分からないことだから「挑戦」するのである。



2023年04月23日(日) 毒のようなループ

穏やかな晴天。ぽかぽかと春らしい陽気となる。


近所の地場産市場で花の苗を買った。

ペチュニアと金魚草、どちらも夏まで咲きそうだ。

レジで支払いをしていたら店員の女の子が車まで運んでくれる。

杖を付いていたので気遣ってくれたのだろう有難いことである。


家に帰り早速庭先に植えようとしたのであるが

プランターを動かすことが出来ない。草も引けなかった。

地べたに座り込み這うようにしてなんとか植えることが出来る。

足が不自由になってから出来なくなったことが多くなった。

嘆いても何も変わらないのだと思う。受け止めるしかないのだろう。

まだまだ先が長いのだ。今から弱音を吐くわけにはいかなかった。





今日こそは完全禁煙をと決めていたが出来なかった。

夜明け前に娘の吸殻を5本ほど吸ってしまう。

昨日見つけた物の残りでなんと目障りなことだろう。

とにかく早く始末しなければと少し焦っていたようにも思う。


昼間はなんとか我慢が出来た。娘が仕事で留守だったので

吸殻は簡単に手に入れることが出来たがあえてそれをしなかった。

ほとほと自分に嫌気が差していたし馬鹿らしくてならない。

吐き気がするほど不味い物をどうして吸わなければいけないのだろう。



子豚はつくづく煙草の無い世界に行きたいと思う。

同僚や娘が吸っていなかったらとっくに禁煙出来ていた。

それはとても卑怯だし責任転嫁も甚だしいことであるが

周りからの影響と云うものはとても大きいと言わざるを得ない。

人は人。自分は自分と割り切れることが出来たらどんなに良いだろうか。

そのために必要な強い意思が子豚には足らなかったのだろうと思う。


明日はまた快楽に溺れるのかと思うと情けなくてならない。

この毒のようなループを断ち切ることは出来ないのだろうか。


子豚はまだ挫折はしていない。それが唯一の救いである。



2023年04月22日(土) 子豚の願い

季節外れの暑さが続いていたが今日は平年並みの気温となる。

もう少し春をと願う気持ちがありいきなりの夏はやはり戸惑う。



海苔養殖場の撤収作業が終り川船を囲った。

「囲う」という意味がわかるだろうか。

台風等の災害を被らないように川船を安全な場所に移動さすことである。

そうして初めて今季の川仕事が終了したことになる。


昨年に引き続き収穫ゼロでその痛手はとても大きい。

我が家は私のパート収入があるのでなんとか生活出来ているが

養殖業だけで生計を立てている人も多いのだった。

自然界に見捨てられた者を行政が救ってくれるはずもなかった。


昨年までは私も撤収作業を手伝ったが今年はお役御免となった。

夫がすべて一人で頑張ってくれたおかげである。

足の痛みがあるので不安に思っていたが夫に助けられた。


来年からの休業を決めたのでしばらく川船も必要ないだろう。

漁協の規則で3年間は休業出来るのだそうだ。

それは4年目には廃業を強いられることに等しい。

40年以上も続けて来た家業だけにとても複雑な心境である。




午前中にカーブスへ行っていたが、足の痛みが酷く途中で諦める。

悔しさと情けなさで気分は落ち込むばかりであった。

出来ないのはとても辛い。心と身体がまるで反発しあっているようだ。

帰宅して夫に話したら「もう止めてしまえ」と言われた。

それもショックで涙が出そうになった。

「止めない」と私は言った。出来る日もきっとあるだろう。





夕方まで禁煙を貫く。あれば吸いたくなるが無いものは仕方ない。

それがふとしたことから娘の吸殻を見つけてしまったのだった。

娘に気づかれる心配はなかったがやはり罪悪感がつのる。

絶対に手を出さないと決めていたのに今吸っているのはどうしたことか。

とても不味い。吐き気がするほど不味いのを何故吸わねばならないのか。

正しく狂気の沙汰である。子豚は中毒患者で病気なのに違いない。

どんな代物であれ「吸う」ことに酷く執着しているようだ。

それならば自分の指でも吸っていろと言いたいところである。


明日こそは完全禁煙をと思っている。きっと出来るだろう。


子豚シリーズも随分と長くなってしまった。

もううんざりされている方も多いことだろう。

それでも子豚を見捨てないでいて欲しい。

どうか最後まで見守って欲しいと願ってやまない。



2023年04月21日(金) さっさと灰になりたい

連日の夏日だが少しずつ平年並みの気温に戻るのだそうだ。

寒暖差で体調を崩す人も多いことだろう。

私は丈夫に出来ているのか今のところ元気に過ごしている。


相変わらず血圧は高く足の痛みも続いているけれど

もう慣れてしまったのだろうさほど気にならなくなった。


今日は仕事を終えてから整形外科へ。

毎日のストレッチとカーブスの成果は全く現われていないようだった。

ひたすら悪化の道を辿っているようで医師の顔色も厳しい。

一刻も早く手術をと勧められたが今はどうすることも出来ない。


タイムリミットは後5年だろうか。

義父が会社を畳む決心をしてくれたらと思うのだが

今のところ全く考えていないようだった。

命ある限りなのだろう。それは10年後だって在り得ることだ。


90歳になった義父。77歳になった私。同僚は70歳である。

誰一人欠けても会社は成り立たないのだった。


医師にも事情を話ししばらく様子を見ることになったが

10年もはとても持たないと言う。

「持たない」とはどう云うことか。命を亡くす訳ではないが

最悪の場合、歩行困難になってしまうのかもしれなかった。


私としてはとにかく「いま」を乗り越えようと思っている。

5年後や10年後の事など考えていたら気が遠くなりそうだ。





仕事が忙しかったので子豚的には煙草に拘らずに過ごせた。

昨日の残りが8本ほどあっただろうか。昼下がりに最後の一本。

その時「もういいかな」と思った。いや、「どうでもいいかな」と。

同僚のドラえもんにも念を押して決して買って来ないように告げる。

もうこうなったら子豚よりもドラえもん次第なのである。

責任転嫁をするようで心苦しいが煙草が無ければ済むことだった。

後は子豚が決して欲しがらなければすべて上手く行くのだと思う。


今日は病的であることを自覚し嫌悪感さえ感じた。

言葉はとても悪いがぶっ殺してやりたくなった。


いやすでに子豚は亡骸であったか。オマエハモウシンデイル。


子豚として蘇ろうとか考えてなどいない。

さっさと灰にしてしまえばよいのだ。



2023年04月20日(木) 子豚の亡骸

二十四節気の「穀雨」穀物を潤す恵みの雨が降る頃。

今日は晴天であったが来週あたりから雨の日が多くなりそうだ。

それにしても異常なほどに気温が高くなりおどろく。

大分県の日田市では30℃を超え真夏日になったらしい。

まだ4月だと云うのにどれほどの人が戸惑っていることだろうか。



義父の田植えが一段落したと思っていたら

次は飼料米を植えるのだそうだ。

田植え機が故障したそうで修理しなければならず苛立ちを隠せない。

同僚や私にそのとばっちりが来てしまい少なからずストレスになっている。

本業の工場の仕事も上の空でお客さんに迷惑をかけてしまうが

とにかく口出しをしては怒らせてしまうのでひたすら耐えるしかない。


今年で80歳になる義父がこれほどまでに稲作に打ち込むのには

それなりに理由があることは理解しているつもりである。

しかし振り回されるのはいささか苦痛でもあった。





今日こそは子豚の告別式。もう思い残すことはないと思っていた。

計画禁煙までにはまだ2週間ほどあったが「今日」と決める。

ずっと意思の弱さを痛感してきた。どうしようもなく情けない。

挫折を繰り返しながらここまで来てしまったが

子豚にも名誉があるのならば今日こそ挽回しようと思ったのだ。


しかし思うようにはいかなかった。

この世にはまるで当然のようにそういう現実があるらしい。


同僚のドラえもんがポケットからまた煙草を出してしまったのだ。

理由を訊けば昨日ラッキーストライクを盗まれたからだと言う。

盗んだつもりは無かったが確かに減っていたのだろう。

ドラえもんは夜な夜なコンビニまで車を走らせたようだった。

愛情でも友情でもない。きっと使命のように思ったことだろう。


あればあるだけ吸ってしまう。それだけは避けなければいけない。

とりあえず煙草を預かってもらって我慢できなくなったら貰う。

それならば節煙にはなるだろうと勝手に思い込んでいた。


けれども「ややこしい」の一言でそれは却下されたのである。

そうして本当にどうしようも出来ない事態に陥ったのだった。


子豚は自己嫌悪を通り越して悲しみに打ちひしがれている。


告別式が出来ない。子豚の亡骸は腐敗していくのだろうか。


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