| 2023年04月21日(金) |
さっさと灰になりたい |
連日の夏日だが少しずつ平年並みの気温に戻るのだそうだ。
寒暖差で体調を崩す人も多いことだろう。
私は丈夫に出来ているのか今のところ元気に過ごしている。
相変わらず血圧は高く足の痛みも続いているけれど
もう慣れてしまったのだろうさほど気にならなくなった。
今日は仕事を終えてから整形外科へ。
毎日のストレッチとカーブスの成果は全く現われていないようだった。
ひたすら悪化の道を辿っているようで医師の顔色も厳しい。
一刻も早く手術をと勧められたが今はどうすることも出来ない。
タイムリミットは後5年だろうか。
義父が会社を畳む決心をしてくれたらと思うのだが
今のところ全く考えていないようだった。
命ある限りなのだろう。それは10年後だって在り得ることだ。
90歳になった義父。77歳になった私。同僚は70歳である。
誰一人欠けても会社は成り立たないのだった。
医師にも事情を話ししばらく様子を見ることになったが
10年もはとても持たないと言う。
「持たない」とはどう云うことか。命を亡くす訳ではないが
最悪の場合、歩行困難になってしまうのかもしれなかった。
私としてはとにかく「いま」を乗り越えようと思っている。
5年後や10年後の事など考えていたら気が遠くなりそうだ。

仕事が忙しかったので子豚的には煙草に拘らずに過ごせた。
昨日の残りが8本ほどあっただろうか。昼下がりに最後の一本。
その時「もういいかな」と思った。いや、「どうでもいいかな」と。
同僚のドラえもんにも念を押して決して買って来ないように告げる。
もうこうなったら子豚よりもドラえもん次第なのである。
責任転嫁をするようで心苦しいが煙草が無ければ済むことだった。
後は子豚が決して欲しがらなければすべて上手く行くのだと思う。
今日は病的であることを自覚し嫌悪感さえ感じた。
言葉はとても悪いがぶっ殺してやりたくなった。
いやすでに子豚は亡骸であったか。オマエハモウシンデイル。
子豚として蘇ろうとか考えてなどいない。
さっさと灰にしてしまえばよいのだ。
二十四節気の「穀雨」穀物を潤す恵みの雨が降る頃。
今日は晴天であったが来週あたりから雨の日が多くなりそうだ。
それにしても異常なほどに気温が高くなりおどろく。
大分県の日田市では30℃を超え真夏日になったらしい。
まだ4月だと云うのにどれほどの人が戸惑っていることだろうか。
義父の田植えが一段落したと思っていたら
次は飼料米を植えるのだそうだ。
田植え機が故障したそうで修理しなければならず苛立ちを隠せない。
同僚や私にそのとばっちりが来てしまい少なからずストレスになっている。
本業の工場の仕事も上の空でお客さんに迷惑をかけてしまうが
とにかく口出しをしては怒らせてしまうのでひたすら耐えるしかない。
今年で80歳になる義父がこれほどまでに稲作に打ち込むのには
それなりに理由があることは理解しているつもりである。
しかし振り回されるのはいささか苦痛でもあった。

今日こそは子豚の告別式。もう思い残すことはないと思っていた。
計画禁煙までにはまだ2週間ほどあったが「今日」と決める。
ずっと意思の弱さを痛感してきた。どうしようもなく情けない。
挫折を繰り返しながらここまで来てしまったが
子豚にも名誉があるのならば今日こそ挽回しようと思ったのだ。
しかし思うようにはいかなかった。
この世にはまるで当然のようにそういう現実があるらしい。
同僚のドラえもんがポケットからまた煙草を出してしまったのだ。
理由を訊けば昨日ラッキーストライクを盗まれたからだと言う。
盗んだつもりは無かったが確かに減っていたのだろう。
ドラえもんは夜な夜なコンビニまで車を走らせたようだった。
愛情でも友情でもない。きっと使命のように思ったことだろう。
あればあるだけ吸ってしまう。それだけは避けなければいけない。
とりあえず煙草を預かってもらって我慢できなくなったら貰う。
それならば節煙にはなるだろうと勝手に思い込んでいた。
けれども「ややこしい」の一言でそれは却下されたのである。
そうして本当にどうしようも出来ない事態に陥ったのだった。
子豚は自己嫌悪を通り越して悲しみに打ちひしがれている。
告別式が出来ない。子豚の亡骸は腐敗していくのだろうか。
| 2023年04月19日(水) |
告別式は延期となった |
全国的に気温が高くなり夏日になった所が多かったようだ。
暑さで有名な四万十市江川崎でも26℃を超えたらしい。
市町村合併で今は四万十市になっているが
私が生まれ育った頃は西土佐村という山村であった。
四万十川の中流地域であり大昔には材木を筏にして運んでいたのだそうだ。
もちろん大型トラックなど無かった時代である。もしあったとしても
道は狭く悪路でとても運べるような状態ではなかったと思う。
江戸時代、明治時代のことだろうかその光景を見てみたいものだ。
筏羊羹という銘菓がある。老舗の和菓子店が作っているのだが
私が子供の頃からあってたまに無性に食べたくなる時がある。
甘さを抑えた上品な羊羹で3本くらいはぺろりと食べられそうだ。

昨夜はお通夜。今日は告別式のつもりで出社する。
気分がとても落ち込んでいて鬱々としていた。
タイムカードを押して喫煙所に向かったら昨日の残りが一本だけあった。
しみじみと味わう。なんだか涙が出そうになった。
もうこそお別れだと思っていた。今生の別れになるだろう。
同僚も協力してくれて新しい煙草を持参してはいなかった。
それなのにどうしたことだろう。10分もしないうちに吸いたくなる。
またふらふらと夢遊病者のように喫煙所に向かって行ったのだった。
そこにはもちろんピアニッシモアイシーンは無い。
あるのは同僚のラッキーストライクであった。
一本だけと思ったのだ。とにかくその場を凌ごうとする。
「これで最後」と何度呟いたことだろう。
結局同僚のラッキーストライクを5本も吸ってしまったのだった。
子豚には反省の色は全く見えずケロッとしているのが腹立たしい。
こんな子豚に育てたつもりはないと親豚は嘆いていることだろう。
ドラえもんは嘆くことはしなかったが呆れかえっているようだった。
心を鬼にしてもう二度とポケットから煙草を出すことはないと思う。
後は子豚次第である。意思が弱いと決めつけてはいけない。
もう十分に追い詰められている。その底からなんとしても
這い上がることが出来るのではないだろうか。
躑躅(ツツジ)にはどれほどの種類があるのだろう。
多く見かけるのはピンク系の花であるが深紅や純白の花もある。
私が一番好きなのはピンク色の中心にほのかに紅をさしたような花だ。
今まで生きてきて一番綺麗だと思ったのは愛媛県の大洲市に行った時
山全体に躑躅が咲いておりそれは見事だった。
なんの目的もなく行ったのだが思いがけずに躑躅祭りが開かれていて
その山を目掛けて車を走らせたことがとても懐かしい。
それ以来大洲市に行ったことはないが今年もきっと見事に咲いているだろう。
朝の道では国道沿いに躑躅が植えられており心を和ませている。
特に伊豆田峠のトンネルに差し掛かる手前に沢山咲いている。
そんな道を白装束のお遍路さんがひとりふたりと歩いているのを
見るのも朝の楽しみであった。
そんな躑躅もやがては枯れるだろう。躑躅も散れない花である。

今朝は同僚に「今日で最後やけんね」と宣言をした。
「口だけはね」と笑う同僚のなんと憎たらしいこと。
彼は私の何を知っているのだろう。もしかしたら私よりも
私の本性を知っているのかもしれない。
朝の一服のなんと美味しいことだろう。ぼんやりとしていた頭が冴え
見渡す限りの新緑が目に鮮やかに映るのだった。
ああ生きているのだなと思う。それは至福のひと時であった。
けれどもいつまでも幸せではいられない。
明日からは我慢と辛抱の日が続くことだろう。
それも3日を乗り越えればきっと楽になるに違いない。
今夜はなんだかお通夜みたいな気分になってしまって
霊前に供える吸殻を探していたら娘の煙草ポーチを見つけた。
あまりにも無防備に目に付くところに置いてあったのだ。
ドキドキしながらポーチを開けたら吸殻が沢山入っていた。
全部盗んでしまったらきっとバレるだろうと思って
5本盗みなんとか霊前に供えることが出来た。
こんな不味い吸殻では故人も浮かばれないであろうが
何もないよりはマシだろう。お線香は吸えないが吸殻は吸えるのである。
子豚はこれまでの苦労を思い出している。
日々それを記しながら自分で呆れることが多かったが
今朝は読者の方からメッセージが届き「人間らしさ全開で面白い」と
思いがけない言葉を頂いた。そっか子豚も人間なのだと思った。
生きていると思うようにいかないことが沢山あるけれど
その生き様を書き残すことが出来て良かったと思っている。
| 2023年04月17日(月) |
ドラえもんのポケット |
全国的にやっと春本番かと思いきや北海道では雪が降ったようだ。
札幌では桜が咲いているのにまさかの雪だったことだろう。
「名残り雪」だと思えば風情があるが異常気象のようにも思える。
西日本は新緑の季節。若い緑がなんとも鮮やかである。
桜(ソメイヨシノ)は花が散った直後には薄桃色の葉だけれど
日が経つにつれて緑色に変わっていくのだった。
薄桃色の時期を葉桜と呼ぶのかもしれないが詳細は分からない。
私は緑色の葉の方が好きだから今を葉桜と呼びたいと思う。

わくわくとする程ではなかったが期待しながら職場に向かう。
二日間の禁煙から解放されるのだから当然のことだろう。
この段階で子豚には禁煙しようとする意思など全くなかった。
タイムカードを押すなり喫煙所に向かったのは言うまでもない。
しかしそこには先週の残りが3本ほど残っているだけだった。
同僚は確かもう一箱買い置きがあると言っていたはずである。
まさか気が変わったのではあるまいかと一気に心細くなった。
ええい吸っちまえと思いその3本を立て続けに吸ってしまう。
もう覚悟は出来ていたしすぐにでも禁煙体制に入るつもりだった。
それなのにどうしたことかふらふらと喫煙所に向かってしまうのだ。
同僚に「もうこそ終わりだよね」と言ったらにやりと笑っている。
そうして作業ズボンのポケットに手を入れたかと思うと
「ほうれ」と声を上げながら私を目掛けて煙草を放り投げたのだった。
それは正しくピアニッシモアイシーンであった。
同僚はやはりドラえもんだったのだ。子豚は感激で胸が熱くなっていた。
「こぶ太君もうこれが最後やけんね」と言う。
子豚は素直に頷いていた。この場に及んでどうして逆らえようか。
ドラえもんには本当に良い夢を見させてもらったように思う。
我慢も出来ず辛抱も出来なかった子豚に救いの手を差し伸べてくれたのだ。
けれども本当の意味で救われるのはこれからだと思う。
子豚は消滅するだろう。それこそが本望なのではないだろうか。
爽やかな晴天。まるで5月のような風だった。
家に閉じこもっていても家事をするわけでもなく
ただごろごろと寝てばかりいるものだから
プチドライブを兼ねて四万十町の七子峠までラーメンを食べに行っていた。
ケンミンショーでも紹介された人気店であるが
11時の開店と同時に行ったので比較的空いていて助かる。
半チャーハンと醤油ラーメンを注文し15分程待っただろうか。
チャーハンには好物の福神漬けが添えてありとても美味しかった。
肝心のラーメンはスープが少し脂っこく感じてイマイチに思う。
普段からあっさり系の中華そばに慣れているせいだろう。
「腹さえ張ればもう用はないな」と夫と笑いながら帰る。
往復2時間ほどのドライブが丁度良いように思った。
黒潮町の入野海岸には沢山のサーファーが押し寄せていた。
GWにはどれほどの人になるだろうと想像しただけでオソロシイ。
駐車場には岩手ナンバーの車が2台停まっていて驚いた。

子豚はとにかく家でくすぼっていてはいけない。
くすぼるだけでは済まなくて火を点けたくなるのだった。
幸いと云うべきか生憎と云うべきか今日も吸殻は見つからなかった。
娘は確かに吸っているのだがいったい吸殻を何処に隠しているのだろう。
諦めているせいか我慢は出来ないことはなかった。
ただ恨めしくてならない。娘のように吸いたいと思ってしまう。
家族に喫煙者が居ると禁煙は難しいと云うが正にそれである。
「私は吸いますが吸殻はあげません」それはあんまりではないだろうか。
娘は決して意地悪をしているわけではないのだろう。
それは分かるがなんだか酷く蔑まされているように思えてならない。
そこで大きなギャップが出て来る。
明日になればもう我慢しなくても良いのだ。
いくらでも吸いたいだけ吸えるのである。
それが「快楽」だとすればもう逃れられないだろう。
快楽に溺れる。たとえそれがどれほどの罪だとしてもだ。
なんだか底なし沼に足を踏み込んだような気分であるが
計画禁煙は予定通り実行しようと思っている。
成功する自信はないが何事もやってみなくては分からない。
子豚の運命はいかに。晴れて救われる日が来るのだろうか。
| 2023年04月15日(土) |
諦めることもなければいけない |
姑さんの命日。もう5年の歳月が流れたようだ。
仏壇に手を合わせただけでお墓参りにも行かなかった。
どうしたことか義妹があまり積極的ではない。
夫もそれに倣って「勘弁してもらった」と言っていた。
私も山の上のお墓には到底行けそうになく正直なところ関心がない。
罰当たりなことだとは思うが皆いつまでも若くはないと云うことだろう。
姑さんの夢を見ることが多いがどうやら私だけのようだ。
おそらくお大師堂参りを疎かにしているため後ろめたいのだろう。
生前の姑さんと約束をしたのだ。それなのに足は遠のくばかりである。
お大師堂の管理からも手を引いたに等しい。
お参り仲間さんには心苦しく申し訳ない思いでいっぱいである。
午前中にカーブスへ。今日は足の痛みが薄れており楽だった。
薄っすらと汗をかき満足して帰宅する。
駐車場が満車状態だったので身障者用のスペースに駐車していたので
娘の勤めている店に「身障者マーク」を買いに行ったら
「車椅子の人が困るでしょ」と娘にお叱りを受けた。
たかが杖を付いているだけで身障者とは言えないだろうと反省する。
病院で診断書をもらう手もあるらしいがそこまでするつもりはない。
手術をしない限り長い付き合いになることだろう。
杖を付きながらでも歩けることに感謝せねばと思った。

子豚的には完全禁煙日。娘の吸殻など何処を探しても無かった。
無ければ無いで諦めがつくもので今日は優等生の子豚である。
平日は職場で吸ってしまうから帰宅してから辛いのだ。
まるで自分で自分の首を絞めているような愚かな行為であった。
喫煙こそがストレスになると言った医師の言葉が身に沁みる。
一切吸わなければ身も心も随分と楽になるのである。
それはひと月禁煙が出来た時に身をもって感じたことでもあった。
あの時にもう一度戻りたい。戻れないわけはないのだと思っている。
人生は「諦めない」ことが肝心であるらしいが
子豚にとっては「諦める」ことが肝心なのだと思う。
きれいさっぱりと潔く断ち切れる日がきっと来るだろう。
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