今はやんでいるが昼間は少しだけ雨が降った。
「穀雨」まであと数日となり雨の日も多くなるだろう。
畑には茄子や胡瓜など夏野菜が植えられるようになった。
仕事を終えてから母がお世話になっている施設のある病院へ。
3月分の支払いを終えてから思いがけずに面会が叶う。
母はリハビリ室に居て歩行訓練をしているところだった。
車椅子で移動することが多いせいか足腰がかなり弱っているようだ。
久しぶりに母に会えたと云うのに会話が続かない。
母の方から「話すことないね」と云う始末であった。
薄情な娘である。これ幸いと手を振って別れたのは言うまでもない。
その後、お世話になっている担当の医師と面談があった。
先日看護師さんから電話があり凡その話は聞いていたけれど
医師から直接聞くと一気に緊迫した気配となる。
心臓はもちろんだけれど腎臓がかなり悪くなっているのだそうだ。
かと言って透析を始めたら心臓にかなりの負担がかかるらしい。
命がけの透析になるくらいなら最初からしないほうが良いと思う。
医師もそう言ってくれていてしばらく様子を見ることになった。
薄情な娘は思うのだ。もうこうなったら心不全でも腎不全でも良いと。

今夜も子豚が登場するのだろうか。
なんだか不謹慎に思えるが少しだけ記しておこう。
ドラえもんの「いつでもドア」のおかげで救われた一日であったが
もう月曜日からはドアに鍵をかけるように申し出た。
そうしたらドラえもんが「まだまだあるよ」などとほざくのである。
どうやら週に3箱のペースで買い置きをしているようだった。
煙草手当は支給していないがお給料を少し値上げしたので
それが煙草手当だと思い込んでいるようだった。
なんと純真なドラえもんだろう。申し訳なさ過ぎるではないか。
子豚はそんなドラえもんを手名付けようとしているのだろうか。
最高気温が23℃。夏日でこそなかったが初夏のような陽気となる。
山里では田植えが始まる。義父は夜が明けるなり準備をしていたようだ。
懇意にしている知人達が3人も手伝いに来てくれて大助かりだった。
農繁期にはいつも思うことだけれど私は何も手伝うことが出来ない。
同僚とふたりで工場を守ることだけを使命のように思っている。
義父も二足の草鞋を履いたからには工場の仕事もせねばならず
先日は深夜まで整備の仕事に励んでいたのだそうだ。
とにかく田植えが終わるまでは緊張感が治まることはない。
無事に終われば義父の寛いだ顔を見ることが出来るだろう。

緊張感を和らげるためには喫煙が有効であると思うのだが
医師などから言わせたらそれは馬鹿げたことなのだろう。
吸えば吸うほどストレスになると言った医師の言葉が蘇る。
確かに吸ってしまうから吸えない時のダメージが大きいのだ。
わずかひと月の間であったが禁煙出来ていた時のことを思い出す。
もう吸わなくて良いのだと思うと解放感でいっぱいになっていた。
「出来た」達成感で満たされていたようにも思う。
あれはほんとうに私だったのかと今では信じられなくなった。
昨夜の娘の仕打ち?がショックでならず未だに尾を引いている。
「あんまりことだ」と娘は言ったのだ。
「二度とこんなことをしたらおじいに言うけんね」とまで言った。
そこまで言われてどうして吸殻を探し求めねばならないのだろう。
悔しさもあるけれどこれほどまでに惨めなことはなかった。
女に意地があるように子豚にだって意地はある。
娘の吸殻に火を点けることは二度とないだろう。
求めないこと期待しないこと。それが子豚の信念であるが
職場にはドラえもんが居て「いつでもドア」を準備している。
雨の時間帯もあったが午後からは青空が広がる。
心配していた黄砂もさほど気にならなかった。
昔の人は黄砂など知らず「春霞」と言っていたのだろう。
そんな日本語は風情のあるものだが黄砂はなんだか悪者のようだ。
今日は損害保険会社のO君が久しぶりにやって来る。
ふとしたことから禁煙の話になり大いに盛り上がった。
O君も禁煙に挑戦してみたがわずか3日でリタイヤしたのだそうだ。
その3日間のなんと辛かったこと。それは子豚も同じだった。
そんな辛さは誰にも分らないだろうと思っていたけれど
思いがけずに同士と云うか仲間を得てとても励みに思ったのだ。
O君は4日目に我慢できずに吸ってしまったが
それ以来一日の本数を決め節煙を心掛けているのだそうだ。
もちろん我慢をしなければならないがそれがストレスになっているらしい。
以前のように吸いたい時に吸えたらどんなに楽になることだろう。
あれこれと話しながらお互い無理をしないでいようと誓い合った。
「絶対に止めんといかんことはないぜね」とO君は言う。
子豚も同じ考えである。子豚の辞書に「絶対」などなかった。
GWをきっかけにして完全禁煙を計画しているが
だんだんと自信が無くなって来ている。
同僚にも協力を願っているが果たしてどうなることだろうか。
家では相変わらず娘の吸殻を血眼になって探している。
先程はゴミ箱を漁っていたのがバレてしまいこっぴどく叱られた。
叱られるだけならまだいい。罵られるととても悲しくてならない。
これほどまでに惨めな思いをしてまで吸わなければいけないのだろうか。
30年以上も習慣としていたことを止めるのは並大抵のことではない。
これまで幾度も禁煙に臨みそのつど失敗を繰り返して来ている。
今度こそと思ったのだ。もう二度とチャンスはないようにも思う。
「そんなに吸いたければ買って来い」と娘に怒鳴られた。
それは一度も禁煙に臨んだことのない人の云うことだと思う。
O君は今頃どうしているだろう。
我慢している仲間がいるのだと思うと少しだけ心強くなった。
全国的には夏日になった地域が多かったようだ。
高知県はさほど気温が上がらず風もあり過ごしやすい一日となる。
今朝は念のために痛み止めを服用せず出掛けてみた。
思った通り睡魔に襲われることはなかったが
今度は足の痛みがいつもより酷くなって困った。
まったく効かない薬だと思っていたが少しは効いていたのだろう。
やはり服用した方が良さそうなので明日から職場で飲むことにする。
仕事中に眠くなるかもしれないが特に危険を伴うことはない。
お昼休みに同僚が筍を掘って来てくれた。
自宅の裏山にいくらでも生えているのだそうだ。
私が食べたいと言ったものだから叶えてくれたのだろう。
彼はなんでも叶えてくれる「ドラえもん」のような人である。
昨日は煙草の買い置きがもう無いと言っていたのに
今朝は新しい一箱をそっと置いてくれていた。
その好意に甘え過ぎている子豚のなんと横着なことだろうか。
あると思えばいくらでも吸ってしまい全く限度を知らないのだ。
家に帰ればもう何処にも娘の吸殻が無かった。
あるのは私の吸殻で短か過ぎて火を点けることも出来ない。
思い切って娘に頭を下げ吸殻を恵んで貰おうかとも思ったが
隠すぐらいだからそれは絶対に不可能であろう。
「我慢」と「忍耐」の文字が頭ではなく心を蝕んでいるようだ。
そんな苦しさも全て自業自得なのである。
「快楽」と言ってしまえば聞こえは悪いが
職場に行きさえすればその快楽に満たされるのだった。
罪悪感は大いにあるが快楽には勝てはしないと思う。
美味しい餌を与えられた子豚はすくすくと成長しているが
なんでもかなえようとするドラえもんは空しくはないのだろうか。
| 2023年04月10日(月) |
溺れる子豚は藁にも縋る |
昨日ほどではなかったがひんやりとした朝。
もう花冷えでもなく寒の戻りでもないだろう。
季節は確実に初夏に向かっているはずである。
決して睡眠不足ではなかったが今朝は酷い睡魔に襲われる。
いつもの山道、峠道を越え山里の県道を走っている時だった。
異常なほどに眠くなり運転に集中出来なくなっていたようだ。
ほんの一瞬のことだったが記憶が飛んでしまい気がついた時には
歩道に乗り上げガードレールに激突する寸前となっていた。
咄嗟にハンドルを切り歩道から車道に下りて難を逃れることが出来たが
気づくのが少しでも遅れていたら大きな事故になっていただろう。
歩道を歩いている人が居なくてほんとうに幸いだったと思う。
以前にも似たようなことがありその時には内科の薬を替えてもらった。
それ以来睡魔に襲われることはなかったので気にしていなかったが
どうやら毎朝服用している痛み止めの薬が原因ではないかと思う。
それも一年近く服用しているので今更と云う気もしないではない。
けれども他に思い当たるような原因がなかった。
明日から試しに服用を中止してみようかと思っている。
足の痛みが酷くなるようならまた飲み始めてみれば良いだろう。
煙草には確かに覚醒作用があるが禁煙を理由にするのは卑怯だと思う。
そうでなければどれほど多くの人が睡魔に悩まされるだろうか。
子豚は大馬鹿者であるがそれくらいの常識はわきまえているつもりである。
居眠り運転で事故を起こした煙草を吸えないせいだとは言えない。
職場では相変わらず喫煙を続けている。
今日は残り3本となり明日の餌の保証は無かった。
同僚も買い置きはもう無いのだそうだ。
一瞬目の前が真っ暗になったが年貢の納め時かもしれないと思った。
何事にも「きっかけ」が無くてはならない。
今は娘の吸殻を吸いながらこれを記している。
実は一度自分でゴミ箱に捨てた物を再び拾ったのだった。
こんな不味い物が吸えるもんかと思って捨ててしまったのに
どうしてまたそれを手にしてしまったのか自分でもよく解らない。
溺れる者は藁にも縋ると云うがまさに今がそれなのだろう。
喉元過ぎれば熱さ忘れるとも云う。
今が喉元なのだろうかと真剣に考えているが
いったい何を忘れたら良いのか分からなくなってしまった。
今朝は気温が3℃と真冬並みの寒さとなる。
暖かさに慣れていた老体にはいささか厳しかった。
日中は穏やかに晴れ暖かくなりほっと空を仰ぐ。
県議会議員の選挙で投票を済ませてからプチドライブへ。
今日は窪津経由で足摺岬まで行っていた。
窪津は遍路道になっており10名ほどのお遍路さんを見かける。
外国人女性のお遍路さんも歩いていて金髪がとても綺麗だった。
足摺岬には思いがけず観光客が押し寄せていて驚く。
駐車場には県内ナンバーの車が多く皆さん近場の方なのだろう。
自分たちもそうだけれど足摺岬は気軽に立ち寄れる場所であった。
海は凪いでいて真っ青に輝いていたが岬の灯台までは行けなかった。
夫が「その足では無理だろう」と車を停めようとしない。
38番札所の金剛福寺も同じく頭から却下されていた。
私は杖を頼りに歩いてみたかったが夫に無理は言えなかった。
これからも出来ないことが多くなるのだろうなと少し侘しく思う。
土佐清水市内のほっかほか亭で「鶏そば弁当」を買い求める。
私はほか弁のメニューではこれが一番の好物だった。
海の見える丘のような道端でガツガツとむさぼるように食べる。
夫が食べ残した焼きそばもぺろりと平らげてしまった。
一気に愉快になる。これはほか弁を食べるためのドライブだったのだ。

子豚的には良き気分転換となり精神的にも楽であった。
とにかく家でくすぼっていてはいけないのだと思う。
暇であってもいけないのだ。ついつい煙草を吸いたくなってしまう。
午後はひたすら寝ていたが寝てさえいれば煙草のことを忘れている。
一番辛いのはまさに今で寝酒の焼酎を飲んでいる時だった。
喫煙経験のある人なら理解できると思うが
アルコールが入ると無性に煙草が吸いたくなってしまうものだのだ。
それならば飲まなければ良いと誰もが思うかもしれないが
私の場合は寝酒を飲まないと眠れない難点がある。
アル中だとは自覚していないがおそらく依存症なのであろう。
まあとにかく何から何まで中毒化しているのは認めなくてはいけない。
辞書で「我慢」を調べたら耐え忍ぶこと、堪えること、辛抱すること
それは言われなくても分かっていることだけれど
それを実行することは並大抵のことではないのだと思う。
我慢できないことは罪だろうか。赦されないことなのだろうか。
子豚はまだ絶望はしていない。きっと救われる日が来ると信じている。
晴天に恵まれたが冬型の気圧配置だったようだ。
強い西風が吹き気温もあまり上がらなかった。
桜が咲いていたことをもう忘れようとしている。
おそらく「栄華」のような出来事だったのだろう。
過ぎてしまえばなんだか祭りのあとのような気分だった。
9時の開館を待ちかねて図書館へ。
椎名誠の本を3冊借りて来た。エッセイはすべて読み終えてしまい
旅行記と小説にする。「この道をどこまでも行くんだ」等。
まだしばらくは他の作家の本を読む気がしない。
図書館にもう未読本が無くなってしまったらどうすれば良いのだろう。
10時にカーブスへ。今日は月一の測定があったが
やはり体重は増えておりどうすることも出来ない。
ただ思いがけずに体脂肪は減り筋肉量は増えていて驚く。
足の痛みが酷く最小限の事しか出来ていないのに成果があるものなのか
なんだか信じられなかったが素直に嬉しいと思った。
以前に比べるとコーチの対応も親身になってくれているようだ。
可能性を信じたい。筋肉が付けば足の痛みも軽減されるだろう

子豚的にはとても辛い一日であった。
午前中は気が紛れていたが午後から煙草が吸いたくてたまらない。
娘が何処かに吸殻を隠していないかと探していたら
ゴミ箱の奥の方に煙草の箱を見つけその中に吸殻が入っていた。
しかしその箱は無残に捻じ曲げられしかもセロテープで巻かれている。
おそらく私が見つけても吸えないように娘がそうしたのだろう。
それがとてもショックだった。ここまでするのかと思った。
娘としては絶対に吸わせたくない気持ちでいっぱいだったようだ。
泣きそうになりながらその箱を拾ってしまった。
セロテープを剥がし箱を開けたらぐちゃぐちゃの吸殻が入っていた。
酷く惨めでならない。子豚はとことん追い詰められているのだ。
娘の好意?に応えたかったがどうしても出来なかった。
ぐちゃぐちゃになった吸殻をなんとか伸ばしてとうとう火を点ける。
もちろん不味い。喉が痛くなり吐き気ももようしてくる。
それでも吸わなくてはいけないのかと思うと情けなくてならない。
これほどまでに愚かな子豚に成り下がってしまったけれど
生きてさえいればきっと明るい未来が待っているような気がする。
明日の子豚を思い煩うことなかれ。
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