雨の時間帯もあったが午後からは青空が広がる。
心配していた黄砂もさほど気にならなかった。
昔の人は黄砂など知らず「春霞」と言っていたのだろう。
そんな日本語は風情のあるものだが黄砂はなんだか悪者のようだ。
今日は損害保険会社のO君が久しぶりにやって来る。
ふとしたことから禁煙の話になり大いに盛り上がった。
O君も禁煙に挑戦してみたがわずか3日でリタイヤしたのだそうだ。
その3日間のなんと辛かったこと。それは子豚も同じだった。
そんな辛さは誰にも分らないだろうと思っていたけれど
思いがけずに同士と云うか仲間を得てとても励みに思ったのだ。
O君は4日目に我慢できずに吸ってしまったが
それ以来一日の本数を決め節煙を心掛けているのだそうだ。
もちろん我慢をしなければならないがそれがストレスになっているらしい。
以前のように吸いたい時に吸えたらどんなに楽になることだろう。
あれこれと話しながらお互い無理をしないでいようと誓い合った。
「絶対に止めんといかんことはないぜね」とO君は言う。
子豚も同じ考えである。子豚の辞書に「絶対」などなかった。
GWをきっかけにして完全禁煙を計画しているが
だんだんと自信が無くなって来ている。
同僚にも協力を願っているが果たしてどうなることだろうか。
家では相変わらず娘の吸殻を血眼になって探している。
先程はゴミ箱を漁っていたのがバレてしまいこっぴどく叱られた。
叱られるだけならまだいい。罵られるととても悲しくてならない。
これほどまでに惨めな思いをしてまで吸わなければいけないのだろうか。
30年以上も習慣としていたことを止めるのは並大抵のことではない。
これまで幾度も禁煙に臨みそのつど失敗を繰り返して来ている。
今度こそと思ったのだ。もう二度とチャンスはないようにも思う。
「そんなに吸いたければ買って来い」と娘に怒鳴られた。
それは一度も禁煙に臨んだことのない人の云うことだと思う。
O君は今頃どうしているだろう。
我慢している仲間がいるのだと思うと少しだけ心強くなった。
全国的には夏日になった地域が多かったようだ。
高知県はさほど気温が上がらず風もあり過ごしやすい一日となる。
今朝は念のために痛み止めを服用せず出掛けてみた。
思った通り睡魔に襲われることはなかったが
今度は足の痛みがいつもより酷くなって困った。
まったく効かない薬だと思っていたが少しは効いていたのだろう。
やはり服用した方が良さそうなので明日から職場で飲むことにする。
仕事中に眠くなるかもしれないが特に危険を伴うことはない。
お昼休みに同僚が筍を掘って来てくれた。
自宅の裏山にいくらでも生えているのだそうだ。
私が食べたいと言ったものだから叶えてくれたのだろう。
彼はなんでも叶えてくれる「ドラえもん」のような人である。
昨日は煙草の買い置きがもう無いと言っていたのに
今朝は新しい一箱をそっと置いてくれていた。
その好意に甘え過ぎている子豚のなんと横着なことだろうか。
あると思えばいくらでも吸ってしまい全く限度を知らないのだ。
家に帰ればもう何処にも娘の吸殻が無かった。
あるのは私の吸殻で短か過ぎて火を点けることも出来ない。
思い切って娘に頭を下げ吸殻を恵んで貰おうかとも思ったが
隠すぐらいだからそれは絶対に不可能であろう。
「我慢」と「忍耐」の文字が頭ではなく心を蝕んでいるようだ。
そんな苦しさも全て自業自得なのである。
「快楽」と言ってしまえば聞こえは悪いが
職場に行きさえすればその快楽に満たされるのだった。
罪悪感は大いにあるが快楽には勝てはしないと思う。
美味しい餌を与えられた子豚はすくすくと成長しているが
なんでもかなえようとするドラえもんは空しくはないのだろうか。
| 2023年04月10日(月) |
溺れる子豚は藁にも縋る |
昨日ほどではなかったがひんやりとした朝。
もう花冷えでもなく寒の戻りでもないだろう。
季節は確実に初夏に向かっているはずである。
決して睡眠不足ではなかったが今朝は酷い睡魔に襲われる。
いつもの山道、峠道を越え山里の県道を走っている時だった。
異常なほどに眠くなり運転に集中出来なくなっていたようだ。
ほんの一瞬のことだったが記憶が飛んでしまい気がついた時には
歩道に乗り上げガードレールに激突する寸前となっていた。
咄嗟にハンドルを切り歩道から車道に下りて難を逃れることが出来たが
気づくのが少しでも遅れていたら大きな事故になっていただろう。
歩道を歩いている人が居なくてほんとうに幸いだったと思う。
以前にも似たようなことがありその時には内科の薬を替えてもらった。
それ以来睡魔に襲われることはなかったので気にしていなかったが
どうやら毎朝服用している痛み止めの薬が原因ではないかと思う。
それも一年近く服用しているので今更と云う気もしないではない。
けれども他に思い当たるような原因がなかった。
明日から試しに服用を中止してみようかと思っている。
足の痛みが酷くなるようならまた飲み始めてみれば良いだろう。
煙草には確かに覚醒作用があるが禁煙を理由にするのは卑怯だと思う。
そうでなければどれほど多くの人が睡魔に悩まされるだろうか。
子豚は大馬鹿者であるがそれくらいの常識はわきまえているつもりである。
居眠り運転で事故を起こした煙草を吸えないせいだとは言えない。
職場では相変わらず喫煙を続けている。
今日は残り3本となり明日の餌の保証は無かった。
同僚も買い置きはもう無いのだそうだ。
一瞬目の前が真っ暗になったが年貢の納め時かもしれないと思った。
何事にも「きっかけ」が無くてはならない。
今は娘の吸殻を吸いながらこれを記している。
実は一度自分でゴミ箱に捨てた物を再び拾ったのだった。
こんな不味い物が吸えるもんかと思って捨ててしまったのに
どうしてまたそれを手にしてしまったのか自分でもよく解らない。
溺れる者は藁にも縋ると云うがまさに今がそれなのだろう。
喉元過ぎれば熱さ忘れるとも云う。
今が喉元なのだろうかと真剣に考えているが
いったい何を忘れたら良いのか分からなくなってしまった。
今朝は気温が3℃と真冬並みの寒さとなる。
暖かさに慣れていた老体にはいささか厳しかった。
日中は穏やかに晴れ暖かくなりほっと空を仰ぐ。
県議会議員の選挙で投票を済ませてからプチドライブへ。
今日は窪津経由で足摺岬まで行っていた。
窪津は遍路道になっており10名ほどのお遍路さんを見かける。
外国人女性のお遍路さんも歩いていて金髪がとても綺麗だった。
足摺岬には思いがけず観光客が押し寄せていて驚く。
駐車場には県内ナンバーの車が多く皆さん近場の方なのだろう。
自分たちもそうだけれど足摺岬は気軽に立ち寄れる場所であった。
海は凪いでいて真っ青に輝いていたが岬の灯台までは行けなかった。
夫が「その足では無理だろう」と車を停めようとしない。
38番札所の金剛福寺も同じく頭から却下されていた。
私は杖を頼りに歩いてみたかったが夫に無理は言えなかった。
これからも出来ないことが多くなるのだろうなと少し侘しく思う。
土佐清水市内のほっかほか亭で「鶏そば弁当」を買い求める。
私はほか弁のメニューではこれが一番の好物だった。
海の見える丘のような道端でガツガツとむさぼるように食べる。
夫が食べ残した焼きそばもぺろりと平らげてしまった。
一気に愉快になる。これはほか弁を食べるためのドライブだったのだ。

子豚的には良き気分転換となり精神的にも楽であった。
とにかく家でくすぼっていてはいけないのだと思う。
暇であってもいけないのだ。ついつい煙草を吸いたくなってしまう。
午後はひたすら寝ていたが寝てさえいれば煙草のことを忘れている。
一番辛いのはまさに今で寝酒の焼酎を飲んでいる時だった。
喫煙経験のある人なら理解できると思うが
アルコールが入ると無性に煙草が吸いたくなってしまうものだのだ。
それならば飲まなければ良いと誰もが思うかもしれないが
私の場合は寝酒を飲まないと眠れない難点がある。
アル中だとは自覚していないがおそらく依存症なのであろう。
まあとにかく何から何まで中毒化しているのは認めなくてはいけない。
辞書で「我慢」を調べたら耐え忍ぶこと、堪えること、辛抱すること
それは言われなくても分かっていることだけれど
それを実行することは並大抵のことではないのだと思う。
我慢できないことは罪だろうか。赦されないことなのだろうか。
子豚はまだ絶望はしていない。きっと救われる日が来ると信じている。
晴天に恵まれたが冬型の気圧配置だったようだ。
強い西風が吹き気温もあまり上がらなかった。
桜が咲いていたことをもう忘れようとしている。
おそらく「栄華」のような出来事だったのだろう。
過ぎてしまえばなんだか祭りのあとのような気分だった。
9時の開館を待ちかねて図書館へ。
椎名誠の本を3冊借りて来た。エッセイはすべて読み終えてしまい
旅行記と小説にする。「この道をどこまでも行くんだ」等。
まだしばらくは他の作家の本を読む気がしない。
図書館にもう未読本が無くなってしまったらどうすれば良いのだろう。
10時にカーブスへ。今日は月一の測定があったが
やはり体重は増えておりどうすることも出来ない。
ただ思いがけずに体脂肪は減り筋肉量は増えていて驚く。
足の痛みが酷く最小限の事しか出来ていないのに成果があるものなのか
なんだか信じられなかったが素直に嬉しいと思った。
以前に比べるとコーチの対応も親身になってくれているようだ。
可能性を信じたい。筋肉が付けば足の痛みも軽減されるだろう

子豚的にはとても辛い一日であった。
午前中は気が紛れていたが午後から煙草が吸いたくてたまらない。
娘が何処かに吸殻を隠していないかと探していたら
ゴミ箱の奥の方に煙草の箱を見つけその中に吸殻が入っていた。
しかしその箱は無残に捻じ曲げられしかもセロテープで巻かれている。
おそらく私が見つけても吸えないように娘がそうしたのだろう。
それがとてもショックだった。ここまでするのかと思った。
娘としては絶対に吸わせたくない気持ちでいっぱいだったようだ。
泣きそうになりながらその箱を拾ってしまった。
セロテープを剥がし箱を開けたらぐちゃぐちゃの吸殻が入っていた。
酷く惨めでならない。子豚はとことん追い詰められているのだ。
娘の好意?に応えたかったがどうしても出来なかった。
ぐちゃぐちゃになった吸殻をなんとか伸ばしてとうとう火を点ける。
もちろん不味い。喉が痛くなり吐き気ももようしてくる。
それでも吸わなくてはいけないのかと思うと情けなくてならない。
これほどまでに愚かな子豚に成り下がってしまったけれど
生きてさえいればきっと明るい未来が待っているような気がする。
明日の子豚を思い煩うことなかれ。
ずいぶんと日が長くなった。昼間の春の嵐が嘘のように
西の空はほおずき色に染まっている。
カラスの声が聴こえる。山には七つの子が待っているのだろうか。
なんとも穏やかで平和な夕暮れ時となった。
今日は外国人のお客さん。オーストラリアから来日しているコナン君。
昨年日本に来たばかりでまだ日本語が殆ど話せないけれど
「コンニチワ、ゲンキデスカ?」はとても上手である。
私も英語は最小限の単語しか話せないがなんとか会話は通じた。
車検の依頼を受けていたので完成した車を引き取りに来てくれたのだ。
かなり古い車でブレーキに不具合があり整備代が高額になっていた。
コナン君は少しも嫌な顔もせず「ペイするね」と支払ってくれる。
今回限りのおつきあいになるかもしれないけれど
「シーユアアゲイン」(であっているのかな)と伝えたら
満面の笑顔で手を振りながら四万十市まで帰って行った。
この仕事好きだなとつくづく思う。コナン君にまた会えたら良いな。

孫たちは今日から新学年。あやちゃんは5年生、けい君は4年生。
めいちゃんは3年生となり新たな学校生活が始まる。
けい君にはしばらく会っていないが、あやちゃん達は元気に登校した。
今朝は悪天候のためじいちゃんが車で送って行ったが
あやちゃんは集団登下校の最年長リーダーになるのだそうだ。
事故など無いようにどうか安全な学校生活を送って欲しいと願う。

子豚は今週の仕事を終え週末はまた禁煙に臨む。
どんなに我慢出来なくても煙草を買うことだけは避けたい。
娘の吸殻を探すのにも限界があり隠されているとしか思えなかった。
娘は決して意地悪でそうしているのでなく私の身を守ろうとしている。
そう思えばむやみに吸殻を求めてもいけないのだろう。
とにかく我慢しなければいけない。辛いのは自業自得である。
何処だろう。なんだか得体の知れない場所に引き摺り込まれている。
まるで気が狂ったように煙草が吸いたくてたまらない。
雨の一日。大降りにこそならなかったが桜は殆ど散ってしまった。
艶々と輝いているのは柿の若葉。まるで葉が花のようである。
躑躅が咲き始め藤の花も咲き始めた。まさに春爛漫のこの頃のこと。
朝の山道では6人のお遍路さん。雨合羽は着ているが足元はずぶ濡れ。
幸い荷物は少なく民宿泊のようでほっとしたことだった。
帰り道の県道ではなんと25人のお遍路さんが歩いていた。
団体のお遍路さんを見かけたのは久しぶりのこと。
指折り数えながら追い越していくと道端に大型バスが停車していた。
バス遍路なら叶うかもしれないとずっと憧れていたけれど
この足ではもう無理かもしれないと思った。
手術さえすれば完治するらしいがそれはいったいいつのことだろう。
焦っても仕方ないが前途は思うように明るくはならなかった。
昨夜は真夜中に左足がつって激痛が走る。
眠っている夫を起こし大騒ぎとなってしまった。
痛みが治まるまでマッサージをしてくれてなんと有難いことだろう。
これがもし独りきりの夜だったらと思うと不安でいっぱいになった。
夫を失うのが怖くてたまらない。考えただけでパニックになる。
それでなくても足の爪を切ってもらったり靴下を履かせてもらっている。
夫をどれほど頼りにしていることだろうか。

今夜は子豚のことには触れずにいようと思っていたのだけれど
どうしたわけか「子豚シリーズ」が好評で少し戸惑っている。
豚もおだてれば木に登るではないが調子に乗らずにはいられない。
子豚の寿命が後どのくらいなのか定かではないけれど
もはや冥途の土産になることは確実だろうと思っている。
こんな子豚のために清き一票を授けて下さり本当に感謝している。
餌を与えればとことん食べ尽くす子豚であった。
同僚はまるで養豚場の経営者のようでもある。
今頃明日の餌の準備に頭を悩ませていることだろう。
もうこそ最後にしようと思う気持ちも分からないではないが
子豚を憐れに思ってついつい情けをかけてしまうかもしれない。
子豚は同僚を信頼しているが彼にとってはもはや腐れ縁だろう。
無視したり放ってはおけない存在になってしまっているのだと思う。
明日のことは分からないがおそらく子豚は生きているだろう。
終わらない煙草はないがそれが明日だとは限らない。
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