花曇り。気温は20℃に満たず少し肌寒さを感じた。
全国的には初夏のような陽気だったようだ。
北海道も暖かだったことだろう。
「春遍路」今朝の道では10人ものお遍路さんを見かける。
殆どの人が民宿泊のようで背負った荷物が少ない。
外国人女性のお遍路さんも颯爽と歩いていて声を掛けたかった。
山里の道でも見かけた。なんと酒屋さんの自販機でビールを買っていた。
そうして近くのベンチに腰掛け美味しそうに飲んでいるのだった。
不謹慎に思う人もいるかもしれないが私の目には微笑ましく映る。
今夜の宿でもきっと飲んでいることだろう。
皆さん明日は伊予路だと思われる。お天気が崩れないことを祈ろう。

月末、年度末の仕事も無事に終わり久しぶりに定時で終われた。
今日こそはと思い掛かりつけの病院へ向かう。
ここひと月ほどずっと血圧が高いことを相談したのだけれど
病院で測ったらなんと正常値で狐につままれたようだった。
医師は私の使っている測定器が古いのではないかと言う。
以前にも言われたことがあったがまだ新調してはいなかった。
「煙草を止めたのならすぐに買えるでしょ」と言われた。
一瞬本当のことを打ち明けようと思ったがどうしても言えない。
他にも急激な体重増加も血圧に影響があるのだそうだ。
確かにこのひと月で2キロ増えたが血圧には関係ないと思っていた。
煙草を止めようとしてから一気に食欲が増したのは事実であった。
ストレスは関係ないのかと訊くと禁煙はストレスにならないと言う。
その時の医師の顔は自信に満ちていて返す言葉もなかった。
その上に「喫煙が一番のストレスになる」と言い放つのである。
それを聞くとさすがにドキッとした。私は嘘をついている。
医師は私が完全に禁煙したと信じてくれているのだった。
子豚的に裏切っているのであろう。やっぱり子豚は大噓つきなのだ。
やがて天罰が下るであろうと覚悟しようと思っていたら
「それくらいの血圧なら大丈夫でしょう」と言うのである。
それはある日ぽっくりとは死なないと言うことにも等しい。
死なないのなら煙草を吸い続けていても良いのだろうか。
今のまま職場での喫煙を続けても特に問題はないとも思える。
本当に心から煙草を止めたいのかと訊かれたら即答は出来ない。
止めたい気持ちはあるが今は吸いたい気持ちが勝っているように思う。
このジレンマから抜け出したいが深い沼にいるようだった。
息も出来ない程の泥沼でもがき続けている。
子豚は自分が理解できない。いっそ子豚を見捨ててしまいたい。
朝方はまだ肌寒い日が続いており暖房のお世話になっている。
夜が明けるなり洗濯物を干しているが上着が必要だった。
そんな寒さももう少しの辛抱だろう。4月も目前となった。
午後、仕事で宿毛市へ向かう途中の県道沿いの桜並木が見事である。
平日にも関わらずお花見客が多く見られた。
家族連れや女性ばかりのグループ等それぞれにお弁当を広げている。
見ているだけでほっこりと心が和む微笑ましい光景であった。
以前は私も車を停めて桜並木の道を歩いたものだった。
杖をつきながら歩けないこともないがやはり躊躇ってしまう。
元々行動力は少ない方だったが今は全く無いと言っても良いだろう。
出来ていたことが出来なくなる。すでに諦めているのかもしれない。
仕事を終えてスーパーで買物をしていたら久しぶりに友人に会った。
アマチュア写真家でもある彼女の行動力には頭が下がるばかりである。
同じ年ではあるが溌溂とした彼女は私よりもずっと若々しい。
けれどもうらやましいとは思わなかった。あくまでも私は私なのだ。
これからも出来ないことがどんどん増えるかもしれないけれど
私は私なりに出来ることを大切に育んでいきたいと思っている。

今夜もまた子豚の話で申し訳ない。
実はもう私自身でではどうすることも出来なくなってしまった。
自制心が全く無いのだ。罪を罪とも思わなくなっている。
同僚が買い与えてくれた煙草は午前中で空っぽになってしまったのだ。
じゃあ午後は我慢するのかと思えばそれも出来ない。
同僚が煙草の箱を見せびらかし「欲しいか、欲しいか」と言う。
その時私は咄嗟に「ニャオー」と鳴いてしまった。
看板猫のみい太の真似をしたつもりだったが子豚のくせに馬鹿なのだ。
すぐに間違いに気づき「ブウブウ」と鳴いたがもう後の祭りであったか。
明日の朝になってみないと分からない。同僚の判断次第である。
出来ればもう煙草は与えないで欲しいのだが優しい同僚のことだ
仕事を終えてからコンビニに走ったかもしれない。
子豚はずるいのだ。他人の善意を利用しようとしている。
有難迷惑そうな顔をしながら実はほくそ笑んでいるのであった。
いつかは決着がつくであろうか。完全禁煙までの道のりは遠いのか。
雲が多かったが概ね晴れ。気温は20℃に届かず少し肌寒かった。
桜の季節は「木の芽どき」でもあり木々の新芽が見られる頃。
柿の木や柳の木。紫陽花にも新芽が見え始め若い緑に心が奪われる。
季節的には申し分ないが昔から体調を崩しやすい時期と言われている。
特に自律神経だと聞けば私にも思い当たるふしが無きにしも非ずだった。
高血圧もそのせいかもしれないなと日々をやり過ごしている。
医師に相談するべきか迷っているがもうしばらく様子を見るのも良い。
前回の受診日に禁煙達成の報告をしており後ろめたいせいもある。
また元の木阿弥だと知ったら医師はどんな反応を示すだろうか。
以前から相性の悪い医師なので気分がずしんと重くなる気がする。
今日は子豚のことには触れずにいようと思っていたけれど
これは日記なのでやはりちゃんと記しておかなければいけない。
「チェーンスモーカー」という言葉を知っているだろうか。
まるで鎖のように後から後から煙草に火を点けることである。
「ヘビースモーカー」とも言えるだろう。とにかく吸いまくるのだ。
けれども私の場合は決して愛煙家ではなかった。
むしろ病的な中毒者だと言えよう。自分を制御できないのだった。
毎日、毎日嘘をついている。昨夜ここに記したことも実行できない。
それでも悪びれた様子も見せず相変わらず平然としている。
これは意志の弱さだけの問題ではないのだと思うのだ。
残り7本となった。おそらく明日で無くなってしまうだろう。
子豚にだって未来はあるが決して明るいとは言えない。
生まれ変わることも不可能であればありのままを貫くしかないだろう。
ただ自分を責めることだけはしたくない。
子豚は惨めではないしこれっぽちも可哀想なんかじゃない。
咲ききってしまうとどうして散るのだろうと思いながら
桜の花を見上げていた。
「燃え尽き症候群」という言葉があるが少し似ている気がする。
一生懸命に精一杯に咲いたのだ。もうそれ以上はないくらいに。
人間の命も同じなのかもしれない。
不慮の事故や自然災害等で突然に命を落とすこともあるが
たとえ病気であっても最後の最期まで生き抜こうとする。
私はどうなのだろう。もちろん花にはなれないけれど
もしかしたらと一縷の望みを抱いて咲こうとしているのかもしれない。
紫陽花のように朽ち果てるのは嫌だ。椿のように落ちるのも嫌だ。
私は潔く散りたい。

同僚がとうとう煙草を一箱買って来ていて子豚に与えてしまった。
嬉しくなんかちっともない。ただただ困惑するばかりである。
有難うも言えない。「困った困った」と呟きながら火を点ける。
同僚にしてみれば「くれくれ詐欺」から逃れたかったのだろう。
仕事中に付きまとわれてどれほど迷惑だったことか。
酷い時には煙草を入れてある作業ズボンのポケットに手を伸ばした。
怒れば良いのにへらへらと笑うものだから癖になってしまったのだ。
まるで悪いのは同僚であるかのような言い草になってしまったが
もちろん一番の悪人は子豚である。(悪豚とも言う)
好物の餌を毎日与えられてがしがしと食べ続けて来たのだ。
少しは遠慮をするべきだったと今になって思うがもう後の祭りである。
結果は言わなくても分かるだろう。
また取り返しがつかない事態になってしまったのだ。
まともな豚ならその餌を少しずつ食べようとするかもしれない。
しかしまともではないものだから一気に食べ尽くそうとするのだ。
後先のことを全く考えていないなんと愚かな行為であろうか。
煙草のフィルターに番号を書いてみたらどうだろう。
たとえば明日は一番から三番までという風に本数を決めるのだ。
まてよ、今日は5本吸ってしまったから残りは15本になる。
明日から3本にすれば5日は持つと言うことだ。
ええと明日は29日だから土日を挟んで4月の4日まであるのか。
ようしいいぞ。その調子で頑張ってみようではないか。
何を頑張るのか訳が分からなくなってしまったが
今夜は今までのように自分を責めようとしない子豚であった。
責めると苦しくてならなくなる。もうどうしようもなく。
子豚だって咲けるかもしれない。そうして潔く散る時が来るだろう。
| 2023年03月27日(月) |
子豚のいいかげんにせんかい |
日中は春らしい暖かさだったが夕方から肌寒くなった。
明日の朝は霜注意報だとか。まさに「花冷え」である。
桜は満開となり思わず歓声をあげるほどに綺麗だった。
車中からのお花見でも十分に楽しめるのが良い。
以前は地区にも桜の名所があったが高台のため
すべての桜の木を伐採し「津波避難所」が建築された。
せめて一本でも残してくれていたらと残念でならない。
しかし地区民の大切な命を守るために必要な避難所である。
咲いた花はやがて散る。桜ほど儚い花があるだろうか。
しかも潔い。桜吹雪となり雪のように散っていくのだった。

また子豚の登場で本当に申し訳なく思っている。
「他に書くことは無いのか」と私自身も私に言いたい。
今日こそはと思っていたのだ。しかし今日も駄目な子豚だった。
煙草を恵んでくれる同僚もすっかり呆れかえっており
「いいかげんにせんかい」とついに言われた。
どうして我慢が出来ないのだろうと悔しくてならない。
吸う度にこれが最後これが最後と呟いているが
まるで催眠術に掛かったかのように魔の手を伸ばすのだ。
お風呂上りに血圧を測ったら上が170もあって驚く。
今夜ぽっくり死んでしまうかもしれないと不安になった。
もしかしたらこれが最後の日記になってしまうかもしれない。
いやいくらなんでもそれはないだろうと首を振りつつこれを記している。
子豚のストレスはマックスであるが私自身はどうなのだろう。
仕事から帰宅したらめいちゃんがお弁当箱を洗ってくれた。
春休みのお手伝いなのだそうだ。嬉しくて感激で胸がいっぱいになった。
小雨降る夜明け前のこと雨だれの音を聴いていると
ひたひたひたと誰かが忍び寄ってくるような気配を感じた。
「今は誰にも会いたいくないな」と思う。
恐るおそる窓を開けてみたら真っ暗闇で雨さえも見えない。
それなのにいったい誰が私を見つけようとしているのだろうか。
精神状態がまともではない。とうとう気が変になってしまったようだ。

甲子園球場も雨らしい。高知高校の試合は延期になったようだ。
大相撲は千秋楽。2時前にはもう中継が始まっていた。
今場所は幕内よりも十両が面白くて落合や炎鵬や朝乃山や。
夫と一緒にああだこうだと言いながらテレビに釘付けになる。
もう老夫婦と言っても良いだろうとても貴重な時間に思えた。
若い頃には一緒にテレビを観ることもなかったのだ。
幕内優勝は霧馬山。初優勝でとても嬉しそうな顔をしていた。
モンゴルのご家族もどんなにか感動したことだろう。
「来ていないか?」と夫が言っていたが来日はなかったようだ。
ハグしたかっただろうなと思う。これほど自慢の息子はあるものか。

先にも書いたが子豚の精神状態はまともではなく
大相撲中継は良き気分転換となったのであるが
娘が仕事で留守だったので朝から吸殻を探し求めていた。
娘達の部屋に勝手に侵入した時点で犯罪である。
心苦しさよりも大きな罪悪感に苛まれていた。
結果、吸殻は見つかり一時凌ぎにはなったがなんと不味いこと。
「こんなもの、こんなもの」と呟きながらそれでも吸わずにいられない。
完全に狂っていると思った。もう手の施しようもない。
このジレンマ。この苦しさがいったに誰に分かるのだろう。
娘が吸殻の数を覚えているとは思えないがそのうちバレるだろう。
叱られるのか罵られるのかそれは覚悟の上である。
とにかく一刻も早く絶ち切らなければいけない。
確かに出来たことが出来なくなった。その現実と闘っている。
なんだか泥沼のなかでもがいているように感じる。
身も心も綺麗さっぱりと水に流せたらどんなに救われるだろうか。
花曇り。日本の昔からの言葉って好きだなと思う。
桜の花に青空が越したことはないけれど
ぼんやりとした曇り空に浮かび上がる花影も美しいものだ。
儚い花だからこそかもしれない。なんだか消えてしまいそうに見える。
朝のうちに週一のカーブスに行っていたが
足の痛みが酷く思うようには出来なかった。
そんな私に「頑張っていますね」と言うのは止めて欲しい。
励まされるのも褒められるのも嫌でたまらない。
コーチはどうしてそれを解ってくれないのだろうか。
私は決して花ではないけれど出来ればひっそりと咲いていたい。
午後、めいちゃんを美容院へ連れて行く。
腰まで伸びた長い髪を切りたいのだそうだ。
我が孫ながらそれは綺麗な髪で切るのがとても惜しかった。
スマホで検索したのか「こんな髪型」と言って美容師さんに見せていた。
前髪は眉毛が隠れるくらいが良いと女の子らしい注文である。
なんと20センチほども切った。私ははらはらとするばかり。
当のめいちゃんはとても気に入ったらしく満面の笑顔でいる。
床に散らばった髪を美容師さんが箒で搔き集めちり箱に入れた。
私はちょっと泣きたいような気分でそれを見ていた。
「おばあちゃんめっちゃ軽くなったよ」と風のように駆けて行く。

このところずっと血圧の高い日が続いていて
もしかしたらストレスのせいかもしれないと勝手に決めつけている。
我慢の限界をすでに超えている規模の「我慢」であった。
娘が仕事だったので何処かに吸殻を隠していないかと探したが
ちり箱の中にも見つからず気分はどん底であった。
とにかく気分転換をと思うが何をしても集中出来ない。
今日は本も読めずごろごろと寝てばかりいた。
内科の医師は禁煙出来たら血圧も落ち着くだろうと言っていたが
そんなの嘘っぱちだ。喫煙していた時の方がずっとマシだった。
近いうちに受診しようと思っているが煙草の話をすると決まって
不機嫌になる医師の顔を見るのもまたストレスになってしまう。
何もかも自業自得だと分かっているのもストレスになるのだろう。
じゃあとことん自分を責め続けるのか。その苦しさに耐えるのか。
子豚は決してのほほんと生きているわけではなかった。
餌を断たれたらもうお終いだと思いながら
それで救われるのかもしれないと一縷の望みを抱いている。
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