雲が多かったが概ね晴れ。気温は20℃に届かず少し肌寒かった。
桜の季節は「木の芽どき」でもあり木々の新芽が見られる頃。
柿の木や柳の木。紫陽花にも新芽が見え始め若い緑に心が奪われる。
季節的には申し分ないが昔から体調を崩しやすい時期と言われている。
特に自律神経だと聞けば私にも思い当たるふしが無きにしも非ずだった。
高血圧もそのせいかもしれないなと日々をやり過ごしている。
医師に相談するべきか迷っているがもうしばらく様子を見るのも良い。
前回の受診日に禁煙達成の報告をしており後ろめたいせいもある。
また元の木阿弥だと知ったら医師はどんな反応を示すだろうか。
以前から相性の悪い医師なので気分がずしんと重くなる気がする。
今日は子豚のことには触れずにいようと思っていたけれど
これは日記なのでやはりちゃんと記しておかなければいけない。
「チェーンスモーカー」という言葉を知っているだろうか。
まるで鎖のように後から後から煙草に火を点けることである。
「ヘビースモーカー」とも言えるだろう。とにかく吸いまくるのだ。
けれども私の場合は決して愛煙家ではなかった。
むしろ病的な中毒者だと言えよう。自分を制御できないのだった。
毎日、毎日嘘をついている。昨夜ここに記したことも実行できない。
それでも悪びれた様子も見せず相変わらず平然としている。
これは意志の弱さだけの問題ではないのだと思うのだ。
残り7本となった。おそらく明日で無くなってしまうだろう。
子豚にだって未来はあるが決して明るいとは言えない。
生まれ変わることも不可能であればありのままを貫くしかないだろう。
ただ自分を責めることだけはしたくない。
子豚は惨めではないしこれっぽちも可哀想なんかじゃない。
咲ききってしまうとどうして散るのだろうと思いながら
桜の花を見上げていた。
「燃え尽き症候群」という言葉があるが少し似ている気がする。
一生懸命に精一杯に咲いたのだ。もうそれ以上はないくらいに。
人間の命も同じなのかもしれない。
不慮の事故や自然災害等で突然に命を落とすこともあるが
たとえ病気であっても最後の最期まで生き抜こうとする。
私はどうなのだろう。もちろん花にはなれないけれど
もしかしたらと一縷の望みを抱いて咲こうとしているのかもしれない。
紫陽花のように朽ち果てるのは嫌だ。椿のように落ちるのも嫌だ。
私は潔く散りたい。

同僚がとうとう煙草を一箱買って来ていて子豚に与えてしまった。
嬉しくなんかちっともない。ただただ困惑するばかりである。
有難うも言えない。「困った困った」と呟きながら火を点ける。
同僚にしてみれば「くれくれ詐欺」から逃れたかったのだろう。
仕事中に付きまとわれてどれほど迷惑だったことか。
酷い時には煙草を入れてある作業ズボンのポケットに手を伸ばした。
怒れば良いのにへらへらと笑うものだから癖になってしまったのだ。
まるで悪いのは同僚であるかのような言い草になってしまったが
もちろん一番の悪人は子豚である。(悪豚とも言う)
好物の餌を毎日与えられてがしがしと食べ続けて来たのだ。
少しは遠慮をするべきだったと今になって思うがもう後の祭りである。
結果は言わなくても分かるだろう。
また取り返しがつかない事態になってしまったのだ。
まともな豚ならその餌を少しずつ食べようとするかもしれない。
しかしまともではないものだから一気に食べ尽くそうとするのだ。
後先のことを全く考えていないなんと愚かな行為であろうか。
煙草のフィルターに番号を書いてみたらどうだろう。
たとえば明日は一番から三番までという風に本数を決めるのだ。
まてよ、今日は5本吸ってしまったから残りは15本になる。
明日から3本にすれば5日は持つと言うことだ。
ええと明日は29日だから土日を挟んで4月の4日まであるのか。
ようしいいぞ。その調子で頑張ってみようではないか。
何を頑張るのか訳が分からなくなってしまったが
今夜は今までのように自分を責めようとしない子豚であった。
責めると苦しくてならなくなる。もうどうしようもなく。
子豚だって咲けるかもしれない。そうして潔く散る時が来るだろう。
| 2023年03月27日(月) |
子豚のいいかげんにせんかい |
日中は春らしい暖かさだったが夕方から肌寒くなった。
明日の朝は霜注意報だとか。まさに「花冷え」である。
桜は満開となり思わず歓声をあげるほどに綺麗だった。
車中からのお花見でも十分に楽しめるのが良い。
以前は地区にも桜の名所があったが高台のため
すべての桜の木を伐採し「津波避難所」が建築された。
せめて一本でも残してくれていたらと残念でならない。
しかし地区民の大切な命を守るために必要な避難所である。
咲いた花はやがて散る。桜ほど儚い花があるだろうか。
しかも潔い。桜吹雪となり雪のように散っていくのだった。

また子豚の登場で本当に申し訳なく思っている。
「他に書くことは無いのか」と私自身も私に言いたい。
今日こそはと思っていたのだ。しかし今日も駄目な子豚だった。
煙草を恵んでくれる同僚もすっかり呆れかえっており
「いいかげんにせんかい」とついに言われた。
どうして我慢が出来ないのだろうと悔しくてならない。
吸う度にこれが最後これが最後と呟いているが
まるで催眠術に掛かったかのように魔の手を伸ばすのだ。
お風呂上りに血圧を測ったら上が170もあって驚く。
今夜ぽっくり死んでしまうかもしれないと不安になった。
もしかしたらこれが最後の日記になってしまうかもしれない。
いやいくらなんでもそれはないだろうと首を振りつつこれを記している。
子豚のストレスはマックスであるが私自身はどうなのだろう。
仕事から帰宅したらめいちゃんがお弁当箱を洗ってくれた。
春休みのお手伝いなのだそうだ。嬉しくて感激で胸がいっぱいになった。
小雨降る夜明け前のこと雨だれの音を聴いていると
ひたひたひたと誰かが忍び寄ってくるような気配を感じた。
「今は誰にも会いたいくないな」と思う。
恐るおそる窓を開けてみたら真っ暗闇で雨さえも見えない。
それなのにいったい誰が私を見つけようとしているのだろうか。
精神状態がまともではない。とうとう気が変になってしまったようだ。

甲子園球場も雨らしい。高知高校の試合は延期になったようだ。
大相撲は千秋楽。2時前にはもう中継が始まっていた。
今場所は幕内よりも十両が面白くて落合や炎鵬や朝乃山や。
夫と一緒にああだこうだと言いながらテレビに釘付けになる。
もう老夫婦と言っても良いだろうとても貴重な時間に思えた。
若い頃には一緒にテレビを観ることもなかったのだ。
幕内優勝は霧馬山。初優勝でとても嬉しそうな顔をしていた。
モンゴルのご家族もどんなにか感動したことだろう。
「来ていないか?」と夫が言っていたが来日はなかったようだ。
ハグしたかっただろうなと思う。これほど自慢の息子はあるものか。

先にも書いたが子豚の精神状態はまともではなく
大相撲中継は良き気分転換となったのであるが
娘が仕事で留守だったので朝から吸殻を探し求めていた。
娘達の部屋に勝手に侵入した時点で犯罪である。
心苦しさよりも大きな罪悪感に苛まれていた。
結果、吸殻は見つかり一時凌ぎにはなったがなんと不味いこと。
「こんなもの、こんなもの」と呟きながらそれでも吸わずにいられない。
完全に狂っていると思った。もう手の施しようもない。
このジレンマ。この苦しさがいったに誰に分かるのだろう。
娘が吸殻の数を覚えているとは思えないがそのうちバレるだろう。
叱られるのか罵られるのかそれは覚悟の上である。
とにかく一刻も早く絶ち切らなければいけない。
確かに出来たことが出来なくなった。その現実と闘っている。
なんだか泥沼のなかでもがいているように感じる。
身も心も綺麗さっぱりと水に流せたらどんなに救われるだろうか。
花曇り。日本の昔からの言葉って好きだなと思う。
桜の花に青空が越したことはないけれど
ぼんやりとした曇り空に浮かび上がる花影も美しいものだ。
儚い花だからこそかもしれない。なんだか消えてしまいそうに見える。
朝のうちに週一のカーブスに行っていたが
足の痛みが酷く思うようには出来なかった。
そんな私に「頑張っていますね」と言うのは止めて欲しい。
励まされるのも褒められるのも嫌でたまらない。
コーチはどうしてそれを解ってくれないのだろうか。
私は決して花ではないけれど出来ればひっそりと咲いていたい。
午後、めいちゃんを美容院へ連れて行く。
腰まで伸びた長い髪を切りたいのだそうだ。
我が孫ながらそれは綺麗な髪で切るのがとても惜しかった。
スマホで検索したのか「こんな髪型」と言って美容師さんに見せていた。
前髪は眉毛が隠れるくらいが良いと女の子らしい注文である。
なんと20センチほども切った。私ははらはらとするばかり。
当のめいちゃんはとても気に入ったらしく満面の笑顔でいる。
床に散らばった髪を美容師さんが箒で搔き集めちり箱に入れた。
私はちょっと泣きたいような気分でそれを見ていた。
「おばあちゃんめっちゃ軽くなったよ」と風のように駆けて行く。

このところずっと血圧の高い日が続いていて
もしかしたらストレスのせいかもしれないと勝手に決めつけている。
我慢の限界をすでに超えている規模の「我慢」であった。
娘が仕事だったので何処かに吸殻を隠していないかと探したが
ちり箱の中にも見つからず気分はどん底であった。
とにかく気分転換をと思うが何をしても集中出来ない。
今日は本も読めずごろごろと寝てばかりいた。
内科の医師は禁煙出来たら血圧も落ち着くだろうと言っていたが
そんなの嘘っぱちだ。喫煙していた時の方がずっとマシだった。
近いうちに受診しようと思っているが煙草の話をすると決まって
不機嫌になる医師の顔を見るのもまたストレスになってしまう。
何もかも自業自得だと分かっているのもストレスになるのだろう。
じゃあとことん自分を責め続けるのか。その苦しさに耐えるのか。
子豚は決してのほほんと生きているわけではなかった。
餌を断たれたらもうお終いだと思いながら
それで救われるのかもしれないと一縷の望みを抱いている。
曇りのち晴れ。気温が25℃を超え今年初の夏日となった。
桜は8分咲きほど。一気に春爛漫を感じられる。
県道沿いの桜並木には提灯が沢山吊られてあり
地区の人達がお花見を楽しみにしているようだった。
今日は思いがけずに晴れたが明日はまた雨とのこと
毎年のことだけれど桜の季節にはぐずついた天気の日が多い。
今日はとても懐かしい人に会った。
文房具店の営業や配達をしているI君である。
以前はよく顔を見せてくれていたがかれこれ15年程だろうか
うちのような小さな会社が注文する物などたかが知れていて
だんだんと縁遠くなってしまったのだった。
先日お店を訪ね科目印を注文したら出来次第に配達してくれると言う。
その時にI君がまだ辞めずに勤めていることを聞いていた。
それが今日の再会「お久しぶりやね」と笑顔で訪ねて来てくれたのだ。
昔話に花が咲く。なんだかとても照れくさいけれど
一緒にカラオケに行こうかと約束しかけたことなど思い出す。
あの時のI君はすっかりその気になっていてとても愉快だった。
「ねえいつ行く?」などと弾んだ声が懐かしくてならない。
そんなI君も56歳になったのだそうだ。
私と10歳も離れていたのかと今更ながらに思ったりした。
恋なんかではなかったけれど少し心がくすぐったいような。
私にもそんな頃があったのだなと思うような懐かしい再会であった。

さてまた今日の子豚。いったいいつまで続くのか分からないが
自分の記録として書き残しておきたいと思っている。
罪悪感を感じながらも何故にこれほどまでに横着でいられるかだ。
確実に分かっていることは職場での喫煙が原因となって
自宅にいる間に苦しんでいると云う現実である。
悪循環であり自分で自分の首を絞めていることに等しい。
どうして我慢出来ないのだろう。それがよく分からなかった。
習慣と云うものは怖ろしいものらしいがそれを断ち切らねばならない。
どうすれば断ち切れるのだろう。それも分からないのだ。
今はずるずると何処か得体の知れない場所に引き摺り込まれている。
それに逆らうことがどうして出来ないのだろう。
確かに一度は禁煙出来ていたのだ。あれは私ではなかったのだろうか。
本当の私はいったい何処に行ってしまったのだろう。
雨のち曇り。つかの間だが青空も見えた。
午後から気温がぐんと高くなり汗ばむような陽気となる。
桜も一気に花開くことだろう。明日が楽しみである。
山里の郵便局にある桜の木はソメイヨシノではなく
今日はほぼ8分咲きくらいになっていた。
葉が薄緑で花は純白そのコントラストが一際綺麗だった。
桜の種類は沢山あるらしいが何と呼べば良いのだろう。
それぞれの名があるのならその名で呼んであげたいものだ。
先日、県の「短詩型文学賞」の発表があったが
私の短歌は残念ながら落選であった。
それでも最終審査まで残っていたようで新聞に名前が載っていた。
そこにはペンネームではなく本名が載っており少し戸惑う。
応募する時に本名も明記するようにと注意書きがあったのだ。
自分の本名なのになんだか別人のような違和感を感じた。
もう30年以上も名乗っているペンネームであるが
未だに認められてはいない証拠なのだと思う。

さてお待ちかねの今日の子豚。とは言え誰も待ってはいないだろうが
書かずにはいられないので我慢して頂きたい。
とにかく精神状態がまともではないので苦しくてならない。
職場では同僚が神様のようにラッキーストライクを与えてくれるが
家に帰れば何処を探しても吸殻と云うものが無いのだった。
娘は吸っているはずなのだが吸殻を隠しているとしか思えない。
年貢の納め時とよく言うがどれほど納めれば良いのだろう。
この苦しさの中でいったい何が出来るのだろうか。
そろそろ観念しなければ。もう限界だとしか言いようがない。
切羽詰まったところでいったい私に何が出来るのだろう。
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