曇りのち晴れ。気温が25℃を超え今年初の夏日となった。
桜は8分咲きほど。一気に春爛漫を感じられる。
県道沿いの桜並木には提灯が沢山吊られてあり
地区の人達がお花見を楽しみにしているようだった。
今日は思いがけずに晴れたが明日はまた雨とのこと
毎年のことだけれど桜の季節にはぐずついた天気の日が多い。
今日はとても懐かしい人に会った。
文房具店の営業や配達をしているI君である。
以前はよく顔を見せてくれていたがかれこれ15年程だろうか
うちのような小さな会社が注文する物などたかが知れていて
だんだんと縁遠くなってしまったのだった。
先日お店を訪ね科目印を注文したら出来次第に配達してくれると言う。
その時にI君がまだ辞めずに勤めていることを聞いていた。
それが今日の再会「お久しぶりやね」と笑顔で訪ねて来てくれたのだ。
昔話に花が咲く。なんだかとても照れくさいけれど
一緒にカラオケに行こうかと約束しかけたことなど思い出す。
あの時のI君はすっかりその気になっていてとても愉快だった。
「ねえいつ行く?」などと弾んだ声が懐かしくてならない。
そんなI君も56歳になったのだそうだ。
私と10歳も離れていたのかと今更ながらに思ったりした。
恋なんかではなかったけれど少し心がくすぐったいような。
私にもそんな頃があったのだなと思うような懐かしい再会であった。

さてまた今日の子豚。いったいいつまで続くのか分からないが
自分の記録として書き残しておきたいと思っている。
罪悪感を感じながらも何故にこれほどまでに横着でいられるかだ。
確実に分かっていることは職場での喫煙が原因となって
自宅にいる間に苦しんでいると云う現実である。
悪循環であり自分で自分の首を絞めていることに等しい。
どうして我慢出来ないのだろう。それがよく分からなかった。
習慣と云うものは怖ろしいものらしいがそれを断ち切らねばならない。
どうすれば断ち切れるのだろう。それも分からないのだ。
今はずるずると何処か得体の知れない場所に引き摺り込まれている。
それに逆らうことがどうして出来ないのだろう。
確かに一度は禁煙出来ていたのだ。あれは私ではなかったのだろうか。
本当の私はいったい何処に行ってしまったのだろう。
雨のち曇り。つかの間だが青空も見えた。
午後から気温がぐんと高くなり汗ばむような陽気となる。
桜も一気に花開くことだろう。明日が楽しみである。
山里の郵便局にある桜の木はソメイヨシノではなく
今日はほぼ8分咲きくらいになっていた。
葉が薄緑で花は純白そのコントラストが一際綺麗だった。
桜の種類は沢山あるらしいが何と呼べば良いのだろう。
それぞれの名があるのならその名で呼んであげたいものだ。
先日、県の「短詩型文学賞」の発表があったが
私の短歌は残念ながら落選であった。
それでも最終審査まで残っていたようで新聞に名前が載っていた。
そこにはペンネームではなく本名が載っており少し戸惑う。
応募する時に本名も明記するようにと注意書きがあったのだ。
自分の本名なのになんだか別人のような違和感を感じた。
もう30年以上も名乗っているペンネームであるが
未だに認められてはいない証拠なのだと思う。

さてお待ちかねの今日の子豚。とは言え誰も待ってはいないだろうが
書かずにはいられないので我慢して頂きたい。
とにかく精神状態がまともではないので苦しくてならない。
職場では同僚が神様のようにラッキーストライクを与えてくれるが
家に帰れば何処を探しても吸殻と云うものが無いのだった。
娘は吸っているはずなのだが吸殻を隠しているとしか思えない。
年貢の納め時とよく言うがどれほど納めれば良いのだろう。
この苦しさの中でいったい何が出来るのだろうか。
そろそろ観念しなければ。もう限界だとしか言いようがない。
切羽詰まったところでいったい私に何が出来るのだろう。
| 2023年03月22日(水) |
どうか私を止めて欲しい |
春雨と云うべきだろうか傘も要らないほどの小雨が降っていた。
お遍路さんが多く見られ久しぶりに外国人のお遍路さんに出会う。
どうやら昔からある遍路道を歩いて来たようで
県道ではなく山の中から突然に現れたので驚いてしまった。
親子かなと思えるような男性の二人連れで地図を広げている。
道が分からないのかもしれないと声を掛けたが
日本語は殆ど通じない。咄嗟に「ロードオッケイ?」と訊いたら
「オッケイ、エンコウジ」と笑顔で応えてくれてほっとした。
延光寺は宿毛市にある39番の札所で夕方までには辿り着くだろう。
車だと30分ほどの距離だが歩くのは本当に大変なことだった。
小雨だと云え雨の日の歩き遍路は辛いことだろう。
青空の下を桜の花を仰ぎながら歩かせてあげたいものだと切に思った。

さて今日の子豚。もうここに記すのも見苦しくてならないが
自分を戒めるためにも書き残しておきたいと思う。
娘のシケモクをこっそり吸っていたのがバレてしまって
「気持ち悪い」と酷く罵られたばかりである。
娘曰く、加熱式煙草の吸殻を吸っていたら死ぬのだそうだ。
「もうひ孫の顔も見れないからね」と脅かされた。
「そんなに吸いたければ買いなさい」と言われたが
それだけはなんとしても避けなければいけない。
ついに追い詰められてしまったようだ。子豚に未来はあるのか。
その前に強い意志が在るのかと自分を問い詰めたくなる。
いっそ娘夫婦も職場の同僚も禁煙してくれたらと願う。
それがどれほど身勝手なことなのか分かっているのだけれど。
今はどうしようも出来ない窮地に立たされているのだった。
甘い物が食べたくてならない。ずっと我慢していたお米も食べたい。
体重はどんどん増えていくばかりである。
どうか私を止めて欲しい。それが今の子豚の願いであった。
春分の日。彼岸の中日は雨となり今も降り続いている。
春分とは太陽が真東から昇り真西に沈む日を言い
昼と夜の長さが同じになるのだそうだ。
生憎の雨であまり実感が湧かなかったのが残念である。
「桜雨」という言葉もあるがまだぽつぽつの桜で
今日のような雨に相応しいのかよく分からない。
迂闊なことを言わないほうが無難なのだろう。
お彼岸と云えばお墓参りであるが今年は疎かにしてしまった。
雨のせいもあるが夫や義妹があまり気が進まないようで
来月の姑の命日に行くことに決めた。それで良いのだろうか。
今日はあやちゃんのピアノ発表会があった。
「来ないで」とずっと言われていたので諦めかけていたが
昨夜になりお許しをもらってとても楽しみにしていたのだけれど
出掛ける寸前になってドタキャンとなってしまった。
当のあやちゃんが「行きたくない」と言って泣くのだった。
困り果てた娘までもが泣きだしてしまって最悪の事態となる。
少女期の難しい年頃のことでここに詳しく書くことは控えたいが
まるで腫れ物に触るような出来事であった。
さて子豚はどうしていたのだろう。
もう誰も聞きたくはないだろうけれど覚書として記しておこう。
結果から云えば昨夜の誓いは嘘っぱちだったことになる。
自分の意志の弱さをこれほど思い知らせられたことはない。
娘の加熱式煙草の吸殻はもはや煙草ではないと思えば救われるが
まるで藁にも縋るような思いでそれを吸う行為は許し難い。
すでにニコチンもタールも燃え尽きていてただの「藁」なのだろう。
焦げ臭いだけで酷く不味いがそれでも吸わずにはいられなかった。
やはり狂っているとしか思えない。もう手の施しようがない。
子豚もやがて「腫れ物」になるのだろうか。
誰かがそっと触れてくれるのだろうか。
今日は四月並みの陽気と聞いていたがお天気は下り坂となり
夕方からぽつぽつと雫のような雨が降り始めた。
桜の花がほんの少し。まだ一輪二輪と数えるほどである。
満開なのは雪柳でそれは見事な純白であった。
畑には大根の花。チンゲン菜だろうか青菜にも花が咲いている。
まるで目移りするような春があちらこちらに見える。
朝の道では良心市に初物の「タラの芽」が並んでいた。
もうそろそろかなと待っていただけに喜んで買い求める。
一パック百円の安さ。田舎ならではのことだろう。
山里では田んぼに水が張られ田植えの準備が始まっている。
義父がそわそわと落ち着かないのも仕方ないことだった。

このまま穏やかな日記としたいところだが
子豚のことを書いても良いだろうか。
先日もう書かないと言ったばかりなのに申し訳ない。
実は昨夜泥酔してしまって煙草が吸いたくてたまらなくなった。
娘婿が以前に吸っていた火を点ける煙草が残っていると言って
まるで神様のようにして一箱恵んでくれたのだった。
私はまるで飢えた子豚であった。なんと見苦しいことだろう。
もはや狂っていると思った。もう手の施しようがない。
その後どうなってしまったかは言うまでもないだろう。
とにかくその一箱を消費しなければいけない。
禁煙を決意した時の「在庫一掃セール」である。
案の定職場でも我慢が出来なくなってしまった。
同僚にせがんでは恵んでもらい「くれくれ詐欺」だと言われる。
それも今日限りだと決意を新たにした。もういい加減にしなければ。
麻薬中毒者が服役し出所してからまたもや麻薬に溺れる。
愚かなことと人は罵るけれど私も一緒だと思った。
このままでは本当に心も身も滅ぼしてしまうだろう。
罪悪感に苛まれ気分はどんどん落ち込むばかりだった。
子豚は再び決心をする。ひと月禁煙出来たのだ。
目標は3ヶ月。いや3年だって可能だろう。
明日からまた苦しくなるがなんとしても耐えなければいけない。
どうなってしまうのだろうと案ずるのもよそう。
進む道を選ぶ時なのだ。寄り道などもう二度とするものか。
| 2023年03月19日(日) |
罪悪感。もどかしさ。苛立ち。 |
朝は少し肌寒かったが日中は春らしい暖かさとなった。
今日は何処にも出掛けずにいようと決めたけれど
一日のなんと長かったことだろうか。
午前中は最低限の家事と買物に行っていたが
午後はひたすらごろごろと寝てばかりいた。
動こうと思えば出来ないこともないけれど何も出来ない。
お大師堂がずっと気になっているが今日も行けなかった。
人任せではいけないこともあるのになんと無責任なことだろう。
まず花枝(しきび)を切りに行けない。無理をすれば行けるだろうが
足の痛みのせいにしてそれが億劫でならなかった。
決してどうでも良いことなどとは思っていないのだけれど
こころと身体が酷くかけ離れているように思えてならなかった。
罪悪感。もどかしさ。苛立ちが治まらない。
そんな状態でこれを記していることが申し訳ないとも思う。
明日になればもしかしたら救われるのだろうか。
一縷の望みはあるように思う。生きてさえいればと。
どん底ならば這い上がるしかないだろう。
誰が守ってくれるだろうか。自分以外に守る者などいないのだ。
明け方まで小雨が降っていたが日中は青空が広がる。
彼岸の入りで「寒の別れ」だろうか。風が少し冷たかった。
あちら側とこちら側。まるで季節が引き裂かれているようでもある。
朝から気分がなんとなく落ち着かず苛々してみたり。
誰のせいでもない。自業自得だと分かっていた。
灰皿に娘が吸殻を沢山捨ててあって火を点けずにはいられない。
立て続けに5本ほど吸ってしまい酷い自己嫌悪に陥る。
これこそが元の木阿弥である。なんと情けないことだろうか。
カーブスはそれなりに気分転換となった。
足の痛みはあったが先週程ではなく辛さを感じずに済んだ。
コーチは必要以上に褒めようとするがそれが仕事なのだろう。
私は出来ればそっとしておいて欲しいが笑顔で応えていた。
そんなコミュニケーションも必要なのかもしれないなと思った。
帰り際に近所に住むYさんに会った。3B体操の時の仲間でもある。
彼女も膝が痛く今月から通い始めたのだそうだ。
大なり小なり痛みを抱えている人が居るものなのだ。
自分だけではないと思うと不思議と励みに思ったりする。
午後、所属している同人誌へ原稿を送った。
この2ヶ月程の間に書いた短歌から16首を選んだ。
どれも変わり映えのしないマンネリ化したものばかりである。
それでも諦めてしまうわけにはいかない。
詩の掲載は一切認められていない。
三下り半を押されてからもう一年以上が過ぎている。
私の詩はもう二度と受け入れてはもらえないだろう。
すでに孤立しているのだと思う。もう独りで書き続けていくしかない。
そんな運命なのだなと受け止めると少しも惨めではなかった。
娘の吸殻が目障りでならず全てゴミ箱に捨てた。
それなのにどうして煙草の箱を私の部屋に置いているのだろう。
加熱式煙草なので「火を点けないで下さい」と注意書きしてある。
火を点ければ身体に害があるのだろうか。
娘が確かそんなことを言っていたようにも思うが今は仕方ない。
くらくらと眩暈がする。いったい私はこの先どうなってしまうのだろう。
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