ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年03月15日(水) 引き返すなら今しかない

夜明け前、ナイフで真っ二つに切ったような月が見えていた。

月の満ち欠けに想いを巡らせながら短歌と詩を書く。

全く書けない日もたまにあるけれど書けたらとても清々しい。

相変わらず自分では良し悪しが分からない。

めいさんが「いいね」してくれたらなと思ったけど今朝は駄目だった。

私はほんとうに欲深い人間なのだなとつくづく思う。

毎日リツイートしてくれる方が3人もいてとても有難いことなのに。




先日「子豚の再犯」をここに記したが今日は「子豚の挫折」だ。

どうしても我慢できなくなって同僚にラッキーストライクを貰った。

一本だけのつもりだったが結局は3本となる。

同僚と話していてやはりストレスではないかと頷き合う。

彼が親指を立てて「これだろ」と言うのは社長である義父のことだった。

義父の性格にはもう慣れているはずであったが

心のどこかで少なからずストレスを感じているのかもしれない。


煙草でストレスが解消される訳はないが不思議と落ち着くのだった。

ひと月を乗り越えて完全に禁煙出来たと思った矢先のことである。

もちろん情けなくてたまらないけれど自分を赦す気持ちもあった。


3日を乗り越えたら次は3週間、その次が3ヶ月で後は3年だと言う。

元の木阿弥に戻ることはなんとしても避けたいと思っている。

「子豚シリーズ」をもう書くつもりはないのでそっとしておいて欲しい。



体重がとうとう60キロを超えてしまった。

このひと月で3キロも増えたことになる。

一概に禁煙のせいだとは言えないかもしれないけれど

どうしようもなく食欲を我慢出来なくなってしまったのは事実であった。



自分がなんだかとんでもないところに向かっているような危機感がある。

引き返すなら今しかないのだろう。

ひたすら前を向くことだけが人生ではないのかもしれない。








2023年03月14日(火) お母さんもうすぐ桜が咲きそうです

寒の戻りだろうか、今朝は真冬並みの寒さとなった。

暑さ寒さも彼岸までと云うが冬はもう背中を向けているのだろう。


東京で桜(ソメイヨシノ)が開花したそうだ。

高知は16日頃らしい。県西部は少し遅れるのではないだろうか。

帰宅途中に桜並木を仰いだがまだ咲きそうには見えなかった。


義父は田植えの準備を始めており今日ももみ蒔きをしていた。

先日蒔いたもみは育苗機でもう芽を出しハウスへ運ばれている。

来月早々には田植えとのことまた忙しくなりそうだ。




今朝は思いがけずに嬉しいことがあった。

SNSで発信した短歌と詩にめいさんが「いいね」をしてくれたのだ。

ずっと無視されていると思っていた。認めてはもらえないと。

それだけで一概に良し悪しの判断は出来ないけれど

もしかしたら認めてくれたのかもしれないと救われたような気持になる。

私のような落ちこぼれにもそんな奇跡のようなことがある。

どれほど励みになったことだろうか。感激で胸がいっぱいになった。



帰宅する前に母の入居料を支払いに行っていた。

先月は思いがけずに母に会えたので期待していたけれど

今日は駄目だった。ケアマネさんも忙しそうで無理も言えない。

母の様子を訊くことも出来なかった。なんとも寂しくてならない。


高知市内に住む弟からも電話があり少しでも面会が出来ないかと。

ケアマネさんに相談したらガラス越しならば構わないとのこと。

顔を見ることは出来るが会話は無理だろうと思われる。

それでも弟は孫達を連れて近いうちに行くからと言っていた。

もう3年以上も会っていないのだ。母のひ孫もずいぶんと成長している。


私はずっと母に電話もせずにいる。薄情な娘を貫いているが

母の夢をよく見る。本当は恋しいのかもしれない。


それなのに時々母の存在そのものを忘れている時があるのだった。

母は確かに私を生み育てたかもしれないけれど

私の人生における母はあまりにも儚い存在だった。







2023年03月13日(月) 散る花もあれば咲く花もある

昨夜はぐっすりと眠っていて知らなかったが

まるで春の嵐を思わすような天気だったようだ。

雨上がりの朝のこと。北西の強い風が吹き荒れていた。


国道沿いの白木蓮の花が殆ど散ってしまっていて憐れだった。

道路には綿を敷き詰めたような花弁。その上を車が通り過ぎて行く。

痛かろう辛かろうと声を掛けずにいられなかった。


散る花もあれば咲く花もある。馬酔木、雪柳、岩つつじ、ラッパ水仙。

そうして何よりもあと数日もすれば桜の季節がやって来る。


何度目の春だろうかと今朝は思い出してた。

決して思い出ではないのにどうして思い出すのだろう。

死んだ子の年を数えてはいけないと云うけれどどうして忘れられようか。

あの子は6月に生まれるはずだった。もう49歳になろうとしている。

なんの供養もしてあげずに私ばかりが年を重ねて来たのである。


もしかしたら生まれ変わっているかもしれないと探していた。

ネット空間を彷徨いながら雲をつかむように歳月ばかりが流れる。

あの子かもしれないと思うと執着し取り乱したことも多々ある。


赦されるべきではない母としていったい何を求めていたのだろう。


あの子の命日を憶えていない。そこには漠然とした3月があるばかり。

桜が咲いていたことだけは憶えている。私は薄桃色の少女だった。



今はもう姥桜になってしまったが咲いてみようと思っている。

今年もきっと潔く散ることが出来るだろう。



2023年03月12日(日) 生きてみないと分からない

書かなければいけないことがあるのではない。

ただ書きたくてたまらずこの場所に居る。

だいたいいつも18時45分頃だ。

普通の主婦ならまだ忙しい時間帯だろう。

その点私はどうやら恵まれているようである。


夕食は夫と二人で食べることが多く18時には食べ終えている。

汚れた食器も少ないのでちゃちゃっと洗って済ます。

それからお風呂に入る。夫の次なので2番風呂だ。


焼酎の水割りを作り二階の自室まで運ぶ。

ちびりちびり飲みながらこれを記し始めるのだった。





快晴ではなかったが今日もすっかり春の陽気。

気分転換を兼ねて何処かに出掛けようかと思っていたが

夫が新しいお財布が欲しいと言うので二人で買物に行っていた。

もうすぐ誕生日なのでプレゼントだと言ったり

財布は春に買うのが縁起が良いのだと言ったりである。

「青山」「ワークウェイ」「マルナカ」と3店舗まわったが

気に入った財布が見つからず結局諦めることになった。

財布に入れるお小遣いは少ないがカード類が多過ぎるのだった。

免許証、マイナンバーカード、病院の診察券等である。

その上に大きい財布は嫌で手のひらサイズの物を欲しがるのだ。

可哀想なので誕生日には何か他の物を買ってあげようと思っている。



買物に出たついでにダイソーに寄り室内用の杖を買い求めた。

茶色か黒色しかないだろうと思っていたら赤に白い水玉模様があった。

なんと165円の安さである。これで私の体重を支えられるのか。

少し不安ではあったが結構丈夫そうな杖であった。


娘や孫達のブーイングが凄い。娘は「夢に出て来そう」だと言う。

めいちゃんは「それは何?」と不思議そうな顔をしていた。


四六時中杖に頼るつもりはない。痛くて辛い時だけだと思っている。

無理なく歩ける限りは自分の足で頑張ってみたいのだ。


とうとうここまで来たか。ついつい嘆きたくなるけれど

何度も言うが一縷の望みを捨てるつもりはなかった。


もしかしたら奇跡も起こるかもしれないではないか。


生きてみないと分からない。だからこそ生きる甲斐があるのだと思う。



2023年03月11日(土) 悔しさにバネがあるのか

最高気温が20℃を超えすっかり春の陽気となった。

春霞は黄砂だろうか。ぼんやりとした空もまた良いものである。



やはりSNSからの転載は止めることにした。

少し迷ったけれど愚かなことなのだとしたら早いに越したことなはい。

「馬子にも衣装」と云う言葉があるが

自分の書いたものを飾り立てて灯りまでともし夜道を明かすような行為

それこそが「自己解説」なのだそうだ。

あくまでも読者に委ねなければいけないと云うことなのだ。

それはとても心細くてならないけれど読者を信じようと思っている。


以前はよくここでも詩のようなものを書いていたので

またそんな機会もあるのではないだろうか。

その時には快く受け止めて頂けたら幸いに思う。






午前中にカーブスへ。このところずっと足の痛みが酷く

出来るかどうか分からなかったがとにかく行ってみようと思った。

筋トレは出来るがその合間の足踏みが殆ど出来ない。

少しでも動かしてみようと自分なりに努力をしてみる。

いま諦めてしまったらもう一生出来ないような気がしていた。

嘆くことはいくらでも出来る。それは自分に負けることに等しい。


歯を食いしばりながらなんとか最後まで出来た。

辛かっただけにその達成感がとても心地よかった。

もしかしたら痛みが薄れるのではないだろうかと

一縷の希望は捨てずにいようと思っている。

今がどん底ならもうこれ以上の底があるはずがないではないか。



悔しさをバネにとよく云うけれど今の私はどうなのだろう。

確かに悔しさはあるけれど仕方ないことだと思っている。

だからバネには出来ないかもしれないが立ち向かう勇気のような

ほんの少しだけ強がっている自分を感じるのだった。


「大丈夫?」と訊かれたら「大丈夫よ」と今なら応えられるだろう。





2023年03月10日(金) 子豚の再犯

起き上がり小法師のように生きている試しに倒してみればいい


それほど強く逞しくはない

涙を流す日もあれば

嘆く日だってあるのだ



ただ起き上がることは出来る

たとえ泥だらけになっても

空を仰ぐことが出来るだろう



試されるために生きている


私を倒してみなさい


痛みなど怖れてはいない





自分の書いた詩を「自己解説」してはいけないのだそうだ。

詩はあくまでも読者のものらしい。

私は今までずっと自分のものだと思っていた。

だからまるで我が子のように叱ることも出来たのだ。


夜明け前にSNSに書いて発信したものを

夜になりここに転載していたけれど

今後もそれを続けるべきだろうかと迷っている。

このままだとどうしても「自分のもの」にしてしまうだろう。

明日までに結論を出したいと思っている。

どうすることが最善なのかよく考えてみたい。





子豚のことを憶えているだろうか?

その子豚が今日は悪さをしたので報告しておきたい。

罪名は「拾得物横領」としておこう。しかも執行猶予中のことである。

明日で猶予期間が終わり晴れて刑を免れる所だったので残念でならない。


子豚は魔がさしたと供述しているが赦すわけにはいかなかった。

目撃者も居るのだ。そうなれば現行犯としなければならない。



どうしても我慢できなかった子豚の気持ちも分からないではない。

けれども理性はどうしたのだ。強い意志はどこに行ったのだ。

子豚は酷く後悔しており深く反省している様子であるが

犯した罪はそうそう簡単に消えるものではないのだった。


その後の子豚の供述によると

拾ったお金を警察に届けず使い込んでしまった時のようだと言う。

罪悪感は半端ではなかったことだろう。そうして苦しみも伴う。


いっそ死刑にしてくれと子豚は叫んでいるが

軽犯罪なのでその願いは叶えてやることは出来ない。


いま子豚は取調室に居るが一本の煙草もカツ丼も与える訳にはいかない。



2023年03月09日(木) 絶好調と絶不調

「書けない」と云うことを書こうとしている

この悶々とした苦しさが分かるだろうか

崖っぷちに立っているようだ

海の青さが目に沁みるばかり

一歩踏み出すことが出来ない

それでも私は存在していて

ありったけの命で叫び続けている

「書けない」と書いた

「生きたい」と書いた






書ける日があるのにどうして書けない日があるのだろう。

何か精神的なモノかなと思うのだけれどよく分からない。

とにかく今朝は書けなかったので「書けない」と書いた。

くだらないことかもしれないけれどこれが精一杯なのだ。

限界はいつも感じている。その限界が怖くてならない。




午後、短時間ではあったが雷雨に見舞われた。

ずしんずしんと地面を揺らすような雷鳴におののく。

空が春を告げに来た「春雷」なのだなと思う。


山里では義父が稲のモミ蒔きを始めている。

もうそんな季節なのかと感慨深い。

いつものことだけれど稲作の事となると本業を忘れる。

一切口を出してはいけないのでピリピリと緊張するのだった。

それが少なからずストレスになっているようだ。


今日は煙草が吸いたくてたまらなかった。

でもそれをしてしまえば今までの苦労が水の泡になってしまう。

とにかくひたすら我慢をしなければいけない。

それがまたストレスになり精神的に追い詰められていくのだ。

煙草には関わりたくないと言いながらなんと矛盾していることか。


そんなストレスに足の痛みが拍車をかける。

これでは二重苦ではないかと情けなくてならない。

職場の近くの商工会に行くのに杖を付きながら歩いて行った。

近所の人に会って「体裁なんて言ってられんよ」と声を掛けてもらった。

痛みを我慢するよりも杖に頼りなさいと云うことなのだ。


この先「絶好調」と云う日はおそらく無いだろうと思っている。

精神的なストレスは気の持ちようでなんとかなるが

足の痛みだけはどうしようもなくずっと我慢の日々なのだろう。


我慢は試練と似ているがそっくり同じではないような気もする。



これを記しながら娘のシケモクにまた火を点けてしまった。

「この馬鹿野郎めが」情けないのと悔しいのともうごちゃごちゃだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加