起き上がり小法師のように生きている試しに倒してみればいい
それほど強く逞しくはない
涙を流す日もあれば
嘆く日だってあるのだ
ただ起き上がることは出来る
たとえ泥だらけになっても
空を仰ぐことが出来るだろう
試されるために生きている
私を倒してみなさい
痛みなど怖れてはいない

自分の書いた詩を「自己解説」してはいけないのだそうだ。
詩はあくまでも読者のものらしい。
私は今までずっと自分のものだと思っていた。
だからまるで我が子のように叱ることも出来たのだ。
夜明け前にSNSに書いて発信したものを
夜になりここに転載していたけれど
今後もそれを続けるべきだろうかと迷っている。
このままだとどうしても「自分のもの」にしてしまうだろう。
明日までに結論を出したいと思っている。
どうすることが最善なのかよく考えてみたい。
子豚のことを憶えているだろうか?
その子豚が今日は悪さをしたので報告しておきたい。
罪名は「拾得物横領」としておこう。しかも執行猶予中のことである。
明日で猶予期間が終わり晴れて刑を免れる所だったので残念でならない。
子豚は魔がさしたと供述しているが赦すわけにはいかなかった。
目撃者も居るのだ。そうなれば現行犯としなければならない。
どうしても我慢できなかった子豚の気持ちも分からないではない。
けれども理性はどうしたのだ。強い意志はどこに行ったのだ。
子豚は酷く後悔しており深く反省している様子であるが
犯した罪はそうそう簡単に消えるものではないのだった。
その後の子豚の供述によると
拾ったお金を警察に届けず使い込んでしまった時のようだと言う。
罪悪感は半端ではなかったことだろう。そうして苦しみも伴う。
いっそ死刑にしてくれと子豚は叫んでいるが
軽犯罪なのでその願いは叶えてやることは出来ない。
いま子豚は取調室に居るが一本の煙草もカツ丼も与える訳にはいかない。
「書けない」と云うことを書こうとしている
この悶々とした苦しさが分かるだろうか
崖っぷちに立っているようだ
海の青さが目に沁みるばかり
一歩踏み出すことが出来ない
それでも私は存在していて
ありったけの命で叫び続けている
「書けない」と書いた
「生きたい」と書いた

書ける日があるのにどうして書けない日があるのだろう。
何か精神的なモノかなと思うのだけれどよく分からない。
とにかく今朝は書けなかったので「書けない」と書いた。
くだらないことかもしれないけれどこれが精一杯なのだ。
限界はいつも感じている。その限界が怖くてならない。
午後、短時間ではあったが雷雨に見舞われた。
ずしんずしんと地面を揺らすような雷鳴におののく。
空が春を告げに来た「春雷」なのだなと思う。
山里では義父が稲のモミ蒔きを始めている。
もうそんな季節なのかと感慨深い。
いつものことだけれど稲作の事となると本業を忘れる。
一切口を出してはいけないのでピリピリと緊張するのだった。
それが少なからずストレスになっているようだ。
今日は煙草が吸いたくてたまらなかった。
でもそれをしてしまえば今までの苦労が水の泡になってしまう。
とにかくひたすら我慢をしなければいけない。
それがまたストレスになり精神的に追い詰められていくのだ。
煙草には関わりたくないと言いながらなんと矛盾していることか。
そんなストレスに足の痛みが拍車をかける。
これでは二重苦ではないかと情けなくてならない。
職場の近くの商工会に行くのに杖を付きながら歩いて行った。
近所の人に会って「体裁なんて言ってられんよ」と声を掛けてもらった。
痛みを我慢するよりも杖に頼りなさいと云うことなのだ。
この先「絶好調」と云う日はおそらく無いだろうと思っている。
精神的なストレスは気の持ちようでなんとかなるが
足の痛みだけはどうしようもなくずっと我慢の日々なのだろう。
我慢は試練と似ているがそっくり同じではないような気もする。
これを記しながら娘のシケモクにまた火を点けてしまった。
「この馬鹿野郎めが」情けないのと悔しいのともうごちゃごちゃだ。
煌々と輝く月を仰ぎつつ見えない星の名を呼んでいる
満ちた月が浮かぶ空は
思いがけないほどに明るく
あたり一面を照らしている
星には名があるのだそうだ
誰にも知られていないことを
嘆く夜もあるのだろうか
消えてしまうのではない
ただ見えなくなってしまう
月明りに寄り添う一粒の希望だ

昨夜の満月の名残で空は明るく星が見えなかった。
その「見えない」ことを表現したかったが上手くは書けない。
星を私に重ねているのが解るだろうか。
説明しなくては何も伝わらないのではないだろうかと思う。
そもそも私が一粒の希望だなんてあり得ないのではないか。
最高気温が20℃を超え4月中旬並みの暖かさとなった。
桜(ソメイヨシノ)が狂い咲きをした地域があったそうだ。
暖かいのは嬉しいけれど異常気象が気になるところである。
大きな地震が来るのではないかと不安になってしまう。
週末には東日本大震災から12年目になろうとしている。
今日は粗大ごみの収集日だったので空気清浄機を処分した。
長年私の部屋で使っていた物でもの凄い汚れだった。
すべて煙草の脂である。なんともおぞましい有り様であった。
優れ物の清浄機だったので片っ端から煙を吸っていたのだろう。
どんなにか苦しかったことだろう。その労をねぎらう。
ろくにフィルターの掃除もしてやらなかったことが悔やまれる。
そうしてまだ動けるのに捨てられる定だったのだ。
私はもう見たくもなかった。それが正直な気持ちである。
とにかくもう煙草には関わりたくない気持ちでいっぱいになっている。
けれども我が家では私の部屋が唯一の喫煙場所になっており
娘達の吸殻が捨ててもすぐにいっぱいになってしまうのだった。
電子煙草なので煙も脂も出ないのだが吸殻だけは残るのである。
その吸殻が曲者で在った。火を点ければちゃんと吸えるのだ。
娘はどうやらそのことを知らないようだった。
私はそんな誘惑と闘っている。もう決して火を点けてはいけない。
ある人が禁煙まで3ヶ月かかったらしい。
私もまだまだぬか喜びは出来ないかもしれない。
もう春と咲き誇りたる花がある私の胸に一輪を挿す
雀色の野原だった
枯れることに慣れてしまって
夢も見ずに生きてきたけれど
相応しいとかそうではないと
いったい誰が決めるのだろう
美しく在りたいのではない
ただいのちを咲かせたいと思う
こんな私にも陽射しは降り注ぎ
春の花が胸に寄り添う

春らしい詩をと思い書いてみた。
自分では良し悪しが全く分からないけれど
思いがけずに好評でお二人の方からコメントを頂く。
何か伝わるものがあったのだろうか。
共感してもらえたのならなんと有難いことである。
とても励みになる。書いて良かったのだなと思った。
かと言って有頂天にならないことだ。
あくまでも私は自分に厳しくありたいと思っている。
今にまたとことん貶す日もあるだろう。
今日は杖を買うつもりだったが買わずに済んだ。
母の荷物を整理した時に確かあったような気がして
探してみたらすぐに見つかったのだった。
折り畳み式で紫色に白い花柄の上品な杖であった。
一目で気に入りこれからは私が使用することに決める。
それにしても母が杖を付いていた記憶が全くなかった。
いったいいつ買ったのだろうと不思議でならない。
職場の庭を杖を付きながら少し歩いてみた。
なかなかに良い感じである。ずいぶんと楽に感じる。
ただ左手に持つのか右手に持つのかよく分からなかった。
左足が痛いのだから当然左手のように思われるが
右手に持った方が歩く時に楽なような気がしたのだった。
それとあまり杖に頼り過ぎてもいけないように思う。
杖なしで歩けそうな時は自分を試してみるべきだろう。
まだ完全に杖デビューとはいかないかもしれない。
なんでもそうだが一度楽な思いをすればそれが癖になるものだ。
余談ではあるが完全禁煙からもうすぐ一月になろうとしているが
昨夜寝る前に魔が差したのか娘のシケモクに火を点けてしまった。
それは不味いはずだったのになぜかとても懐かしかった。
シケモクを拾い集めすべて捨てる。それが精一杯の抵抗である。
まだ未練があるのだろうか。それが口惜しくてならない。
息ばかり何処に向かっているのやら心はいつも手探りのまま
いったい何を信じていいのか
分からなくなる時があるのだ
雲を掴むようなことだと
誰かが言っていたけれど
触れてみたいと思った
たとえ消えてしまっても
確かに存在するのだろう
生きてさえいれば
辿り着く場所がきっとある

すっかりマンネリ化してしまった。
自分でも分かっているのだけれどどうすることも出来ない。
このまま書き続けていても良いのだろうか。
いったい私は何処に辿り着くのだろう。
二十四節気の「啓蟄」土の中で眠っていた虫たちが動き出す頃。
季節はもうすっかり春となり暖かな陽射しが降り注ぐ。
今朝は国道沿いに白木蓮が咲いているのを見つけ嬉しかった。
ここ数日の間に一気に咲いたようだった。
手のひらをそっと合わせたような蕾が私はとても好きだ。
このところ足の痛みが酷く思うように歩けずにいる。
どうやらストレッチの効果は出ておらず反対に悪化しているようだ。
今日はあまりの辛さに杖を買おうと思い立ったけれど
何処に売っているのだろうよく分からなかった。
帰宅して夫に訊いたらホームセンターに在るだろうと言う。
早速明日行ってみようと思っている。
白髪を染めるのを止めたのですごい髪になっている。
その上に杖を付いて歩けば10歳は老けて見えるだろう。
それでも良いかなと思うのだ。体裁よりも大切なことである。
「転ばぬ先の杖」と云うではないか。用心に越したことはないだろう。
もし転倒すれば確実に骨折するだろうと思われる。
手術は10年後と決めていたけれどそれまで持つだろうか。
そう思うと不安でいっぱいになってしまう。
私はいったいどうなってしまうのだろうと考えてばかりいる。
「歩く」ことがどれほど有難いことかしみじみと感じている。
二本の足があるのだから当たり前のことだとずっと思っていた。
まさか歩くのが困難になる日が来るとは夢にも思っていなかったのだ。
「頑張れ、頑張れ」そう声を出しながら歩いている。
とにかく一歩を踏み出して行かなければいけない。
満月が近いようだ
西の空に煌々と輝く月を
仰ぎながらこれを記している
歌のようなものは詠めなくて
詩のようなものも書けなくて
空に放つこころがもどかしい
言葉は何処から生まれて来るのだろう
どうすればそれを育てられるのだろう
生きて生きてその時を待つしかない
こんな私にも明日がある

今朝は短歌が書けなかった。
それでもとにかく何かを書かないと気が済まない。
結局また苦し紛れにつまらないことを書いてしまった。
生きてさえいれば明日が来るだろうけれど
書けるかどうかは明日になってみないと分からないのだった。
なんだか簡単に書けてはいけないような気がする。
苦しんで苦しんでこそ生まれる言葉があるのではないだろうか。
今日はめいちゃんの通っているダンスクラブの発表会があり
土佐清水市の文化会館まで行っていた。
驚いたのはクラブのメンバーさんに高齢の方が多く見られたこと。
どう見ても80歳は超えていると見える白髪のご婦人も居た。
それがスポットライトを浴びるとなんと若々しいことだろう。
とても生き生きと踊っていて感動せずにはいられなかった。
幾つになってもやれば出来るのだと思う。とても素晴らしいことだ。
ゲスト出演者もあり思いがけずに「よさこい」も観られた。
高知市内からの若者達であったがもの凄い迫力である。
まだ少年らしい子もいて目を見張る程に上手だった。
ハワイアンだろうかフラダンスもあった。
お年を召された方ばかりのフラダンスは少し不気味であったが
露わにした二の腕がまるで大根のように白くゆらゆらと揺れていた。
それでも堂々としていてやはり感動せずにはいられなかった。
さて肝心のめいちゃんであるが一際目立つほどに上手いのである。
我が孫ながら感心して自慢せずにはいられないのだった。
才能のある無しに関わらずずっと続けさせてやりたいと思った。
あやちゃんはお留守番をしていたが複雑な気持ちだったろう。
私達も同じ気持ちだった。早めに辞めておいて良かったと思う。
発表会はとても無理だったろうと今日はつくづく思ったのだった。
やはり向き不向きはあるだろう。まだまだこれからの長い青春である。
好きなことがきっと見つかると思う。
それがたとえどんなことであっても全力で応援したいと思っている。
ゆらゆらと私の影が揺れている灯りを求め彷徨いながら
光あってこその影だろう
暗闇では何も見えない
不確かなことに慣れて
見失ってしまったことが
どれほど大切なことか
思い知るばかりだった
このまま影として生きるのか
それは時おり歪に姿を変え
私を貶めようとするけれど
負ける気はない

なんだか意味深な詩になってしまったが他意はない。
最後の一行になり文字数が足らなくなり無理やり終わらせた。
そのように不完全なものでも躊躇なく公表するほどの度胸が
私にもまだあったのだろうかと不思議に思っている。
昨年の暮れに奥様を亡くされた方から「リツイート」があった。
何か心の琴線に触れるものがあったのだろうか。
曇りの予報だったが思いがけずに陽射しがあり嬉しかった。
洗濯物が乾かないとどうしても憂鬱になってしまうのだ。
10時からカーブス。足の痛みが酷く恐る恐るであったが
やはり思うようには出来ず予定の半分で諦めてしまった。
もしかしたらもう出来なくなるではないかと不安になってしまう。
頑張ることは出来ないけれど気力だけは持ち続けていたいものだ。
今日は月一の計測日だったがやはり体重がかなりやばい。
禁煙してから一気に2キロ増えもうどうしようもなかった。
体脂肪計に乗るのに素足にならなくてはいけなくて
今朝は夫に足の爪を切ってもらった。
痛みで左足を曲げることが出来ず自分ではもう爪も切れない。
夫に爪を切ってもらいながら涙が出そうになった。
情けなくてならないのと有難くてならないのと。
このまま一生夫の世話になるのだなと思っていたら
「俺が死んだら」などと夫が言いだすので一気に不安になる。
たかが足の爪と思うかもしれないが生きている限りそれは伸びる。
まるで命そのものであるかのように育っていくものなのだ。
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