弱くてもいい在りのままそこに居てきみに寄り添う私も弱い
心細くてならない
きみに触れようとしたら
今にも壊れてしまいそうだ
それでも生きて在りながら
息を数え続けている
確かなことを信じようと
どれほど耐えたことだろう
きみの傍に居させて欲しい
肩を寄せ合いながら
今を生きていこうよ

また「きみ」と書いてしまった。
何度も言うが特定の誰かを指しているわけではない。
じゃあ何なんだと訊かれても困るが「きみ」は何処かに居るのだろう。
それはもしかしたら私とよく似た人なのかもしれない。
いま咄嗟に「妄想」と云う言葉が頭に浮かんだが
そうだそれなんだと思った。私はどうやら妄想するのが好きらしい。
仕事を終えて帰りながらラジオを聴いていた。
色んなラジオネームの人が居て愉快ではあるけれど
どうして本名を名乗らないのだろうとふと思ったりする。
そういえば昔からそうだった。私も「青い鳥」と名乗っていた。
でも日本でラジオ放送が始まった頃はどうだったのだろう。
放送局に葉書を出す時は住所と本名を記していたのではないだろうか。
匿名希望の人は別としてもっと堂々としていたのではと思う。
堂々と云う表現は間違っているかもしれないが言い換えれば
自分の身元を隠さずに公にすることを心掛けていたのだと思う。
ラジオに限らずネット社会のSNS等でも同じことが云える。
SNSが特に酷いと思うのは性別さえも公表しない人が多い。
もちろん年齢も不詳。その上に住んでいる地域も不詳である。
言葉はとても悪くなるが「何処の馬の骨やら分からない」のだった。
そんな人達とはなるべくなら関わらないに越したことはない。
距離は遠いほど良い。そうして決して親身にならないことだ。
SNSが楽しい。繋がりが嬉しいとよく耳にするが
私は楽しいと思ったことなど一度もない。
繋がりも求めてはいないしむしろ一匹狼で居たいとさえ思っている。
それでは何故SNSを続けているのだろうか。
それは今の私にとって唯一の発信場所だからだろう。
大げさかもしれないけれど自分で選んだ道なのだった。
ある日突然に途絶える時が来ることだろう。
それはこの日記も同じことである。
ネット社会はとても儚いけれどそれは私の命にも等しい。
| 2023年03月02日(木) |
満ち足りることよりも |
半分はきみにあげようこの月のぬくもりほどの光る真心
満ち足りることよりも
ささやかなことを望む
たとえば優しすぎるきみより
厳しい眼差しのきみが好きだ
求めればよけいに辛くなる
かと言って手放しはしない
分かち合うことが出来る
半分の真心があるならば
このぬくもりを共に生きよう

窓から月は見えなかったが半分の月だろうと想像しながら書いた。
こんなふうに説明をしなければ解り難いと思う。
「半分の真心」とはいったいどのようなものなのだろう。
分かち合うから半分になるのだろうか。それはすべてではなくて
共にぬくもりを感じるようなささやかなものなのかもしれない。
とにかく理解に苦しむ。いったい何を表現したかったのだろうか。
今日は冬型の気圧配置となり風が冷たかった。
明日の朝は真冬並みの寒さになるのだそうだ。
昔大好きだったNSPの歌「弥生冷たい風」を思い出す。
あの歌の中では桜がもう散り始めているのだから「花冷え」なのだろう。
桜の季節になると必ず寒の戻りがあるものだった。
今年は18日頃だとか。開花宣言があることだろう。
全国的に平年よりも早い開花になるそうである。
北海道は5月が見頃らしい。正しく寒さなければ花は咲かずである。
たけさん。りゅう。よしえさん。会うことは叶わないけれど
こうして名を呼ぶことは出来る友たちが住んでいる。
死ぬまでに一度は訪ねたかった北海道であったがおそらくもうそれは
叶わないまま夢として終わることであろう。
あとどれくらいの人生なのか考えない日はないくらいだ。
切羽詰まって来ると明日の命さえも心細くてならない。
欲深いものだから思い残すことがたくさん在り過ぎる。
そのひとつひとつを宥めながら生きているような日々であった。
やはり私は満ち足りることよりもささやかなことを望んでいる。
花として生きてみたいと願いつつ一歩踏み出す弥生三月
まだ固い蕾を胸に
老いた樹は風に吹かれている
あれはいつの春だったか
学び舎から旅立ったころ
どれほど生きられるかなど
考えてもいなかったのだ
歳月は流れ
冬の寒さを乗り越えてこそ咲く花
そんな一輪になりたい
花として生きたい

花は桜を意味する。
老いた樹はもちろん私のことである。
学び舎を旅立つのは卒業のこと。
もう49年も昔のことであった。
私にとっては生涯忘れることの出来ない日である。
大きな罪を背負った。記憶はとても残酷に蘇って来る。
私は今まで赦されて生きて来たのだろうか。
「花として生きたい」と最後を結んだが
それはもしかしたらとんでもなく愚かなことなのかもしれない。
私はあまりにも身の程を知らな過ぎるのではないだろうか。
そんな気持ちとは裏腹に弥生三月のなんと新鮮なことだろう。
特に何かを始めるのではないがもう始まっている気がする。
それが何なのか分からないけれど生き生きとしてくるのだった。
目に見えないものに動かされているような気がしてならない。
うまく言葉に出来ないけれどそうして生かされているのだろう。
季節の扉はもう開かれている。迷わず踏み出していかねばならない。
この道で良いのかよく分からない。
葛藤もあれば迷いもあることだろう。
何よりも老いはひしひしと迫って来ている。
私は胸を張りたいけれど心細くてならなかった。
美しくなくても良いのだ。ただこの春を花として生きたいと思う。
届かぬと諦めそうになりながら見上げる空に光る星粒
夢は何処を彷徨っているのか
身の程を知り過ぎた我が身に
突き刺すような未練があった
果てしなく広がる空に
もしも希望があるなら
一目だけでも見せて欲しい
満たされることよりも
一粒を選びたいと思う
私はまだ諦めてはいない

私の夢とはいったい何だろうと思う。
そもそもこの歳で夢もへったくれもないのではないか。
それなのにどうして「夢」と書きたがるのだろう。
はっきりとしたカタチがあるわけではない。
それは漠然としていてまさに彷徨っているようだ。
ほんの一粒の星の欠片のようなものなのだろう。
そこまで言うのなら星の欠片を見たことがあるのか。
流れ星さえも見たことがないくせにいい加減なことを書くんじゃない。
今日は全国的に春の陽気となったようだ。
夕方のニュースで札幌の雪解けの様子を見た。
2月にしては観測史上初の暖かさだったらしい。
もう雪の日がないことを祈らずにはいられない。
足の痛みは昨日よりも少しマシになっていた。
やはり突発的なものだったのだろうか。
今日は歩けることの有難さをつくづくと感じる。
当たり前のことなどなにひとつないのだと思う。
一歩一歩踏みしめるように歩きながら感極まっていた。
まだまだこれからの試練なのだ。少なくとも10年だろう。
手術が出来る環境が整えば私はもう迷うことはない。
どれ程の痛みにも耐えて見せよう。私はもう歩き始めている。
まだ冬の名残の朝に佇んでせめて息はと呼ぶ春がある
逃げて行くのだという
季節は何の罪を犯したのか
囚われるのを怖れているようだ
私は息を数えている
ひとつふたつ春を感じながら
そのぬくもりに命を預けた
どこまでが冬なのだろう
決めることは出来ないけれど
逃れさせてやらねばと思う

今朝は真冬並みの寒さとなり氷点下だったようだ。
せめて息はと思いながら書いたけれど
相変わらずのモノになってしまった。
最後の一行がなんとなく変ではないかと思う。
逃れさせてやらねば。日本語として間違っているのかもしれない。
ようは逃げる2月を表現したかったのだが上手くいかなかったのだ。
最高気温が15℃を超えすっかり春の陽気となった。
優しい陽射しを浴びていると生き返ったような気分になる。
まだまだ寒の戻りがあるかもしれないけれど
季節はもう春と言っても良いのではないだろうか。
夕方から左足が酷く痛む。歩くのもままならないほど。
特に無理をした覚えもないので突発的なものだろうか。
毎日ストレッチをしていても効き目が殆ど感じられない。
運動療法が一番の治療だと聞いていたが不信感が募って来た。
それでも藁にも縋る思いで続けて行こうと思っている。
たとえ今日のように最悪の日があってもずっと続くわけではない。
明日の朝には痛みが和らいでいるかもしれないのだ。
少しだけ弱音を吐いて少しだけ嘆いた。今日は許してやろうと思う。
本当のことを書いてこその日記ではないだろうか。
夫が教えてくれたのだけれど歌手の和田アキ子も股関節だとか。
ネットで検索したらすぐに詳しいことが分かった。
私と同じ変形症ではないようだけれど人工関節手術は同じだった。
手術をしない限り完治はしないのである。
彼女は杖をついたり時には車椅子も頼ったりとかなり重症らしい。
それでも仕事に穴を空けない。生放送にもちゃんと出ている。
「大丈夫、なんとかなっています」とコメントがあった。
さすがアッ子さんだと感激し頼もしく思ったのは言うまでもない。
私も胸を張って「大丈夫」と言いたくてならないのだった。
痛みがあると少なからずメンタルが弱る。
「なんのこれしき」と思っていても痛みには勝てないのだ。
だからと言って負けっぱなしでいるつもりはなかった。
立ち向かって行く勇気のようなものがまだ私にも残っているようだ。
生きている限り明日があるならば今を希望と呼ぶべきだろう
いつかは終わる
限りある命だとしても
精一杯でありたいと思う
今を生きていると
辛く苦しいこともあるけれど
与えられた試練ではないだろうか
嘆いても何も変わらないのなら
信じてみたらどうだろう
明日こそが希望なのだ
辿り着こうよ

今朝は苦労なくすらすらと書けたが
なんだか綺麗ごとを並べ立てたような詩になってしまった。
ひとは本当に辛くて苦しい時に明日を信じられるのだろうか。
たとえ試練だと分かっていても乗り越える強さが必要である。
そんなにひとは強くはない。弱さも認めてやらねばならないのだ。
そう思うとなんと無責任な詩なのではないだろうか。
今日は穏やかな晴天に誘われるよう出掛けていた。
四万十川を遡り県境を越え愛媛県の鬼北町まで行く。
山間の小さな町だがあちらこちらに菜の花が咲き乱れていて心が和む。
なんだか菜の花の町のようなイメージがあった。
お昼時になり国道沿いのこじんまりとしたお店で昼食を摂る。
食堂でもなく喫茶店でもなくなんと呼べば良いのだろう。
「お食事処」と書いてあったが民家のようでもあった。
メニューが面白い。「ラーメン屋さんではないけどラーメン」とあり
私は迷わずにラーメンを頼み、夫はオムソバを頼んだ。
繁盛しているのか後から後からお客さんが入店してくる。
運ばれてきたラーメンは決して不味くはなかったけれど
市販のラーメンスープに蒸し麺を入れた物のようだった。
チャーシューの代わりに豚肉の炒めた物が入っている。
やっぱりラーメン屋さんではないのだと愉快な気持ちになった。
夫は可哀想。オムソバに大嫌いなピーマンが入っていたのだった。
それでも食べ終わるまでその事を言わなかった。
宇和島経由で帰路に就くことにしナビにお任せをしたのだけれど
ナビは最短距離を教えてくれるのでそれも良し悪しであった。
国道441号線を初めて通る。それがなんと酷道なのである。
車一台がやっと通れるような細い峠道をくねくねと走る。
やっと民家が見え始めたと思ったらそこはまだ鬼北町なのであった。
もう一度ナビを設定し直しやっと宇和島市へ辿り着くことが出来た。
そこで緊急事態が発生する。私が便意を催してしまったのだ。
高速道路に入いる直前にコンビニが在りそこへ飛び込んでいた。
出すものを出してしまえばなんともすっきりと心地よい。
コンビニでアーモンドチョコを買ったので食べながら家路に就いた。
「ちょいと疲れたけど面白かったな」夫と笑い合っていた。
二人で行けるうちにといつも思っている。
独りでは私は何処にも行けないだろう。
今朝は何も書けず。悶々としていたが潔く諦めることにした。
頭の中が白紙状態で落書きさえも書けない時がある。
苦しみよりも酷く焦ってしまう。焦れば焦るほど言葉は逃げていく。
しばらくどん底の気分になっていたが落ち込んでも仕方ないことだ。
明日は書けるかもしれない。そう思うと少し気が楽になっていた。
高校時代にも毎日詩を書いていた。
昼休みになると図書室へ行き隅っこで黙々と書いていたのだった。
同じ文芸部だった西沢君に放課後詩のノートを渡すと
次の日にノートが返って来て西沢君の詩が書いてあった。
今思えば交換日記のような物だったのかもしれない。
私は西沢君の詩がとても好きだった。
「きみ」と書かれていると私のことかもしれないと思ったりもした。
でもやがてそれが大きな勘違いだと判り辛い思いをしたけれど
西沢君は私の詩のいちばんの理解者だったことに変りはなかった。
50年の歳月が流れ西沢君の消息は未だに分からない。
ただ今もきっと詩を書いているのに違いないと信じているのだった。
それはどんな詩だろう。出来ることならば読みたくてたまらない。
会うことは叶わなくても西沢君の詩に再会したいのだった。
短歌にしても詩にしても私は孤独だと言って良いだろう。
「一匹狼」などと言えば恰好良く聞こえるがまず仲間が誰一人居ない。
それは理解者が一人も居ないことにも等しいのではないだろうか。
それを寂しいことだと言ってしまえば私はお終いだと思う。
私には私なりに貫くべきことがありそのために生きている。
理解者を求めるよりも自ずから自分を理解するべきなのだ。
とことん守ってやろうではないか。最後の最期まで。
独りぼっちだからこそ書けることがきっとあるのに違いない。
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