本当のことを知りたいだけなのに時は流れて身は霧のなか
誰もおしえてはくれない
真実は綺麗ごとなのだと
風は噂をするけれど
私は霧に包まれながら
少しずつ動き出していた
見えないのではなく
ただ遠くにそれはある
どれほどの時が流れても
きっと辿り着くだろう
霧が晴れたら語り合おう

今朝は苦労なく書けたが今読み返してみると意味不明である。
どうやら私は霧に包まれているようだが
いったい何を求めようとしているのだろうか。
「誰もおしえてはくれない」と言いながら
最後には「語り合おう」と言っている。
誰と語り合うのだろう。酷く矛盾しているように思えて来た。
年金支給日であり母の入居料を支払いに行っていた。
いつもお世話になっている介護士さんに会うことが出来て
ちょうど母がリハビリ室に居るとのこと。
病院の中庭を通り抜けリハビリ室の窓越しに母の姿を見る。
あまりにも久しぶりのことで胸がいっぱいになった。
窓際まで近づいて来た母の声がよく聞こえない。
ただ泣きながら笑っているような顔だけが見えた。
それもつかの間のことで互いに手を振り合って別れる。
私は痛む足を気づかれないようにと背筋を伸ばしていた。
二度振り向く。母はずっと手を振り続けていた。
介護士さんがSNSに母の動画を発信してくれたとのこと。
帰宅してすぐに見たらなんと母が歌っているのだった。
「おひなまつり」の歌で母の元気な声がとても嬉しくてならない。
再生ボタンを押し続けながらとうとう涙が溢れてしまった。
「あかりをつけましょぼんぼりにお花をあげましょ桃の花」
幼い頃に母が歌ってくれただろうけれど憶えてはいなかった。
だから私にとっては生まれて初めて聴く母の歌声であった。
ずっと電話もせずにいたこと。母のことを忘れたふりをしていた。
会いたいとも思わず声を聞きたいとも思わずにいたのだった。
今日はなんだかそんな後ろめたさから救われたような日だった。
空っぽになっている
見つけようとせずに
その隙間に触れると
息ばかりの心になった
そんなに大したことじゃない
いったい何を求めているのか
ささやかなことのために
無心になろうとしている
祈れば救われるだろうか
私の空白に相応しい色は
誰にも見えない息の色だ
漂っている彷徨っている

今朝は短歌が書けなかった。
ああ駄目だなと諦めかけながら詩のようなものを書く。
支離滅裂ではないかもしれないけれど理解し難いモノとなる。
ようは空っぽなのだ。中身がない。それなのに必死になって
息で埋めようともがいているとしか思えない。
いつも読んで下さっている方から「待っている人達もいますよ」と
コメントを頂いたが返信することが出来なかった。
その方は多分書けなくて苦しんでいる私のことが分かったのだろう。
励ましてくれたのだと思う。なんと有難いことではないか。
完全禁煙から4日目。なんとも不思議なことがあった。
昨日は必死の思いで我慢していたのだけれど今日は全く違っていた。
3日耐えたら禁断症状が消えると聞いていたが本当にその通りとなる。
苛々感も無くなり気分はとても落ち着き集中力も出て来る。
吸いたいという気持ちはもう完全に消え失せてしまっていた。
なんだか生まれ変わったような気分であった。
苦しかったことが嘘のように思えてやっと救われたのだと思う。
禁煙パイポを捨ててしまった。とにかく何も吸ってはならないのだ。
「こんなもん、こんなもん」と声を出して投げ捨てたのだ。
そもそも禁煙パイポは「禁煙」のために吸うものではない。
煙草を吸いたくてたまらないのに吸えない時に使用するものだ。
本気で禁煙を考えているのならこれほど危険なモノはないだろう。
私の場合それに気づくのが遅かったが今夜はもう大丈夫だ。
書けないかもしれないと不安だったが今確かにこれを記している。
もう子豚が登場することはないかもしれないけれど
このひと月近く子豚として生きて来られて良かったと思っている。
いつかは精肉になる運命だが「トンカツ」になれれば幸せである。
雨だれと一緒になって落ちていく地には微かに春の音して
ぽつんぽつんと呟いている
聴いて欲しくてならない
私は素直ではないけれど
正直に打ち明けてみたい
君は春の音を知っていますか
どうか耳を澄ませてください
私は落ちながら水になる
もう冷たくはないだろう
君は触れてくれるだろうか

今朝は少しまともなものが書けたような気がしたけれど
気のせいかもしれない。単なる己惚れかもしれないと思う。
アラさがしをすればキリがないのだ。
たとえば叩けば埃が出るように。同じホコリでも誇りではない。
だから胸を張ることも無いだろう。しょんぼりと項垂れているべきか。
この場に及んでいったい何をほざいているのやら。
私は私が不可解でならないが不愉快ではないのだと思っている。
さて決戦の月曜日。今日こそは負けないぞと意気揚々と職場に向かう。
もう二度とチャンスは無いように思っていた。
とにかく強い意志を持って立ち向かっていかねばならない。
まずは決して喫煙所に足を運ばないことから始めた。
案の定そわそわと落ち着かなかったが必死になって我慢する。
これはギャンブル依存症の人がパチンコ屋に行かないのと似ている。
子豚の場合は餌を求めないことだ。たとえ大好物のラーメンであっても
そうしてどれほど空腹であっても絶対に口にしてはいけない。
やがてカウントダウンが始まる。あと30分、あと10分と。
残り5分になった時には目の前がすっかり明るくなっていた。
そうして逃げ去るようにタイムカードを押し家路を急いでいた。
これで完全禁煙三日目をやっと達成したことになる。
やれば出来たのだと感激で胸がいっぱいになっていた。
しかしまだ油断は出来ない。今週いっぱいが大きな勝負である。
それと気掛かりなのはまだ禁煙パイポを手放せないこと。
「こんなもの、こんなもの」と思いながら今も吸っている現実である。
あれも駄目これも駄目では精神的にどれほど参るだろうか。
「かかってこいや」と思う気持ちはあるけれど
「ゆるしてほしい」と弱気になってしまう時もある。
けれども私はほんの少しだけ進歩したのではないだろうか。
今日は「よくやった」と自分を褒めてやりたいと思う。
野に春の便りが届く若草の緑は淡い恋に似ている
何度も読み返しては
君の名を確かめている
私のような者にと思った
春は分け隔てなく
陽のぬくもりを届ける
憧れのままで良かったのだ
なのにどうしてこんなにも
胸がせつなくなるのだろう
私は緑の衣を羽織った
もうすぐ君に会える日が来る

66歳のいい年をしたおばさんが「恋」とは如何なものだろう。
いくら苦し紛れに書いたものとはいえ許し難いことである。
恥を知りなさい。夢見る乙女にどうしてなれるだろうか。
春は確かに近づいているけれど私の存在に気づくとは限らない。
そもそも羽織るべき緑の衣を持ち合わせていないのだ。
雀色の古びたセーターを着ている。毛玉だらけでなんと見苦しい。
それでも春が見つけてくれるのなら私は生きていられるだろう。
今日も気分転換を兼ねて何処かに出掛けようかと思っていた。
娘夫婦が仕事だとは全く知らされていなかったのだ。
それだけ私達に遠慮をしていないと云うことだろう。
「じゃあ頼むけんね」の一言でさっさと仕事に出掛けて行った。
私はまた少し禁断症状が出ていてそわそわと落ち着かない。
読書にも集中出来ず家事をする気にもならなかった。
こんな日は寝るに限るとほぼ一日中炬燵に潜り込んでいた。
やはりこのままでは駄目だと思い知らされる。
週末になる度に苦しまなくてはならない。もう限界だと思ったのだ。
とにかく決心する。明日からもう一本たりとも煙草を吸わない。
それは大きなストレスになるかもしれないけれど
もし一週間それが出来ればどれほど救われることだろうか。
完全に禁煙が出来るのだ。それは願っても無いことである。
思うだけではいけない。それは誰にでも出来るだろう。
私はここに記すことで自分の意志を貫きたいと願っている。
最悪の場合は恥の上塗りになるかもしれないけれど
私は自分を試してみたいと思っている。
寒空に浮かべる星があるように
こころには命の蝋燭が灯っている
雨の日も風の日も雪の日もあった
ずっと守り続けてきたことが
私の誇りなのではないだろうか
季節は春に向かおうとしている
やわらかな陽射しを浴びながら
私は炎となり燃え続けていたい
やがては尽きることを怖れず
生きて生きて

今朝は短歌が書けずまた苦し紛れに詩のようなものを書いた。
例えはとても悪いが便秘の末にやっと出た硬い便のようである。
悪臭こそしないがつい鼻をつまみたくなるのも無理はない。
たとえ綺麗に着飾っていても肌は汚れているのだろう。
それを自覚しながらも未だに拘り続けている。
なんと愚かなことだろう。私は私が見苦しくてならない。
午後、めいちゃんのダンス教室へ送迎を兼ねた付き添い。
娘夫婦が仕事だったので頼ってくれて嬉しかった。
本来は木曜日の夜が練習日だが発表会が近くなり今日は特別だったよう。
練習風景を見学出来るのでとても楽しみであった。
それがとてもハードで驚く。さすがめいちゃんだなと思った。
よほど運動神経が良くないと無理だろう。
あやちゃんがリタイヤした理由もやっと納得出来た気がした。
私には大いに気分転換が出来た一日となる。
禁断症状が少しあったがそれも忘れていられたのだった。
吸えない日と云うより吸わない日と云う自覚がちゃんとあった。
出来ることならばもう自分の首を絞めたくはない。
いったいどうすればこの悪循環から逃れられるのだろうか。
そもそも欲しがっているのは心ではなくて脳だろう。
脳はいかにも心であるかのように振舞う曲者であると思っている。
その脳をコントロール出来たらどんなにか救われるだろうか。
能天気と云う言葉があるが私の脳は曇り続けている。
すっきりと晴れて心地よい風に吹かれていたい。
脳がいかれてしまうともう馬鹿としか言いようがない。
もうすでに馬鹿なのかもしれないけれどまだ生きたくてたまらない。
欲ばかりひとつきりでは足らなくてもっともっとと噛む指がある
満たされているはずだった
溢れているのは水だろうか
それは容易くこぼれ落ちる
分不相応なことを考えていた
まるで夢のようなことばかり
このままでは終われないと
いったい誰が決めたのだろう
指を嚙んでいる
その痛みが愛しい

子供の頃に流行っていた歌謡曲に「小指の思い出」があった。
「あなたが噛んだ小指が痛い」と歌い始めるのである。
子供心にも男の人が女の人の小指を噛んだことは分かった。
でもどうしてそんなことをするのだろうと不思議でならなかったのだ。
今朝の私の詩は自分で自分の指を噛んでいるのだけれど
それがいったいどうしたと問い詰めたくなってくる。
そうすることで何かが変わるのだろうか。
何よりもそんな姿を想像しただけで気持ちが悪くなってしまう。
「その痛みが愛しい」最後の一行はなんだかとてもいやらしい。
ううむ。ついにここまで落ちぶれたか。
どん底でもがき続けている。もう泥だらけになってしまった。
子豚も相変わらずである。もう書くまいと思ったが少しだけ記そう。
とにかく意志を強く持たなければいけないのだ。
職場で吸い続けている限り禁断症状は続くことだろう。
今も苦しくてならず禁煙パイポをひっきりなしに吸っている。
墓穴を掘ると云うより自分で自分の首を絞めているようだ。
それは指を噛むよりもオソロシイことではないだろうか。
決心はいくらでも出来る。また月曜日からが勝負だと思っている。
なんとしてもこの苦悩を乗り越えて見せよう。
まだ冬と便りが届く窓辺には春を知らせる一輪を挿す
冬の背中を見送ろうとする
潔くは去れはしないと
何度も振り向くけれど
別れの手紙がここに在る
私は咲いたばかりの一輪を
花瓶に挿して語らっていた
冬に聞こえないようにと
それはとても小さな声で
足音が遠ざかっていく
冬よさようなら

一見それなりに詩らしく書いているが
最後の一行ですべてが台無しになっている。
歌謡曲ではあるまいし「冬よさようなら」はないだろう。
小学生でももっとまともな詩を書けるような気がする。
いやそんなことを言ったら小学生に失礼であろう。
子供の詩は素直で純真で素晴らしくおとなは絶対に適わない。
自信のなさに拍車をかけるようにどんどん落ちぶれていく。
このままでは一生詩人と認められることはないだろう。
それでも良いとずっと思って来たけれど醜い欲が邪魔をしているようだ。
欲張りなのは子豚も同じ。今日も「もっと、もっと」ばかりとなる。
同僚が心を鬼にしてくれたらと身勝手なことも考えていた。
せがむを通り越してたかる。それでも同僚は決して怒らないのだ。
それにずるずると甘えている子豚は情けなくてならない。
今日は悪魔の囁きが聴こえた。なんとこのままで良いのだと言う。
家では禁煙。職場では喫煙。煙草は一切買わなくて良い。
そんな好都合なことがまかり通って良いものだろうか
子豚は人間ではないけれど人間の心はよくわかるつもりである。
いつまでも迷惑を掛け続けてはいけない。
子豚もおとなにならなくてはいけないのだ。
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