欲ばかりひとつきりでは足らなくてもっともっとと噛む指がある
満たされているはずだった
溢れているのは水だろうか
それは容易くこぼれ落ちる
分不相応なことを考えていた
まるで夢のようなことばかり
このままでは終われないと
いったい誰が決めたのだろう
指を嚙んでいる
その痛みが愛しい

子供の頃に流行っていた歌謡曲に「小指の思い出」があった。
「あなたが噛んだ小指が痛い」と歌い始めるのである。
子供心にも男の人が女の人の小指を噛んだことは分かった。
でもどうしてそんなことをするのだろうと不思議でならなかったのだ。
今朝の私の詩は自分で自分の指を噛んでいるのだけれど
それがいったいどうしたと問い詰めたくなってくる。
そうすることで何かが変わるのだろうか。
何よりもそんな姿を想像しただけで気持ちが悪くなってしまう。
「その痛みが愛しい」最後の一行はなんだかとてもいやらしい。
ううむ。ついにここまで落ちぶれたか。
どん底でもがき続けている。もう泥だらけになってしまった。
子豚も相変わらずである。もう書くまいと思ったが少しだけ記そう。
とにかく意志を強く持たなければいけないのだ。
職場で吸い続けている限り禁断症状は続くことだろう。
今も苦しくてならず禁煙パイポをひっきりなしに吸っている。
墓穴を掘ると云うより自分で自分の首を絞めているようだ。
それは指を噛むよりもオソロシイことではないだろうか。
決心はいくらでも出来る。また月曜日からが勝負だと思っている。
なんとしてもこの苦悩を乗り越えて見せよう。
まだ冬と便りが届く窓辺には春を知らせる一輪を挿す
冬の背中を見送ろうとする
潔くは去れはしないと
何度も振り向くけれど
別れの手紙がここに在る
私は咲いたばかりの一輪を
花瓶に挿して語らっていた
冬に聞こえないようにと
それはとても小さな声で
足音が遠ざかっていく
冬よさようなら

一見それなりに詩らしく書いているが
最後の一行ですべてが台無しになっている。
歌謡曲ではあるまいし「冬よさようなら」はないだろう。
小学生でももっとまともな詩を書けるような気がする。
いやそんなことを言ったら小学生に失礼であろう。
子供の詩は素直で純真で素晴らしくおとなは絶対に適わない。
自信のなさに拍車をかけるようにどんどん落ちぶれていく。
このままでは一生詩人と認められることはないだろう。
それでも良いとずっと思って来たけれど醜い欲が邪魔をしているようだ。
欲張りなのは子豚も同じ。今日も「もっと、もっと」ばかりとなる。
同僚が心を鬼にしてくれたらと身勝手なことも考えていた。
せがむを通り越してたかる。それでも同僚は決して怒らないのだ。
それにずるずると甘えている子豚は情けなくてならない。
今日は悪魔の囁きが聴こえた。なんとこのままで良いのだと言う。
家では禁煙。職場では喫煙。煙草は一切買わなくて良い。
そんな好都合なことがまかり通って良いものだろうか
子豚は人間ではないけれど人間の心はよくわかるつもりである。
いつまでも迷惑を掛け続けてはいけない。
子豚もおとなにならなくてはいけないのだ。
抱き寄せているのは心誰よりも私のことを知っているから
独りぼっちにはさせない
たとえ突き放されて
途方に暮れていたとしても
私以外の誰に守れるだろうか
心は傷つきやすく
弱くて脆いけれど
嘆いてしまうその前に
抱き寄せてやりたいのだ
いちばん知っているのは私
もう離しはしない

今朝はすんなりと書けたがなんだかアホみたいな詩になった。
「独りぼっちにはさせない」とか「もう離しはしない」とか
男と女じゃあるまいしいったい何を考えていたのだろうか。
ほんとにくだらない。アホは死ぬまで直らないらしいが
許されるならばあと20年は生きていたいと思っている。
今日は3月並みの気温となりぽかぽかと暖かだった。
三寒四温を繰り返しながら季節は移り変わって行くのだろう。
県内のとある町では福寿草が満開になっているそうだ。
春は確実に近づいている。希望を持って待っていようと思っている。
希望のないのは例の子豚でそろそろ潮時かもしれない。
今日は真面目に行く末を考えていたがいつまでもずるずると
子豚の日々を書き続ける訳にはいかないだろうと思った。
おそらくいつかは完全に禁煙を達成出来るだろうけれど
半年いや一年は掛かるかもしれない。とにかく今のままでは駄目なのだ。
20年、10年とこの日記を読み続けていてくれる方に申し訳ない。
どれほどのイメージダウンだったか考えざるを得なかった。
喫煙者に嫌悪感を持っている方も大勢いるのではないだろうか。
それを覚悟でここ数日ずっと書き続けて来たのだった。
「さらば子豚」今夜の日記をそう名付けて終わりにしようと思っていた。
けれどもこの「未練」はいったい何処から生まれてくるのだろう。
私の中では何も終わってなどいないのだと思う。
静かに雨が降っているようだ
書きたくてたまらないのに
何も書けず悶々としている
心の鍵が錆びついてしまったのか
鍵穴を塞いでいるのはなんだろう
いつだって私は手探りだった
確かなことは今もわからない
ただ生きているらしく
息ばかり宙を彷徨っている
諦めてなどいない
必ず夜は明ける

今朝も書けず悶々とするばかり。
苦し紛れに詩のようなものを書いていた。
ある有名な詩人さんが「書けない時には書けないことを書けばいい」と
いつだったかSNSで発信していたことを思い出していた。
誰にだってスランプはあるだろう。もう駄目だと諦めないことだ。
確かなことが分からなくても手探りで進んでいくしかない。
禁煙日記を書き始めてもう何日目なのだろうか。
思いがけないことにアクセス数が増えて驚いている。
どうしてこんなものがと戸惑いつつもとても励みになっている。
投票ボタンを押してくれる方も多くなったようで
今週のランキングが2位となりまるで夢のようであった。
私はひたすら自分の恥を晒しているのだけれど
共感に値するものがあるのだろうかと不思議でならない。
これはまさに「豚もおだてりゃ木に登る」ではないだろうか。
まあそのうち真っ逆さまに木から落ちるだろうけれど
もうしばらく登らせておいてくれたら有難いと思っている。
以前からこの日記を読んでくれている方からコメントを頂いた。
このままでは禁煙は無理。それよりも堂々と吸って負け豚になれと。
思わず笑ってしまったがこれこそが真実のようにも思える。
私は必死で闘っているつもりであるが、もうすでに負けている。
今日もよく憶えてはいないが5本くらい吸ったような気がする。
だんだんと大胆になって来て同僚に「くれ!」と言う始末である。
同僚はお給料で「煙草手当」を支給して欲しいとほざいていた。
それも考えないわけではない。会社の金庫は私が握っているのだから。
私は責められる立場であるが今のところ誰も責めてはくれない。
ぬくぬくと甘やかされていい気になっているような気もする。
それならばもっと自分を責めるべきだけれど
それも精神衛生的に芳しくはないことだと思っている。
所詮愚かな豚である。木に登っても煙草を吸い続けている。
早く木から落ちてしまえと思うがこれがなかなかにしぶとい。
今朝は何も書けず苦しくてたまらなかった。
毎朝のことなので「休もう」とすぐに決めることが出来ない。
しばらく悶々としていたがやっと決心すると嘘のように楽になった。
書かなければいけないのではないのだ。
書きたいと云う気持ちさえあればどんな駄文であっても書けるのだと思う。
この日記もそう。書きたくてたまらなくて毎晩書いている。
昔ある人に「毎日よく書くことがありますね」と言われたことがあるが
生きてさえいれば日記は書ける。どんなに平凡な一日だったとしてもだ。

禁煙パイポを吸いながらこれを記しているが
これはどうも禁煙には効果が無さそうに思えて来た。
「吸う」と云う行為がそのまま煙草への欲求へと繋がる気がする。
「ヤメルンジャー」ではなく「ヤメレンノジャー」となってしまう。
とにかく何かを吸っていなければ落ち着かないのは弊害だと思う。
家では禁煙が出来ていると偉そうなことを言っているが
ただ我慢しているだけなのではないだろうか。
完全禁煙を目指すためにはまず禁煙パイポを止めるべきだろう。
職場では相変わらずで今日もずるずると吸ってしまった。
始業前の同僚との連れモクはもうすでに日課になっている。
「置き引き」の罪を犯さないよう一本与えてくれるのだった。
一本が二本になり今日は五本だったろうか。よく憶えていない。
同僚曰く、貢いでいるのでも恵んでいるのでもないのだそうだ。
「たかられている」とあくまでも笑いながら言うのであった。
ついに私もそんな悪どい人間になってしまったらしい。
このままでは人の道を踏み外してしまうかもしれない。
明日こそは真っ当な人間になろうと思うだけは思っている。
「ふざけやがって」何処からかそんな声も聞こえてくるが
子豚は決してふざけている訳ではない。
もがき苦しみながらなんとかして現状を突破しようとしている。
墓穴を掘り続けているがそのうちきっと這い上がって見せよう。
たとえ名のみの春だとしても
気づくことは出来るだろう
柔らかな土に埋もれた球根が
ちいさな芽を出したこと
空を仰げば優しい陽射しが
天使のように降り注いで来る
いつまでも冬ではいられない
私は南からの風を待っている
息はあたたかくなり
生きて在ることを確かにした
いのちはもう春だ

今朝は短歌が書けず苦し紛れに詩のようなものを書いてみた。
ほんとうに「それなりの」駄作であるにも関わらず
いつも読んでくれている方が「春の息吹を感じる、いい詩」と
思いがけないコメントを届けてくれたのだった。
よほど偏屈な性格なのだろう。素直に喜ぶことが出来ない。
それよりも後ろめたい気持ちでいっぱいになってしまった。
言葉までもあがきもがいてなんとも見苦しくてならない。
私は恥知らずなのだ。それなのにどうして書き続けているのだろう。
気分転換も兼ねて夫とラーメンを食べに行っていた。
隣町までほんの30分ほどのドライブ。
国道沿いでは野焼きが行われており空は春霞のようだった。
つかの間のことであったがささやかな春の風物詩である。
禁煙、いや正しくは休煙を始めてから食欲が旺盛となり
体重が少しずつリバウンドしている。
今夜は60キロ近くになっており焦らずにはいられなかった。
我慢の上にまた我慢を重ねなければいけない。
やはり子豚には餌を与えてはいけないのである。
今日は全くストレスを感じない一日だった。
おまけに大好きなラーメンを食べられてなんと幸せだったことか。
まるで子豚がワルツを踊っているような気分であった。
一切我慢をしなくても良い人生など在り得ないけれど
時々は「ご褒美」のような出来事が在ると良いなと思う。
たとえば明日の朝のラッキーストライクだったり
それが今の一番の難題だと云うのに何を期待しているのか。
愚かで馬鹿としか思えない自分を阻止出来ずにいるようだ。
この日記もついに子豚シリーズとなりもう引き返せなくなった。
禁煙が完全に果たせるまで延々と続くのかもしれない。
「まだ止められないのか」「いいかげんにしろ」そんな声も聞こえる。
けれども私はこれからもありのままを記して行こうと思っている。
野にひとつ緑を置いて語り合う頷きながら春が立つ頃
やっときみに会えたようだ
艶やかな若き緑に心惹かれ
私は雀色の上着を脱いだ
きみに訊ねたいことがある
けれども今は何も訊かない
ただきみの声を聴きながら
春を感じていたいとおもう
緑の吐息に包まれながら
私もやがて春になるだろう

「立春」に想いを寄せながら書いてみたけれど
どうなのだろう。自分では全く良し悪しが分からない。
「悪し」と言ってもらったほうが気が楽になるようにも思う。
元々大した人間ではない。もちろん詩人でもないのだから。
今日は仕事を休ませてもらった。
カーブスを終えてから出勤することも出来たがそんな気になれない。
せめて週末だけでも煙草の束縛から逃れたくてたまらない。
なんと不思議な一日であった。
全く煙草を吸いたいと思わないのである。
そうしてそんな気持ちが心地よくてならないのだった。
「あれば吸いたい」「無ければ吸わなくてもよい」
そんな法則があるのか定かではないけれど
とにかく気分がとても楽になり落ち着いて居られたのだった。
三日では足らない。一週間は必要ではないかと思う。
そうすればきっと完全に禁煙が叶うのではないだろうか。
モンダイは月曜日だ。あっても吸わない強い意志が欲しい。
それが目下の最大の課題である。自分との闘いなのである。
禁煙を決意してからもう20日も経ってしまったようだ。
最初はこれほどの苦しみがあるとは思ってもいなかった。
まさか自分で墓穴を掘るようなことをするなんて。
かと言って自分を責めても何も変わらない。
自己嫌悪に陥りよけいに苦しくなるだけだろう。
煙草を買わなければいけないのが一番のストレスだった。
幸いと言って良いのかそのストレスからは解き放たれている。
毎日の買物が楽しい。ちょっと奮発することも出来る。
もう二度と買うもんか。それだけは感心する程に意志が強い。
それなのになぜ吸い続けようとするのだろう。
自分の心理状態が全く理解出来ない。不可解でならないのだった。
このままでは長期戦となり子豚は育ち続けるだろう。
やがては殺され精肉売り場で半額シールを貼られる運命かもしれない。
負けるな子豚。嘆くな子豚。きっときっと奇跡はある。
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