ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年02月08日(水) 子豚の未練

抱き寄せているのは心誰よりも私のことを知っているから


独りぼっちにはさせない

たとえ突き放されて

途方に暮れていたとしても



私以外の誰に守れるだろうか


心は傷つきやすく

弱くて脆いけれど


嘆いてしまうその前に

抱き寄せてやりたいのだ


いちばん知っているのは私


もう離しはしない





今朝はすんなりと書けたがなんだかアホみたいな詩になった。

「独りぼっちにはさせない」とか「もう離しはしない」とか

男と女じゃあるまいしいったい何を考えていたのだろうか。

ほんとにくだらない。アホは死ぬまで直らないらしいが

許されるならばあと20年は生きていたいと思っている。



今日は3月並みの気温となりぽかぽかと暖かだった。

三寒四温を繰り返しながら季節は移り変わって行くのだろう。

県内のとある町では福寿草が満開になっているそうだ。

春は確実に近づいている。希望を持って待っていようと思っている。



希望のないのは例の子豚でそろそろ潮時かもしれない。

今日は真面目に行く末を考えていたがいつまでもずるずると

子豚の日々を書き続ける訳にはいかないだろうと思った。

おそらくいつかは完全に禁煙を達成出来るだろうけれど

半年いや一年は掛かるかもしれない。とにかく今のままでは駄目なのだ。


20年、10年とこの日記を読み続けていてくれる方に申し訳ない。

どれほどのイメージダウンだったか考えざるを得なかった。

喫煙者に嫌悪感を持っている方も大勢いるのではないだろうか。

それを覚悟でここ数日ずっと書き続けて来たのだった。


「さらば子豚」今夜の日記をそう名付けて終わりにしようと思っていた。

けれどもこの「未練」はいったい何処から生まれてくるのだろう。


私の中では何も終わってなどいないのだと思う。







2023年02月07日(火) 子豚の木登り

静かに雨が降っているようだ


書きたくてたまらないのに

何も書けず悶々としている



心の鍵が錆びついてしまったのか

鍵穴を塞いでいるのはなんだろう



いつだって私は手探りだった

確かなことは今もわからない


ただ生きているらしく

息ばかり宙を彷徨っている


諦めてなどいない

必ず夜は明ける





今朝も書けず悶々とするばかり。

苦し紛れに詩のようなものを書いていた。

ある有名な詩人さんが「書けない時には書けないことを書けばいい」と

いつだったかSNSで発信していたことを思い出していた。

誰にだってスランプはあるだろう。もう駄目だと諦めないことだ。

確かなことが分からなくても手探りで進んでいくしかない。



禁煙日記を書き始めてもう何日目なのだろうか。

思いがけないことにアクセス数が増えて驚いている。

どうしてこんなものがと戸惑いつつもとても励みになっている。

投票ボタンを押してくれる方も多くなったようで

今週のランキングが2位となりまるで夢のようであった。

私はひたすら自分の恥を晒しているのだけれど

共感に値するものがあるのだろうかと不思議でならない。

これはまさに「豚もおだてりゃ木に登る」ではないだろうか。

まあそのうち真っ逆さまに木から落ちるだろうけれど

もうしばらく登らせておいてくれたら有難いと思っている。



以前からこの日記を読んでくれている方からコメントを頂いた。

このままでは禁煙は無理。それよりも堂々と吸って負け豚になれと。

思わず笑ってしまったがこれこそが真実のようにも思える。


私は必死で闘っているつもりであるが、もうすでに負けている。

今日もよく憶えてはいないが5本くらい吸ったような気がする。

だんだんと大胆になって来て同僚に「くれ!」と言う始末である。

同僚はお給料で「煙草手当」を支給して欲しいとほざいていた。

それも考えないわけではない。会社の金庫は私が握っているのだから。


私は責められる立場であるが今のところ誰も責めてはくれない。

ぬくぬくと甘やかされていい気になっているような気もする。


それならばもっと自分を責めるべきだけれど

それも精神衛生的に芳しくはないことだと思っている。


所詮愚かな豚である。木に登っても煙草を吸い続けている。


早く木から落ちてしまえと思うがこれがなかなかにしぶとい。



2023年02月06日(月) 子豚は生きる

今朝は何も書けず苦しくてたまらなかった。

毎朝のことなので「休もう」とすぐに決めることが出来ない。

しばらく悶々としていたがやっと決心すると嘘のように楽になった。

書かなければいけないのではないのだ。

書きたいと云う気持ちさえあればどんな駄文であっても書けるのだと思う。

この日記もそう。書きたくてたまらなくて毎晩書いている。


昔ある人に「毎日よく書くことがありますね」と言われたことがあるが

生きてさえいれば日記は書ける。どんなに平凡な一日だったとしてもだ。





禁煙パイポを吸いながらこれを記しているが

これはどうも禁煙には効果が無さそうに思えて来た。

「吸う」と云う行為がそのまま煙草への欲求へと繋がる気がする。

「ヤメルンジャー」ではなく「ヤメレンノジャー」となってしまう。

とにかく何かを吸っていなければ落ち着かないのは弊害だと思う。

家では禁煙が出来ていると偉そうなことを言っているが

ただ我慢しているだけなのではないだろうか。

完全禁煙を目指すためにはまず禁煙パイポを止めるべきだろう。



職場では相変わらずで今日もずるずると吸ってしまった。

始業前の同僚との連れモクはもうすでに日課になっている。

「置き引き」の罪を犯さないよう一本与えてくれるのだった。

一本が二本になり今日は五本だったろうか。よく憶えていない。


同僚曰く、貢いでいるのでも恵んでいるのでもないのだそうだ。

「たかられている」とあくまでも笑いながら言うのであった。


ついに私もそんな悪どい人間になってしまったらしい。

このままでは人の道を踏み外してしまうかもしれない。

明日こそは真っ当な人間になろうと思うだけは思っている。


「ふざけやがって」何処からかそんな声も聞こえてくるが

子豚は決してふざけている訳ではない。

もがき苦しみながらなんとかして現状を突破しようとしている。


墓穴を掘り続けているがそのうちきっと這い上がって見せよう。



2023年02月05日(日) 子豚のワルツ

たとえ名のみの春だとしても

気づくことは出来るだろう



柔らかな土に埋もれた球根が

ちいさな芽を出したこと


空を仰げば優しい陽射しが

天使のように降り注いで来る



いつまでも冬ではいられない

私は南からの風を待っている


息はあたたかくなり

生きて在ることを確かにした


いのちはもう春だ





今朝は短歌が書けず苦し紛れに詩のようなものを書いてみた。

ほんとうに「それなりの」駄作であるにも関わらず

いつも読んでくれている方が「春の息吹を感じる、いい詩」と

思いがけないコメントを届けてくれたのだった。

よほど偏屈な性格なのだろう。素直に喜ぶことが出来ない。

それよりも後ろめたい気持ちでいっぱいになってしまった。

言葉までもあがきもがいてなんとも見苦しくてならない。

私は恥知らずなのだ。それなのにどうして書き続けているのだろう。



気分転換も兼ねて夫とラーメンを食べに行っていた。

隣町までほんの30分ほどのドライブ。

国道沿いでは野焼きが行われており空は春霞のようだった。

つかの間のことであったがささやかな春の風物詩である。


禁煙、いや正しくは休煙を始めてから食欲が旺盛となり

体重が少しずつリバウンドしている。

今夜は60キロ近くになっており焦らずにはいられなかった。

我慢の上にまた我慢を重ねなければいけない。

やはり子豚には餌を与えてはいけないのである。


今日は全くストレスを感じない一日だった。

おまけに大好きなラーメンを食べられてなんと幸せだったことか。

まるで子豚がワルツを踊っているような気分であった。


一切我慢をしなくても良い人生など在り得ないけれど

時々は「ご褒美」のような出来事が在ると良いなと思う。

たとえば明日の朝のラッキーストライクだったり

それが今の一番の難題だと云うのに何を期待しているのか。

愚かで馬鹿としか思えない自分を阻止出来ずにいるようだ。


この日記もついに子豚シリーズとなりもう引き返せなくなった。

禁煙が完全に果たせるまで延々と続くのかもしれない。


「まだ止められないのか」「いいかげんにしろ」そんな声も聞こえる。


けれども私はこれからもありのままを記して行こうと思っている。







2023年02月04日(土) 不思議な子豚

野にひとつ緑を置いて語り合う頷きながら春が立つ頃


やっときみに会えたようだ

艶やかな若き緑に心惹かれ

私は雀色の上着を脱いだ



きみに訊ねたいことがある

けれども今は何も訊かない


ただきみの声を聴きながら

春を感じていたいとおもう



緑の吐息に包まれながら

私もやがて春になるだろう





「立春」に想いを寄せながら書いてみたけれど

どうなのだろう。自分では全く良し悪しが分からない。

「悪し」と言ってもらったほうが気が楽になるようにも思う。

元々大した人間ではない。もちろん詩人でもないのだから。




今日は仕事を休ませてもらった。

カーブスを終えてから出勤することも出来たがそんな気になれない。

せめて週末だけでも煙草の束縛から逃れたくてたまらない。


なんと不思議な一日であった。

全く煙草を吸いたいと思わないのである。

そうしてそんな気持ちが心地よくてならないのだった。

「あれば吸いたい」「無ければ吸わなくてもよい」

そんな法則があるのか定かではないけれど

とにかく気分がとても楽になり落ち着いて居られたのだった。


三日では足らない。一週間は必要ではないかと思う。

そうすればきっと完全に禁煙が叶うのではないだろうか。


モンダイは月曜日だ。あっても吸わない強い意志が欲しい。

それが目下の最大の課題である。自分との闘いなのである。


禁煙を決意してからもう20日も経ってしまったようだ。

最初はこれほどの苦しみがあるとは思ってもいなかった。

まさか自分で墓穴を掘るようなことをするなんて。

かと言って自分を責めても何も変わらない。

自己嫌悪に陥りよけいに苦しくなるだけだろう。



煙草を買わなければいけないのが一番のストレスだった。

幸いと言って良いのかそのストレスからは解き放たれている。

毎日の買物が楽しい。ちょっと奮発することも出来る。

もう二度と買うもんか。それだけは感心する程に意志が強い。

それなのになぜ吸い続けようとするのだろう。

自分の心理状態が全く理解出来ない。不可解でならないのだった。



このままでは長期戦となり子豚は育ち続けるだろう。

やがては殺され精肉売り場で半額シールを貼られる運命かもしれない。


負けるな子豚。嘆くな子豚。きっときっと奇跡はある。





2023年02月03日(金) 子豚の狂気

生きている満たされているはずなのに足りない息を数え続ける


ひとつふたつみっつ

息は何処から生まれるのか


それはまるで奇跡のように

命の在りかを教えてくれる



足りないことなどありはしない

それなのに何を求めているのか


私は夜明けを待ちながら

指を折りつつ数えている


その指が足りない





理解不能な詩。いったい何を伝えたいのだろう。

苦し紛れに書いたことが見え見えの詩である。

自信が無いのはまだ許せるがそれを公表する度胸がよくあったものだ。

私という人間はもうすでに落ちるところまで落ちているようだ。

這い上がれるかどうかはこれから生きてみないと分からない。




ついに狂気の沙汰。仕事は殆ど手に付かず狼狽えるばかり。

10分と机に向かっていられない。何度も何度も喫煙所へ向かう。

昨日残して置いた一本があったが後はもう無かった。

灰皿に手を突っ込み少しでも長い吸殻を探す。

恥も外聞も無かった。藁にも縋るような気持なのである。


見かねた同僚が憐れに思ったのか午後から3本置いてくれた。

恵んでくれたのではない。あくまでも置いていただけなのだ。

そうしてそれに私が手を出すと「現行犯で逮捕するぞ」と言う。

もちろん笑いながらのことだけれど私はまた罪を犯すのだった。

まるで煙草ネタの漫才をしているようで愉快ではあったが

私は我が身の情けなさに精神状態が尋常ではないことに気づく。

とにかく制御出来ないのだ。我慢することが一切出来ない。

家では完全に禁煙出来ている。その反動が職場で表れているのだろう。

自分の心理状態を知りたくてならない。分析してみたいと思う。

こういうのは「行動心理学?」よく分からないけれど今すぐ学びたい。

そうして自分をコントロール出来るようになりたいと思っている。


我慢出来ないのはしょうがない人間だもの。

みつをさんもそんなことは言ってくれなかった。


子豚にも言ってくれないのだろうか。

狂ってもいい子豚だものと。



2023年02月02日(木) 子豚の犯罪

ほんとうのことなど誰に分かるのか手探りのまま我が道をいく


信じていても心細くなる

不確かな迷路のような道



私にもあるらしい希望が

遠い処で輝いているけれど

相応しくないかもしれないと

臆病になってしまうのだった



行ってみないとわからない

触れてみないとわからない


もう踏み出している





いつも読んで下さっている方から「凄い良い」とコメントを頂く。

自分では全く自信が無いものだからあまり実感が湧かない。

まして褒められることに慣れていないから当然だろう。

そう云われればそうなのかなと漠然と思ったりしていた。

認められたい欲にずっと振り回されている。

いったい何様のつもりだろうと思う時がよくある。



寒さが和らいだ朝、職場に向かいながら自問自答をしていた。

煙草を吸いたいのか?吸いたくないのか?

それが即答出来ない。なんと情けないことだろう。


仕事を始める前にまた喫煙所へ行く。

同僚が煙草を吸っていて一本だけ分けてくれた。

二人で膝を突き合わせるようにして「連れモク」をする。

「連れション」があるのだから「連れモク」もあるのだろう。

正しい日本語とは思えないがここではそう記すことにした。


「もうこれっきりやけんね」と同僚が言った。

それはもう今日からのノルマが無くなったことを意味する。

やっと解放される時が来たのだと嬉しいような寂しいような。

同時になんだか崖っぷちから突き落とされたような気がした。


その後仕事に全く集中できない。

苛々ではなくそわそわとどうしても落ち着くことが出来なくなった。

その度に喫煙所へ行き溜息を付きながらシケモクを拾った。

短い吸殻ばかりでどうすることも出来ないのである。

そうして気が狂ってしまいそうな焦燥感に襲われていたようだ。


午後思いがけないことがあった。

もうこれっきりだと言っていた同僚が3本の煙草を置いてくれていた。

それはもうノルマではないのだと言う。

ただいつもの場所に置いてあるだけで私のためではないらしい。


勝手に吸ったら「置き引き」だと言う。

「立派な窃盗罪になるけんね」と笑いながら言うのであった。

私がそんな脅しに乗るとでも思っているのだろうか。

ここまで追い詰められて怯むような私ではあるまい。


1本盗めば2本も同じことだった。ええいやっちまえ。


同僚は被害届を出すと笑いながら言う。

笑ってはいけないのだ。もっと真剣に罪を責めなければいけない。


子豚には不思議と罪悪感が無かった。

明日も罪を重ねるのであろうか。もう引き返せないのだと思う。


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