ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年02月03日(金) 子豚の狂気

生きている満たされているはずなのに足りない息を数え続ける


ひとつふたつみっつ

息は何処から生まれるのか


それはまるで奇跡のように

命の在りかを教えてくれる



足りないことなどありはしない

それなのに何を求めているのか


私は夜明けを待ちながら

指を折りつつ数えている


その指が足りない





理解不能な詩。いったい何を伝えたいのだろう。

苦し紛れに書いたことが見え見えの詩である。

自信が無いのはまだ許せるがそれを公表する度胸がよくあったものだ。

私という人間はもうすでに落ちるところまで落ちているようだ。

這い上がれるかどうかはこれから生きてみないと分からない。




ついに狂気の沙汰。仕事は殆ど手に付かず狼狽えるばかり。

10分と机に向かっていられない。何度も何度も喫煙所へ向かう。

昨日残して置いた一本があったが後はもう無かった。

灰皿に手を突っ込み少しでも長い吸殻を探す。

恥も外聞も無かった。藁にも縋るような気持なのである。


見かねた同僚が憐れに思ったのか午後から3本置いてくれた。

恵んでくれたのではない。あくまでも置いていただけなのだ。

そうしてそれに私が手を出すと「現行犯で逮捕するぞ」と言う。

もちろん笑いながらのことだけれど私はまた罪を犯すのだった。

まるで煙草ネタの漫才をしているようで愉快ではあったが

私は我が身の情けなさに精神状態が尋常ではないことに気づく。

とにかく制御出来ないのだ。我慢することが一切出来ない。

家では完全に禁煙出来ている。その反動が職場で表れているのだろう。

自分の心理状態を知りたくてならない。分析してみたいと思う。

こういうのは「行動心理学?」よく分からないけれど今すぐ学びたい。

そうして自分をコントロール出来るようになりたいと思っている。


我慢出来ないのはしょうがない人間だもの。

みつをさんもそんなことは言ってくれなかった。


子豚にも言ってくれないのだろうか。

狂ってもいい子豚だものと。



2023年02月02日(木) 子豚の犯罪

ほんとうのことなど誰に分かるのか手探りのまま我が道をいく


信じていても心細くなる

不確かな迷路のような道



私にもあるらしい希望が

遠い処で輝いているけれど

相応しくないかもしれないと

臆病になってしまうのだった



行ってみないとわからない

触れてみないとわからない


もう踏み出している





いつも読んで下さっている方から「凄い良い」とコメントを頂く。

自分では全く自信が無いものだからあまり実感が湧かない。

まして褒められることに慣れていないから当然だろう。

そう云われればそうなのかなと漠然と思ったりしていた。

認められたい欲にずっと振り回されている。

いったい何様のつもりだろうと思う時がよくある。



寒さが和らいだ朝、職場に向かいながら自問自答をしていた。

煙草を吸いたいのか?吸いたくないのか?

それが即答出来ない。なんと情けないことだろう。


仕事を始める前にまた喫煙所へ行く。

同僚が煙草を吸っていて一本だけ分けてくれた。

二人で膝を突き合わせるようにして「連れモク」をする。

「連れション」があるのだから「連れモク」もあるのだろう。

正しい日本語とは思えないがここではそう記すことにした。


「もうこれっきりやけんね」と同僚が言った。

それはもう今日からのノルマが無くなったことを意味する。

やっと解放される時が来たのだと嬉しいような寂しいような。

同時になんだか崖っぷちから突き落とされたような気がした。


その後仕事に全く集中できない。

苛々ではなくそわそわとどうしても落ち着くことが出来なくなった。

その度に喫煙所へ行き溜息を付きながらシケモクを拾った。

短い吸殻ばかりでどうすることも出来ないのである。

そうして気が狂ってしまいそうな焦燥感に襲われていたようだ。


午後思いがけないことがあった。

もうこれっきりだと言っていた同僚が3本の煙草を置いてくれていた。

それはもうノルマではないのだと言う。

ただいつもの場所に置いてあるだけで私のためではないらしい。


勝手に吸ったら「置き引き」だと言う。

「立派な窃盗罪になるけんね」と笑いながら言うのであった。

私がそんな脅しに乗るとでも思っているのだろうか。

ここまで追い詰められて怯むような私ではあるまい。


1本盗めば2本も同じことだった。ええいやっちまえ。


同僚は被害届を出すと笑いながら言う。

笑ってはいけないのだ。もっと真剣に罪を責めなければいけない。


子豚には不思議と罪悪感が無かった。

明日も罪を重ねるのであろうか。もう引き返せないのだと思う。



2023年02月01日(水) 子豚の意地

如月の扉を開けて佇めば冬と春とが肩を並べる


まだ真冬と胸を張りつつ

きみは誇らしげな顔をして

冷たい息を風にまかせた



私のもとには便りが届く

春はすぐ近くにいて

南からの風を待っている


きみと肩を並べて空を仰ぐ

まるで背比べしているよう


きみの微笑みに負けないくらい

春も微笑んでいる





ひどい駄作。よくもまあこんなものをSNSで発信したものだ。

まったく呆れてものも言えない。

ああ駄目だ駄目だ。それでもまだ書き続けるつもりなのだろうか。

私はいったい自分に何を課しているのだろうと思う。

ただ書きたい気持ちだけでここまで辿り着いて来たのかもしれない。



今日から2月。予報では春のような暖かさになると聞いていたが

気温は上がらず寒い一日となった。おまけに午後からは小雨が降る。

立春を目前にして気が浮き立っていたせいかいささかショックなり。


ショックなのはそればかりではない。

また煙草の話になってしまうが日記なので許して頂きたい。

その日のことをありのままに記さねばならないのだ。


今日のノルマは3本だと信じていたけれどそうではなかった。

同僚はもしかしたら私の禁煙を阻止しようと企んでいるのではないか。

そんな疑惑でいっぱいになってしまった。

美しい姉弟愛は幻だったのだろうか。私はまた追い詰められる。


悔しくてならず午前中に4本のノルマを達成した。

もうこれで吸わなくても良いのだと思うとなんとも清々しい。

それなのに午後になるとなんと一箱も置いてあるではないか。

箱の中には一本だけラッキーストライクが入っていた。

他の煙草はいつも同僚が吸っている銘柄であった。

これはどういう意味かとしばし考える。

午後からのノルマだろうかと自分なりに結論を出したのだった。


そもそもどうして喫煙所に行くのかと疑問に思うかもしれない。

吸わないのなら行く必要がないことは当然のことである。

私にもどうしてなのかよく分からないけれど

ふらりとついつい足が向いてしまうのだった。

まるで夢遊病者のようである。


喫煙所と言っても工場の隅にベンチと灰皿が置いてあるだけなのだ。

扉が在る訳でもなくいつでも気軽に行ける利点がある。

私はこれまでずっと長いこと一本の煙草を5分かけて吸っていた。

つまりそれだけ仕事をサボっていたことになる。

そんなことが許されて良いのだろうかと今になって思うのだった。


もうよそう。本当にお終いにしようと今日は思った。


同僚は明日もきっとノルマを与えてくれるだろう。

私はなんとしてもそれを阻止しなければならない。


子豚にも意地がある。負けるわけにはいかないのだ。



2023年01月31日(火) 子豚のノルマ

冷たさはあとどのくらい訊く空に星を散りばめ暖をとる夜


睦月も晦日

もう少しで春が立つ


冬の背に息を吹きかけ

別れ道まで見送っていく



空はその冷たさに深く

拘っているけれど


星に何の罪があるのだろう


私は手をかざしている

指先に宿るささやかな春があった





いつも読んで下さっている方から「素敵な詩ですね」と言ってもらった。

いったい何処が素敵なのか私には全く理解できない。

そもそも「素敵」という言葉があまり好きではないので戸惑う。

でも感想などめったにもらうことはないので素直に喜ぶべきだろう。

まあそれなりに書けたのだと思う。「上等じゃないか!」



職場に向かいながら清々しい気持ちが込み上げて来た。

今日からもう煙草を吸わなくても良いのだと思うと嬉しくてならない。

それはとても矛盾しているかもしれない。

どう説明すれば良いのだろううまく言葉に出来ないけれど。

とにかく完全に煙草を断つことで生まれ変われる気がしていた。


同僚が出勤して来て「まさかね」と一瞬思う。

よせば良いのに喫煙所まで確かめに行っていた。

もちろん煙草を置いていないことを確かめるためである。


そうしたら何と云うことでしょう。

いつもの場所に3本の煙草が置いてあるではないか。

あんなに約束したのにどうして守ってくれないのだろう。

ちょっと怒りがこみあげて来てしまった。

そうかと思えばほくそ笑んでいる。「しめしめ」と思ったのか。

そうだとするとあまりの情けなさに自分に腹が立ってくる。


冷静になり考える。今日は3本がノルマなのだ。

明日は2本になるだろう。明後日は1本になり明々後日こそがゼロだ。

同僚はそうしながら私を禁煙に導こうとしているのに違いない。

ずっと弟のように思っていたが、なんと素晴らしい姉弟愛だろう。

その愛になんとしても応えなければいけない。


鬱々と自己嫌悪に陥ってしまいそうだったが気分が楽になった。

もう煙草に振り回される人生は御免だと思っている。

「やってやろうじゃないか」子豚の心は明日に向かっている。





2023年01月30日(月) 子豚の覚悟

空白に記す言葉が見つからず息ばかり在る私の窓辺


窓の外はしんしんと冬

その冷たさに触れながら

吐く息を確かめている



何を書けばいいのだろう

途方に暮れているけれど

まだ見失ってはいない



生きてさえいればと思う

命あってこその息だろう


空白を怖れはしない

それはきっと私の糧になる






やはりまともではないような気がするのだけれど

本当のところはどうなのだろう?

駄目なら駄目とはっきり言って欲しいが誰も言ってくれない。

だからこそ自分を信じなければいけないのだろう。

書くことに臆病になっている。それでも書かずにいられないのだ。



職場へと向かいながらとても複雑な気持ちになった。

二日我慢が出来たのだ。今日も我慢してみよう。

いくら目の前にあっても絶対に吸ってはならない。

禁煙には「3」が要なのだそうだ。3日、30日、3年と。

とにかく最初の3日を乗り越えたら禁断症状も楽になるらしい。


私の禁断症状が長引いているのは自業自得である。

シケモクを吸ったりと悪い行いをしているのだから当然の報いだろう。

苦しい苦しいと言いながら自分で墓穴を掘っている愚か者だった。



職場に着くなり喫煙所へ行ったら同僚がまた煙草を置いてある。

今日も5本。それが一日の配給なのだろう。

後ろめたさと罪悪感に駆られながらもつい火を点けてしまった。

誰も私を叱らない。殴ってくれれば良いのにとさえ思う。

これではいつまでたっても禁煙など出来るはずはなかった。


とうとう同僚に協力を頼んだ。明日からは一本も置かないと言う。

その言葉を信じるしかない。私も自分を試したくてならないのだ。



二人で煙草をふかしながら同僚が面白いことを言い出した。

シケモクを集めてほぐし紙巻煙草を作れば良いと言うのだった。

まるで戦時中の事のようであれは確か辞書の紙が最適だったはず。

もちろん冗談だったけれど考えたら愉快でならず笑いが止まらない。

「そこまでして吸うのか」と「馬鹿じゃないか」と言い合った。


話のついでに同僚にも禁煙を勧めたがすぐには無理だと言う。

なんでもカートン買いをしているそうでまだ沢山あるのだそうだ。

「私が手伝ってあげるから」とは言えなかった。


明日から3日間が勝負である。子豚ちゃんは断食をする覚悟なのだ。




2023年01月29日(日) 子豚の運命

今朝はとうとう集中力が全く無くなり何も書けなかった。

昨日までは書けていたので禁煙のせいではないと思うのだけれど

性格がひねくれているのでついつい煙草のせいにしてしまうのだった。

煙草さえ吸えれば書けるのにと思う。なんと意地汚い性格だろうか。


我慢がどんどんストレスになっていく。

灰皿をかき回して吸い終えたシケモクに再び火を点けようとするが

あまりの短さに指先を火傷してしまった。馬鹿としか思えない。

それでも懲りずに少しでも長いシケモクを探そうとするのだった。


禁煙戦隊の「ヤメルンジャー」は期待外れだったようだ。

ミントの香りがすぐにしなくなりただのプラスチックの棒となる。

それでも諦めずに吸い続けていたら口が疲れて来るのである。

「こんなもん、こんなもん」と最後には腹が立ってくる。

もう救いようがない有り様で途方に暮れるばかりであった。


それでも煙草の事を考えない時間がずいぶんと多くなった気がする。

すっかり諦めてしまっているのだ。これはささやかな進歩だと思う。

いつまでも未練がましく終わった恋に縋りつくタイプではない。


モンダイは明日からだ。同僚はまだ貢ぎ続けるつもりだろうか。

私に餌を与え続けるのだろうか。私は憐れな子豚ちゃんなのか。


餌を欲しがっている自分と決して食べたくないと思う自分。

理性と云うものがあるのだろうかと自分を疑いたくもなる。


はてさて子豚の運命はこの先どうなることだろうか。



2023年01月28日(土) 名無し草の戯言

冬枯れた野にささやかな春として若き緑の匂い立つ頃


あたり一面の雀色

どれほど踏まれて

耐えて来たことか



草として生きている

名は確かにあるけれど

誰にも呼ばれたことがない



けれども嘆くことをせず

緑の胸を張り続けて来た


ささやかな春である


きっと救われる日が来るだろう


生きて生きて





少しまともなものが書けたような気がするのだけれど

どうなのだろう?やはり駄目なのだろうか。

所詮私は名無し草だ。踏まれ続ける運命なのかもしれない。



苛々感はないがどうにも落ち着かずそわそわしている。

集中力が無いのを煙草のせいにするのは卑怯だろう。

馬鹿野郎バカヤロウと呟きながらこれを記している。

いったい私はどうなってしまうのだろうと不安でもある。

犬や猫が餌を欲しがるのとは違うのだ。分かっているけれど

土地の方言で「かつえど」という言葉がある。

漢字にすると「飢え奴」になるのだろうと思うのだけれど

まさに今の私に相応しい言葉ではないだろうか。

餓えているのである。煙草が吸いたくてたまらないらしい。

「らしい」と表現したのは意に反しているからである。

吸いたくない私が確かに居るのだ。それは強くて逞しい。

両者が互いに闘っているのが分かる。どちらかが必ず勝つだろう。


書きながら酷く支離滅裂として来て収拾がつかなくなった。

以前のように穏やかな日記が書けないことが口惜しくてならない。


元々が「ゆらゆら日記」である。

それも21年目となったが今が一番揺れているような気がする。


どのような私になろうと見捨てるつもりはないが

この苦しさをどうすれば良いのだろうか。




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