ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年02月01日(水) 子豚の意地

如月の扉を開けて佇めば冬と春とが肩を並べる


まだ真冬と胸を張りつつ

きみは誇らしげな顔をして

冷たい息を風にまかせた



私のもとには便りが届く

春はすぐ近くにいて

南からの風を待っている


きみと肩を並べて空を仰ぐ

まるで背比べしているよう


きみの微笑みに負けないくらい

春も微笑んでいる





ひどい駄作。よくもまあこんなものをSNSで発信したものだ。

まったく呆れてものも言えない。

ああ駄目だ駄目だ。それでもまだ書き続けるつもりなのだろうか。

私はいったい自分に何を課しているのだろうと思う。

ただ書きたい気持ちだけでここまで辿り着いて来たのかもしれない。



今日から2月。予報では春のような暖かさになると聞いていたが

気温は上がらず寒い一日となった。おまけに午後からは小雨が降る。

立春を目前にして気が浮き立っていたせいかいささかショックなり。


ショックなのはそればかりではない。

また煙草の話になってしまうが日記なので許して頂きたい。

その日のことをありのままに記さねばならないのだ。


今日のノルマは3本だと信じていたけれどそうではなかった。

同僚はもしかしたら私の禁煙を阻止しようと企んでいるのではないか。

そんな疑惑でいっぱいになってしまった。

美しい姉弟愛は幻だったのだろうか。私はまた追い詰められる。


悔しくてならず午前中に4本のノルマを達成した。

もうこれで吸わなくても良いのだと思うとなんとも清々しい。

それなのに午後になるとなんと一箱も置いてあるではないか。

箱の中には一本だけラッキーストライクが入っていた。

他の煙草はいつも同僚が吸っている銘柄であった。

これはどういう意味かとしばし考える。

午後からのノルマだろうかと自分なりに結論を出したのだった。


そもそもどうして喫煙所に行くのかと疑問に思うかもしれない。

吸わないのなら行く必要がないことは当然のことである。

私にもどうしてなのかよく分からないけれど

ふらりとついつい足が向いてしまうのだった。

まるで夢遊病者のようである。


喫煙所と言っても工場の隅にベンチと灰皿が置いてあるだけなのだ。

扉が在る訳でもなくいつでも気軽に行ける利点がある。

私はこれまでずっと長いこと一本の煙草を5分かけて吸っていた。

つまりそれだけ仕事をサボっていたことになる。

そんなことが許されて良いのだろうかと今になって思うのだった。


もうよそう。本当にお終いにしようと今日は思った。


同僚は明日もきっとノルマを与えてくれるだろう。

私はなんとしてもそれを阻止しなければならない。


子豚にも意地がある。負けるわけにはいかないのだ。



2023年01月31日(火) 子豚のノルマ

冷たさはあとどのくらい訊く空に星を散りばめ暖をとる夜


睦月も晦日

もう少しで春が立つ


冬の背に息を吹きかけ

別れ道まで見送っていく



空はその冷たさに深く

拘っているけれど


星に何の罪があるのだろう


私は手をかざしている

指先に宿るささやかな春があった





いつも読んで下さっている方から「素敵な詩ですね」と言ってもらった。

いったい何処が素敵なのか私には全く理解できない。

そもそも「素敵」という言葉があまり好きではないので戸惑う。

でも感想などめったにもらうことはないので素直に喜ぶべきだろう。

まあそれなりに書けたのだと思う。「上等じゃないか!」



職場に向かいながら清々しい気持ちが込み上げて来た。

今日からもう煙草を吸わなくても良いのだと思うと嬉しくてならない。

それはとても矛盾しているかもしれない。

どう説明すれば良いのだろううまく言葉に出来ないけれど。

とにかく完全に煙草を断つことで生まれ変われる気がしていた。


同僚が出勤して来て「まさかね」と一瞬思う。

よせば良いのに喫煙所まで確かめに行っていた。

もちろん煙草を置いていないことを確かめるためである。


そうしたら何と云うことでしょう。

いつもの場所に3本の煙草が置いてあるではないか。

あんなに約束したのにどうして守ってくれないのだろう。

ちょっと怒りがこみあげて来てしまった。

そうかと思えばほくそ笑んでいる。「しめしめ」と思ったのか。

そうだとするとあまりの情けなさに自分に腹が立ってくる。


冷静になり考える。今日は3本がノルマなのだ。

明日は2本になるだろう。明後日は1本になり明々後日こそがゼロだ。

同僚はそうしながら私を禁煙に導こうとしているのに違いない。

ずっと弟のように思っていたが、なんと素晴らしい姉弟愛だろう。

その愛になんとしても応えなければいけない。


鬱々と自己嫌悪に陥ってしまいそうだったが気分が楽になった。

もう煙草に振り回される人生は御免だと思っている。

「やってやろうじゃないか」子豚の心は明日に向かっている。





2023年01月30日(月) 子豚の覚悟

空白に記す言葉が見つからず息ばかり在る私の窓辺


窓の外はしんしんと冬

その冷たさに触れながら

吐く息を確かめている



何を書けばいいのだろう

途方に暮れているけれど

まだ見失ってはいない



生きてさえいればと思う

命あってこその息だろう


空白を怖れはしない

それはきっと私の糧になる






やはりまともではないような気がするのだけれど

本当のところはどうなのだろう?

駄目なら駄目とはっきり言って欲しいが誰も言ってくれない。

だからこそ自分を信じなければいけないのだろう。

書くことに臆病になっている。それでも書かずにいられないのだ。



職場へと向かいながらとても複雑な気持ちになった。

二日我慢が出来たのだ。今日も我慢してみよう。

いくら目の前にあっても絶対に吸ってはならない。

禁煙には「3」が要なのだそうだ。3日、30日、3年と。

とにかく最初の3日を乗り越えたら禁断症状も楽になるらしい。


私の禁断症状が長引いているのは自業自得である。

シケモクを吸ったりと悪い行いをしているのだから当然の報いだろう。

苦しい苦しいと言いながら自分で墓穴を掘っている愚か者だった。



職場に着くなり喫煙所へ行ったら同僚がまた煙草を置いてある。

今日も5本。それが一日の配給なのだろう。

後ろめたさと罪悪感に駆られながらもつい火を点けてしまった。

誰も私を叱らない。殴ってくれれば良いのにとさえ思う。

これではいつまでたっても禁煙など出来るはずはなかった。


とうとう同僚に協力を頼んだ。明日からは一本も置かないと言う。

その言葉を信じるしかない。私も自分を試したくてならないのだ。



二人で煙草をふかしながら同僚が面白いことを言い出した。

シケモクを集めてほぐし紙巻煙草を作れば良いと言うのだった。

まるで戦時中の事のようであれは確か辞書の紙が最適だったはず。

もちろん冗談だったけれど考えたら愉快でならず笑いが止まらない。

「そこまでして吸うのか」と「馬鹿じゃないか」と言い合った。


話のついでに同僚にも禁煙を勧めたがすぐには無理だと言う。

なんでもカートン買いをしているそうでまだ沢山あるのだそうだ。

「私が手伝ってあげるから」とは言えなかった。


明日から3日間が勝負である。子豚ちゃんは断食をする覚悟なのだ。




2023年01月29日(日) 子豚の運命

今朝はとうとう集中力が全く無くなり何も書けなかった。

昨日までは書けていたので禁煙のせいではないと思うのだけれど

性格がひねくれているのでついつい煙草のせいにしてしまうのだった。

煙草さえ吸えれば書けるのにと思う。なんと意地汚い性格だろうか。


我慢がどんどんストレスになっていく。

灰皿をかき回して吸い終えたシケモクに再び火を点けようとするが

あまりの短さに指先を火傷してしまった。馬鹿としか思えない。

それでも懲りずに少しでも長いシケモクを探そうとするのだった。


禁煙戦隊の「ヤメルンジャー」は期待外れだったようだ。

ミントの香りがすぐにしなくなりただのプラスチックの棒となる。

それでも諦めずに吸い続けていたら口が疲れて来るのである。

「こんなもん、こんなもん」と最後には腹が立ってくる。

もう救いようがない有り様で途方に暮れるばかりであった。


それでも煙草の事を考えない時間がずいぶんと多くなった気がする。

すっかり諦めてしまっているのだ。これはささやかな進歩だと思う。

いつまでも未練がましく終わった恋に縋りつくタイプではない。


モンダイは明日からだ。同僚はまだ貢ぎ続けるつもりだろうか。

私に餌を与え続けるのだろうか。私は憐れな子豚ちゃんなのか。


餌を欲しがっている自分と決して食べたくないと思う自分。

理性と云うものがあるのだろうかと自分を疑いたくもなる。


はてさて子豚の運命はこの先どうなることだろうか。



2023年01月28日(土) 名無し草の戯言

冬枯れた野にささやかな春として若き緑の匂い立つ頃


あたり一面の雀色

どれほど踏まれて

耐えて来たことか



草として生きている

名は確かにあるけれど

誰にも呼ばれたことがない



けれども嘆くことをせず

緑の胸を張り続けて来た


ささやかな春である


きっと救われる日が来るだろう


生きて生きて





少しまともなものが書けたような気がするのだけれど

どうなのだろう?やはり駄目なのだろうか。

所詮私は名無し草だ。踏まれ続ける運命なのかもしれない。



苛々感はないがどうにも落ち着かずそわそわしている。

集中力が無いのを煙草のせいにするのは卑怯だろう。

馬鹿野郎バカヤロウと呟きながらこれを記している。

いったい私はどうなってしまうのだろうと不安でもある。

犬や猫が餌を欲しがるのとは違うのだ。分かっているけれど

土地の方言で「かつえど」という言葉がある。

漢字にすると「飢え奴」になるのだろうと思うのだけれど

まさに今の私に相応しい言葉ではないだろうか。

餓えているのである。煙草が吸いたくてたまらないらしい。

「らしい」と表現したのは意に反しているからである。

吸いたくない私が確かに居るのだ。それは強くて逞しい。

両者が互いに闘っているのが分かる。どちらかが必ず勝つだろう。


書きながら酷く支離滅裂として来て収拾がつかなくなった。

以前のように穏やかな日記が書けないことが口惜しくてならない。


元々が「ゆらゆら日記」である。

それも21年目となったが今が一番揺れているような気がする。


どのような私になろうと見捨てるつもりはないが

この苦しさをどうすれば良いのだろうか。





2023年01月27日(金) 同僚が貢君になった

知らぬ間に蕾ふくらみ春の音耳を澄まして聴く独り言


ひっそりと静かに佇む

本当は見つけて欲しい



決して独りではないけれど

独りになりたがっている



春と呼ばれたいのだろう

それほどにまで誇らしく

満ち足りているのだった


呟けば届くだろうか

どうか耳を澄ましてください


私の声は春の音です






よほどプライドが高いのだろう。

それとも己惚れているのだろうか。

自分の声が春の音などどよく云えたものだと思う。

いい年をして何をほざいているのやら。馬鹿じゃないのか。


書いている時には心地よくてならない。

けれどもこうして夜になって読むと酷く愚かに見える。

もしかしたらこれは自慰行為なのかもしれない。

私は恥ずかしくないのだろうか。




同僚がとうとう「貢君」になってしまった。

今日は5本も煙草を貢いでくれた。

こんな関係は一刻も早く絶たなければいけないと思う。

家では吸えないが職場だと吸える。それって何かが間違っている。

そもそも私はもう吸いたくなかったはずではなかったのか。

誘惑をしてくれと同僚に頼んでいる訳では決してない。

何が本当の優しさなのか同僚も分からなくなっているのだろう。

もう一本も要らないとはっきり言った方が良いのかもしれない。

私はなんだか泥沼の中に居てもがき続けているようだった。


幸いと言って良いのか週末となり月曜日まで職場に行けない。

禁断症状は酷くなり今以上に苦しくなるだろうけれど

なんとしても乗り越えて楽になりたいと願ってやまない。


無いものねだりをするつもりはない。


在ると思うから欲しくなるのだ。







2023年01月26日(木) 無欲になりたい

息白く霧のようになりながら私を包む迷わぬようにと


何処に向かっているのか

わからなくなる時がある



真冬の道は厳しくて

凍りつく日もあるけれど

踏みしめるように歩いて来た



息だけが頼りに思う

信じなくてどうする


やがては春に辿り着くだろう


私は迷わず歩き続けて行く

この道しかないのだ






今朝は昨日の朝よりも冷え込んでいたようだ。

家の中に居て吐く息が白くなることなどめったにない。

すぐに暖房をつけたが暖かくなるまでずいぶんと掛った。

寒さと禁断症状に耐えながらなんとか詩らしきものを書く。

気づけば毎朝同じようなことばかり書いている。

マンネリ化しているのだろう。自分でも辟易としているのだから

読まされている人達はきっとうんざりしているのではないだろうか。

いつまでたっても自信がない。それなのに私は諦めることをしない。



職場に着いたら同僚がまた「ラッキーストライク」を置いてくれていた。

吸ってはいけないと思いつつどうしても我慢することが出来ない。

ずるずるとこんなことを続けていたら禁煙がどんどん遠くなる。

でも節煙にはなっているだろう。自分を許してやるべきだろうか。

なかなか一筋縄ではいかない。これは長い闘いとなりそうである。



午後は整形外科の通院日であった。

受診しても足の痛みが治るわけではなくなんだか虚しい。

ただ親身になってくれる医師の存在だけが有難くてならない。

ふといつまで通い続けるのだろうかと思った。

70歳は目前である。だとすると80歳だろうか。

その頃には手術も出来ているかもしれない。

足が不自由になり娘達に迷惑を掛ける訳にはいかないと思う。

それならばいっそ死んでしまった方が良いのではないか。


あれこれ考えていると生きることもそうそう容易くはない。

それでも生きたくてたまらないのだからそれこそが欲だろう。


一本の煙草を欲しがるのも欲である。

どうすればすべての欲を断ち切れるか真剣に考えなければいけない。




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