波ばかりその冷たさに触れているやがては春になるだろう海
波打ち際を歩いている
まだ素足にはなれない
蹲って指先で触れる海
あれは十九の時だったか
波を怖れることもせず
胸まで浸かったことがある
青春は春なのに違いない
遠い日の記憶が蘇る
あれからどれほど生きてきたことだろう

若い頃、「死」は夢のようなことであった。
死んだらすべてが終わるなどと考えたこともなかったのだ。
むしろ救われると思っていたのだろう。
悲しみも辛さもない。そこにあるのは「幸せ」なのだと信じていた。
あの日、父に結婚を猛反対されて泣きながら家を飛び出した。
家のすぐ裏には太平洋の大海原。打ち寄せる波の音が聴こえる。
私は裸足になり駆け出して行く。そうして波に揉まれて行く。
少しも怖いとは思わなかった。冷たいとも感じなかった。
ただ海の藻屑として消えようと決心していたのだと思う。
彼の声が聴こえた。私はやっと独りではないことに気づく。
海の中で抱きしめられた時、全身の力が抜けていくのを感じた。
生きてさえいれば幸せになれる。それはきっと永遠に違いない。
19歳の春私達は結婚した。その後の運命の波など知りもせずに。

ここ数日、昔のことをよく思い出す。
「過去」と云ってしまえばなんだか「汚点」にさえ思える。
壊れてしまった玩具のようにもう修復が効かない。
どれほど生きて来たかよりもどれほど傷つけたかだろう。
私はもう取り返しのつかないことをこの世に残してきたのだった。
今は生きたくてたまらないけれど赦してもらえるだろうか。
将来を未来だと信じても良いのだろうか。
「墓場まで持って行く」とよく云うけれど
私には持ちきれないほどの罪が沢山あるのだと思う。
何一つ償いは出来ていない。ただ今ある命を全うするだけだ。
見えますか知っていますかこの胸の鼓動が私の生きるすべて
ありったけの息を頼りに
暗い夜空を仰いでいる
ちっぽけな命だとしても
見捨てるわけにはいかない
指先まで通う血は熱く
私のすべてを包み込む
失うことなど怖れない
いつだって新鮮になる
生きて生きて辿り着こう
未来の私に会いに行く

「未来」と「将来」の違いについて考える。
未来は例えば百年先のように広範囲な時間のことなのだそうだ。
将来は具体的な人物がいてそれら特定の人物が
これから訪れるかもしれない具体的な時間のことを云うらしい。
そうなると残り少ない人生において私の「未来」は在り得ないことになる。
そう自覚しなければいけない。むやみに未来を語ってはならない。
無教養なうえに軽率でもある。愚かな詩を書いてしまったものだ。
そんな私にも将来はあるだろう。欲を言えば20年後。
86歳になった自分を想像することは出来る。
杖をつきながら歩いている。そうして空を見上げる時もあるだろう。
書くことは諦めていない。無名のままであっても誇りを持っている。
この世に何も残せなくても嘆くことはしないだろう。
人生を全うするために精一杯生きているだろうと思う。
孫達が嫁いでいればひ孫を抱くことも出来るかもしれない。
その幸せにもういつ死んでも悔いは無いと呟いている。
皺くちゃの顔だとしても微笑むことは出来るのだ。
未来はどうして百年後でなければいけないのだろう。
たとえ20年後でもあっても私はそれを「未来」だと信じたい。
星屑を拾い集めた若き日は遠い夜空の追憶となる
哀しい顔をしている
頬をつつと流れる涙
失った恋は儚く
私を孤独にしたけれど
生きて在ることを選んだ
満天の星空を仰ぎながら
その輝きに癒されていく
あのひとは憶えているだろうか
少女だった私のことを
懐かしんでいるだろうか
追憶の彼方へ

SNSである方から「あのひととは?」と質問を頂いた。
この日記に書き綴った頃のことを思い出す。
2008年の夏のことだったと記憶していたけれど
実際には2007年の7月から8月に掛けて書いていたようだ。
「あした、あさって、ずっと」という題でその後「夏の記憶」になり
ホームページに掲載したのだった。もはや過去の遺物であるが
私にとってはもう二度と書けないであろう「追憶」の記録である。
死んでしまったらすべてお終い。せめてカタチにして残したいと
とある出版社に「小説」として送り付けたことがある。
担当の編集者の方がちゃんと読んでくれてどれほど救われたことだろう。。
「出版しましょう」と夢のようなことを言ってくれたのだった。
けれども世間はそれほど甘くはない。その後の話が進むにつれて
私は自分の愚かさに気づき愕然としたのだった。
自費出版なので百万円の大金が必要だと言われた。
何処にそんな大金があるのだろう。こんな過酷な夢があるだろうか。
決して悪質な出版社ではなかったが所詮は夢を買う商売だったのだ。
私は騙されたわけでもなくただ現実に勝てなかったのだと思う。
今はかろうじてネット上にひっそりと残されているけれど
やがては消え失せる運命だと思っている。
せめて私の命が尽きるまでは残っていて欲しいと願ってやまない。
あのひとの名前をネットで検索したら自宅の電話番号が出て来る。
都会の大学に行ったけれど今は故郷に帰って来ているようだ。
再会が叶うはずはないけれどなぜか不思議とほっとしたのだった。
67歳のあのひとはきっと元気に暮らしているだろう。
お孫さんも居るに違いない。白髪頭のおじいちゃんだ。
私のことを憶えていますか?
私は一生忘れることはないでしょう。
一粒の夢の欠片を指先に光らせながら息を見ている
割れてしまったのか
硝子細工ような夢がある
透明でありながら確かに
そのカタチを感じていた
相応しくないと人は言う
老いた身にそれは切ない
傷つくことなど怖れずに
その欠片に触れてみよう
息は深くなる
まるで私を守るかのように

SNSでいつも私の詩を読んで下さっている方からコメントがあり
「このうたにはその先の人生があり、感慨深い。
数十年の時間の重みが、痛みを同化しそれと共に生きる癒しを
育んだのだろう」と。
とても励みになりその一言でどれほど救われたことだろうか。
心細くてならないけれどこれからも書き続けようと思った。
昨日程ではなかったがずいぶんと暖かくなる。
大雪に見舞われている北国の人達に申し訳ないけれど
それぞれに与えられた土地があり与えられた暮らしがあるのだろう。
終わらない冬はない。そう信じて耐え抜いて欲しいと願ってやまない。
仕事が少し落ち着いて来たのでお昼休みに寒中見舞いの葉書を書いた。
「ご縁の断捨離」などと言って年賀状終いをしてしまったけれど
今年も12名ほどの方から年賀状が届きとても嬉しかった。
以前は40通位だったので断捨離の目的は果たせたのだろう。
けれども決して縁が切れたのではない。誰一人忘れはしない。
ただカタチに拘らないことを選んだ結果だと思う。
一人一人に心を込めて書く。それは手紙のような葉書になった。
これが年末の慌ただしさの中にあってはとても無理だと思う。
そもそも12月に書くのに「今年もよろしく」は白けてしまう。
書き終えて早速郵便局へ行った。可愛らしい切手が沢山ある。
どれにしようかと迷いながら「ポスクマ」の切手を選んだ。
切手を貼りながら宛名を確かめる。そうして顔を思い浮かべていた。
最近は郵便事情が悪くなり、県内でも届くまで二日かかるらしい。
一番遠い北海道には三日で届くだろうかと心配になった。
午後はまた仕事が忙しくなり少し残業となる。
高速道路を飛ばしていたら時速百キロを超えており我ながら驚く。
そんなに急がなくてもとすぐにアクセルを緩めていた。
帰り道はいつものことだけれど夕食の献立で頭がいっぱいになる。
今日から新学期だった孫達の給食は何だったのだろう。
今朝は献立表を見る余裕もなかったのだった。
仕事と主婦業。今年も「それなりに」頑張らない人でありたい。
顔をあげ仰ぐ空があるように心の瞳に映る青空
どれほどの心細さも
やがては薄れるだろう
果てしなく広がる空に
想いを放つ時が来る
私は鳥にはなれないけれど
羽ばたくことが出来るのだ
見失った夢があろうと
見つける瞳がここにある
幻ではない
確かな青空に向かう心が輝いている

やはり駄目だ。書けば書くほどマンネリ化して来る。
それでも決して諦めないことが肝心なのだろうか。
自分が信じられなくなったらもうお終いだと思う。
寒の入りから4日目。日中は思いがけないほど暖かくなった。
やっとお布団を干すことが出来る。なんだか得意顔になっていた。
主婦らしいことが出来たことによほど満足していたのだろう。
買物に行っていたら知人のMさんに会った。
彼女も私と同じ「股関節変形症」で少なからず辛い思いをしている。
会う度に痛みの話になるが仲間だと思うとついつい話が弾む。
痛いのは自分だけではないことがとても心強く感じるのだった。
「お大事にね」と互いに声を掛け合って別れる。
スーパーのカートに縋りつくように歩く姿に自分の姿を重ねていた。
娘夫婦が仕事だったので孫達と昼食を食べる。
昨夜のチキンカツが沢山残っていたのでカツ丼風にしてみた。
あやちゃんもめいちゃんも大盛りにして喜んで食べてくれた。
娘はいつもカップ麺を置いて行くがせめて私が居る時ぐらいは
まともな物を食べさせてやりたいといつも思っている。
午後は少しお昼寝をしてから一時間ほど本を読んでいた。
椎名誠のズバッと言いたいことを書く姿勢がとても好きだ。
私も言いたいことが沢山ある。でも思うようには書けない。
有名な作家ならともかく田舎のおばさんに何が出来よう。
書いてしまえばきっと誰かを傷つけてしまうだろう。
信頼を裏切るわけにはいかない。それほど私は臆病者である。
午後3時。ふっかふかになったお布団を抱くようにして取り入れる。
頬を摺り寄せたいほどに温かくなっていた。なんと幸せなこと。
ベッドメイクをしてからしばらく恍惚としていたほどである。
青空には夢と希望があるけれど
何よりも感謝の気持ちでいっぱいになっていた。
満月が名残惜しくも輝いて私を照らす逃げ隠れせず
真っ直ぐに向き合う
素直にうなずきながら
私は空の一部になった
輝くほどの才能はない
ただ生きて在ることを
誇りに思っている
名残惜しいのはこのいのち
やがては欠けていくだろう
嘆くことをせずにいる
私には立ち向かうべき空がある

やはりこれで良いのかと迷いつつ書いている。
本来の日記の姿に戻すべきではないだろうか。
もしその方が良いと思ったら遠慮せず申し出て欲しい。
朝の寒さも少し和らぎ、日中も随分と暖かくなった。
お布団を干したかったが気忙しくなり断念する。
午前6時過ぎ息子から電話があり通勤途中にパンクしたとのこと。
取り急ぎ夫が駆けつけ職場まで送り届けた。
私は10時前に現場へ行き「ロードサービス」の手配をする。
任意保険には必ず付帯している保険会社のサービスであるが
結構知らない人が多く慌てふためく時もあるようだ。
山里の職場は休みで対応できず市内のダイハツに修理を依頼した。
保険会社が手配してくれた運搬車がダイハツまで運んでくれる。
飛び込みの依頼だと云うのに快く引き受けてくれてとても助かった。
驚いたのは息子の車のタイヤが酷く摩耗していたことだ。
単なるパンクではなく走行中に破損したようだった。
とてもパンク修理出来る状態ではなく4本すべて交換することにする。
一般道だったから良かったけれど高速道路だったら事故に繋がっただろう。
しかも真夜中だったらどうなっていたことか。
息子は男のくせに車には全く関心が無いのだった。
車検から次の車検まで乗りっぱなしなのである。
車はガソリンさえ入れれば走るものだと思っているようだ。
まったく困ったものである。今回でそれも懲りたであろう。
メンテナンスは重要なのだ。そうしてそれが安全運転へと繋がる。
午後4時に息子を職場へ迎えに行きダイハツへと送り届けた。
「4月の車検まで持つと思った」と言ってケロッとしている。
そうして「疲れたしんどい」を連発し続ける。
「晩御飯に食べるものはあるの?」と訊いたら「何も無い」と。
買物をして帰ると言い近くのスーパーへと走って行った。
おそらく帰宅したら息子が夕食の支度をするのだろう。
お嫁さんの体調は落ち着いているようだが手伝えるだろうか。
心配事は尽きず息子がとても憐れに思えてならなかった。
一日が暮れていく。夕陽がとても綺麗だった。
沈黙の夜空に語り掛けている私の心に星をください
煌々と輝く月がある
くっきりと浮かぶ雲
空は満たされている
それなのにどうして
何も聴こえないのか
私は見えない星になる
それは忘れかけた夢
ひとかけらのいのち
生きてさえいればと
どれほど願ったことだろう
胸にかざす星をください

今朝は洗濯物を干し終えてからにわか雨が降る。
しばらく空の様子を窺っていたら青空が見えて来た。
ささやかなことであったが主婦冥利に尽きる。
買物に行ったら店頭に七草セットがずらりと並んでいた。
どうしようかと迷っていたけれど無病息災には勝てない。
家族が少しでも食べてくれたらと願いつつ買い求めた。
10時からカーブス。今日は今年初めての測定日であった。
お正月にお餅を食べ過ぎていたので案の定体重が増えていた。
それでも体脂肪は減っているとのこと。なんだか信じられない。
骨年齢は68歳。骨粗しょう症だから仕方あるまい。
測定日にはコーチと面談があるのだけれど
最後に必ず「お友達紹介」の話があるのだった。
なんだかねずみ講みたいで不信感でいっぱいになる。
お友達を紹介したら福袋が貰えるのだそうだ。
そんな物は要らない。そもそも紹介できるような友達もいない。
これ以上メンバーを増やしてどうするのだろうと思う。
所詮金儲け主義なのだろう。やはりブラック感が漂っている。
それでも微かな信頼を元に私は通い続けるしかない。
私にとってはリハビリなのだ。病院と同じなのだと思っている。
お昼におでんを煮込んだ。家中におでんの匂いが漂う。
平日には出来ないこと。週末ならではの楽しみでもあった。
さて七草。我が家はお粥ではなく雑炊にする。
仕上げに溶き卵を入れるのが習いである。
本来は朝食に食べるものらしいが夕食でも問題ないだろう。
大量に作っても残れば「おじや」になってしまうのがモンダイである。
娘夫婦とあやちゃんは食べたくないと言い張る。
いくら無病息災だと言っても見向きもしないのだった。
せめて一口でも食べて欲しかった。
めいちゃんは「おいしい」と言ってくれ三杯もおかわりをする。
作って良かったなととても嬉しかった。
おいしい顔ほど幸せなことはない。
夕食後、まだ外が薄明るかったので日が長くなったことを感じた。
立春まではまだひと月近くあるが終わらない冬などないだろう。
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