星屑を拾い集めた若き日は遠い夜空の追憶となる
哀しい顔をしている
頬をつつと流れる涙
失った恋は儚く
私を孤独にしたけれど
生きて在ることを選んだ
満天の星空を仰ぎながら
その輝きに癒されていく
あのひとは憶えているだろうか
少女だった私のことを
懐かしんでいるだろうか
追憶の彼方へ

SNSである方から「あのひととは?」と質問を頂いた。
この日記に書き綴った頃のことを思い出す。
2008年の夏のことだったと記憶していたけれど
実際には2007年の7月から8月に掛けて書いていたようだ。
「あした、あさって、ずっと」という題でその後「夏の記憶」になり
ホームページに掲載したのだった。もはや過去の遺物であるが
私にとってはもう二度と書けないであろう「追憶」の記録である。
死んでしまったらすべてお終い。せめてカタチにして残したいと
とある出版社に「小説」として送り付けたことがある。
担当の編集者の方がちゃんと読んでくれてどれほど救われたことだろう。。
「出版しましょう」と夢のようなことを言ってくれたのだった。
けれども世間はそれほど甘くはない。その後の話が進むにつれて
私は自分の愚かさに気づき愕然としたのだった。
自費出版なので百万円の大金が必要だと言われた。
何処にそんな大金があるのだろう。こんな過酷な夢があるだろうか。
決して悪質な出版社ではなかったが所詮は夢を買う商売だったのだ。
私は騙されたわけでもなくただ現実に勝てなかったのだと思う。
今はかろうじてネット上にひっそりと残されているけれど
やがては消え失せる運命だと思っている。
せめて私の命が尽きるまでは残っていて欲しいと願ってやまない。
あのひとの名前をネットで検索したら自宅の電話番号が出て来る。
都会の大学に行ったけれど今は故郷に帰って来ているようだ。
再会が叶うはずはないけれどなぜか不思議とほっとしたのだった。
67歳のあのひとはきっと元気に暮らしているだろう。
お孫さんも居るに違いない。白髪頭のおじいちゃんだ。
私のことを憶えていますか?
私は一生忘れることはないでしょう。
一粒の夢の欠片を指先に光らせながら息を見ている
割れてしまったのか
硝子細工ような夢がある
透明でありながら確かに
そのカタチを感じていた
相応しくないと人は言う
老いた身にそれは切ない
傷つくことなど怖れずに
その欠片に触れてみよう
息は深くなる
まるで私を守るかのように

SNSでいつも私の詩を読んで下さっている方からコメントがあり
「このうたにはその先の人生があり、感慨深い。
数十年の時間の重みが、痛みを同化しそれと共に生きる癒しを
育んだのだろう」と。
とても励みになりその一言でどれほど救われたことだろうか。
心細くてならないけれどこれからも書き続けようと思った。
昨日程ではなかったがずいぶんと暖かくなる。
大雪に見舞われている北国の人達に申し訳ないけれど
それぞれに与えられた土地があり与えられた暮らしがあるのだろう。
終わらない冬はない。そう信じて耐え抜いて欲しいと願ってやまない。
仕事が少し落ち着いて来たのでお昼休みに寒中見舞いの葉書を書いた。
「ご縁の断捨離」などと言って年賀状終いをしてしまったけれど
今年も12名ほどの方から年賀状が届きとても嬉しかった。
以前は40通位だったので断捨離の目的は果たせたのだろう。
けれども決して縁が切れたのではない。誰一人忘れはしない。
ただカタチに拘らないことを選んだ結果だと思う。
一人一人に心を込めて書く。それは手紙のような葉書になった。
これが年末の慌ただしさの中にあってはとても無理だと思う。
そもそも12月に書くのに「今年もよろしく」は白けてしまう。
書き終えて早速郵便局へ行った。可愛らしい切手が沢山ある。
どれにしようかと迷いながら「ポスクマ」の切手を選んだ。
切手を貼りながら宛名を確かめる。そうして顔を思い浮かべていた。
最近は郵便事情が悪くなり、県内でも届くまで二日かかるらしい。
一番遠い北海道には三日で届くだろうかと心配になった。
午後はまた仕事が忙しくなり少し残業となる。
高速道路を飛ばしていたら時速百キロを超えており我ながら驚く。
そんなに急がなくてもとすぐにアクセルを緩めていた。
帰り道はいつものことだけれど夕食の献立で頭がいっぱいになる。
今日から新学期だった孫達の給食は何だったのだろう。
今朝は献立表を見る余裕もなかったのだった。
仕事と主婦業。今年も「それなりに」頑張らない人でありたい。
顔をあげ仰ぐ空があるように心の瞳に映る青空
どれほどの心細さも
やがては薄れるだろう
果てしなく広がる空に
想いを放つ時が来る
私は鳥にはなれないけれど
羽ばたくことが出来るのだ
見失った夢があろうと
見つける瞳がここにある
幻ではない
確かな青空に向かう心が輝いている

やはり駄目だ。書けば書くほどマンネリ化して来る。
それでも決して諦めないことが肝心なのだろうか。
自分が信じられなくなったらもうお終いだと思う。
寒の入りから4日目。日中は思いがけないほど暖かくなった。
やっとお布団を干すことが出来る。なんだか得意顔になっていた。
主婦らしいことが出来たことによほど満足していたのだろう。
買物に行っていたら知人のMさんに会った。
彼女も私と同じ「股関節変形症」で少なからず辛い思いをしている。
会う度に痛みの話になるが仲間だと思うとついつい話が弾む。
痛いのは自分だけではないことがとても心強く感じるのだった。
「お大事にね」と互いに声を掛け合って別れる。
スーパーのカートに縋りつくように歩く姿に自分の姿を重ねていた。
娘夫婦が仕事だったので孫達と昼食を食べる。
昨夜のチキンカツが沢山残っていたのでカツ丼風にしてみた。
あやちゃんもめいちゃんも大盛りにして喜んで食べてくれた。
娘はいつもカップ麺を置いて行くがせめて私が居る時ぐらいは
まともな物を食べさせてやりたいといつも思っている。
午後は少しお昼寝をしてから一時間ほど本を読んでいた。
椎名誠のズバッと言いたいことを書く姿勢がとても好きだ。
私も言いたいことが沢山ある。でも思うようには書けない。
有名な作家ならともかく田舎のおばさんに何が出来よう。
書いてしまえばきっと誰かを傷つけてしまうだろう。
信頼を裏切るわけにはいかない。それほど私は臆病者である。
午後3時。ふっかふかになったお布団を抱くようにして取り入れる。
頬を摺り寄せたいほどに温かくなっていた。なんと幸せなこと。
ベッドメイクをしてからしばらく恍惚としていたほどである。
青空には夢と希望があるけれど
何よりも感謝の気持ちでいっぱいになっていた。
満月が名残惜しくも輝いて私を照らす逃げ隠れせず
真っ直ぐに向き合う
素直にうなずきながら
私は空の一部になった
輝くほどの才能はない
ただ生きて在ることを
誇りに思っている
名残惜しいのはこのいのち
やがては欠けていくだろう
嘆くことをせずにいる
私には立ち向かうべき空がある

やはりこれで良いのかと迷いつつ書いている。
本来の日記の姿に戻すべきではないだろうか。
もしその方が良いと思ったら遠慮せず申し出て欲しい。
朝の寒さも少し和らぎ、日中も随分と暖かくなった。
お布団を干したかったが気忙しくなり断念する。
午前6時過ぎ息子から電話があり通勤途中にパンクしたとのこと。
取り急ぎ夫が駆けつけ職場まで送り届けた。
私は10時前に現場へ行き「ロードサービス」の手配をする。
任意保険には必ず付帯している保険会社のサービスであるが
結構知らない人が多く慌てふためく時もあるようだ。
山里の職場は休みで対応できず市内のダイハツに修理を依頼した。
保険会社が手配してくれた運搬車がダイハツまで運んでくれる。
飛び込みの依頼だと云うのに快く引き受けてくれてとても助かった。
驚いたのは息子の車のタイヤが酷く摩耗していたことだ。
単なるパンクではなく走行中に破損したようだった。
とてもパンク修理出来る状態ではなく4本すべて交換することにする。
一般道だったから良かったけれど高速道路だったら事故に繋がっただろう。
しかも真夜中だったらどうなっていたことか。
息子は男のくせに車には全く関心が無いのだった。
車検から次の車検まで乗りっぱなしなのである。
車はガソリンさえ入れれば走るものだと思っているようだ。
まったく困ったものである。今回でそれも懲りたであろう。
メンテナンスは重要なのだ。そうしてそれが安全運転へと繋がる。
午後4時に息子を職場へ迎えに行きダイハツへと送り届けた。
「4月の車検まで持つと思った」と言ってケロッとしている。
そうして「疲れたしんどい」を連発し続ける。
「晩御飯に食べるものはあるの?」と訊いたら「何も無い」と。
買物をして帰ると言い近くのスーパーへと走って行った。
おそらく帰宅したら息子が夕食の支度をするのだろう。
お嫁さんの体調は落ち着いているようだが手伝えるだろうか。
心配事は尽きず息子がとても憐れに思えてならなかった。
一日が暮れていく。夕陽がとても綺麗だった。
沈黙の夜空に語り掛けている私の心に星をください
煌々と輝く月がある
くっきりと浮かぶ雲
空は満たされている
それなのにどうして
何も聴こえないのか
私は見えない星になる
それは忘れかけた夢
ひとかけらのいのち
生きてさえいればと
どれほど願ったことだろう
胸にかざす星をください

今朝は洗濯物を干し終えてからにわか雨が降る。
しばらく空の様子を窺っていたら青空が見えて来た。
ささやかなことであったが主婦冥利に尽きる。
買物に行ったら店頭に七草セットがずらりと並んでいた。
どうしようかと迷っていたけれど無病息災には勝てない。
家族が少しでも食べてくれたらと願いつつ買い求めた。
10時からカーブス。今日は今年初めての測定日であった。
お正月にお餅を食べ過ぎていたので案の定体重が増えていた。
それでも体脂肪は減っているとのこと。なんだか信じられない。
骨年齢は68歳。骨粗しょう症だから仕方あるまい。
測定日にはコーチと面談があるのだけれど
最後に必ず「お友達紹介」の話があるのだった。
なんだかねずみ講みたいで不信感でいっぱいになる。
お友達を紹介したら福袋が貰えるのだそうだ。
そんな物は要らない。そもそも紹介できるような友達もいない。
これ以上メンバーを増やしてどうするのだろうと思う。
所詮金儲け主義なのだろう。やはりブラック感が漂っている。
それでも微かな信頼を元に私は通い続けるしかない。
私にとってはリハビリなのだ。病院と同じなのだと思っている。
お昼におでんを煮込んだ。家中におでんの匂いが漂う。
平日には出来ないこと。週末ならではの楽しみでもあった。
さて七草。我が家はお粥ではなく雑炊にする。
仕上げに溶き卵を入れるのが習いである。
本来は朝食に食べるものらしいが夕食でも問題ないだろう。
大量に作っても残れば「おじや」になってしまうのがモンダイである。
娘夫婦とあやちゃんは食べたくないと言い張る。
いくら無病息災だと言っても見向きもしないのだった。
せめて一口でも食べて欲しかった。
めいちゃんは「おいしい」と言ってくれ三杯もおかわりをする。
作って良かったなととても嬉しかった。
おいしい顔ほど幸せなことはない。
夕食後、まだ外が薄明るかったので日が長くなったことを感じた。
立春まではまだひと月近くあるが終わらない冬などないだろう。
道はるかきっと辿り着くだろう胸に一輪咲く冬の花
少し俯いているけれど
確かに微笑んでいる
冬を選んで咲いた花は
そこだけ春であるかのように
あたたかな彩を放っている
私はもう歩み始めていて
振り向くことをせずにいる
生きて生きて辿り着こう
胸には一輪の冬の花が咲いている

先日から夜明け前に書いた短歌と詩をここに記している。
すでにSNSで発信しており愚かなことにも思えるけれど
しばらく続けてみようかとふと思い立ったのだった。
何が良くて何が悪いのか自分でもよく分からない。
心細くてならないけれど見守っていただけたら幸いに思っている。
昨日の仕事始めから今のところ順調に進んでいる。
有難いことにもう16日まで予約で埋まった。
事務仕事も忙しくまだ年末の締めも出来ていない。
明日からまた三連休となり来週に持ち越すことにした。
エンジンを吹かし過ぎてはいけない。ゆっくりと進もう。
孫達の冬休みも残り少なくなり宿題と格闘しているようだ。
めいちゃんは学童の「たけのこ学級」に通っているが
今日は急きょ休みになってしまった。
児童の中にとうとうコロナの感染者が出てしまったらしい。
市内でも大勢の感染者が出ており無理もないことに思う。
新学期を目前にして不安でならないけれど
なんとしても守ってやりたい気持ちでいっぱいである。
麻疹やおたふく風邪のように一度罹れば免疫が出来るものなら
これほどの感染拡大にはならなかっただろう。
何度も感染する人もいるらしい。ワクチン接種を5回していても
亡くなった人もいてワクチンも信じられなくなってしまった。
今年もコロナ尽くしかと思うと気が重くなってしまうけれど
新しいワクチンの開発や治療薬に期待したいと思う。
いちばんに身を守ること。家族を守らなければならない。
冷たさを確かめている窓辺には輝く月の微笑みがある
満月が近づいている
空はあたたかくなり
光に包まれるだろう
私は足らないことに
こだわろうとしては
断ち切ろうとしている
諦めてしまうのではない
夢には相応しい空があり
きっと満たされるだろう
何処までも空だ
果てしなく広がる空がある

氷点下の朝が続いている。
山里は平野部よりも気温が低く陽が射し始めてやっと1℃になる。
今日は仕事始め。鼻息が荒いまま出勤していたら
山道をゆっくりと歩くお遍路さんを見かけた。
急ぐことはないのだなと思う。心に余裕を持たなければいけない。
深呼吸をする。なんだか息が空に吸い込まれていくようだった。
仕事は大忙しであったが午後から早退させてもらい整形外科へ。
初めてのリハビリの日で休むわけにはいかなかった。
少し緊張していたが若くて可愛らしい女性の療法士で心が和む。
まずは左足のマッサージからでまるで魔法の手であるかのよう。
優しくて温かな手触りで痛みを和らげてくれた。
それから自宅でも簡単に出来るストレッチを教えてもらう。
3種類ほど。これは毎日必ず実行しなければいけない。
三日坊主にならないように頑張って続けようと思う。
リハビリが終わった後、嘘のように足が楽になっていた。
まるで天国のようであり夢のようでもあった。
つかの間でも痛みから解放されこれほどの幸せがあるだろうか。
最後に医師の診察があり血液検査をすると言う。
一瞬なんで?と思ったけれど何か調べたいことがあるようだった。
まるでまな板の上の鯉である。好きなようにお捌き下さいませ。
私の血はさらさらとしていてとても綺麗に見えた。
次回は3週間後とのこと。信頼している医師には逆らえない。
他の誰がこれほどまでに親身になってくれるだろうか。
駐車場で一服してから帰る。
今夜のおかずは何にしようかそればかり考えていた。
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