道はるかきっと辿り着くだろう胸に一輪咲く冬の花
少し俯いているけれど
確かに微笑んでいる
冬を選んで咲いた花は
そこだけ春であるかのように
あたたかな彩を放っている
私はもう歩み始めていて
振り向くことをせずにいる
生きて生きて辿り着こう
胸には一輪の冬の花が咲いている

先日から夜明け前に書いた短歌と詩をここに記している。
すでにSNSで発信しており愚かなことにも思えるけれど
しばらく続けてみようかとふと思い立ったのだった。
何が良くて何が悪いのか自分でもよく分からない。
心細くてならないけれど見守っていただけたら幸いに思っている。
昨日の仕事始めから今のところ順調に進んでいる。
有難いことにもう16日まで予約で埋まった。
事務仕事も忙しくまだ年末の締めも出来ていない。
明日からまた三連休となり来週に持ち越すことにした。
エンジンを吹かし過ぎてはいけない。ゆっくりと進もう。
孫達の冬休みも残り少なくなり宿題と格闘しているようだ。
めいちゃんは学童の「たけのこ学級」に通っているが
今日は急きょ休みになってしまった。
児童の中にとうとうコロナの感染者が出てしまったらしい。
市内でも大勢の感染者が出ており無理もないことに思う。
新学期を目前にして不安でならないけれど
なんとしても守ってやりたい気持ちでいっぱいである。
麻疹やおたふく風邪のように一度罹れば免疫が出来るものなら
これほどの感染拡大にはならなかっただろう。
何度も感染する人もいるらしい。ワクチン接種を5回していても
亡くなった人もいてワクチンも信じられなくなってしまった。
今年もコロナ尽くしかと思うと気が重くなってしまうけれど
新しいワクチンの開発や治療薬に期待したいと思う。
いちばんに身を守ること。家族を守らなければならない。
冷たさを確かめている窓辺には輝く月の微笑みがある
満月が近づいている
空はあたたかくなり
光に包まれるだろう
私は足らないことに
こだわろうとしては
断ち切ろうとしている
諦めてしまうのではない
夢には相応しい空があり
きっと満たされるだろう
何処までも空だ
果てしなく広がる空がある

氷点下の朝が続いている。
山里は平野部よりも気温が低く陽が射し始めてやっと1℃になる。
今日は仕事始め。鼻息が荒いまま出勤していたら
山道をゆっくりと歩くお遍路さんを見かけた。
急ぐことはないのだなと思う。心に余裕を持たなければいけない。
深呼吸をする。なんだか息が空に吸い込まれていくようだった。
仕事は大忙しであったが午後から早退させてもらい整形外科へ。
初めてのリハビリの日で休むわけにはいかなかった。
少し緊張していたが若くて可愛らしい女性の療法士で心が和む。
まずは左足のマッサージからでまるで魔法の手であるかのよう。
優しくて温かな手触りで痛みを和らげてくれた。
それから自宅でも簡単に出来るストレッチを教えてもらう。
3種類ほど。これは毎日必ず実行しなければいけない。
三日坊主にならないように頑張って続けようと思う。
リハビリが終わった後、嘘のように足が楽になっていた。
まるで天国のようであり夢のようでもあった。
つかの間でも痛みから解放されこれほどの幸せがあるだろうか。
最後に医師の診察があり血液検査をすると言う。
一瞬なんで?と思ったけれど何か調べたいことがあるようだった。
まるでまな板の上の鯉である。好きなようにお捌き下さいませ。
私の血はさらさらとしていてとても綺麗に見えた。
次回は3週間後とのこと。信頼している医師には逆らえない。
他の誰がこれほどまでに親身になってくれるだろうか。
駐車場で一服してから帰る。
今夜のおかずは何にしようかそればかり考えていた。
しんしんと聴こえているのは冬の息寄り添っているのは春の息
初春という響きが好きだ
まだ真冬の最中にあって
ささやかな希望を感じる
冷たさを抱くこころがあり
そのぬくもりに癒されながら
私は春になろうとしている
裸木に芽吹いた蕾のように
空に放つ息が愛しく匂う
きっと届く春がある

氷点下の朝。日中は陽射しに恵まれたけれど風が冷たい。
寒の入りも近くなりまだまだこれからの寒さなのだろう。
水仙は冬を代表する花だけれどほっこりと春を感じる。
少し俯き加減に咲くがにっこりと微笑んでいるように見える。
冬を選んでくれたのだ。なんと有難い花だろうか。
ずっと寝正月をしていたけれど明日からの仕事に備え
今日はカーブスへ行き身体を動かして来た。
相変わらず足の痛みはあったけれどそれなりに頑張ることが出来る。
嘆いてばかりはいられない。出来ることに精一杯でありたい。
何事もやる気が肝心なのだ。それは勇気にも似ている。
市役所にも行って医療費の還付手続きを済ませて来る。
70歳になっている夫は月の限度額が8千円なのだそうだ。
だから8千円を超えると高額医療費となり還付されるらしい。
昨年の9月分のことで病院の領収証が必要だったが
捨てずに保管しておいて良かったなと思う。
今後も在り得ることなので領収証は決して捨ててはならない。
市役所の二階が図書館になっており昨年借りていた本を返却。
そうして迷わずにまた椎名誠のエッセイ本を借りて来る。
本棚にはいったい何冊あるのだろう。今年は椎名誠を読破したい。
椎名誠のエッセイを読んでいると頷ける話が沢山ある。
たとえば顔は皺くちゃなのに髪を黒々と染めるのはみっともないとか。
実は私も昨年の夏頃から白髪を染めるのを止めたのだった。
もうどうでもいいやと思う反面、年相応にありのままにと思った。
茶髪に染めている高齢者を見ると酷く違和感を感じる。
本人は若々しいつもりでもお顔をみてごらんなさいである。
いけませんね。話がどんどん逸れて行っていますね。
何はともあれ平穏無事な一日だった。
明日からは仕事なので少し鼻息が荒くなっているようだ。
明けて三日。雲ひとつない晴天に恵まれる。
北海道ではこの冬一番の冷え込みとなったようで
氷点下30℃を超えた地域があったそうだ。
同じ日本でありながら想像を絶するような寒さである。
厳しい冬にどれ程の人達が耐えていることだろうか。
年末に買い込んでいた食材が無くなり買い物に行く。
9時の開店と思っていたらまだ正月時間で9時半からだった。
仕方なく車の中で暖を取りながら開店を待っていた。
リサイクル資源の回収も今日からのようで店員さんが準備をしていたが
新聞紙などの古紙のボックスにごみを入れていた人が居たようだ。
なんというマナーの悪さだろう。店員さんが酷く不機嫌に見える。
気の毒に思いながらしばらく眺めていたら
ペットボトルを沢山提げたおじさんが鍵を早く開けろと怒鳴っている。
店員さんは聞こえなかったかのように無視していた。
まだ開店時間ではないので当然のことだろう。
同じようにペットボトルを提げて来た女性は自動販売機の傍にある
ごみ箱にそれを押し込んでいた。待てない気持ちは解るけれど
急いで準備をしている店員さんには当てつけのような行為だった。
私は以前にその店員さんに叱られたことがある。
開店時間になってもボックスの蓋が開いていなかったので
鍵の掛かっていない扉を開けて資源ごみを入れてしまったのだ。
その現場を見られてしまって嫌味のようなことを言われた。
蓋を開ける時間は決まっていないのだと言う。
勝手なことをすると毎日鍵を掛けるからねと。
その時は少し不愉快な気持ちになってしまったけれど
今日の店員さんを見ているとなんだか可哀想になってしまった。
マナーの悪い人が居ても文句も言えない。
黙々と資源ごみでは無いごみをビニール袋に詰め込んでいた。
その姿は好き好んでしている仕事ではないと言っているようだった。
大晦日まで働き元旦はなんとか休めても2日からまた仕事である。
大手スーパーの店員とはいえ雑用係であるようだった。
家族も居ることだろう。仕事が無くては暮らしも成り立たない。
毎日が我慢だとしたらなんとも憐れに思えてならなかった。
その店員さんの笑顔を一度も見たことがない。
せめて家に帰ったら「お疲れさま」の声がして
にっこりと微笑んでいて欲しいと思う。
明けて二日。穏やかな晴天に恵まれる。
窓辺で陽射しを浴びながら本を読んでいた。
椎名誠の愉快なエッセイである。
堅苦しさが無く気楽に読めるのが良い。
文学には程遠いが私には似合っているような気がする。
肩の力を抜こうと思う。今年はそんな年にしたい。
朝のうちにやっとお大師堂へ初詣。
年末から疎かにしていたことがあってとても気になっていた。
Sさんに電話したら「俺に任せちょけ」と言ってくれて
鏡餅をお供えしてくれたり花枝も新しく活け替えてくれる。
トイレ掃除も出来なかった。なんとも心苦しい限りである。
今朝は千両を持って行ったら誰かが南天を添えてくれていた。
お堂の中はすっかりお正月になっておりなんとほっとしたことか。
皆が気にかけてくれていることがとても嬉しく思う。
協力し合ってのこと。なんとしてもお堂を守らねばならない。
10年後、20年後を思う。お参り仲間さんも高齢になるだろう。
この私にしろ生きているとは限らないけれど
後世に残せるようなお大師堂で在り続けて欲しいと願ってやまない。
午後、母の施設の介護士さんから電話があり
母が転倒し腰を痛めたらしい。幸い骨折は免れたようだが
痛みを訴えており湿布薬で様子を見ているとのこと。
気になったのですぐに母に電話をしたら思ったよりも元気そう。
「転んだろ?」と問えば「さあ覚てない」と惚ける。
「正月やにお餅も食べれん」と言うので少し憐れでもあった。
高齢者ばかりの施設のこと喉に詰まらす事故を防ぐためだろう。
「昨夜はお刺身を食べた」と。好物なので嬉しかったようだ。
施設で新年を迎えたのは二度目だろうか。私の記憶も定かではない。
母の存在までもが薄れていくのがとても切なく思えて来る。
母は幸せなのだろうか。新年を迎え何を祈っているのだろうか。
穏やかに新年を迎える。清々しい朝のこと。
ふっくらとこころに蕾をみつけたような気がした。
咲けるかどうかわからない。生きてみなければと思う。
新鮮な息を感じながらすくっと前を向いていた。
糸であるかのような日々。私はまた一枚の布を織り始める。
透明な糸もあるだろう。手探りでその感触を確かめる。
それが自分を信じることなのではないだろうか。

お昼に元旦の宴会。やはり息子は来ることが出来なかった。
仕事は休めたようだが酷く神経質になっている様子。
まるで自分がコロナに感染しているような口ぶりであった。
それだけ職場がパニックに陥っているのだろう。
憐れでならないけれどこればかりはどうしようも出来ない。
せめてけい君だけでもと連れに行ってやって良かった。
ずっと楽しみにしていたようだ。にこにこ笑顔でやって来る。
お寿司や大好きな鶏のから揚げを喜んで食べてくれた。
午後にはあやちゃん達と凧揚げ。生まれて初めてだったようだ。
お正月と云えばお年玉。これが昔とは桁が違う。
貰う子供たちは大喜びであるが親はたまったもんではない。
お互いに子供が居るものだから同額のお年玉を返さねばならない。
そうなればもはや義理となりなんとなく辛いものがある。
姪っ子。義弟とけい君もお年玉を貰った。
息子の代わりに急いでお年玉を用意して渡したけれど
こんなことはもう来年から止めた方が良いのではと思う。
予め姪っ子達に伝えておくべきだろう。
そんなことを考えながらけい君の気持ちを思うと複雑な気持ちになる。
やはりお年玉は無くてはならないものかもしれない。
あやちゃんとめいちゃんは総額3万円近くあったそうだ。
時代は変わったのだなとつくづく思った。
私の財布にはボーナスの残りがわずかに残っている。
あと少し私は布を織っている明日は広げて一枚にする
上手く出来ない日もあった
綻びてしまいそうな時も
糸は真っ直ぐではなく
絡んでばかりいたけれど
息を吹き掛けながら織る
夢のようなことかもしれない
分不相応なことかもしれない
それでも諦めずに織り続けてきた
あした私は一枚になる

とうとう明日は大晦日。駆け抜けたような一年が終わる。
出来ないことが多くなり不甲斐なさを感じたこともあった。
けれども生きてさえいればと精一杯だったように思う。
ありのままの自分を認めることは出来たのだろう。
今年もコロナに始まりコロナで終わる年になってしまったけれど
今のところ家族皆が守られており奇跡のように思っている。
危機感や不安からは逃れそうにもないが少しでも気を強く持っていたい。
そうして穏やかに笑顔で新年を迎えたいものだ。
こうして日々を綴る場所を与えられていて幸せだと思う。
どんな日もあったけれど書くことで救われていたのではないだろうか。
嘆いてばかりいないでリセットすることが出来たような気がする。
そんな私の日々におつきあい下さった皆様には感謝に尽きます。
この一年ほんとうに有難うございました。
今年最後の日記になってしまいましたが
皆様どうか健やかに良いお年をお迎えくださいね。
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