ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年01月04日(水) 初春

しんしんと聴こえているのは冬の息寄り添っているのは春の息


初春という響きが好きだ

まだ真冬の最中にあって

ささやかな希望を感じる



冷たさを抱くこころがあり

そのぬくもりに癒されながら

私は春になろうとしている


裸木に芽吹いた蕾のように

空に放つ息が愛しく匂う


きっと届く春がある





氷点下の朝。日中は陽射しに恵まれたけれど風が冷たい。

寒の入りも近くなりまだまだこれからの寒さなのだろう。


水仙は冬を代表する花だけれどほっこりと春を感じる。

少し俯き加減に咲くがにっこりと微笑んでいるように見える。

冬を選んでくれたのだ。なんと有難い花だろうか。



ずっと寝正月をしていたけれど明日からの仕事に備え

今日はカーブスへ行き身体を動かして来た。

相変わらず足の痛みはあったけれどそれなりに頑張ることが出来る。

嘆いてばかりはいられない。出来ることに精一杯でありたい。

何事もやる気が肝心なのだ。それは勇気にも似ている。



市役所にも行って医療費の還付手続きを済ませて来る。

70歳になっている夫は月の限度額が8千円なのだそうだ。

だから8千円を超えると高額医療費となり還付されるらしい。

昨年の9月分のことで病院の領収証が必要だったが

捨てずに保管しておいて良かったなと思う。

今後も在り得ることなので領収証は決して捨ててはならない。


市役所の二階が図書館になっており昨年借りていた本を返却。

そうして迷わずにまた椎名誠のエッセイ本を借りて来る。

本棚にはいったい何冊あるのだろう。今年は椎名誠を読破したい。


椎名誠のエッセイを読んでいると頷ける話が沢山ある。

たとえば顔は皺くちゃなのに髪を黒々と染めるのはみっともないとか。

実は私も昨年の夏頃から白髪を染めるのを止めたのだった。

もうどうでもいいやと思う反面、年相応にありのままにと思った。

茶髪に染めている高齢者を見ると酷く違和感を感じる。

本人は若々しいつもりでもお顔をみてごらんなさいである。


いけませんね。話がどんどん逸れて行っていますね。


何はともあれ平穏無事な一日だった。

明日からは仕事なので少し鼻息が荒くなっているようだ。





2023年01月03日(火) お疲れさまの声

明けて三日。雲ひとつない晴天に恵まれる。

北海道ではこの冬一番の冷え込みとなったようで

氷点下30℃を超えた地域があったそうだ。

同じ日本でありながら想像を絶するような寒さである。

厳しい冬にどれ程の人達が耐えていることだろうか。




年末に買い込んでいた食材が無くなり買い物に行く。

9時の開店と思っていたらまだ正月時間で9時半からだった。

仕方なく車の中で暖を取りながら開店を待っていた。


リサイクル資源の回収も今日からのようで店員さんが準備をしていたが

新聞紙などの古紙のボックスにごみを入れていた人が居たようだ。

なんというマナーの悪さだろう。店員さんが酷く不機嫌に見える。

気の毒に思いながらしばらく眺めていたら

ペットボトルを沢山提げたおじさんが鍵を早く開けろと怒鳴っている。

店員さんは聞こえなかったかのように無視していた。

まだ開店時間ではないので当然のことだろう。

同じようにペットボトルを提げて来た女性は自動販売機の傍にある

ごみ箱にそれを押し込んでいた。待てない気持ちは解るけれど

急いで準備をしている店員さんには当てつけのような行為だった。


私は以前にその店員さんに叱られたことがある。

開店時間になってもボックスの蓋が開いていなかったので

鍵の掛かっていない扉を開けて資源ごみを入れてしまったのだ。

その現場を見られてしまって嫌味のようなことを言われた。

蓋を開ける時間は決まっていないのだと言う。

勝手なことをすると毎日鍵を掛けるからねと。


その時は少し不愉快な気持ちになってしまったけれど

今日の店員さんを見ているとなんだか可哀想になってしまった。

マナーの悪い人が居ても文句も言えない。

黙々と資源ごみでは無いごみをビニール袋に詰め込んでいた。

その姿は好き好んでしている仕事ではないと言っているようだった。


大晦日まで働き元旦はなんとか休めても2日からまた仕事である。

大手スーパーの店員とはいえ雑用係であるようだった。

家族も居ることだろう。仕事が無くては暮らしも成り立たない。

毎日が我慢だとしたらなんとも憐れに思えてならなかった。



その店員さんの笑顔を一度も見たことがない。

せめて家に帰ったら「お疲れさま」の声がして

にっこりと微笑んでいて欲しいと思う。









2023年01月02日(月) 肩の力を抜こう

明けて二日。穏やかな晴天に恵まれる。

窓辺で陽射しを浴びながら本を読んでいた。

椎名誠の愉快なエッセイである。

堅苦しさが無く気楽に読めるのが良い。

文学には程遠いが私には似合っているような気がする。

肩の力を抜こうと思う。今年はそんな年にしたい。



朝のうちにやっとお大師堂へ初詣。

年末から疎かにしていたことがあってとても気になっていた。

Sさんに電話したら「俺に任せちょけ」と言ってくれて

鏡餅をお供えしてくれたり花枝も新しく活け替えてくれる。

トイレ掃除も出来なかった。なんとも心苦しい限りである。


今朝は千両を持って行ったら誰かが南天を添えてくれていた。

お堂の中はすっかりお正月になっておりなんとほっとしたことか。

皆が気にかけてくれていることがとても嬉しく思う。

協力し合ってのこと。なんとしてもお堂を守らねばならない。

10年後、20年後を思う。お参り仲間さんも高齢になるだろう。

この私にしろ生きているとは限らないけれど

後世に残せるようなお大師堂で在り続けて欲しいと願ってやまない。




午後、母の施設の介護士さんから電話があり

母が転倒し腰を痛めたらしい。幸い骨折は免れたようだが

痛みを訴えており湿布薬で様子を見ているとのこと。

気になったのですぐに母に電話をしたら思ったよりも元気そう。

「転んだろ?」と問えば「さあ覚てない」と惚ける。

「正月やにお餅も食べれん」と言うので少し憐れでもあった。

高齢者ばかりの施設のこと喉に詰まらす事故を防ぐためだろう。

「昨夜はお刺身を食べた」と。好物なので嬉しかったようだ。


施設で新年を迎えたのは二度目だろうか。私の記憶も定かではない。

母の存在までもが薄れていくのがとても切なく思えて来る。


母は幸せなのだろうか。新年を迎え何を祈っているのだろうか。



2023年01月01日(日) お年玉

穏やかに新年を迎える。清々しい朝のこと。

ふっくらとこころに蕾をみつけたような気がした。

咲けるかどうかわからない。生きてみなければと思う。

新鮮な息を感じながらすくっと前を向いていた。


糸であるかのような日々。私はまた一枚の布を織り始める。

透明な糸もあるだろう。手探りでその感触を確かめる。

それが自分を信じることなのではないだろうか。





お昼に元旦の宴会。やはり息子は来ることが出来なかった。

仕事は休めたようだが酷く神経質になっている様子。

まるで自分がコロナに感染しているような口ぶりであった。

それだけ職場がパニックに陥っているのだろう。

憐れでならないけれどこればかりはどうしようも出来ない。


せめてけい君だけでもと連れに行ってやって良かった。

ずっと楽しみにしていたようだ。にこにこ笑顔でやって来る。

お寿司や大好きな鶏のから揚げを喜んで食べてくれた。

午後にはあやちゃん達と凧揚げ。生まれて初めてだったようだ。



お正月と云えばお年玉。これが昔とは桁が違う。

貰う子供たちは大喜びであるが親はたまったもんではない。

お互いに子供が居るものだから同額のお年玉を返さねばならない。

そうなればもはや義理となりなんとなく辛いものがある。


姪っ子。義弟とけい君もお年玉を貰った。

息子の代わりに急いでお年玉を用意して渡したけれど

こんなことはもう来年から止めた方が良いのではと思う。

予め姪っ子達に伝えておくべきだろう。


そんなことを考えながらけい君の気持ちを思うと複雑な気持ちになる。

やはりお年玉は無くてはならないものかもしれない。


あやちゃんとめいちゃんは総額3万円近くあったそうだ。

時代は変わったのだなとつくづく思った。

私の財布にはボーナスの残りがわずかに残っている。





2022年12月30日(金) 小晦日

あと少し私は布を織っている明日は広げて一枚にする


上手く出来ない日もあった

綻びてしまいそうな時も


糸は真っ直ぐではなく

絡んでばかりいたけれど

息を吹き掛けながら織る



夢のようなことかもしれない

分不相応なことかもしれない


それでも諦めずに織り続けてきた

あした私は一枚になる





とうとう明日は大晦日。駆け抜けたような一年が終わる。

出来ないことが多くなり不甲斐なさを感じたこともあった。

けれども生きてさえいればと精一杯だったように思う。

ありのままの自分を認めることは出来たのだろう。


今年もコロナに始まりコロナで終わる年になってしまったけれど

今のところ家族皆が守られており奇跡のように思っている。

危機感や不安からは逃れそうにもないが少しでも気を強く持っていたい。

そうして穏やかに笑顔で新年を迎えたいものだ。


こうして日々を綴る場所を与えられていて幸せだと思う。

どんな日もあったけれど書くことで救われていたのではないだろうか。

嘆いてばかりいないでリセットすることが出来たような気がする。


そんな私の日々におつきあい下さった皆様には感謝に尽きます。

この一年ほんとうに有難うございました。

今年最後の日記になってしまいましたが

皆様どうか健やかに良いお年をお迎えくださいね。



2022年12月29日(木) ご苦労様でした

穏やかな冬晴れ。天使の微笑みのような陽射しだった。


朝の国道から山道に入るとご夫婦かなと思われるお遍路さん。

おそらく夜明け前に宿を経ったのだろう。

女性の方が一歩先を歩き男性は後を追うように歩いていた。

肩を並べて歩くお遍路さんは殆ど見かけない。

会話をするでもなくただ黙々と歩き続けている。


今年も沢山のお遍路さんに出会うことが出来た。

声を掛けることは出来なかったけれどこれも「縁」なのだと思う。

通勤路が遍路道でほんとうに有難いことである。





職場は仕事納めの予定であったが午後になりハプニングが。

車検整備の完了した車に不具合が見つかったのだった。

納車も出来なくなり義父と同僚が何とかしようと手を尽くす。

もう三時を過ぎていた。急いで隣町の宿毛市へと向かう。


「ご苦労様でした」ほんの寸志ではあるがボーナスを手渡す。

これで今年の私の仕事はすべて終わったことになる。

資金繰りは決して順調ではなかったけれど

後はなんとかなるだろうと楽観的に考えていた。

実は私自身がボーナスが欲しかったのはここだけの話である。



お財布が一気に豊かになりうきうきしながら買い物をする。

まずフライパンを買った。古いのをずっと我慢して使っていたから

これでまた料理の腕を上げられそうで未来はとても明るい。


お餅は「サトウ」が見つからず仕方なく「越後」を買った。

防腐剤などは入っていないようだ。安心してお雑煮が食べられそう。

残ったら冷凍保存が出来るし良き鍋の友にもなるだろう。


明日は元旦の食材を買いに行く。娘が好きなので数の子は必須。

蟹はすでに諦めているいるけれど海老ぐらいは買いたい。

もうわくわくが止まらない。これもすべてボーナスのおかげである。



残念なのは息子達が来られないかもしれないこと。

務めている介護施設でコロナのクラスターが発生したのだそうだ。

おそらく元旦も仕事になるのではないだろうか。

息子は今のところ大丈夫のようだけれど油断は出来ない。


どうかどうかと手を合わし続けた一年だった。

守られていることがまるで奇跡のようにも思える。

平穏無事は決して当たり前の事ではないのだとつくづく思うばかり。



2022年12月28日(水) お餅難民

曇り日。朝の寒さをそのままに日中も寒さが続く。


28日の末広がり。大安吉日でもありお餅を搗いた家が多かったようだ。

山里でも義父の友人から鏡餅とのし餅、あんこ餅が届く。

のし餅を少し分けて欲しかったけれど言い出せず。

義父も誰かに分けたいだろうと遠慮してしまった。



子供の頃には隣近所の人が集まり皆でお餅搗きをしたものだった。

それぞれの家族総出でまるでお祭りのような騒ぎである。

今のような餅搗き機は無く臼と杵でぺったんぺったん。

大人たちの掛け声。「ほりゃあ」とか「よいしょ」とか

子供心にその光景がとても嬉しく楽しくてならなかった。


私は粉をまぶす前のお餅が大好きで水で濡らしては食べた。

杵の周りにくっついているお餅が特に美味しかったと記憶している。

もう二度と食べられないと思うとよけいに食べたくなるものだ。



嫁いでからは姑さんを手伝って機械でお餅搗きをした。

5升位搗いたのではなかっただろうか。結構たくさんあった。

芋餅、青海苔餅もある。搗きたての柔らかいお餅はとても美味しい。


元旦のお雑煮は各家庭によって違うものだけれど

姑さんの作るお雑煮には必ずニンニク葉が入っていた。

ニンニク葉は嫌いではないけれど独特の匂いがする。

初めて食べた時には少し違和感を感じたけれど

郷に入れば郷に従えである。次第に慣れて美味しく思えるようになった。

そんな懐かしいお雑煮も今ではもう食べられなくなってしまう。


夫にとっては母親の味だが私はニンニク葉を入れない。

夫も入れろとは言わないので我流を貫き続けている。



さてお餅です。今年も買わなければいけない。

今日もスーパーでどうしようかなと迷っていたけれど

市内のお餅屋さんのは結構高くて増々迷ってしまうのだった。

一個ずつ袋入りの全国規模のメーカーのはお手頃価格である。

でも防腐剤が気になる。カビないようにかなり手を加えているだろう。

明日も迷うかもしれないけれど大晦日までには決めないといけない。


これではまるでお餅難民であるが新年を迎える第一歩に思える。


ぺったんぺったん子供の頃のお餅搗きが懐かしくてならない。







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