穏やかな冬晴れ。天使の微笑みのような陽射しだった。
朝の国道から山道に入るとご夫婦かなと思われるお遍路さん。
おそらく夜明け前に宿を経ったのだろう。
女性の方が一歩先を歩き男性は後を追うように歩いていた。
肩を並べて歩くお遍路さんは殆ど見かけない。
会話をするでもなくただ黙々と歩き続けている。
今年も沢山のお遍路さんに出会うことが出来た。
声を掛けることは出来なかったけれどこれも「縁」なのだと思う。
通勤路が遍路道でほんとうに有難いことである。

職場は仕事納めの予定であったが午後になりハプニングが。
車検整備の完了した車に不具合が見つかったのだった。
納車も出来なくなり義父と同僚が何とかしようと手を尽くす。
もう三時を過ぎていた。急いで隣町の宿毛市へと向かう。
「ご苦労様でした」ほんの寸志ではあるがボーナスを手渡す。
これで今年の私の仕事はすべて終わったことになる。
資金繰りは決して順調ではなかったけれど
後はなんとかなるだろうと楽観的に考えていた。
実は私自身がボーナスが欲しかったのはここだけの話である。
お財布が一気に豊かになりうきうきしながら買い物をする。
まずフライパンを買った。古いのをずっと我慢して使っていたから
これでまた料理の腕を上げられそうで未来はとても明るい。
お餅は「サトウ」が見つからず仕方なく「越後」を買った。
防腐剤などは入っていないようだ。安心してお雑煮が食べられそう。
残ったら冷凍保存が出来るし良き鍋の友にもなるだろう。
明日は元旦の食材を買いに行く。娘が好きなので数の子は必須。
蟹はすでに諦めているいるけれど海老ぐらいは買いたい。
もうわくわくが止まらない。これもすべてボーナスのおかげである。
残念なのは息子達が来られないかもしれないこと。
務めている介護施設でコロナのクラスターが発生したのだそうだ。
おそらく元旦も仕事になるのではないだろうか。
息子は今のところ大丈夫のようだけれど油断は出来ない。
どうかどうかと手を合わし続けた一年だった。
守られていることがまるで奇跡のようにも思える。
平穏無事は決して当たり前の事ではないのだとつくづく思うばかり。
曇り日。朝の寒さをそのままに日中も寒さが続く。
28日の末広がり。大安吉日でもありお餅を搗いた家が多かったようだ。
山里でも義父の友人から鏡餅とのし餅、あんこ餅が届く。
のし餅を少し分けて欲しかったけれど言い出せず。
義父も誰かに分けたいだろうと遠慮してしまった。
子供の頃には隣近所の人が集まり皆でお餅搗きをしたものだった。
それぞれの家族総出でまるでお祭りのような騒ぎである。
今のような餅搗き機は無く臼と杵でぺったんぺったん。
大人たちの掛け声。「ほりゃあ」とか「よいしょ」とか
子供心にその光景がとても嬉しく楽しくてならなかった。
私は粉をまぶす前のお餅が大好きで水で濡らしては食べた。
杵の周りにくっついているお餅が特に美味しかったと記憶している。
もう二度と食べられないと思うとよけいに食べたくなるものだ。
嫁いでからは姑さんを手伝って機械でお餅搗きをした。
5升位搗いたのではなかっただろうか。結構たくさんあった。
芋餅、青海苔餅もある。搗きたての柔らかいお餅はとても美味しい。
元旦のお雑煮は各家庭によって違うものだけれど
姑さんの作るお雑煮には必ずニンニク葉が入っていた。
ニンニク葉は嫌いではないけれど独特の匂いがする。
初めて食べた時には少し違和感を感じたけれど
郷に入れば郷に従えである。次第に慣れて美味しく思えるようになった。
そんな懐かしいお雑煮も今ではもう食べられなくなってしまう。
夫にとっては母親の味だが私はニンニク葉を入れない。
夫も入れろとは言わないので我流を貫き続けている。
さてお餅です。今年も買わなければいけない。
今日もスーパーでどうしようかなと迷っていたけれど
市内のお餅屋さんのは結構高くて増々迷ってしまうのだった。
一個ずつ袋入りの全国規模のメーカーのはお手頃価格である。
でも防腐剤が気になる。カビないようにかなり手を加えているだろう。
明日も迷うかもしれないけれど大晦日までには決めないといけない。
これではまるでお餅難民であるが新年を迎える第一歩に思える。
ぺったんぺったん子供の頃のお餅搗きが懐かしくてならない。
冬晴れの日が続いている。このまま穏やかに新年を迎えたいものだ。
長期予報では新年早々からまた強い寒波が襲って来るらしい。
寒さにはずいぶんと慣れたけれどやはり身構えてしまう。
幸い以前のような恐怖心は無くなっておりそれだけで救われる思い。
懇意にしているお客さんから冬野菜を取りに来るようにと電話があった。
昨年までは軽トラックで持って来てくれていたがもう無理らしい。
抗がん剤の副作用で酷く辛そうな様子であった。
お宅を訪ねたら窓際のベットに横たわっており痛々しい。
それでも声は朗らかで「なんぼでも持って行けよ」と言ってくれる。
奥さんと一緒に畑に行くとそれは見事な白菜や大根だった。
大根を引き抜く。私のふくらはぎ位ありとても大きい。
白菜は奥さんが包丁で切り落としてくれた。それも私の頭位ある。
私は大根を抱え奥さんが白菜を抱え車に運び込む。
足が痛くてよろよろしていたら奥さんのなんと逞しいこと。
つい「おばちゃんはえらいね」と言ってしまった。
同じ申年で私より12歳の年上であったが「おばちゃん」は失言だった。
しまったと思ったけれどもう言ってしまったことは仕方ない。
気を悪くしたのではと思ったけれど笑顔で見送ってくれた。
もし私が12歳年下の人にそう呼ばれたらショックだったことだろう。
これからは気をつけなければいけないなと肝に銘ずる。
種を蒔き野菜を育て収穫の楽しみもあったことだろう。
治療はどんなにか辛いだろうけれど負けないでいて欲しい。
今は昔と違って癌イコール死ではない時代である。
克服した人も大勢いる。私の夫の弟もその一人だった。
来年の冬も野菜を頂きに行きますよ。楽しみにしていますからね。
今日もほっとするような冬晴れ。陽射しのなんと有難いこと。
あたりはすっかり冬枯れているけれどきらきらと眩しい。
昨夜はとんだ間違いをしていたことに今朝になって気づく。
日記の題名を「カミングアウト」と書いていたのだった。
自分では「カウントダウン」のつもりだったのに
どうしてそんな間違いをしたのかとても不可解である。
似ているようで全く違う意味の言葉だった。
幸いこの日記は修正が出来るが穴があったら入りたいくらいである。
カミングアウトするようなことは今のところ何もない。
この先もしあれば正直にここに記そうと思う。

仕事を終えていつものスーパーに寄ったら
店内がすっかり歳末モードに変わっていた。
なんとなくそわそわと落ち着かない気分になってしまう。
「マイマイする」と言うのだけれどこれは方言だろうか。
とにかくマイマイするのである。決してカタツムリではない。
年越しそばなどもう買う人がいるのだろうか。
鮮魚売り場の数の子や蟹のびっくりするような高値。
私はすべてを無視するようにしながら夕食の献立を考えていた。
なんだかそれが後ろめたいような複雑な気分になる。
もうすでに年の瀬の波にもまれているのだろう。
流されまいと足を踏ん張っているような気持だった。
自分なりに計画を立てて少しずつ買い揃えようと思っている。
お財布は寂しいがなんとかなるだろう。
心まで貧しくなってしまったら新年に申し訳ない。
風もなく穏やかな冬晴れ。ずっとこんな日が続けば良いのにと思う。
大雪で大変な暮らしを強いられている人達に申し訳ないけれど。
与えられた土地ごとに与えられた試練があるのだろう。
耐え忍ぶことも大切なことなのかもしれないと思った。
午前中に川仕事へ。最終日にやっと手伝うことが出来た。
海苔網を見ておどろく。それは昨年よりも悪い状態であった。
それでも見捨てる訳にはいかない。いのちを守るような気持である。
一枚ずつ漁場に張りながら「頑張れ頑張れ」と声を掛けていた。
足元に魚がすいすいと泳いでいる。なんと可愛らしいこと。
チヌに見えたが黄ビレだったのかもしれない。
魚網を持っていたら簡単に捕まえられそうだったけれど
「これが意外とすばしっこい奴でな」と夫が笑っていた。
自然の真っ只中での作業も感慨深いものがある。
二人で頑張った甲斐があり一時間半程ですべての網を張り終える。
海苔が育つかどうか分からないけれど心地よい達成感があった。
川仕事で身体を動かしたのが良かったのか「やる気」が出て来る。
みずぼらしい玄関先をなんとかしようとホームセンターへ向かった。
葉牡丹とスノーボール、ガザニアを買い求める。
葉牡丹6本を寄せ植えにしてみた。なんと素晴らしいことでしょう。
しばしうっとりと眺めながら私もなかなかやるなと思った。
新年は玄関からやって来る?そんなわけはないけれど
少しでも新年を迎える準備が出来て清々しい気持ちになった。
家の中は「ざりんこ状態」て手の付けようがない。
特に床の間のある部屋は娘達の物置と化している。
そうだ玄関に鏡餅を供えよう。これも素晴らしいひらめきである。
とにかく出来ることから始めよう。最低限でも新年はやって来る。
じたばたしないこと。完璧にしようと思わないことが肝心だ。
夕食はクリスマスの鍋パーティーだった。
寄せ鍋でタラの身や牡蠣、鶏団子やボイルホタテ等で結構豪華。
明日から大晦日までは質素な夕食になるが我慢して貰いたい。
息子から連絡があり元旦にはけい君と一緒に来てくれるそうだ。
お嫁さんは無理らしい。やはり体調が優れないのだろうか。
数年前の元旦には台所も手伝ってくれたことなど思い出す。
揚げ物が得意で鶏のから揚げを作ってくれたのだった。
無理強いは出来ず仕方ないことだけれど
息子も苦労をしているだろうと思うと心が痛むばかりだった。
あれこれの心配はさらりと水に流しておこう。
一週間後にはもう新年を迎えるのだ。
今朝は銀世界とばかり思っていたけれど
幸い雪は降っておらず積雪もなかった。
水道管の凍結も無くいつもと変わらない平和な朝を迎える。
あまりの曇り空に洗濯物を干さず乾燥機に入れたけれど
次第に青空が見え始め素晴らしいほどの冬晴れとなった。
なんとなくショック。洗濯物を干せば良かったと残念でならない。
もう後の祭り。ついくよくよとしてしまうのは私の悪い癖だ。
川仕事の予定だったけれど夫が一人で行くと言ってくれる。
おかげでカーブスへ行けたけれどあまり楽しくはなかった。
いつも足を気遣ってくれていたコーチが辞めてしまったとのこと。
カーブスへ通い始めて一年半になるけれど信頼していたコーチが
ことごとく辞めてしまい今回でもう4人目となった。
ふとブラックな企業なのではないかと思う気持ちが脳裏を掠める。
そうではないと信じたいけれどあまりにも退職者が多過ぎる。
かと言って私まで退くわけにはいかない。続けられる限り頑張りたい。
午後は炬燵に潜り込みひたすら怠惰に過ごす。
また3時間ほど眠っていたようだ。夫がすっかり呆れていた。
大掃除どころか小掃除もしていない。まったくやる気が出ないのだ。
一週間後には大晦日だというのにいったいどうなることだろう。
せめて少しでも新年を迎える準備をしたいものだと思っている。
夕食はささやかにクリスマスイブ。
娘がスシローでお寿司を。クリスマスケーキも買って来てくれた。
なんだか愉快なくらいに張り切っていて微笑ましく感じる。
家族揃って賑やかに夕食を食べられて私も嬉しくてならなかった。
大雪による停電でクリスマスイブどころではない人達がいることを
忘れてはならない。どんなにか不便を強いられていることだろう。
すべての人に平等に幸福な時が訪れますようにと祈らずにいられない。
| 2022年12月23日(金) |
雪の日のワンタンスープ |
目覚めたら雪が降っていた。
幸い積もるほどの雪ではなかったけれど
めったに雪が降ることがない高知市で14センチの積雪があったそうだ。
観測史上最高の雪とのこと。どんなにか戸惑ったことだろう。
県内では雪のため停電となった地域があったようだ。
南国高知でもそんなことがあるのかと気の毒でならない。
夜になり復旧したのかも分からない。未だ詳しい報道は無かった。
家の灯りはもちろんのこと電気が必要な暖房器具は使えない。
今は昔ながらの石油ストーブがある家も少ないだろう。
オール電化の家が多くなり停電となればたちまち暮らせなくなる。
厳しい寒さの中どれほどの人が耐えていることだろうか。
とにかく一刻も早い復旧を祈らずにはいられない。
今朝は恐る恐るの山道であったが道路凍結は無かった。
そればかりか山里に着くと雪は全く降っておらず青空が見えていた。
突風のような強い風が吹いていたけれど陽射しは十分にある。
これはよくあることで山里が大雪になった時には
近隣の町は晴れていることが多い。不思議なことだなと思う。
仕事を終えて帰り道の国道では横殴りの雪だった。
娘から電話があり孫達を迎えに行って欲しいと頼まれる。
買い物を済ませてからそのまま小学校へと向かった。
校門の近くで待っていたら手を振っているめいちゃんが見える。
お迎えが思いがけなかったのか二人ともとても喜んでくれた。
娘は予定外の残業とのこと。一人で夕飯の支度を頑張る。
ほうれん草の白和えとワンタンスープを作った。
後は塩サバとお惣菜のチキンボール。
じいちゃんとお風呂に入っためいちゃんがすぐに食卓に付き
ワンタンスープを飲んでくれてとても嬉しかった。
あやちゃんはお母さんが帰るまで食べないと言い張る。
メニューが気に入らないのか少し不貞腐れていた。
つんつんされると悲しくなる。けれどもめげる訳にはいかない。
明日はクリスマスイブなのでご馳走を食べようね。
今は雪が止んでいるけれど深夜にはまた降り出すかもしれない。
明日の朝は一面の銀世界だろうか。
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