西日本の暖かさも今日までだろうか。
夕方から風が冷たくなり気温が下がり始めている。
明日の朝は今季いちばんの冷え込みになりそうだ。
「寒さなければ花は咲かず」と言い聞かせている。
私の心にもきっと蕾がふくらむ時が来るだろう。
たとえ今は裸木であっても嘆くことはするまいと思う。

内科の通院日。先月から薬が増えており診察を受けねばならなかった。
予約制ではないのでなるべく早く行って順番を取ることにする。
その甲斐があって午後の診察の一番に診てもらえた。
緊張していたつもりはなかったが血圧が異常に高い。
医師がまた薬を増やそうとしていたがしばらく様子を見ることに。
「白衣高血圧」と言うらしい。病院で測ると高くなってしまうのだ。
先月から服用している抗不安薬は今までの倍の処方となる。
今のままで良いのにと思ったけれど医師に逆らえなかった。
精神的なものなので自分でもよく分からないところがある。
いずれにしても薬に頼らなければいけない状態なのだろう。
薬漬けではあるけれど私はけっこう元気だと思っている。

帰宅してパソコンを起動しSNSを見ていたら
母がお世話になっている施設のツイートが発信されていた。
そこには満面の笑顔の母の写真が添付されてあった。
今日は理容師さんに髪をカットして貰ったらしい。
前回はそれが嫌でたまらず泣きながらだったことを思い出す。
ずっとお気に入りの美容院へ行きたかったのだ。
けれどもコロナ禍でそれを諦めざる得なかった。
母も観念したのだろう。笑顔からそれが伝わって来る。
さっぱりと気持ち良くなった。それが嬉しくてならない。
引用リツイートをしたらすぐに母から電話があった。
写真を撮ってくれた介護士さんが母に知らせてくれたらしい。
離れていても会えなくても繋がっているのだなと思った。
弟にも知らせなくては。電話をしたら「もう見たぞ」と
弟一家も施設のSNSを常に気にかけているようだ。
「元気そうで良かったな」弟の声もいつになく弾んでいた。
今朝は寒さが和らいでいたけれど
山里では初霜が降りておりおどろく。
平野部に比べると気温が3℃ほど低くなっていたようだ。
職場の事務所に入ると義父が暖房を点けてくれていた。
そんな心遣いが嬉しくてならない。有難いことだなと思う。
日中は穏やかに晴れる。みい太の日向ぼっこに心が和む。
Kちゃんが抱っこして撫でていた。けっこう甘えん坊である。
猫の居る職場は本当に癒されるものだ。

あんずの命日。猫ではなく我が家の愛犬だったあんず。
もう9年の歳月が流れてしまったけれど昨日の事のように思い出す。
朝に夕に散歩した川辺の道。あんずは草と戯れるのが好きだった。
庭で飼っていたので時々脱走をして困らされたこともある。
その時はお大師堂まで行っており叱ることも出来なかった。
私と毎日お参りに来ていたのだ。よく覚えていたものだと思う。
15歳を過ぎてからは日に日に老いの衰えが見え始めた。
人間の一年のうちに犬は7歳も年を取るのだそうだ。
まともに歩けなくなり思うように散歩にも行けなくなる。
仕方なく犬用の紙おむつで排尿の手助けをしていたけれど
血尿が出始めていておそらく腎臓が悪かったのではないだろうか。
可哀想でならなかったけれどもう病院へ連れて行くことはしなかった。
寒い夜が続いていて何とかして家の中で寝かせようとした。
せめて毛布で包んであげたくてならなかったけれど
あんずは犬小屋がよほど気に入っているのか尻込みをして動かない。
とうとう昏睡状態になりやっと抱えて家の中に入れることが出来た。
毛布で包み湯たんぽを抱かせた。
水も飲めなくなり3日目の事だったと記憶している。
夜中に悲鳴のような声を発し翌朝にはもう冷たくなっていたのだった。
せめて一晩中抱いていてあげればよかった。
私の腕の中で息を引き取らせてあげたかったと今でも悔やんでいる。
9年前の寒い日のことだ。あんずは小さな骨壺に納まり帰って来た。
おおむね晴れ。日中は今日もほっこりと暖かくなる。
週間天気予報では水曜日頃から大寒波だとか。
北国では大雪。西日本でも氷点下の朝になりそうである。
覚悟さえ出来ていれば怖気づくこともないだろう。
生まれてから66回目の冬だ。これまでも乗り越えて来たではないか。
歳のせいになどしてはあまりにも愚かなことだと思う。
今日は何処にも出掛けずゆったりと過ごす。
午後少しだけ海苔の様子を見に行っていた。
網は微かに緑に染まっているけれど生育は芳しくない。
それでも精一杯に生きていると思えば愛しいものである。
水質や水温。自然環境はどれほど過酷なことだろう。
なんとしても乗り越えて欲しいと祈らずにいられなかった。
諦めてしまったら海苔の命があまりにも不憫ではないか。
夫と相談して来週末から漁場に網を張る作業をすることになった。
今は5枚づつ重ねてあるのを1枚に分けて張るのである。
海苔が一気に弱る可能性もあり慎重に行わなければいけない。
お向かいのご主人が落ち鮎漁に行っていて大漁だったようだ。
とても食べきれないと沢山いただき有難いこと。
今夜は鮎の塩焼き。後は豚汁と炊き込みご飯だった。
娘達が珍しく一緒に食べてくれて賑やかな夕食となる。
昨夜の複雑な気持ちは何処へやら。素直に嬉しくてならない。
めいちゃんが眠くなっていて私と一緒にお風呂に入る。
この前入った時にもう最後かもしれないと思っていたものだから
なんだか夢のように思えてとても嬉しかった。
ぷりぷりしたお尻のなんと可愛らいいことだろうか。
私には喜怒哀楽の「怒」が無い。
それは歳を重ねるごとに薄れて行ったように思う。
「哀」はまだまだしぶとい。一生捨てきれないかもしれない。
ここに記すことも「哀」に満ち溢れている時もある。
今日は「喜」と「楽」の日で本当に良かったなと思う。
晴れのち曇り。気温は高くなりぽかぽかと暖かくなった。
おとなりの山茶花が散り始め花弁が我が家の庭にも舞い込んでくる。
殺風景な庭のこと。花弁を掃き集めもせずそのままにしてある。
秋に植えた小菊も枯れ始めてしまった。
剪定をしたほうが良いだろうか。来年もきっと咲かせたい。
そろそろ新年を迎える準備も。近いうちに葉牡丹を植えよう。
ろくに掃除もしない玄関先は薄汚れていてみっともない。
何から手を付けようと気ばかり急いてしまって何も出来ずにいる。

今夜は娘達が夕食は要らないと。外食かなと思ったらそうではなく
家族で買い出しに行き今から支度をするようだった。
月に一回くらいはそんな日がありとても助かっている。
「たまには好きなようにさせてやれ」と夫も言う。
ただ少し複雑な気持ちになってしまうのだった。
毎日の私が考えるメニュにうんざりしてしまったのではないか。
この9年間、私なりに精一杯のことをしてきたつもりである。
娘の意見や孫達のリクエストにも応えて来た。
マンネリ化していたとしてもそれは仕方ないことだと思う。
悪い方に考えればきりがない。これは娘達の楽しみなのだ。
あやちゃんに声を掛けたらとても嬉しそうにしている。
朝はポテトチップス。お昼はカップ麺だったのだ。
私が何か作ろうかと言っても「要らない」の一点張りだった。
家族揃っての買い物がよほど楽しかったのだろう。
今夜はステーキを焼いてもらうのだそうだ。
娘達との同居があとどれくらい続くのかまだ先が見えない。
ある日突然にそれを切り出されることも在り得るだろう。
私も夫も覚悟は出来ている。むしろ望んでいるのかもしれない。
ステーキが焼けたようだ。階下からは家族水入らずの談笑が聴こえる。
| 2022年12月09日(金) |
「カタチ」ではない縁 |
日中は随分と暖かくなる。陽射しのなんと有難いこと。
北海道では積雪が1メートルを超えた地域があるようだ。
除雪をしなければ日々の暮らしも成り立たない。
その苦労を思うと頭が下がる思いである。
北と南では大きな差がある。それはどうしようもないことだろう。
せめて親身になって労う気持ちを持ちたいものだと思う。
そうして自分がどれほど恵まれているか思い知らなければいけない。

もう20年来の友の誕生日。57歳になったようだ。
ネットを通じて知り合い掛け替えのない縁を頂いた。
もちろん一度も会ったことはないけれど私は親友だと思っている。
いつか必ず日本海に沈む夕陽を見に行くと約束したこともある。
お互いが12月生まれで誕生日にメールを交わし合っていた。
私もまだ若かったのだろう。それが楽しみでならなかった。
けれども次第にそれが億劫になって来たような気がする。
一昨年の私の誕生日にはメールの返信を怠ってしまったのだった。
友は私の気持ちを察してくれたのだろう。
昨年からメールは途絶えすっかり音信不通になってしまう。
それでも私は少しも寂しさを感じなかった。
「これでいいのだな」と思った。その距離が愛しくも思えた。
友を想う気持ちは変わらない。今でも大切な親友だと思っている。
友は私よりもずっと若いがお互いに歳を重ねて来た。
もう誕生日を祝い合う歳ではないのもしれない。
それよりももっと大切なことがあるような気がしている。
「カタチ」ではないのだ。縁は目に見えるものではない。
繋ぎ留めるよりも離れることでその縁が深まるのではないだろうか。
友を懐かしく思い起こしている。この気持ちはきっと届く。
| 2022年12月08日(木) |
たかがお湯されどお湯 |
快晴。優しい陽射しが降り注ぎ暖かな一日となった。
栴檀の木の実がきらきらと輝き花のように見える。
実がなる木は沢山あるけれど私は栴檀の木が一番好きだ。
あちらこちらで見かけるのは鳥が実を運ぶからだそうだ。
実を食したことはないが鳥にとっては貴重な糧なのだろう。
八つ手の花も満開になった。白くて清楚な花である。
縁起物だと聞いたことがあるがかつて母が植えていたのだろう。
もう母の目に触れることも無くふと切なさが込み上げてくる。

夕食後、食器を洗いながら父のことを思い出していた。
確か16歳の冬のことではなかっただろうか。
洗い物をするのに冷たいだろうと瞬間湯沸かし器を買ってくれたのだ。
当時はまだ贅沢品で高価な物だったと記憶している。
ボタンを押すとガスの炎が見えて「ボボ」っと音がした。
そうして蛇口から温かいお湯が出て来るのである。
私は夢ではないかと思うほど感激で胸がいっぱいになった。
それ以来食器洗いが大好きになったのは言うまでもない。
父はいつも優しかった。私を不憫に思っていたのかもしれない。
そんな父のことを母は知りはしないのだ。
いったいどれほどの憎しみがあったのだろうかと思う。
話すきっかけもないまま歳月は流れるばかりだったのだ。
20歳の頃、母を頼らざる得なかった私は短期間ではあったが
母と義父の暮らしに身を寄せていた時があった。
台所には当たり前のように瞬間湯沸かし器が備えてある。
それだけで母が幸せであるように思えた。
たかがお湯。されどお湯。些細な記憶なのかもしれない。
いつまでもここにはいられない。
わずか数か月後、私は母の元を潔く去って行った。
二十四節気の「大雪」もう真冬と言って良いだろう。
今朝はいちだんと冷え込んだけれど日中は少し暖かくなった。
秋の名残の紅葉がまだ残っていて冬の陽射しを浴びている。
銀杏の木はすっかり裸木となり空に枝を伸ばしている。
桜の木も裸木だけれどとても凛として佇んでいるのだった。
冬ならではの景色を楽しんでいる。冬も良いものだなと思う。

義父を訪ねてとある人が相談に来ていてとても困っている様子。
どうやら借金があり家財道具を差し押さえられるようだった。
義父も親身に耳を傾けていたけれど何の手立てもない。
助けてあげたくてもどうすることも出来ないのだった。
その人は仕方なく肩を落として帰って行った。
師走になるとありがちなことだけれど理不尽にも思える。
どれほど負い目があろうともそこまで追い詰めるものだろうか。
また暗い話になってしまった。つい書いてしまったようだ。
もっと明るい話をと思うのだけれど今は何も思い浮かばない。
日々にそうそう浮かれてばかりもいられないのだろう。
幸せは「仕合せ」であるがすべてが思い通りとは限らない。
ただ平穏無事に一日を終えられ有難いことだと思っている。
ぐっすりと眠ればまた新しい朝がやって来るだろう。
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