| 2022年11月29日(火) |
明日のことがわからない |
雨風ともに強くなる予報だったけれど
幸い小雨のままで一日が終わる。
夕暮れ時には少しふっくらとした三日月が見えていた。
明日から一気に冬らしくなるのだそうだ。
師走も目前となり当然のことだと思う。
逃げも隠れもしない。冬に立ち向かうしかないだろう。
お隣の山茶花が満開になった。ピンク色でとても可愛い。
もうすでに散り始めている山茶花が多いけれど
遅咲きだったのだろう。種類にもよるのかもしれない。
お隣の奥さんは家を手放し娘さんの処に身を寄せると聞いていた。
そろそろなのかなと案じているけれど今のところ何の音沙汰もない。
まさか突然に黙って行ってしまうことはないだろう。
顔を合わすことはめったにないが洗濯物を目にするとほっとする。
週末には娘さんが里帰りして来て笑い声が聞こえる時もある。
「夫に先立たれる」考えただけで私は気が狂ってしまいそうだ。
独りぼっちで暮らす自信など全くありはしない。
そのうえに老いが重なればどれほど不安で心細いことだろう。
夫は「俺よりも長生きしろよ」と口癖のように言う。
私も夫を残しては死んでも死にきれないと思っている。
一日でも良い。夫を見送ってから逝けたら本望なのだ。
いつだって明日のことがわからない。
それでも未来を信じて日々を生き抜いていきたいものだ。
| 2022年11月28日(月) |
どんな日もあって良し |
曇り日。気温のわりに肌寒く感じる。
お天気は下り坂で明日は雨になるようだ。
今度こそ寒波を誘うらしい。本格的な冬になることだろう。
先日処方してもらった薬が効いているらしく
入浴時のふたふた感がすっかり無くなった。
おかげでゆったりと湯船に浸かることが出来る。
薬に頼りたくはなかったが仕方ないことだろう。
けれども病気だとは思いたくない。
ただ少し精神的に不安定になっているのだと思う。
誰にだってそんな「弱さ」があるのではないだろうか。

月末が近くなり事務仕事も忙しくなった。
今日は義父の指導を受けつつ請求書作りをする。
正規の料金表はあるけれどそれでは義父が納得しない。
結果的に大幅な値引きをせざる得なかった。
駄目出しも何度かあり私は頭を抱えるばかりである。
一時間の残業となりくたくたになって帰宅する。
洗濯物が乾いていなかったらしく夫が乾燥機に入れてくれていた。
それを一足早く帰宅した娘がたたんでくれていてとても助かる。
ささやかなことだけれどほっと嬉しくてならない。
夕飯は半額でゲットした塩サバ。予想通りに不評。
ほうれん草の卵とじ。これも不評で誰も食べない。
孫達にはチキンナゲット。これは喜んで食べてくれた。
夕飯のメニューを考えるだけで精一杯だったのだ。
誰一人文句は言わないけれど残されると悲しくなる。
毎日頭を悩ませている私の身にもなって欲しい。
これは愚痴なのだろうか。私も愚痴が言えるようになったのだろうか。
まあどんな日もあって良しと思いたい。
明日のことはまた明日である。
小春日和の有難いこと。暖かい陽射しが燦々と降り注ぐ。
「今日はどうする?」日曜日の夫はもうそれが口癖になった。
以前は私に乞われしぶしぶと出掛けることが多かったけれど
最近ではまるでお株を取られたように積極的である。
何処に行くあてもなかったが取り合えず車に乗ってから考える。
先週は東に向かったので今日は西に行くことになった。
宿毛市から大月町の柏島へ。土佐清水市経由で帰って来る。
柏島は真っ青な海と景観が見事な観光地であるが
今日は少し違和感を感じた。鰤の養殖場だろうか海一面を覆う筏。
それがいかにも人工的に見えて景観を損なっている気がした。
「漁師も生活があるからな」夫の言葉に頷くしかない。
観光では暮らしが成り立たないのが現実なのだろう。
ここ数年の間に一気に養殖筏が増えたものと思われる。
観光地と言ってもダイビングの大きな店があるだけだった。
港まで行くと細い路地が続き行き止まりになっている処もある。
もちろんコンビニも無く食事処も見当たらなかった。
道を歩く人も見えない。なんとも寂しく胸がせつなくなるばかり。
大月町の国道沿いまで戻りコンビニでお弁当を買う。
私の大好きなチキン南蛮弁当があってとても嬉しかった。
海が見える場所で食べるつもりだったけれどもう我慢が出来ない。
土佐清水市に入り国道沿いに車を停めて空腹を満たす。
私がさっさと先に食べ終えたものだから夫が可笑しそうに笑っていた。
「次は昼寝だな」まさにその通りになって帰り道はうたた寝。
気がつけばもう自宅近くの交差点であった。
いつも寝てばかりで夫には本当に申し訳ないと思っている。
帰宅してからもまだ眠く2時間ほど眠っていたようだ。
「千秋楽だぞ」夫とまた大相撲を観る。
照強は今日も負けてしまったけれど悔しさがきっとバネになるだろう。
高安は悲願の初優勝が叶わず来場所に期待するしかない。
28年ぶりの巴戦で阿炎が初優勝を果たしたのは意外だった。
勝負の世界は最後の最後まで分からないものだなと思う。
私は勝った力士よりも負けた力士に感動をおぼえる。
私も「負け組」なのだろう。ずっとずっと負け続けている。
朝のうちは小雨が降っていたけれど夕方には晴れる。
夕暮れ時には西の空が茜色に染まりか細い三日月が浮かんでいた。
まるでメルヘンの世界のようでうっとりと眺める。
ふと少女の頃のせつなさを思い出した。
恋しいひとも同じ空を見上げているのだろうかなどと。
そうして涙ぐんでしまったことなど懐かしくなる。
もう二度とそんなことはないだろう。私は恋を忘れてしまった。

職場は休みではなかったが私だけお休みを頂いていた。
心苦しさはあるけれど自分時間を優先したいと思う。
週一のカーブスはもはやリハビリにも等しく欠かせないこと。
終わり次第に職場に駆けつけることは出来たけれど
義父が無理をしなくても良いと言ってくれたのだった。
おかげで午後は心身ともにゆったりと過ごすことが出来る。
3時頃からおでんを煮込んだ。家中におでんの匂いが漂う。
それはとても幸せなあたたかい匂いであった。
おでんを弱火で煮込みながら夫と大相撲を観る。
私は炎鵬と照強のファンなのだけれど
今場所の照強はまだ一勝も出来ず憐れでならなかった。
今日も宇良に負けてしまって涙が出そうになる。
「ぎりぎりの崖っぷちなんだ」と夫が言う。
精神的にどれほど追い詰められていることだろうと案じずにいられない。
それでも照強は豪快に塩を投げ続けている。
決して自信があるわけではないだろう。
けれども気合は籠っている。それが唯一の救いのように思えた。
崖っぷちに立たされた時、人はいったい何を思うのだろう。
絶体絶命だと悲観し希望を見失ってしまうのだろうか。
私は違うと思う。それはむしろ試されているのではないか。
もし限界だとしても進む道は必ずあるはずなのだ。
自ら飛び込むことはしない。そうして自分を信じること。
勇気を持って運命に立ち向かっていかねばならない。
負けてもいい。勝つためだけの人生なら私は要らない。
初冬とは思えないほどの暖かさが続いている。
長期予報では師走に入るなり厳しい寒さになるのだそうだ。
お隣のアロエの花がもう少しで咲きそう。
熱帯植物のイメージがあるが毎年冬になると鮮やかな花を咲かせる。
オレンジ色のまるで蠟燭の炎のような明るい花である。
花の少ない季節だけにまるで奇跡ではないかと思うほど。

お昼に娘からメールがあり帰宅が遅くなるとのこと。
今夜は簡単に「しゃぶしゃぶ」にした。
それとお惣菜売り場で「鯵の南蛮漬け」を買って来た。
おそらく昨日の売れ残りの鰺なのだろう。
沢山入っている割に格安でしかも美味しい。
物価高に喘ぐ貧乏所帯にはまるで天からの恵みのようである。
天からの恵みと云えば市がまた給付金をくれるのだそうだ。
名目は「物価上昇に伴なう非課税世帯への給付金」となっている。
一世帯あたり5万円であるがどれほど助かることだろう。
来月中旬には口座に振込があるらしい。
我が家は光熱費に消えてしまうけれど有難いことだと思う。
家業の海苔養殖は今のところまだ目途が立たない。
わずかに海苔の芽が見え始めてはいるが育つかどうか。
最悪の場合は昨年同様に収穫ゼロになってしまうだろう。
そんなわけで捕らぬ狸の皮算用も出来ずにいる。
ただまだ完全に諦めているわけではない。
もしかしたらと微かな希望を抱き続けている。
自然相手のこと。まさにこれこそ天からの恵みなのではないだろうか。
昨日の雨で寒気が流れ込んで来るのではと思っていた。
今朝は思いがけずに暖かくほっと胸を撫で下ろす。
一雨ごとに冬が深まるわけでもなさそうだ。
SNSでは未だに「秋」とつぶやく人が多く違和感を感じている。
「立冬」「小雪」となれば季節は初冬なのではないだろうか。
もちろん反論は出来ない。それが少なからずストレスになっていく。
波長の合う人と合わない人もいる。それも仕方ないことだろう。
私は極力誰とも親しくならないことを心掛けている。
言葉は悪いが「触らぬ神に祟りなし」なのかもしれない。

山里では2件のお葬式があった。義父が喪服を着て出掛ける。
仕事が立て込んでおり時間のロスであったが義理は欠かせない。
義父は夜なべで仕事をすると言う。それも苦にはならないようだ。
そんな義父のおかげでどれほど助かっていることだろう。
私は事務仕事以外は何も出来ない。それがもどかしくてならない。
母は整備士の資格を持っていたけれど工場で働くことはなかった。
私もそれで良いのだろうか。全く役には立たないのだけれど。
同僚にはなんと口うるさい事務員だと思われているかもしれない。
頭の中はもう12月のスケジュールでいっぱいになっている。
繁忙期をなんとしても乗り越えなければいけない。
義父や同僚には大きな負担を掛けざるに得ないだろう。
難破船は何処の海を漂っているのやら。
やがては辿り着く島があるのに違いない。
雨のち曇り。あたりをしっとりと潤すような静かな雨。
幸い気温は高めで冷たさを感じなかった。
勤労感謝の日で祝日であたっが娘夫婦は仕事に行く。
何のための祝日だろうと思うけれど
働いてくれている人達のおかげで暮らしが成り立っている。
市街地では「一条大祭」市を代表する一条神社のお祭りだった。
昔から寒さが一気に厳しくなる頃で小雪が舞った年もある。
今日は生憎の雨であったが参拝者は多かったのかもしれない。
子供の頃には親と行くよりも子供同士で行くのが習いだった。
お小遣いを貰ってバスに乗って行くのがとても楽しみであった。
今の子供はどうなのだろう。昔ほど興味が無いようにも思われる。
神社に関心が無くなり出店も楽しみではなくなっているようだ。
欲しいものはいつでも手に入る世の中になってしまっている。
我が家では仕事を終えた娘夫婦がめいちゃんだけ連れて行く。
あやちゃんは例の調子で「別に・・」とそっけない。
夕食は帰宅してから食べるそうであやちゃんは私達と一緒に食べた。
食べ終わるなりお風呂に入り今は宿題をしているようだ。
洗った髪が濡れたままだったので「また風邪を引くよ」と
声をかけたら「うん、わかった」ととても素直である。
もし一緒に暮らしていなかったら独りぼっちでいるのだろうか。
子供心に私達を頼ってくれているような気もして嬉しかった。
そろそろ娘達が帰って来る頃である。
めいちゃんは大好きな綿菓子を買って貰っただろうか。
にこにこ笑顔を待っている夜のこと。
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