ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年11月22日(火) 生きる勇気

二十四節気の「小雪」そろそろ雪が降り始める頃。

季節はもう本格的な冬と言って良いだろう。

南国土佐は暖かな一日となったけれど北国を気遣う。

もうすでに初雪が降っており厳しい寒さに見舞われていることだろう。



仕事帰りに星ヶ丘公園に立ち寄っていた。

樹々の紅葉がわずかに見られたけれどあたり一面が雀色。

竜胆も枯れ始め山茶花も散り始めていた。

葉をすっかり落とした柿の木がたわわに実を残していたのが

唯一の彩りに見えほっと心が和んだような気がする。


植物も冬支度なのだ。寒さを乗り越えてこその春なのに違いない。





椎名誠の「ぼくがいま、死について思うこと」を読んでいるが

死を恐れる気持ちや不安な気持ちが無いことに勇気づけられる。

「悪運に強い」と記されているが正にその通りだろう。


生命力は人それぞれだと思うけれど自分の命を信じること。

これくらいのことでくたばってたまるもんかと思いたい。


幸い私はこれまでの人生で九死に一生を得たことはない。

辛いことは沢山あったけれど命に関わる事ではなかった。

少女時代に「死にたい」と思ったことはあったが

そう思う自分を憐れに思うばかりであった。

自分が可哀想でならない。けれども死んでしまえばもっと可哀想だ。

人は何があっても生きることを諦めてはいけないのだと思う。


瀬戸内寂聴は「定命が尽きるまで」と言った。

定命とは仏教の言葉でこの世に生まれた時からすでに定まっている

寿命のことである。幼い死もあれば長寿を全うすることもある。

それは誰にも知らされていない。だからこそ生きなければならない。

今日かもしれない明日かもしれない漠然とした命である。


私が死を怖れるようになったのはまだ40代の頃だった。

怖れと云うより不安でならなかった。心細くてならなかったのだ。


確かに生きているのだけれど心もとない。

これで良いのかこのままで良いのかと自問自答を繰り返すばかり。

自分がとてつもなく儚い存在に思えてならなかった。


今思えばそれはとても愚かなことだったのかもしれない。


とにかく与えられた一日を全うすること。

今は精一杯に生きているのだと自分を信じている。



2022年11月21日(月) 私は捨てない

小春日和が続いていると急に冬将軍がやって来そうな気がする。

私はまだ寒さを怖れているのだろうか。自分でもよく分からない。

覚悟はしているつもりだけれど少し臆病になっているようだ。



ご近所の奥さんから頂いていたコキアがすっかり枯れてしまった。

「枯れたら捨ててね」と言われていたのだけれど

潔くそれが出来ずに未だに玄関先に置いたままだった。

根があるのだから春になったら新芽が出るのかもしれないとか

来年の秋には紅葉するかもしれないとか未練がましく思っている。

たぶん私は捨てない。ささやかな希望を持ち続けていたい。





土曜日曜と二日続けて母から電話があった。

ちょうど私がこの日記を書いている時のこと。

着信履歴を見て私が掛けていたと思い違いをしたようだった。

「それは先週の事やろ」と言ったら「ありゃそうかね」と応え

「私って呆けちゃったのかしら」とひょうきんな声を発する。


介護士さんに屋上へ連れて行って貰ったのがよほど嬉しかったらしく

二日続けて同じ話をする。「昨日も聴いたけん」とつい言ってしまった。

すぐにしまったと思ったけれどもう後の祭りである。

何度でも耳を傾けてあげるべきだったと深く反省をした。


土曜日曜はリハビリも休みで介護士さんも最小限のようだった。

母にとっては誰もかまってくれない寂しい週末だったのだろう。

訊きもしないのに「ご飯が美味しい」「なんと幸せ」と言う。


それが少し切なかった。まるで寂しさを胡麻化しているよう。

母は沢山の人に囲まれていてもどうしようもなく孤独なのだと思う。


私は薄情な娘のままだった。今も母からの電話を待ってはいない。

ただ母を捨てることは決して無いと思う。





2022年11月20日(日) 海とラーメン

日中は曇りの予報だったけれど思いがけずに晴天となる。

気温も20℃を越えずいぶんと暖かくなった。

初冬の陽射しのなんと有難いことだろう。



朝陽が射し始めた頃にお大師堂へ。

お堂に続く小径には枯れ葉がたくさん舞い落ちていた。

踏みしめながら歩くのがなんとも心地よい。

川岸では魚釣りをしている人がいた。

のどかな朝の風景にこころが和む。


花枝(しきび)が気になっていたので持参して行って良かった。

葉がずいぶんと落ちておりもう限界だったようだ。

誰かが菊の花を添えてくれていた。

お参り仲間さんの心遣いが嬉しくてならない。


手水鉢の水が空っぽになっており残念でならなかったけれど

足の痛みがあり川の水を汲みに行けなかった。

誰かが汲んで来てくれるだろうと前回にもそう思ったことだった。

人を頼りにしてはいけないのだなとつくづく思う。

私も「出来ない」と決めつけているのかもしれない。


川のせせらぎの音を聴きながら般若心経を唱えた。

最後には願い事ばかりでお大師さんに申し訳ない。





10時頃からプチドライブ。真っ青な海を眺めながら四万十町まで。

お目当ては例の行列の出来るラーメン屋さんであったけれど

駐車場は満車状態で仕方なく諦めざるを得なかった。

町中まで戻り国道沿いのお食事処のお店に入った。

初めてであったが落ち着いた雰囲気の庭がありこれは良いなと思う。

紅葉した木の根元にふくろうの置物がありとても可愛かった。


他のお客さんは皆ラーメンを食べており美味しそう。

私達も迷わずにラーメンセットを注文する。

混んでいるにも関わらず10分で運ばれてきて驚いた。

スープは少し濃い目。麺は程よい柔らかさ。

もやしは入っていなかったがたっぷりの葱とチャーシュー。

チャーハンには紅生姜がトッピングされていた。


「満足、満足」夫と二人お腹を撫でたのは言うまでもない。

行列の出来る店に拘らなくても穴場が確かに在ったのだった。

「また来ようね」と笑顔で帰路に就く。


私は凄く眠くなってしまってこっくりこっくりしながら

時々はっとしたように真っ青な海を眺めていた。



2022年11月19日(土) 家族団らん

曇り日。時おり霧のような雨が降る。

朝は晴れていたので大量の洗濯物を干していた。

すぐに取り入れ乾燥機のお世話になる。

以前はよくコインランドリーに行っていたけれど

ずいぶんと便利な世の中になったものだ。


子供たちが赤ん坊の頃には布おむつが乾かない時

一枚一枚アイロンを掛けていたことを思い出す。



午前中に図書館とカーブス。

図書館では椎名誠のエッセイ本を2冊借りて来た。

椎名誠の本を読むのは20年ぶり位ではないだろうか。

とにかく懐かしい。まるで古い友人に再会したようだ。


カーブスでは知り合いのお仲間さんに久しぶりに会えて嬉しい。

憂鬱な気持ちは何処へやら。おかげで今日はとても楽しかった。

やはり気の持ちようなのだとつくづく思ったりする。

コーチの励ましにも素直に頷いている自分がいた。

笑顔は大切。きっと心も微笑んでいたのだろう。



午後は炬燵に潜り込みひたすら怠惰に過ごす。

孫達の昼食は娘が用意して行っていたのでとても助かった。

お昼に声を掛けたら「勝手に食べるけん」とあやちゃんが言う。

本当に手が掛からなくなった。それがちょっぴり寂しい。



夕飯は娘が牡蠣フライを揚げてくれて私は肉じゃかとオムライスを作る。

娘婿が珍しく早くに帰宅していたけれど一緒に食べることはしない。

もうそれが当たり前の日常になりずいぶんと経った。


先に夫と二人でさっさと食べる。会話も殆どしないことが多い。

食べ終わるとすぐに席を立ち娘たちに食卓を譲るのだった。

それも慣れてしまうと気にもならず当然のことになっていく。


「家族団らん」には程遠い暮らしだけれど寂しさは感じない。

娘たちの楽しそうな声を聴くだけで幸せだなと思うのだった。









2022年11月18日(金) 心を鬼にする

朝の寒さもつかのま。日中は小春日和となる。

寒暖差にもすっかり慣れて来たようだ。


芒の穂がずいぶんと白くなって来た。

人間だと70歳位だろうか。老いを感じる頃である。

それでも陽射しを浴びてきらきらと輝いている。

嘆くことなど何ひとつないのだろう。

やがては枯れることも怖れてはいないのだ。

そんなふうに生きられたらどんなに良いだろうか。


私も野に在りたい。そうして命を全うしたいと思った。





工場にみい太の子供であると思われる子猫がやって来た。

先日見かけた時よりも少し大きくなっている。

さほど瘦せ細ってはおらず元気な足取りにほっとしたけれど

いったい何を食べて暮らしているのかと気掛かりでならない。


子猫を見つけた義父が突然石を投げ始めて驚く。

そこまでしないでもと思ったけれど何も言えなかった。

子猫は一目散に逃げて行ったがその後姿のなんと憐れなこと。


義父にしてみれば工場を猫だらけにするわけにはいかないのだろう。

みい太は仕方ないとしても子猫の面倒まで見る気はないのだ。

心を鬼にしているのがわかるだけにとても複雑な気持ちになった。



山里には「猫屋敷」と呼ばれている民家がある。

ざっと数えただけでも10匹は居るのではないだろうか。

その民家の主は生活保護を受けていると聞いたことがある。

自分の暮らしもままならないのに猫達と暮らしているのだった。

身を削っても猫達に愛情を注ぎ続けているのだろう。

陰口を叩く人もいるらしいが全く気にしていないようだった。

たとえ猫でも尊い命には変わりないのだと思う。



義父はこれからも石を投げ続けるのだろうか。

私は出来ることならばそんな義父の姿を二度と見たくないと思う。





2022年11月17日(木) だから悔いはない

曇り日。薄日が射す時間帯もあったが肌寒い一日だった。

おひさまの有難さをつくづくと感じる。


山里の秋桜畑で種を採取している人達を見かけた。

それほど広い畑ではなかったがなんと綺麗な秋桜だったことか。

種はいつ頃蒔くのだろう。春先だろうかと思いを馳せる。

来年もきっとたくさんの花を咲かせてくれることだろう。




今日は高知県芸術祭文芸賞の発表があった。

通知が来ない時点で諦めてはいたのだけれど

落選ならそこに自分の名が無いことを確かめたかった。

やはり思った通り。佳作にも私の名は無かった。


不思議と失望は感じない。むしろすっきりと心地よい。

認められたい欲を断捨離したような気分であった。

「励み」とは何だろうと漠然と思う。

認められ褒められることだろうか。それが自信に繋がるのか。

そうではないのだと今日ははっきりと自覚したように思う。


踏みにじられ拒絶され打ち捨てられてこそ

「励み」が生じるような気がする。

根性が座ると云うか立ち向かう勇気のようなものが湧いて来る。


私は試されたのだろう。どれほどのものが書けるのか。

ある意味限界だったのかもしれないけれど精一杯であった。

だから悔いはない。決して負けたのではないと思っている。





仕事から帰宅したらあやちゃんが平熱になっていた。

食欲も出て来たようでもう大丈夫だろう。

心配性の私にうんざりしたのか「おばあちゃんはうるさい」と言う。

それだけ元気になった証拠でありむしろ嬉しく思う。


家族の平穏無事を祈り続けている日々。

もし定命が尽きても私は祈り続けていることだろう。



2022年11月16日(水) 今こそ希望を

今朝は今季いちばんの冷え込みとなる。

日に日に寒さに慣れて来たのだろうさほど苦にはならなかった。

いつものように4時に起床しパソコン画面と向き合っていたけれど

ただ自分の息を感じるだけで空白に押しつぶされそうだった。


ありのままを記せば見苦しい。自分がとても愚かに感じる。

それでも生きているのだと思った。「いま」を書き残しておきたい。

その一心で言葉を綴る。ほかの誰でもない「わたし」がそこに居る。

どれほど無様でも見捨てることなどどうしてできようか。





あやちゃんが昨夜から発熱。

コロナ禍の学校の規則でめいちゃんも休まなければいけなかった。

学校側も万一の事を考えて慎重に対処しているのだと思う。


娘が仕事を休み小児科へ連れて行っていたら

PCR検査を受けるために10人ほど車中で待機していたらしい。

おそらく何人かは陽性だったと思われるが幸いなことに

あやちゃんは陰性でただの風邪だろうと診断を受けたとのこと。

私が帰宅した頃には微熱になっておりほっと胸を撫で下ろした。

めいちゃんも明日は学校に行けると喜んではしゃいでいる。



県の感染者数の発表は毎日あるけれど

市町村別の感染者数の発表が無くなりしばらく経った。

市内でどれほどの感染が拡大しているのか全く分からない。

それで良いのだろうかと疑問に思わずにいられない。

自然と緊迫感が薄れる。危機感ももちろんのことである。

気のせいかもしれないけれど感染対策も疎かになっているのではないか。


山里で仕事をしていると特にそれを感じる。

殆どの人がマスクを着用していないのだった。

事務所の入り口に消毒液を置いてあるが使用する人は皆無である。

そればかりは強制できなくて戸惑うことが多い。


夫に話したら「自分の身は自分で守れよ」と言われた。

マスクの着用はもちろんのこと手洗い消毒はマメにしている。

以前の経験からいつ自分が濃厚接触者になるとも限らない。


終わらないコロナは無いと信じたいが今のところ前途は暗い。

ただいつかは終息するだろうと漠然と思うばかりである。

今こそ希望を持つべき時なのかもしれない。


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