ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年11月15日(火) 父の魂

11月も中旬となり初冬らしさが増してきた。

一昨日の雨がきっかけになったのではないだろうか。

これからも一雨ごとに寒さが厳しくなって来ることだろう。


秋桜が散ってしまい芒ばかりが目に付くようになったけれど

今日は職場の庭の片隅に山茶花の花を見つけて心が和んだ。

母が育てていた花を見るとなんだか胸が熱くなってしまう。






父の命日。もう19年の歳月が流れたのかと感慨深く思う。

25年ぶりの再会が叶いその9日後のことであった。

独り暮らしのアパートで「孤独死」なんと憐れな最期だったことか。

しかも24時間誰もその死を知らず私が知ったのも翌日のことだった。

安らかな死顔であったがどれほど寂しかったことだろう。

すっかり冷たくなった父と添い寝しながら何度も話し掛けていた。



父は昭和4年、県東部の安田町で5人兄弟の次男として生まれた。

少年期は戦争の最中で父も少年兵を志願しようとしていたらしい。

16歳で終戦。高等小学校を卒業後中学に進学出来ずにいた父は

林業の手伝いなどをしながらやがて営林署の職員になっていた。


母との出会いについては何も聞かされていない。

何度か訊いたことがあったが教えてはもらえなかった。

高知市内の洋裁学校に通っていた母との接点が確かにあったのだろう。


子供の頃には頑固で厳しかったような記憶もあるけれど

母と離婚してからの父はとても優しかった。

その優しさを裏切るようなことを私はしてしまったのだ。

今となってはもう取り返しのつかないことだけれど

父は寛容でありいつも私の味方をしてくれていたのだ。


離れて暮らすようになって孫の顔も見せてあげられなかった。

25年の歳月を父はどんな思いで暮らしていたことだろう。

息子と娘が初めて父に会ったのは父の葬儀の日だったのだ。



父が亡くなってから不思議なことが沢山あった。

それはいつも私が窮地に立たされていた時ばかりで

必ずと言って良いほど救われるような出来事が起こった。

神様や仏様よりもそれは父のおかげだと私は信じている。

父の魂はずっと私の傍に居て私を守ってくれているのだと思う。








2022年11月14日(月) リラックス

晴れてはいたけれど気温はあまり上がらず

時おり吹く風に冬の気配を感じた。


昨夜は7時には床に就きひたすら眠る。

午前4時にはいつも通りに目覚め「ああ生きているな」とほっとした。

大げさかもしれないけれどそれ程までに私は臆病者らしい。



ちょうど今日は定期の内科通院日だったので診察を受ける。

医師とは以前から相性が悪く少し気が重かったけれど

藁にもすがる思いで昨夜の事を話さずにいられなかった。

そうしたら思いがけずに親身になってくれ救われたように思う。


どうやら血圧のせいで眩暈が起こったのではなく

眩暈が起こったからパニックになり血圧が上がったのらしい。

軽い眩暈は誰にでも少なからずあるとのこと。

もし脳や心臓の不整脈が原因なら立っていられないほど酷いそうだ。


入浴が怖く緊張するのはやはり持病の不安神経症のせいらしい。

また薬が増えてしまうけれど抗不安薬を服用することになった。

なるべくなら薬に頼りたくないけれど仕方ないことだと思う。


病は気からと云うが私の「気」のなんと情けないことだろう。

学んだはずの自己暗示術もすっかり忘れていることに気づく。


入浴は一日の疲れを癒しリラックスするためのものである。

決して命を落とすために自ら危険を冒すものではない。


もちろん人はいつかは死ぬけれど「定命」がある。

それは誰にも知らされておらずだからこそ精一杯に生きねばならない。


お風呂で裸んぼうで死んでたまるか。今夜はそう思った。

弱気になってはいけない。そんな負け方をしてはいけないのだ。








2022年11月13日(日) めまい

雨のち晴れ。夕方にはほうずき色の空が見えた。


入浴中に眩暈。すぐに治まったが血圧が少し高くなっている。

暖かい夜なのにどうしてだろうと不可解でならない。

精神安定剤を服用し様子を見ているが胸がふたふたとするばかり。


いつものように書きたいけれど書けない。

明日は仕事に行かねばならず今夜は安静にしていた方が良さそうだ。


思うようにいかなくて口惜しくてならない。

神様仏様。明日はどうか書けますように。

私のいのちをお守りください。助けてください。



2022年11月12日(土) 家族の行方

晴れの天気予報が外れてしまいぽつぽつと雨が降ったりする。

大量の洗濯物を仕方なく取り入れなければならずなんだかむなしい。


むなしいは「虚しい」とも「空しい」とも書くが

この場合どちらを選べばよいのかよくわからない。

わからないも「分からない」「判らない」「解らない」と書ける。

自信がないものだからついひらがなに頼ってしまった。

無知の上に語学力が足らない。馬鹿ではないと思うのだけれど。




朝のうちにカーブスへ行っていたがまたメンタルを遣られる。

そっとしておいて欲しいのにどうして励ますのだろう。

過剰な誉め言葉ももうたくさんだと思った。

気が滅入るばかりで挨拶もそこそこに逃げるように帰って来た。

脱会するつもりはないが続ける自信もない。

何事も気の持ちようと自分を宥め続けるしかないだろう。



娘夫婦が仕事だったので孫達と昼食。

娘が作り置きのドライカレーを解凍してくれていた。

あやちゃんは食卓で食べてくれたがめいちゃんは二階で食べる。

私が運ぼうとしていたら自分でお盆に載せて運んでくれた。


幼い頃のように子守をするでもなく静かな午後であった。

そっと部屋を覗いたら二人とも頑張って宿題をしていた。

日記の宿題もあるようでそれは明日書くのだそうだ。


今夜はお婿さんの実家で食事会だとか皆で出掛けている。

お婿さんのお兄さんが里帰りしているのだそうだ。

娘は気を遣うかもしれないけれどきっと楽しんでいるだろう。


そんなわけで夫と二人きりの夕食。すっかり楽をさせてもらった。

近所の魚屋さんでお刺身を買って来て後はローソンのチキン。

そんな手抜きにも夫は文句ひとつ言わず有難いことである。

いつかは訪れるであろう二人暮らしもまんざらではないかなと思う。

すっかりやる気を無くした私が目に見えるようである。

夫はそれでも我慢してくれるのだろうか。



息子が突然に家を出てからもう何年になるのか忘れてしまった。

娘もあっけなく家を出て行ったがかれこれ12年程前だったろうか。

日記を読み返せばすぐに分かることだけれどそれが出来ずにいる。


家族4人で暮らしていた頃がとても懐かしく思われてならない。




2022年11月11日(金) よい酔い日記

外気温20℃ずいぶんと暖かな夜になった。

人の躰にはいちばん優しい気温ではないだろうか。

入浴中の緊張感も無くゆったりと湯船に浸かった。

お風呂上がりの冷たい焼酎が身に沁みるように美味しい。


焼酎を好むようになったのはかれこれ40年程前だったろうか。

夫の晩酌がビールから焼酎に替った頃だったと記憶している。

貧乏所帯にはビールは贅沢品であり止む無く焼酎に切り替えたのだ。

それでも夏の間はビールだった。寒くなると焼酎になっていた。

夫は焼酎よりもビールを好み随分と我慢をしたことだろう。

夏のビール解禁をどれほど待ちわびていたことか。


私はまだ子育ての真っ最中で晩酌とはいかなかったけれど

時々寝る前に焼酎を少しだけ飲んでいた記憶がある。

それが寝酒の始まりで今に至っているのであろう。

安眠はもちろんであるがリラックス感が半端ない。

習慣と云うよりすっかり癖になり無くてはならない物になった。

アルコール依存症なのかもしれないけれどあまり気にしてはいない。

たまに飲み過ぎて泥酔する時もあるけれどそれも御愛嬌としている。


泥酔と云えば若い頃に急性アルコール中毒になったことがある。

成人式を目前にして友人たちと日本酒を冷でがぶ飲みしたのだった。

確かお茶碗で飲んだ。私は調子に乗って一気に三杯も飲み干した。

その後の意識は無く3日ほど寝込んだことだけは憶えている。


成人式には人並みに振袖が着たくてならなかった。

けれども結婚したらもう振袖は着てはいけないらしい。

その前に振袖が無い。着ていく着物さえ一枚もなかった。

成人式の当日は布団の中で過ごす。まだ頭がしぶしぶと痛んでいた。


今思えば苦い思い出なのかもしれないけれど懐かしくてならない。

なんと若かったことかと自分が誇らしげにも思えて来る。


焼酎の話から脱線してしまったけれどこれも愉快なこと。

今夜の日記は「よい酔い日記」としよう。


三杯目の焼酎を飲み干した。後はぐっすりと眠るだけだ。



2022年11月10日(木) 鍵付きの日記帳

小春日和が続いている。20℃を超すと随分と暖かい。

そんな暖かさのせいとは思えないけれど

職場の近くにある銀杏の木がなんだかおかしい。

例年ならば黄金色に色づきそうして葉を落としていくのだけれど

今年はどうしたことだろう。黄金色になる前にもう散り始めている。

枝ばかりの裸木のなんと憐れなこと。胸に切なさが込み上げて来る。

木にも病気があるらしいが何らかの異変が起きているのだろうか。

陽射しを浴びてきらきらと輝いていたかつての銀杏を想い起こす。


苦しくはないか。辛くはないか。そう声を掛けてあげたくなった。





まだこの一年を振り返るには少し早いけれど

少しずつ今年の日記を読み返している。

きっかけはけい君と一緒に行ったドライブのことだった。

去年だったか今年の春だったか思い出せなくて

気になると確かめなければ気が済まない性分である。

どうやら今年の5月のことだったらしい。

半年前のことを忘れているのだから私の記憶力は当てにならない。

それが10年前、20年前ともなるとはるか昔のことである。

けれども日記を読んでいるとその記憶が鮮やかに蘇って来るのだった。

書き残しておいて本当に良かったと思う。

今日の日記もやがては過去になるだろう。

いまここに居る私も過去の人になってしまうのだ。


その時何を想い何を感じたか。正直に在りのままを記しておきたい。

愚かな自分も無様な自分も確かに生きていたのだから。


永遠の命が無いように永遠の日記も無いだろうと思っている。

今はネット空間に頼り切っているけれどいつ消滅するか分からない。


少女時代に鍵付きの日記帳を持っていたけれど

あれはいったい何処に行ってしまったのだろう。

捨てた記憶は無い。そうして何を書いていたのかも忘れてしまった。



2022年11月09日(水) 月が私を見ている

夜明け前、名残の月を仰ぎながら自分について考えていた。

心に問うと云うよりも心を追い詰めるようなこと。

逃げも隠れもしないのだ。何処に向かおうと私の勝手なのだろう。


欲だらけの醜さ。綺麗ごとばかりの見栄。分不相応な拘り。

どうやらそれが私の真実の姿であるらしい。

「月が私を見ている」そう記してやっと自分を認めることが出来た。

生きてきたことを誇りに思いたい。そうしてこれからも生きていきたい。






今日は整形外科の受診日だった。医師との会話が楽しみでならない。

とても親身になってくれてまるで心療内科のようだった。

手術を勧めてくれたけれどほぼ2か月の入院になるとのこと。

仕事を持つ身にはとても無理な話であった。

私が「80歳になったら考えます」と言ったら医師の笑うこと。

おまけに「そのうちぽっくり死ぬかもしれないし」と言ったら

悪い冗談だと思ったのか医師も看護師さんまでも笑い転げていた。


けれどもそれは私の本音である。

痛みをあの世まで持って逝くという選択肢もあると思うのだ。

あの世に逝けば手も足もない「魂」になるのだから

痛みのない素晴らしい世界が待っているのではないだろうか。

そう思うと死ぬのもまんざら悪くはないなと思ったりする。


いや、待てよ。私は長生きをするのだったとはっと気づく。

そのうち腰も曲がるだろうし杖に頼るのも良いかもしれない。

今はおしゃれな杖もあるしちょっと憧れたりもするのだった。


目標は米寿かな。夫に先立たれた未亡人と云う設定も良い。

でも独り暮らしは寂しいだろうな。気が狂ってしまいそうだ。

それよりも施設に入居した方が良いだろうか。

子供達に迷惑を掛けるのだけはなんとしても避けたい。


その頃には施設もインターネットし放題になっているだろう。

私はノートパソコンで最後の最期まで書き続けるのであった。


もう充分に生きた。もう思い残すことはない。そう思える日まで。




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