ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年11月11日(金) よい酔い日記

外気温20℃ずいぶんと暖かな夜になった。

人の躰にはいちばん優しい気温ではないだろうか。

入浴中の緊張感も無くゆったりと湯船に浸かった。

お風呂上がりの冷たい焼酎が身に沁みるように美味しい。


焼酎を好むようになったのはかれこれ40年程前だったろうか。

夫の晩酌がビールから焼酎に替った頃だったと記憶している。

貧乏所帯にはビールは贅沢品であり止む無く焼酎に切り替えたのだ。

それでも夏の間はビールだった。寒くなると焼酎になっていた。

夫は焼酎よりもビールを好み随分と我慢をしたことだろう。

夏のビール解禁をどれほど待ちわびていたことか。


私はまだ子育ての真っ最中で晩酌とはいかなかったけれど

時々寝る前に焼酎を少しだけ飲んでいた記憶がある。

それが寝酒の始まりで今に至っているのであろう。

安眠はもちろんであるがリラックス感が半端ない。

習慣と云うよりすっかり癖になり無くてはならない物になった。

アルコール依存症なのかもしれないけれどあまり気にしてはいない。

たまに飲み過ぎて泥酔する時もあるけれどそれも御愛嬌としている。


泥酔と云えば若い頃に急性アルコール中毒になったことがある。

成人式を目前にして友人たちと日本酒を冷でがぶ飲みしたのだった。

確かお茶碗で飲んだ。私は調子に乗って一気に三杯も飲み干した。

その後の意識は無く3日ほど寝込んだことだけは憶えている。


成人式には人並みに振袖が着たくてならなかった。

けれども結婚したらもう振袖は着てはいけないらしい。

その前に振袖が無い。着ていく着物さえ一枚もなかった。

成人式の当日は布団の中で過ごす。まだ頭がしぶしぶと痛んでいた。


今思えば苦い思い出なのかもしれないけれど懐かしくてならない。

なんと若かったことかと自分が誇らしげにも思えて来る。


焼酎の話から脱線してしまったけれどこれも愉快なこと。

今夜の日記は「よい酔い日記」としよう。


三杯目の焼酎を飲み干した。後はぐっすりと眠るだけだ。



2022年11月10日(木) 鍵付きの日記帳

小春日和が続いている。20℃を超すと随分と暖かい。

そんな暖かさのせいとは思えないけれど

職場の近くにある銀杏の木がなんだかおかしい。

例年ならば黄金色に色づきそうして葉を落としていくのだけれど

今年はどうしたことだろう。黄金色になる前にもう散り始めている。

枝ばかりの裸木のなんと憐れなこと。胸に切なさが込み上げて来る。

木にも病気があるらしいが何らかの異変が起きているのだろうか。

陽射しを浴びてきらきらと輝いていたかつての銀杏を想い起こす。


苦しくはないか。辛くはないか。そう声を掛けてあげたくなった。





まだこの一年を振り返るには少し早いけれど

少しずつ今年の日記を読み返している。

きっかけはけい君と一緒に行ったドライブのことだった。

去年だったか今年の春だったか思い出せなくて

気になると確かめなければ気が済まない性分である。

どうやら今年の5月のことだったらしい。

半年前のことを忘れているのだから私の記憶力は当てにならない。

それが10年前、20年前ともなるとはるか昔のことである。

けれども日記を読んでいるとその記憶が鮮やかに蘇って来るのだった。

書き残しておいて本当に良かったと思う。

今日の日記もやがては過去になるだろう。

いまここに居る私も過去の人になってしまうのだ。


その時何を想い何を感じたか。正直に在りのままを記しておきたい。

愚かな自分も無様な自分も確かに生きていたのだから。


永遠の命が無いように永遠の日記も無いだろうと思っている。

今はネット空間に頼り切っているけれどいつ消滅するか分からない。


少女時代に鍵付きの日記帳を持っていたけれど

あれはいったい何処に行ってしまったのだろう。

捨てた記憶は無い。そうして何を書いていたのかも忘れてしまった。



2022年11月09日(水) 月が私を見ている

夜明け前、名残の月を仰ぎながら自分について考えていた。

心に問うと云うよりも心を追い詰めるようなこと。

逃げも隠れもしないのだ。何処に向かおうと私の勝手なのだろう。


欲だらけの醜さ。綺麗ごとばかりの見栄。分不相応な拘り。

どうやらそれが私の真実の姿であるらしい。

「月が私を見ている」そう記してやっと自分を認めることが出来た。

生きてきたことを誇りに思いたい。そうしてこれからも生きていきたい。






今日は整形外科の受診日だった。医師との会話が楽しみでならない。

とても親身になってくれてまるで心療内科のようだった。

手術を勧めてくれたけれどほぼ2か月の入院になるとのこと。

仕事を持つ身にはとても無理な話であった。

私が「80歳になったら考えます」と言ったら医師の笑うこと。

おまけに「そのうちぽっくり死ぬかもしれないし」と言ったら

悪い冗談だと思ったのか医師も看護師さんまでも笑い転げていた。


けれどもそれは私の本音である。

痛みをあの世まで持って逝くという選択肢もあると思うのだ。

あの世に逝けば手も足もない「魂」になるのだから

痛みのない素晴らしい世界が待っているのではないだろうか。

そう思うと死ぬのもまんざら悪くはないなと思ったりする。


いや、待てよ。私は長生きをするのだったとはっと気づく。

そのうち腰も曲がるだろうし杖に頼るのも良いかもしれない。

今はおしゃれな杖もあるしちょっと憧れたりもするのだった。


目標は米寿かな。夫に先立たれた未亡人と云う設定も良い。

でも独り暮らしは寂しいだろうな。気が狂ってしまいそうだ。

それよりも施設に入居した方が良いだろうか。

子供達に迷惑を掛けるのだけはなんとしても避けたい。


その頃には施設もインターネットし放題になっているだろう。

私はノートパソコンで最後の最期まで書き続けるのであった。


もう充分に生きた。もう思い残すことはない。そう思える日まで。





2022年11月08日(火) もう嘘はつかない

今夜は満月。皆既月食らしいが窓からは月が見えない。

外に出れば見えるだろうがそれも億劫になってしまった。

行動力が無い。興味も好奇心も無いのかもしれない。

それを歳のせいにしてしまうのは卑怯なことだろうか。


時々自分が解らなくなる時がある。

正直なふりをして嘘をついているのではないか。

ここには本音を記しているつもりだが不確かであやふやな時もある。

誇りはあるが自信は無い。無いものを在るように見せかけている。

「これが私だ」と堂々と胸を張れるような自分になりたい。





今朝は高知新聞の「こども記者便り」にめいちゃんの記事が載っていた。

「大きなたまごサンド」という題で家族で外食に行った時のこと。

とても伸び伸びと素直に書かれておりひたすら感心する。

たまごサンドはお父さんの足くらい大きかったのだそうだ。

一緒に頼んだクリームソーダは靴のようなグラスに入っていたそう。

子供心にどれほどわくわくしたことだろう。

めいちゃんのびっくりした様子が目に見えるようで微笑ましかった。

おとなには決して書けない純真無垢な記事そのものである。


学校でも話題になったのか下校するなり「けさのしんぶん」と

私がすでに切り抜いていたので渡すと勉強机に飾ったようだった。

決して自慢をするような子ではないがよほど嬉しかったのだろう。

ささやかなことが励みになる。また頑張って書こうと思う。


めいちゃんには私のような「欲」が無かった。

「認められたい欲」ほど愚かなことはないだろうと改めて思う。

めいちゃんに大切なことを教わったような気がする。


私はあくまでも「わたし」で在り続けなければいけない。

どれほど踏まれてもどれほど蔑まれても

自分に正直に在りのままを記せるようなひとになりたいと思った。



2022年11月07日(月) 芋焼き遠足

二十四節気の「立冬」とうとう冬が始まる。

曇り日で時おりにわか雨が降ったけれど日中は暖かくなる。

孫たちが遠足だったのでお天気が気になってならなかった。

幸いぽつぽつの雨で濡れる程の雨ではなくほっと胸を撫でおろす。


片道3Kの道を歩き双海海岸の浜辺まで行っていたそうだ。

昔からの伝統行事で浜辺で焼き芋をするのが習いである。

流木を拾い集めて火を焚くのも楽しそうであった。

そうしてお芋を焼く。昔懐かしい光景が目に浮かぶようである。


午後4時過ぎ汗びっしょりになって帰って来た。

子供の足で往復6Kはかなりきつかったことだろう。

楽しかったけど疲れた。それが正直な気持ちであった。


めいちゃんはおじいちゃんと一緒に早めにお風呂に入る。

あやちゃんは足が痛いと言ってあまり元気がなかった。

それでも食欲はあり心配する程のことは無いだろう。

ハヤシライスを食べてから雑炊も食べていて微笑ましく思う。



私が子供の頃の遠足はあまり記憶に残ってはいないけれど

皆でバスに乗って宇和島城へ行ったことだけは薄っすらと憶えている。

生まれ育った山村は県境にあり愛媛県の方が近かったのだ。

「町」と言えば宇和島だった。中村(現四万十市)は遠い町で

一度も行ったことない見知らぬ町だったのだと思う。

今は市町村合併で山村は四万十市の一部になっているけれど

昔のことを思うととても信じられなかった。


遠足と云えば楽しみなのはお弁当でもあるけれど

母が作ってくれたそのお弁当をどうしても思い出せない。

きっといつものお弁当より豪華な物だったのだろう。

おにぎりではなく巻き寿司だったのかもしれないけれど。


子供の頃の記憶はなんと曖昧なのだろうと今更ながらに思う。

あやちゃんもめいちゃんも忘れてしまうのだろうか。

そう思うと娘がちょっと憐れにも思えて来る。


パソコンやスマホみたいに記憶を保存出来るならいいな。





2022年11月06日(日) 明日からは小春日和

朝の冷え込みもつかの間。日中はぽかぽか日和となった。

「小春日和」は冬の季語だと学んだことがある。

明日は立冬なので堂々と記せるようになるだろう。



朝食時に夫が「何処かへ行くか」と言ってくれて嬉しかった。

このところ毎週出掛けており少し気が引けたけれど

せっかくの行楽日和に家に籠るのも惜しいなと思う。

何よりも気分転換となり心から笑顔になれるのだった。


紅葉にはまだ少し早いように思えたけれど

宿毛市から篠山を通り愛媛の津島町へ抜ける山道を選んだ。

以前にけい君も一緒にドライブをしたコースだったけれど

去年のことだっか今年の春だったかよく思い出せない。

月日の経つのがほんとうに早く感じられる。


山々には紅葉が殆ど見られなかったけれど

廃校になった小学校の庭に何の木だろう鮮やかな紅葉が見られた。

勝手に校庭に忍び込むのも憚られあらあらという間に通り過ぎる。

写真を撮りたかったけれどもう後の祭りであった。

夫が来週こそは紅葉だなと言ってくれて近場の渓谷巡りになるだろう。

お天気が良かったらいいなと今から楽しみにしている。


いつものことだけれど会話が弾む。

普段家ではあまり話せないことばかり話すのが習いであった。

娘たちの事。息子たちの事。決して悪口ではないけれど

行く末を案じると云うか今後どうなるかと憶測も多くなる。

結局はなるようになるだろうと二人で頷き合うのだった。



愛媛の津島町まで着きちょうどお昼時となった。

外食をするようなお店が見つからず仕方なくコンビニに寄る。

私はパスタ。夫はオムライスとなり国道沿いの公園で昼食。

「なんかショボイね」と私が言ったら

「貧乏人らしくてえいじゃないか」と夫は笑い飛ばしていた。

10時に家を出て約3時間半のドライブで家に帰り着く。

それから二時間ほどお昼寝をして目覚めたら

娘が「あやが何処にもいない」と探し回っていた。

自転車はあり外に出掛けてはいないようだった。


私達の寝室を覗いてびっくり。なんと私のベットで寝ているのだった。

なんとも気持ちよさそうな寝姿に娘がそっと布団を掛ける。


家族ではないと言われそのうち出ていくだろうと思っていても

決して厭われているのではないのだと安堵の気持ちが込み上げて来た。

もう一緒に寝ることはないだろうけれど

今夜はあやちゃんの寝顔を思い浮かべながら眠りたいと思う。







2022年11月05日(土) 母の声せつなく残る秋の暮れ

今日も穏やかな晴天。夕方からまた肌寒くなった。

入浴時に緊張しふたふたと動悸がするので浴室暖房を点けた。

洗髪が辛い。俯くとめまいがして倒れそうになってしまう。

まだまだこれからの寒さだと云うのに困ったものである。

嘆かないと言った矢先にこんな有り様で申し訳ないと思っている。

昼間はお布団を干していた。今夜はぐっすりと眠れることだろう。



午後久しぶりに母に電話。元気そうな声にほっとする。

今日も点滴はしていないと言い張るが本当だろうか。

食欲もあり「なんぼでも食べられる」と本当だろうか。

嘘をついているとは思えないがやはり真実を知りたいと思う。

先日は施設のSNSで楽しそうな笑顔を見せてもらった。

それが本当の母の姿ならどれほど救われることだろうか。


あれこれと話しているうちに娘の話になり

「まだ嫁に行かないのか」と言われ思わず笑い転げてしまった。

認知症だとは思えないが呆けたふりだとも思えない。

母の記憶がぷっつりと途絶えてしまっているのだろう。

ひ孫の顔も見せてあげられない。忘れても当然ではないだろうか。

結局は笑い話になってしまったけれど後からとても切なかった。



それから弟の話になった。母にとっては孝行息子であるが

もう声も忘れるほど電話が掛かってこないのだそうだ。

弟も仕事が忙しいのだろう。けれども母を想う気持ちは変わらない。

「そのうち」にと思いつつ日々が流れているのだろうと思う。


幸い母はちっとも寂しくはないと言う。

その言葉を鵜呑みにしては私も救われていくのだろう。


コロナ禍の面会禁止。最後に母に会ったのはいつだったか思い出せない。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加