ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年11月08日(火) もう嘘はつかない

今夜は満月。皆既月食らしいが窓からは月が見えない。

外に出れば見えるだろうがそれも億劫になってしまった。

行動力が無い。興味も好奇心も無いのかもしれない。

それを歳のせいにしてしまうのは卑怯なことだろうか。


時々自分が解らなくなる時がある。

正直なふりをして嘘をついているのではないか。

ここには本音を記しているつもりだが不確かであやふやな時もある。

誇りはあるが自信は無い。無いものを在るように見せかけている。

「これが私だ」と堂々と胸を張れるような自分になりたい。





今朝は高知新聞の「こども記者便り」にめいちゃんの記事が載っていた。

「大きなたまごサンド」という題で家族で外食に行った時のこと。

とても伸び伸びと素直に書かれておりひたすら感心する。

たまごサンドはお父さんの足くらい大きかったのだそうだ。

一緒に頼んだクリームソーダは靴のようなグラスに入っていたそう。

子供心にどれほどわくわくしたことだろう。

めいちゃんのびっくりした様子が目に見えるようで微笑ましかった。

おとなには決して書けない純真無垢な記事そのものである。


学校でも話題になったのか下校するなり「けさのしんぶん」と

私がすでに切り抜いていたので渡すと勉強机に飾ったようだった。

決して自慢をするような子ではないがよほど嬉しかったのだろう。

ささやかなことが励みになる。また頑張って書こうと思う。


めいちゃんには私のような「欲」が無かった。

「認められたい欲」ほど愚かなことはないだろうと改めて思う。

めいちゃんに大切なことを教わったような気がする。


私はあくまでも「わたし」で在り続けなければいけない。

どれほど踏まれてもどれほど蔑まれても

自分に正直に在りのままを記せるようなひとになりたいと思った。



2022年11月07日(月) 芋焼き遠足

二十四節気の「立冬」とうとう冬が始まる。

曇り日で時おりにわか雨が降ったけれど日中は暖かくなる。

孫たちが遠足だったのでお天気が気になってならなかった。

幸いぽつぽつの雨で濡れる程の雨ではなくほっと胸を撫でおろす。


片道3Kの道を歩き双海海岸の浜辺まで行っていたそうだ。

昔からの伝統行事で浜辺で焼き芋をするのが習いである。

流木を拾い集めて火を焚くのも楽しそうであった。

そうしてお芋を焼く。昔懐かしい光景が目に浮かぶようである。


午後4時過ぎ汗びっしょりになって帰って来た。

子供の足で往復6Kはかなりきつかったことだろう。

楽しかったけど疲れた。それが正直な気持ちであった。


めいちゃんはおじいちゃんと一緒に早めにお風呂に入る。

あやちゃんは足が痛いと言ってあまり元気がなかった。

それでも食欲はあり心配する程のことは無いだろう。

ハヤシライスを食べてから雑炊も食べていて微笑ましく思う。



私が子供の頃の遠足はあまり記憶に残ってはいないけれど

皆でバスに乗って宇和島城へ行ったことだけは薄っすらと憶えている。

生まれ育った山村は県境にあり愛媛県の方が近かったのだ。

「町」と言えば宇和島だった。中村(現四万十市)は遠い町で

一度も行ったことない見知らぬ町だったのだと思う。

今は市町村合併で山村は四万十市の一部になっているけれど

昔のことを思うととても信じられなかった。


遠足と云えば楽しみなのはお弁当でもあるけれど

母が作ってくれたそのお弁当をどうしても思い出せない。

きっといつものお弁当より豪華な物だったのだろう。

おにぎりではなく巻き寿司だったのかもしれないけれど。


子供の頃の記憶はなんと曖昧なのだろうと今更ながらに思う。

あやちゃんもめいちゃんも忘れてしまうのだろうか。

そう思うと娘がちょっと憐れにも思えて来る。


パソコンやスマホみたいに記憶を保存出来るならいいな。





2022年11月06日(日) 明日からは小春日和

朝の冷え込みもつかの間。日中はぽかぽか日和となった。

「小春日和」は冬の季語だと学んだことがある。

明日は立冬なので堂々と記せるようになるだろう。



朝食時に夫が「何処かへ行くか」と言ってくれて嬉しかった。

このところ毎週出掛けており少し気が引けたけれど

せっかくの行楽日和に家に籠るのも惜しいなと思う。

何よりも気分転換となり心から笑顔になれるのだった。


紅葉にはまだ少し早いように思えたけれど

宿毛市から篠山を通り愛媛の津島町へ抜ける山道を選んだ。

以前にけい君も一緒にドライブをしたコースだったけれど

去年のことだっか今年の春だったかよく思い出せない。

月日の経つのがほんとうに早く感じられる。


山々には紅葉が殆ど見られなかったけれど

廃校になった小学校の庭に何の木だろう鮮やかな紅葉が見られた。

勝手に校庭に忍び込むのも憚られあらあらという間に通り過ぎる。

写真を撮りたかったけれどもう後の祭りであった。

夫が来週こそは紅葉だなと言ってくれて近場の渓谷巡りになるだろう。

お天気が良かったらいいなと今から楽しみにしている。


いつものことだけれど会話が弾む。

普段家ではあまり話せないことばかり話すのが習いであった。

娘たちの事。息子たちの事。決して悪口ではないけれど

行く末を案じると云うか今後どうなるかと憶測も多くなる。

結局はなるようになるだろうと二人で頷き合うのだった。



愛媛の津島町まで着きちょうどお昼時となった。

外食をするようなお店が見つからず仕方なくコンビニに寄る。

私はパスタ。夫はオムライスとなり国道沿いの公園で昼食。

「なんかショボイね」と私が言ったら

「貧乏人らしくてえいじゃないか」と夫は笑い飛ばしていた。

10時に家を出て約3時間半のドライブで家に帰り着く。

それから二時間ほどお昼寝をして目覚めたら

娘が「あやが何処にもいない」と探し回っていた。

自転車はあり外に出掛けてはいないようだった。


私達の寝室を覗いてびっくり。なんと私のベットで寝ているのだった。

なんとも気持ちよさそうな寝姿に娘がそっと布団を掛ける。


家族ではないと言われそのうち出ていくだろうと思っていても

決して厭われているのではないのだと安堵の気持ちが込み上げて来た。

もう一緒に寝ることはないだろうけれど

今夜はあやちゃんの寝顔を思い浮かべながら眠りたいと思う。







2022年11月05日(土) 母の声せつなく残る秋の暮れ

今日も穏やかな晴天。夕方からまた肌寒くなった。

入浴時に緊張しふたふたと動悸がするので浴室暖房を点けた。

洗髪が辛い。俯くとめまいがして倒れそうになってしまう。

まだまだこれからの寒さだと云うのに困ったものである。

嘆かないと言った矢先にこんな有り様で申し訳ないと思っている。

昼間はお布団を干していた。今夜はぐっすりと眠れることだろう。



午後久しぶりに母に電話。元気そうな声にほっとする。

今日も点滴はしていないと言い張るが本当だろうか。

食欲もあり「なんぼでも食べられる」と本当だろうか。

嘘をついているとは思えないがやはり真実を知りたいと思う。

先日は施設のSNSで楽しそうな笑顔を見せてもらった。

それが本当の母の姿ならどれほど救われることだろうか。


あれこれと話しているうちに娘の話になり

「まだ嫁に行かないのか」と言われ思わず笑い転げてしまった。

認知症だとは思えないが呆けたふりだとも思えない。

母の記憶がぷっつりと途絶えてしまっているのだろう。

ひ孫の顔も見せてあげられない。忘れても当然ではないだろうか。

結局は笑い話になってしまったけれど後からとても切なかった。



それから弟の話になった。母にとっては孝行息子であるが

もう声も忘れるほど電話が掛かってこないのだそうだ。

弟も仕事が忙しいのだろう。けれども母を想う気持ちは変わらない。

「そのうち」にと思いつつ日々が流れているのだろうと思う。


幸い母はちっとも寂しくはないと言う。

その言葉を鵜呑みにしては私も救われていくのだろう。


コロナ禍の面会禁止。最後に母に会ったのはいつだったか思い出せない。



2022年11月04日(金) 私の実

穏やかな晴天。夕方から少し肌寒くなった。

北海道の平野部ではとうとう初雪が降ったそうだ。

一年の半分が冬なのではないだろうか。

それに比べると南国土佐のなんと恵まれていることだろう。

少しくらいの寒さで嘆いてはいけないとつくづく思う。


オリーブ色だった栴檀の実が黄金色に変わる頃。

青空に映えてきらきらと輝いているように見える。

見上げていると空に吸い込まれそうになった。

私の実はどんな色かたちをしているのだろう。

どれほど老いてもその実に誇りを持ち続けていたいと思う。






娘婿の38歳の誕生日。今夜はささやかにお祝いをする。

街中のお肉屋さんに行ってハラミとホルモンを買って来た。

お肉屋さんの隣が酒屋さんで赤ワインも買う。

貧乏所帯ではあるけれど家族の誕生日には奮発をするのが習いだった。


家族揃って夕食を食べるのはほんとうに久しぶりのこと。

わいわいと賑やかでとても幸せな気分になった。

いつもは無口な娘婿も今夜は饒舌になり楽しくてならない。

上機嫌でワインを飲み干し笑顔をいっぱい振舞ってくれる。



ちょうど一月後には私の誕生日だけれど

毎年のことで特別なことはしないことにしている。

もちろんご馳走もなければワインもない。

別にいじけているのではないけれどそういう性分なのだろう。

そのくせ心では期待し思いがけないことを待っている。

娘がケーキを買って来てくれるかもしれないとか

娘婿がワインを買って来てくれるかもしれないとか。

今年はどうだろうか。自己申告しなければ皆が私の誕生日を忘れている。

そうして私は感傷に浸るのだった。自分が可哀想でならなくなるのだ。

そういうのが好きなのだから困った性分である。


亡き父は毎年必ず電話をかけてきてくれた。

実に香と書いて「実香」という私の名は

きっと父が名付けてくれたのだろうと信じている。







2022年11月03日(木) 主婦冥利

今日もほぼ夏日となり随分と暖かだった。

ぽかぽか日和に誘われて蝶々が飛んでいるのを見た。

ふと寒くなったら死んでしまうのだろうかと思う。

みんな精一杯に生きている。どんなに小さな命も愛しいものである。


今朝は足の痛みが薄れており庭いじりをしたくなった。

夏の名残の日日草がまだ咲いていたけれど思い切って引き抜く。

きっとこぼれ種が落ちていることだろう。来年の夏が楽しみだ。


秋らしい花をと思い近くの「彩り市場」で小菊を二鉢買って来る。

それはたくさんの蕾で日に日に花開くことだろう。

プランターに植え替えしばしうっとりと眺めていた。

菊は管理さえ疎かにしなければ毎年咲いてくれるのではないだろうか。

枯らしてしまわないよう見守ってあげなくてはならない。

他にはカランコエ、ゼラニウム、ビオレなど

猫の額ほどの狭い庭ではあるが花を育てる楽しみがある。





お昼にはお好み焼きを作った。4枚分の粉で二人分なので

それは大きなお好み焼きになり「さあ食べるぞ」と気合が入る。

夫は昼間っからビール。それは大目に見てやることにした。

とても美味しかったけれど満腹になりとても食べきれない。

ふうふう言っていたら夫が食べ残しを私のお皿に移した。

「勘弁してよ」と苦笑いしながら残さずすべて食べ尽くす。

お腹が破裂しそうに苦しい。起きていられずすぐに寝転んでしまった。

それからなんと3時間もお昼寝をしてしまっていた。



洗濯物を取り入れる時は主婦冥利に尽きる。

これほどの幸せがあるだろうかと思わずにいられない。

あやちゃんとめいちゃんのお揃いのズボン。

可愛らしいパンツや靴下。思わず抱きしめたくなるほどだった。

洗濯物を干すのも好きだけれど畳むのはもっと好きだ。

まるで愛しさの再確認をしているような行為であった。


夕飯のメインは豚カツ。ご近所さんから頂いた里芋と豆腐の煮物。

チンゲン菜の中華風卵とじ。サニーレタスと生ハムのサラダ。


娘と孫達はダンス教室に行っており帰宅してから食べるのだそう。

娘婿は夜釣りに行っておりまだ帰宅していない。

テーブルの上にはすっかり冷めてしまった料理が佇んでいる。





2022年11月02日(水) 愚かさの果てに

気温が夏日に近いほど高くなり汗ばむような陽気となる。

油断をしていたらまた一気に寒くなるのだろう。

立冬も近くなった。心の準備をしておかなければいけない。



ずっと待っている郵便が今日も届かず

そろそろ諦める時が訪れたように思う。

口惜しさよりも情けなさが勝り自分がどれほど愚かだったか

今更ながらに思い知らされ涙も出ないのだった。


授賞式には何を着て行こうかなどと馬鹿げたことも考えていた。

まるで宝くじを買って当たった時のことを考えるのと似ている。

所詮夢は夢である。才能があってこその夢だったのだろう。


崖っぷちに立ち追い詰められ「負けるもんか」と思っていた。

精魂込めて命がけで書いた詩が藻屑のように散っていく。

それは「認められたい」欲に対する罰なのかもしれない。

それならば打ちのまされようと覚悟も少し出来てきたように思う。

鞭はいくらでも受けよう。これ以上傷つくことはないだろう。

とことん罵倒すればいい。それでも私は生きることを忘れない。


人生はまだまだこれかららしい。

定命が尽きることを怖れるよりも定命を信じてみたいと思う。


最後の最期に「いい人生だった」と思えるような私でありたい。


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