ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年10月27日(木) ほうれい線とほうれん草

曇り日。夕方少しだけ雨が降った。

静かな雨であったが久しぶりの雨音が耳に心地よい。


畑では冬野菜が育ち始めている頃だろう。

そろそろ雨の一日があっても良いのではないだろうか。


山里の義父は一昨年までブロッコリーを栽培していたが

今年も休むそうで実のところほっとしている。

私が口出しするべきではないが本業が疎かになってしまうので

農業は米作りだけにしてくれたらずいぶんと助かるのだった。


日頃から本音は言えない。言ってしまえば怒りを買うだけだろう。

我慢しているわけではないがずっと穏やかな義父で居て欲しい。





あれは私が高校生の時だったろうか

住んでいた官舎には家庭菜園用のちいさな畑があって

父がほうれん草の種を蒔いていたらしい。

その芽が出たばかりの頃に私が引き抜いてしまったことがある。

「雑草と野菜の区別もつかないのか」と父に叱られてしまった。

未だにその時のことが忘れられず怒った父の顔よりも

ほのぼのと懐かしさが込み上げてくるのだった。


ほうれん草はまたすぐに種を蒔き順調に育ったと記憶している。

肥糧はぽっちゃん便所から直に汲み「肥え」としていた。

昔はどこの家庭でもそうしていたのではないだろうか。

不思議と汚いとは思わなかった。それがよく効くらしい。


食事係は主に私であったが部活で帰宅が遅くなる時もあり

父が腕を振るって作ってくれる日もあった。

ほうれん草の料理はあまり記憶にないけれど

私も弟も大好物だったのは「たまごチャーハン」である。

卵と葱だけのシンプルな物だったけれどとても美味しかった。

時々無性に食べたくなる時があるけれど今は作ったことがない。

一度作って家族に振舞おうと思うけれど

あやちゃんあたりから「しょぼい」とクレームが付きそうだ。

だからそれは父と弟と私だけの思い出の味である。


ほうれん草の話からずいぶんと逸れてしまったけれど

歳を重ねるごとに昔のことをよく思い出すようになった。

憶えているうちに記して置くことも良いのかもしれない。


ふと死んだら記憶は消えてしまうのだろうかと思うことがある。

人は輪廻転生を繰り返すらしいが記憶は何処に行くのだろう。

生まれ変わった時に人間になるとは限らないそうだ。

犬や猫になるかもしれないし川や海の魚になるかもしれない。

私などは道端の雑草になるのが似合っているだろうか。


まあそれほど自分を卑下することもないけれど

生まれ変わったらまた女でいたいし今の夫と巡り合いたい。

息子や娘、孫達とも巡り合えたらどんなに良いだろうか。


母には少し途惑うけれど父と弟にはきっと縁があるだろう。

父は今でも私を見守り続けてくれている。




2022年10月26日(水) 故郷の言葉

朝の寒さもつかの間。日中は穏やかな秋晴れとなる。


山道を走っているとツワブキの花が目につくようになった。

小さな向日葵のような花でとても可愛いらしい。

古代に初めて咲いた花は黄色だったと聞いたことがあるが

いったいいつ頃から日本で咲くようになったのだろう。

とても外来種だとは思えない。それは古風な佇まいで咲いている。

山影にひっそりと谷川の水辺だったり岩と岩の隙間だったり

とても逞しい花に思えてならず心惹かれる花であった。





職場のお客さんに東京からUターンして来ている方が居て

今日は電話でかなりきつい口ぶりの苦情を受けて少し辛かった。

「だからさあ言ったじゃない!」とか「ほんとに分かってるの!」とか

顔が見えないものだから言葉がもろにぶつかってくるのだった。

東京言葉は標準語であるけれどきつく聞こえるのは何故だろう。

どう受けとめても怒っているとしか思えないのだった。


同じことが高知県内の土佐弁と幡多弁にも言える。

幡多弁は伊予弁に近く穏やかな響きがあるのだけれど

土佐弁は関西弁に近く怒鳴っているように聞こえる時がある。

たとえば土佐弁で「おんしゃあ分かっちゅうがかや」

標準語だと「あなた分かっているの」なのだけれど

幡多弁だと「あんた分かっちょるかい」と言う具合である。

同じ人間でも住む地域によって言葉のニュアンスが大きく変わってくる。


今日のお客さんも決して怒っていたわけではないだろう。

私がうっかりミスをしていた為で確認の電話だったのだと思う。

それにしても山里で生まれ山里で育ったお客さんが

長い東京暮らしですっかり幡多弁を忘れているのが残念であった。


そんなものだろうか。私も東京に住んでいたらそうなるのだろうか。


故郷の言葉はこんなにも優しくあたたかいのだけれど。



2022年10月25日(火) 綺麗ごと

朝の寒さが更新され今季一番の冷え込みとなる。

とにかく寒さに慣れなければと思うばかり。


今朝は目覚めるなり胸がふたふたと落ち着かず

思った通り血圧がぐんと高くなっていた。

頓服の精神安定剤を服用しなんとか少し楽になる。

もちろん寒さのせいもあるけれど気の持ちようでもあるだろう。

ゆったりとした気持ちで寒さを受け止めていかねばならない。

寒さを冬を愉しもう。そう自分に言い聞かせながら乗り越えて行こう。





孫達の登校を見送り山里の職場に向かった。

めいちゃんはガーゼが気に入っているようで娘が貼り替えていた。

保健室の先生に手当てをしてもらったのがよほど嬉しかったのだろう。

まるで「勲章」であるかのように誇らしげな笑顔であった。



仕事は来客多し。初めてのお客さんに「奥さん」と呼ばれる。

それは社長夫人にも等しく勘違いされても仕方ない。

義父と私はとても親子には見えないのだろう。

すぐに否定すべきであったが何も言えなかった。

もやもやと嫌な気分になる。そうしてシュンと辛くなる。

腹を立てるようなことではなかった。ちょっとしたジョークである。


常連のお客さんは母のことをよく気遣ってくれる。

母の復帰を心待ちにしてくれているお客さんも多い。

それだけ母が慕われていた証拠でもあるだろう。


けれども復帰はもうあり得ない。それは誰にも伝えられない。

何よりもそれを望んでいないのは私自身であった。


薄情な娘はとことん薄情である。

母をゆっくりと休めせてあげたいなどと綺麗ごとを言っている。



2022年10月24日(月) 名誉の負傷

ここ数日夏日が続いていたけれど平年並みの気温になる。

西高東低の冬型の気圧配置だそうだ。

北海道の山間部では初雪が降ったらしい。

短い秋が終わりもう「冬」と云って良いだろう。

北国に比べれば温暖な四国のなんと恵まれていることか。

冬を怖れる私などほんとうに罰当たりだと思う。




今朝はめいちゃんが名誉の負傷。

集団登校に遅れそうになって慌てていたのだろう。

家から出るなり前のめりに転んでしまって顔に怪我をしてしまった。

月曜日は荷物が多く手で支えることが出来なかったようだ。

泣きじゃくりながら帰って来てしばらく様子を見ていたけれど

娘が学校に連絡をして少し遅れて登校することになった。

大丈夫だろうか、心配しつつ山里の職場に向かった朝のこと。


午後4時半、思ったよりも元気に帰って来てほっとする。

学校で保健室の先生が手当てをしてくれたそうで

頬と額にガーゼが貼られておりなんとも痛々しい。

眼の下は紫色になっておりよほど強く打ったのだろう。


娘からのお達しで家族皆が怪我のことに触れないことにした。

過剰に心配すればめいちゃんも落ち込むに違いないと。

私もとにかくそっとしておくのが一番に思えた。

明日にはガーゼも取れるだろう。しばらくは傷跡が気になるけれど

後々まで残るような深い傷ではないのが幸いだった。


娘も子供の頃にはよく怪我をしたことを思い出す。

今思えば男の子のような女の子だった。


めいちゃん痛い思いをしたけれど辛抱して偉かったね。

いっぱい泣いたけれど今は笑顔でいてくれてほっとしています。



2022年10月23日(日) 遅咲きのひまわり

朝のうちは雲が多かったけれど次第に晴れて来る。

今日もずいぶんと暖かく日中は夏日となった。



早朝お大師堂へ。そろそろ花枝(しきび)を活け替える頃だった。

艶々とした緑のなんと綺麗なことだろう。

一枝ずつ手折りながら亡き姑を思い出す。

舅(義父)が亡くなってから植えたしきびは立派な木になった。

「お大師さんへ持って行くね」と私の声が聞こえただろうか。


Sさんがお線香を2箱も買ってくれていた。

「毎日香」でとても上品な香りがする。

いつもは百均のお線香なのに奮発してくれたのだなと嬉しかった。


川のせせらぎの音が耳に心地よい。ゆっくりと般若心経を唱える。

願い事はしてはいけないのだけれどついつい願ってしまうことばかり。





10時頃から夫とプチドライブに出掛けた。

遠出は出来ず近場の土佐清水市経由で大月町に向かう。

頭集(かしらつどい)と云う集落に遅咲きの向日葵が咲いているらしい。

海岸沿いの国道を走りながらきらきらと輝く海を眺めた。

快晴ではなかったので海は灰色に見えたけれど

水平線の彼方に貨物船だろうか大きな船がゆっくりと進んでいた。

なんと穏やかな海だろう。心が洗われるようであった。


頭集には一度も訪れたことがなくナビだけが頼りだった。

柏島方面に向かい右手に山沿いの細い道がある。

向日葵畑は何処だろうときょろきょろしていたら

道路からずいぶんと離れたところにそれがあった。

駐車場など無く車を停めることも出来ない。


「歩けるか?無理をするなよ」夫の声に「大丈夫!」と応えた。

なんとしても行きたい。諦めるわけにいかなかった。

夫はそこら辺を走って来ると云うので時間の余裕もない。

畑の畦道を痛い足を引き摺りながら歩いた。

でこぼこ道のなんと辛いこと。負けるもんかとひたすら思う。


向日葵はさすがに季節外れらしく夏の向日葵よりもずいぶんと小さい。

よく造花で見かけるような花でそれはそれで可愛らしかった。

花弁がすでに散り種だけになっている切ない向日葵もあった。

それでも陽に向かい精一杯に微笑んでいる姿に感動を覚える。


久しぶりに写真を撮ったけれどここではお見せ出来ず申し訳ない。

画像サイズの制限があり新パソコンではそれが上手く出来なかった。

明日の朝SNSでちらっと投稿しようと思っている。


2時間ほどのドライブであったが夫と色んな話しをした。

昔話やこれからのこと。私たち老夫婦にもきっと未来はあるだろう。



2022年10月22日(土) スランプだからこそ

日中は気温が上がり蒸し暑さを感じる。

寒暖差に途惑うばかりであるが寒いよりは良いだろう。

窓を開け広げていられるのも心地良いものだった。

扇風機を片付けてしまったので自然の風はとても有難い。




ここ数日、夜明け前に思うように書けず苦しんでいる。

短歌のようなものさえ書ければ後はなんとかなるのだけれど

その31文字がどうしても書けない。焦れば焦るほど

頭の中が真っ白になってしまって言葉は逃げていくのだった。

365日書けば365の短歌のようなものが出来るのだろう。

それが分かっているからよけいに焦ってしまうのだと思う。


ある尊敬している詩人さんがSNSで発信していた。

書けない時は「書けない」と書けば良いのだそうだ。

ありのままの自分と向き合うことで新鮮になれるのだと言う。


私は大きな壁に突き当たりその壁をよじ登れずにいる。

スランプは思った以上に辛い。自分が惨めでならなくなる。






午前中に週一のカーブスへ。

今日は例の親身になってくれるコーチが居てくれて

ほっと嬉しくずいぶんと精神的に楽であった。

足の痛みを気遣ってくれるのは本当に有難いことである。

自然と意欲が湧いてきて薄っすらと心地よい汗を流した。


決して特別扱いを求めているわけではない。

ただ心のこもった優しさを求めているのだろうと思う。

それはカーブスに限らず日常生活でも同じであった。


もちろんそれは一番に与えなければいけないことだろう。

与えもせずに求めるばかりでは「欲」と云うものだ。

私はまだまだ学ぶことが多い。成長しきっていないのだと思う。


いま陥っているスランプも成長するための試練なのではないだろうか。



2022年10月21日(金) こころの断捨離

爽やかな秋晴れ。降り注ぐ陽射しのなんと有難いこと。


秋桜はもう盛りを過ぎたようで切なげに風に揺れる。

芒はまるで青春を謳歌しているかのように輝いている。

背高泡立ち草は生き残るために風に身を任せようとしている。


私は秋の真っ只中にいていのちについて考えていた。

もしもある日突然があるのならばこんな日に逝きたいと思う。

けれどもまだまだと思う気持ちもある。

こころの断捨離がまだ終わっていない。

それはとても難しいことらしい。

少しでも永く生きてひとつでも捨てられたらと思っている。





午後は気温が上がりずいぶんと暖かくなった。

窓を閉め切った事務所に居るのが息苦しくなってしまい

西側と南側にあるドアを開け広げ風を通していた。

その間に看板猫のみい太が忍び込んだことに全く気付かなかったのだ。


事務所の二階は義父の住居になっており

みい太は台所まで行って悪さをしたらしい。

昼食を食べに二階に上がった義父が見つけ大騒ぎになった。

みい太は煮物を入れてある鍋の蓋を開けていたのだそうだ。

義父に見つかり酷く叱られすぐに跳び逃げたけれど

義父はもう煮物は食べられないと言って怒りまくっていた。


そのとばっちりが私に向かって来た。

どうしてドアを開けたのだと言い「暑ければエアコンを点けろ」と言う。

決して暑いのではなかった。ただ風に吹かれたかっただけなのに。

まるで「お前のせいだからな」と言わんばかりの剣幕であった。


それにしてもどうしてみい太は鍋の蓋を開けたりしたのだろう。

朝御飯もいっぱい食べていたので空腹だとは思えなかった。

二階に上がったのは初めてでただの好奇心だったのかもしれない。

父にはとても懐いていて許されると思っていたのだろうか。


私は常日頃から義父の顔色ばかり気にしているものだから

かなりのショックですっかり気が滅入ってしまった。

みい太のせいでこんな辛い思いをするなど考えてもいなかった。

メンタルの弱さをもろに突き付けられたような出来事だった。


こんな日はさっさと帰ってしまおうと思う。

車に向かったらなんと張本人のみい太が車の下でくつろいでいた。

「みいちゃん、悪さをしたらいかんろ」と𠮟りつけたら

目を閉じて寝たふりをする。聞く耳などまったく無い素振りをする。

そんなみい太の姿を見ていたら叱るのも馬鹿らしくなった。

そうして自然と笑みがこぼれて来る。

誰にも罪などないのだと思うとずいぶんと気が楽になった。


どんな日もあってよし。自動車道を時速90キロで走って帰る。






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