| 2022年10月20日(木) |
一歩一歩踏みしめながら |
今朝は今季いちばんの冷え込みだったようだ。
またすぐに更新されるだろう。
季節は急ぎ足で冬に向かっている。
じたばたしても仕方ないとやっと思えるようになった。
晩秋の樹々の紅葉。木枯らしの吹く頃。初冬の霜の風景。
自然はなんと素直なことだろうか。
その季節ならではの風情を見せて決して逆らうことをしない。
だから人も嘆いてはいけないのだと思う。
季節に身を委ね季節と一体になって日々を全うするべきなのだ。

午前中に職場のすぐ近くの商工会まで歩いた。
医師からも運動療法を勧められており痛くても歩かなくてはいけない。
ゆっくりと少しずつではあったが一歩一歩踏みしめながら歩く。
ご近所さんの金木犀が芳香を放っており足を止めた。
そのお宅は家の周りにぐるりと金木犀を植えてある。
日頃から手入れを怠らないのだろう。それはなんとも見事であった。
ふと足元を見ると季節外れの薔薇の花も咲いている。
深紅のミニ薔薇でとても可愛らしかった。
商工会の駐車場には鶏頭の花。まるで燃えているように紅い。
それはアスファルトの隙間からとても逞しく咲いていた。
どれもこれも歩いてみないと気づかない季節の花だった。
私はとても清々しくなって足の痛みも忘れてしまう。
少しでも歩けることは本当に有難いことだなと思った。
商工会からの帰り道で近所に住む「ゆっちゃん」に会った。
もう90歳が近いのではないだろうか。とても元気な老人であった。
「足が痛いがか?」と気遣ってくれてほっと嬉しくてならない
ゆっちゃんも膝が悪く手術をして40日も入院していたのだそうだ。
「年寄りはみんなそんなもんよ」と笑い飛ばしてくれる。
私はゆっちゃんよりもまだまだ若いと思っていたけれど
この際お仲間に入れてもらおうかと愉快な気持ちが込み上げて来た。
私が職場の事務所に辿り着くまでゆっちゃんはずっと見ていてくれる。
空は抜けるように青くて眩しいほどの光が降り注いでいた。
今朝は予報通りの冷え込みとなる。
やはり覚悟はしておくべきだなと思った。
昨夜のうちに用意しておいたちゃんちゃんこを羽織る。
靴下を履きエアコンの暖房を点ければもう怖いものはない。
それでも死ぬのならそれが定命なのではないだろうか。
寒さを否定しようとするから怖いのだと思う。
あっけらかんと受け止めればずいぶんと気楽になるものだ。
臆病風に吹かれている自分が滑稽でならず馬鹿じゃないかと思った。
馬鹿は死ななきゃ直らないらしいがまだ死ぬつもりはない。

仕事を終えていつものスーパーで買物をしていたら
川向に住む従姉妹と久しぶりに会った。
私より2歳年上なのだけれど髪の毛が真っ白になっていて驚く。
白髪と云うより銀髪に近い。それは見事で美しくも見えた。
思わず「綺麗ね」と声が出る。従姉妹は恥ずかしそうにしながら
「すっかりおばあちゃんになっちゃった」と微笑んでいた。
その顔を見てどれほどほっとしたことだろう。
老いを受け止めることは決して切ないことではないのだと思う。
感動すら覚えた私は彼女のように生きたいと憧れを抱いていた。
人は上辺だけでは分からない。苦労もあるだろう悩みもあるだろう。
不安もあれば心細いこともたくさんあるのだと思う。
「どうしたが?なんか疲れちょるみたいなね」と彼女が言った。
私は一瞬どきっとした。そんな風に私は見えるのだろうか。
弱音を吐くつもりなどなかったのに否定することが出来ない。
精一杯の笑顔さえも作り笑いのように見えたことだろう。
「早く帰って洗濯物を畳まんといかんけん」と呟いていた。
「また会おうね」」と手を振って別れる。
車に乗るなり大きな溜息が出た。それが何を意味していたのか
未だに分からないまま夜を迎えてしまった。
仕事のこと家事のことも少しも辛いとは感じたことがない。
けれども寄る年波に勝てないと云うことかもしれない。
今日頑張ったのかな私。それさえも分からないまま
寝酒の焼酎を飲みつつまったりとこれを記した。
| 2022年10月18日(火) |
寒さなければ花は咲かず |
雨上がりの朝。思っていたよりも暖かくほっと胸を撫でおろす。
それほどまでに寒さを怖れていたのかと呆れるほどだった。
いつからこんなに臆病者になってしまったのだろう。
突き詰めれば死ぬのが怖くてたまらないのだろう。
それよりも生きて在ることに喜びを感じなければいけない。
「寒さなければ花は咲かず」と云う。
私の葉は間もなく紅葉し散ってしまえば指先に芽が萌えて来る。
寒い冬を乗り越えてこその春。私はきっと満開の桜になるだろう。

舅(義父)の命日。もう40年もの歳月が流れた。
3歳だった息子がお棺に縋りつき泣きじゃくった秋の日を忘れられない。
まだ57歳の若さだった。どんなにか無念だったことだろう。
川漁師であり四万十川と共に暮らした人生に思いを馳せる。
亡くなった年の夏には川海老が豊漁で満面の笑顔であった。
前年までは天然青海苔漁、青さ海苔の養殖、モクズ蟹漁もしていた。
夫が30歳になり突然会社を辞めることになった時
「おらにも跡取りが出来たか」と喜んではいたけれど
そのすぐ後に「おらが死ぬると云うことかもしれんな」と言った。
夫はその時のことを思い出しては「虫の知らせ」だった気がすると言う。
どうしても会社を辞めたくてたまらなくなったのだそうだ。
再就職は考えていなかった。父親の弟子になるのだと言い張る。
定収入が途絶え幼い子供達を抱えての暮らしの苦労は云うまでもない。
それでも夫は一生懸命に川漁師の修行に励んでいた。
その夏のことだった。義父は夏風邪を拗らせたようであったが
詳しい検査の結果、肺癌の末期であることが判ったのだった。
40年前の事で今ほど癌治療が充実してはいなかった。
高知市内の病院に入院してからわずか2ヶ月で儚く逝ってしまう。
危篤の知らせを受け4時間の道のりを駆けつけた。
義父は初孫の息子を溺愛しておりなんとしても会わせてやりたい。
それは本当にぎりぎりだった。孫の顔を見るなり手を伸ばし
「おじいちゃんはもういかんぞ」と言ったのだった。
それが最後の言葉になった。手を伸ばしたまま息を引き取る。
私は息子の手で義父の手を握らせそっと胸の上に置いた。
どれほどの歳月が流れても一生忘れることはないだろう。
仏様になった義父は残された私達をずっと見守ってくれている。
| 2022年10月17日(月) |
あっけらかんと生きていきたい |
小雨降る一日。静かで優しい雨であった。
少しぐらい濡れても平気。冷たい雨にはならず幸いに思う。
今夜のうちに雨は上がるとのこと。明日は晴れそうだけれど
ぐんと肌寒い朝になりそうで今からもう緊張している。
神経質な性質のせいかそれはすぐに血圧に作用する。
一度目は高い。二度目も高い。三度目にやっと正常値になった。
こんな有り様で冬を乗り越えられるのだろうかと不安でならない。
弱音はいくらでも吐ける。暗示にも掛かりやすい。
悪い方へ悪い方へと考え出したらきりがないのであった。
もっとあっけらかんと生きていきたいと願ってやまない。

熱でずっと学校を休んでいたけい君が今日は登校できたとのこと。
息子は「心配ないよ」と言うのだけれどあれこれと気遣う。
マンモス校なので授業に遅れが出ているのではないか
お友達とは仲良く過ごせただろうか。辛い思いをしなかったか。
これも老婆心なのだろう。息子に言わせれば心配し過ぎのようだ。
NHKの朝ドラ「舞いあげれ」を見ていると主人公の舞ちゃんが
おばあちゃんと暮らしながら逞しく成長する姿に感動を覚えた。
子供には無限の可能性がある。その可能性を信じてあげなければ。
心配ばかりしていては子供の芽を育てることは出来ないのだと思う。
「けい君はきっと大丈夫」と呪文のように唱えている夜になった。
あやちゃんとめいちゃんは元気いっぱい。
ただ宿題が多くて夕飯の時間になっても終わらなかったりして
可哀想だなと思う。それも日々の試練なのだろうか。
遣り遂げようとする意思はとても逞しく思えるのだった。
孫たちはそうして成長している。
私もまだまだ成長出来るかもしれない。
老いの道は厳しいけれど負けるわけにはいかない。
10月とは思えないほどの暑さ。
窓を開け広げ扇風機のお世話になる。
明日は雨の予報で明後日にはぐんと気温が下がるとのこと。
一気に炬燵の出番となるのではないだろうか。
寒暖差で体調を崩さないように気をつけなければいけない。
今はうかうかと風邪も引けないご時世である。
青空に誘われるように布団を干した。
平日には干せず久しぶりのこと。
主婦冥利に尽きる。陽射しのなんと有難いことだろう。
午前中に山里まで折り畳み式のベッドを貰いに行く。
母のアパートを引き払った時に捨てずに置いていたのだった。
一つは長年母が使っていたもの。もう一つは義父のものだったけれど
別居を決めてからも母は義父が泊まりに来てくれるのではと
ずっと諦めきれずにいたようだった。
それは一度も叶わず義父のベットは新品のままであった。
せつない話ではあるけれど母はどんな気持ちで暮らしていたのだろう。
ここ最近真夜中にトイレに行く時に転ぶことがよくあり
先日は寝ている夫の上にどさっと倒れ込んでしまった。
ベットがあれば身体を支えられるし安全ではないかと話し合い
義父に相談したらいつでも取りに来るようにと言ってくれた。
母のベットを私が使うようにし義父のベットを夫用に決める。
6畳間の寝室にそれはなんとか収まりほっと嬉しくてならない。
今夜からもう転ぶ心配はないだろう。トイレも苦にならなくなった。
仕事だった娘が帰宅しさっそくお披露目をしたのだけれど
「まるで介護生活じゃん」と苦笑いをしていた。
そう言われてみれば確かにそこは高齢者の寝室のようであった。
10年後、20年後と生きているかは分からないけれど
娘や息子に介護の負担を掛けることだけはなんとしても避けたい。
かと言って年金収入だけで施設に入居する余裕も無さそうだった。
「俺はぽっくり死ぬぞ」と夫は言う。
それはある日突然の死を意味している。
私はそれが怖くてならなかったけれど今日は真剣に考えていた。
「昨日まであんなに元気だったのに」と言われて逝きたい。
それが子に対するいちばんの孝行ではないだろうか。
雲ひとつない青空。空がとても高く感じる。
日中は汗ばむほどの陽気となったけれど陽射しの心地よいこと。
空を仰げば自然と深呼吸をしていた。空気が美味しい。
自分はいったい何処に向かっているのだろうと思う時がある。
心細くはあるけれどもしかしたら空に向かっているのかもしれない。

朝のうちにめいちゃんと買い物。
今日も「お金はある?」と訊かれて子供心に心配しているのだろう。
「いっぱい買いなさいね」と言ったらお菓子売り場に駆け出して行く。
子供用のカゴにそれは沢山のお菓子を入れてにっこりと微笑む。
セルフレジで精算をしたらなんと870円も買っていた。
おやまあと少しばかり痛手ではあったけれど笑顔には適わない。
貧乏なおばあちゃんのイメージから抜け出せたかなと思った。
帰りには重い荷物をよっこらしょと車まで運んでくれた。
今朝も足が痛くて辛かったのでなんと助かったことだろう。
めいちゃんさまさまである。感激で胸が熱くなってしまった。
帰宅してすぐにカーブスへ向かう。
足の痛みが酷かったので「そっとしておいて下さい」とお願いする。
けれども上手く伝わっていなかったのか過剰に励まされるばかり。
ついにはメンタルが弱りはて今にも涙が出そうになった。
どうしてもっと親身になってくれないのだろうと思う。
私は辛くてならなかった。誰にも分かってもらえないのかと悲観する。
けれども午後には足の痛みがずいぶんと楽になっていた。
やはり何もしないよりは効果が出ているのだろう。
継続はチカラである。どんなに辛くても続けなければと思った。
誰にだって限界はある。その限界に立ち向かう勇気が必要なのだ。
私は決して逞しくもなく強くもないけれど
心の片隅にささやかな勇気の花を咲かせてみたいと思っている。
爽やかな秋晴れ。気温が高くなり暑さを感じたけれど
夏日になるのも明日が最後になりそうだった。
来週の日曜日には「霜降」となる。
季節は晩秋となり樹々の紅葉も始まることだろう。
とんとんとんと日々が順調に過ぎていく。
もう老いに足を踏み入れているけれど漠然とした何か
それに少しずつ近づいているようだった。
焦りもある。途惑いもある。心細さや不安もある。
けれども生きてさえいればと自分を励ましているのだった。

また訃報があった。じいちゃん(夫)の幼馴染が亡くなる。
「もうそんな年頃なんだな」と寂しそうに呟いていた。
今年になって友人を亡くすのは二人目。さすがにショックは隠せない。
ひしひしと押し寄せて来る危機感があって当然なのではないだろうか。
「おまえは俺より一日でも長生きをしろよ」と言われたことがある。
私はなんとしてもその約束を果たしたい気持ちでいっぱいだった。
夫を残してどうして先に逝けよう。それがとても残酷に思える。
夫を悲しませるより私が悲しみたいと願ってやまない。
「定命」とは仏教の言葉であるらしい。
人はこの世に生まれた時から命が定められているのだそうだ。
幼くして亡くなる子供もいれば長寿を全うする老人もいる。
やっかいなのは誰もその定命を知らされていないことだろう。
不慮の事故や災害。不治の病。死は様々な形で人を襲って来る。
「長生きがしたい」とどんなに願っても叶うとは限らない。
生命力そのものがすでに定められていることなのだろう。
だからこそ「いま」を精一杯に生きなければならないのだ。
不安や心細さも生きている証のように思う。
痛みや辛さも生きているからこそ感じられるのだろう。
同時に幸福も歓喜も与えられる特権もあるようだ。
人生の折り返し地点はとっくに過ぎたけれど
私は自分の定命を信じてみようと思っている。
今日はもう終わった。きっと明日があるだろう。
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