ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年10月13日(木) 母の写真

晴れたり曇ったり。気温は25℃まで上がり快適な一日となる。

暑からず寒からず身体にはとても優しい気温だった。

おかげで足の痛みも和らぎ昨日に比べると嘘のように楽であった。



夜明け前いつものように書けずもがき苦しむ。

いったい自分に何を課しているのだろうとふと考える。

もっとありのままで良いのではないかと思った。

そうしたら自然に言葉が浮かび詩のようなものが書けたのだった。

明日のことなど分からない。生きてさえいれば書けるのだろうか。




定期の内科通院日。わずか10秒ほどの医師の問診を受けるのに

30分も待たされてしまい少々虫の居所が悪くなる。

土佐の方言で云うと「いられ」なのだろう。

堪え性が無いと云うか我慢が出来ない困った性格である。


薬局で薬を受け取りその足で母の施設のある病院に向かった。

年金支給日は明日だけれど早めに支払いを済ませておくことに。

ちょうど母がいつもお世話になっている介護士さんに会うことが出来る。

タブレットでここ最近の母の写真を見せてくれてとても嬉しかった。

おまけに額に入れた写真をプレゼントしてくれて思いがけなかった。

敬老の日の写真でまだ母が体調を崩す前の満面の笑顔が見える。

まだ点滴等の治療は続いているようだけれどさほど心配はなさそう。

リハビリも少しずつ始めているそうで昨日は歩行練習をしたそうだ。

寝たきりになるのだけはなんとしても避けたい。

母の体力と気力次第ではないだろうか。そうして何よりも生命力だ。


母の笑顔の写真を職場に持って行こうかとも考えたけれど

お客さん達の目に触れるのでなんだか可哀想に思えて来た。

現役時代の母はいつも綺麗にお化粧をしていたからだ。

口紅も塗りたいだろう。おしゃれもしたいだろうと思わずにいられない。


母の写真は私の部屋に飾る。ひ孫達と一緒の方が母も嬉しいだろう。

そうして毎朝毎晩声をかけてあげようと思っている。



9年前の日記には「母に楽をさせてあげたい」と書いてあった。

ゆっくりと休ませてあげたかったのだろう。

母はいま幸せなのだろうか。寂しくはないのだろうか。





2022年10月12日(水) 挑戦者は私

天気予報が外れてしまって曇り日。

日中の気温も上がらずなんとも肌寒い一日だった。


朝から左足がずきずきと痛む。

歩かなくても痛み憂鬱でならない。

寒さのせいだとすれば冬が怖ろしくなってしまう。

嘆いても何も変わりはしないけれどつい弱音を吐くばかりだった。

不思議と情けないとは思わない。痛いものは痛いのだ。

我慢をするより「痛い」と口に出した方が気は楽になるものだ。


歩けば少しでも血行が良くなるような気がして

夕方、従姉妹の畑に葱を貰いに行く。

従姉妹も難病を抱えているのだけれど畑仕事は怠らず

いつも綺麗に手入れをしてあり頭が下がる。

さつま芋の葉がすっかり切り落とされていて収穫が近いのだろう。

茄子も一本だけ残してありまだ花が咲いており驚く。

葱は二カ所に植えてあり細い葱と太い葱がある。

今日は太い葱を10本ほど貰った。有難いこと。


足を引き摺りながら路地を歩いていたら

近所に住むYちゃんに久しぶりに会った。

私の歩きぶりを見てすぐに気づいたのだろう。

なんとYちゃんも足が痛く難儀をしているのだそうだ。

それも両膝と聞き私よりもずっと重症なのだった。

立ち話ではあったがしばし二人で「痛み」を語り合う。

あれも出来ないこれも出来ないと言い合ったり

あれも辛いこれも辛いと言い合ったりすっかり意気投合する。

最後には二人で笑い合っていた。なんとかなるよねと言って。


私は不謹慎ではあるけれど仲間を見つけてほっとしている。

自分だけではないのだなと思うと救われたような気分になった。


今は「冬よかかってこい」とまるで挑戦者の気分である。



2022年10月11日(火) この秋をこれからの冬を

ぐんと肌寒い朝。今季初暖房のお世話になる。

年寄りの冷や水ではないけれど寒さを我慢してはいけない。

光熱費が気になるけれど身を守ることが一番ではないだろうか。


母はお気に入りの毛糸のベストを羽織っているだろうか。

部屋は暖かくしているだろうけれど気になってならない。

体調には異変がないらしく施設からの連絡はずっと途絶えている。

この秋をこれからの冬をなんとしても乗り越えて欲しいと願う。





義父の稲刈りがすべて終わり今日は飼料米の出荷。

今年は豊作とはいかず全体的にお米の量が少なかったようだ。

おまけに安値で米農家の痛手は計り知れない。

それでも義父は決して嘆くことをしなかった。

79歳になったばかりの義父はとても逞しく活き活きとしている。

65歳の私などまだひよっこで義父を見習わなければいけない。

前途に希望を持ち立ち向かっていかなければならないと思った。





息子から連絡がありけい君が発熱とのこと。

息子の職場は家族に発熱があれば出勤出来ない規則になっており

高齢者施設がどれほど慎重になっているか思い知らされる。

午前中に小児科を受診。幸い陰性と聞きほっと胸を撫で下ろす。

季節の変わり目で急に体調を崩すことはよくあることだった。

夕方電話をしたらまだ熱が下がらないとのこと。

可哀想でならないけれどどうすることも出来なかった。

お嫁さんの体調は落ち着いているそうでそれが何よりに思う。

お母さんが元気ならきっと大丈夫だろう。

けい君頑張ろうね。お熱をやっつけようねとエールを送り続けている。



9年前の秋の日記。もう二度と結婚はしないと言っていた息子が

突然「また嫁さんをもらうから」と言った日が記してある。

彼女のおなかにはすでにけい君が宿っていたのだった。


仕事のストレスで鬱状態になっていた息子がやっと立ち直る。

前途は明るく希望に満ちていたあの頃がとても懐かしい。


そんな懐かしさが糧になり得るのかもしれない。



2022年10月10日(月) こころ旅

爽やかな晴天に恵まれ優しい陽射しが降り注ぐ。


今朝は火野正平さんの「こころ旅」を見ていて

急に何処かに出掛けてみたくなった。

じいちゃんに相談したら快くうなずいてくれて

さて西に行くか東に行くかと行き当たりばったりのドライブ。

結局四万十川を遡り私の生まれ故郷の江川崎まで。


あれはまだ子供たちが小学生の頃だったろうか

故郷に帰ってみたいと云う私の願いを叶えてくれたことがあった。

当時はまだ住んでいた家が残っておりなんと懐かしかったことだろう。

あの時はもう二度と訪れることもないだろうと思っていたけれど

それ以来何度も訪れもう数えきれないほどになった。


住んでいた家は壊され今は更地になっている。

けれども家に続く石段は昔のままで踏みしめながら歩いたこともある。

思い出に浸る私をいつも見守ってくれた彼には感謝しかない。


今日はかつての小学校の跡地に行ってみたかったけれど

今は消防署になっていてもう昔の面影はないだろうと言う。

車を降りてかつての通学路を歩いてみたかったけれど

足の痛みもありさすがに断念せざるを得なかった。

「また来ればいいさ」と彼が言う。生きているうちにそれは叶うだろう。

故郷は遠くにありて思うものと言うが今では身近な場所になった。


車中でいろんなことを語り合う。5年後、10年後のこと。

そのうち自動車免許も返納になるかもしれないなとも言う。

それまでに行きたいところに行こうなと彼は言った。

遠距離はすでに厳しくなっている。同乗する私も心配でならない。



江川崎からまた四万十川沿いに車を走らせ四万十町に向かった。

お昼も近くなり無性に豚太郎の「味噌カツラーメン」が食べたい。

けれどもさすがに有名店で店の外に行列が出来ていた。

潔く諦め以前から行きつけの「椿食堂」で中華そばを食べる。

あっさりとしたスープの美味しいこと。すっかり満足して帰路に就く。

椿食堂では明日からおでんも始めるらしい。

「また来るけんね」と幡多弁丸出しで告げるのも愉快であった。


次は「紅葉」になるだろう。楽しみにしていようと思う。

私たちの思い出作りはまだまだ続けられそうだ。














2022年10月09日(日) 希望なのか奇跡なのか

日が暮れてからぽつぽつと雨が降り始めた。

しみじみと胸に沁みるような旋律に聴こえる。

切なさなど口に出来る歳ではもうないのだけれど

なぜかしんみりとしてしまうのは何故だろうか。



夜明け前、いつものように短歌と詩を書こうとしたら

何かの不具合だろうか文字入力が正常に出来なくなっていた。

一行目の短歌は書けるが一行空白にして三行目からが書けない。

三行目からの詩を書こうとしたら最初の短歌が消えてしまうのだった。

焦ってしまって何度もやり直したけれどもう諦めるしかなかった。

どうやらWindows11とSNSの相性が悪いように思える。


親切にアドバイスを下さった方が居て他のプラウザで試してみる。

まずはインストールから始めなければならず手間取ったけれど

やっと正常に書き込めるようになりなんと安堵したことだろう。


私は書けなくなることを異常なほどに怖れているらしい。

一瞬目の前が真っ暗になってしまった今朝の出来事だった。






朝のうちに一時間ほど川仕事に行っていた。

先日から海苔の人口種付けが始まっており今日は少しだけであったが

漁場に網を張る作業をしていた。網はもちろんまだ真っ白である。

希望が全くないわけではない。きっと緑に染まると信じたい。


朝の川風のなんと心地よいこと。とても清々しい気持ちだった。

やっぱり好きだなとつくづく思う。きっと天職なのだろう。




パソコンのトラブルも解消され午後は読書のつもりであったけれど

瀬戸内寂聴の小説「秘花」を読み始めたが溜息が出るばかり。

最初の数ページからもう読む気がしなくなり本を閉じてしまった。

寂聴さんの随筆は好きだけれど小説はどうも性に合わないらしい。

そもそも私には文学を極めるような素質もないのだろうと思う。


その代わりと言ってはとてもおこがましく失礼に当たるけれど

先日から読み返している自分の日記を読んでいた。

今日は9年前の5月の日記を一時間ほどかけて読み終える。

読みながら胸が熱くなり不覚にも涙があふれそうになった。

あやちゃんに読ませたくてたまらなくなり声を掛けたら

素直に頷いてくれてパソコンの前に座ってくれて嬉しかった。

10年後二十歳になったあやちゃんがまた読んでくれそうな気がする。

それまでなんとしてもこの日記が消滅しないことを祈るだけだ。


先日、N先生は終活だと言い断捨離だと言った。

その潔さにひたすら頭が下がる思いである。

私はまだまだ諦めきれずにいるようだ。


定命が尽き私がこの世から消え去ってしまっても

この日記がもし残っているのならそれは奇跡ではないだろうか。



2022年10月08日(土) 初心に返る

二十四節気の「寒露」秋が深まり朝露が冷たく感じられる頃。

今朝はぐんと気温が下がり肌寒くなった。

明日は今日よりも気温が下がるのだそうだ。

日中の陽射しはとても有難くほっこりと幸せな気分になる。



娘夫婦が仕事だったので孫達と過ごしていたけれど

二人ともすっかり手が掛からなくなり楽をさせてもらった。

そんな楽も寂しいものでやがては祖父母離れをしていくことだろう。


めいちゃんと買い物。出掛けに「おばあちゃんお金ある?」と

また心配をかけてしまった。本当に優しい子に育ってくれたこと。

午後には洗濯物を取り入れるのを手伝ってくれて

夕方には自分から進んでお風呂を洗ってくれた。

そうしておじいちゃんと一緒にお風呂に入る。

娘が帰って来ると急に赤ちゃんみたいになって抱きついていた。

成長したとはいえまだまだ母親に甘えたい年頃なのだろう。






午前中にカーブスへ行っていて今日ははっきりと言わせてもらった。

とにかく励まさないでいて欲しい。過剰に褒めないで欲しいと。

コーチの反応が気になったけれど自分を守ることを選ぶ。

鬱々とした気持ちからなんとしても逃れたいと思っていた。

例の親身になってくれるコーチは今日も姿が見えない。

無いものねだりをするほど私は愚かではないのだと思ったのだ。


子供は褒められたら伸びるかもしれないけれど

大人も同じとは限らないのではないだろうか。

私はむしろけなされた方が伸びるではないかと思っている。

もっと悔しい思いをしなければならない。

どん底に突き落とされてこそ這い上がる勇気が出て来る。

試しに「足が痛くて駄目ですね。頑張れませんね」と言ってみなさい。

私はありったけの力を振り絞って頑張ることだろう。


カーブスに限ったことではない。人生には似たようなことが多々ある。

私のように「書く」ことに拘っている人間は特に評価に拘り

少しでも認めて欲しいとまるで欲の塊りになってしまうことがある。

この日記にしてもアクセス数が気になり得票数が気になってならない。

ランキングの上位に食い込もうと躍起になってしまうのだった。


「馬鹿じゃないか」今日は初めてそう思った。

私はもっともっと追い詰められなければいけない。

所詮駄文なのだからプライドなど捨ててしまうべきなのだ。


10年前の日記のなんと伸び伸びと穏やかなことだろう。

「初心に返る」今からでも遅くはないと思っている。



2022年10月07日(金) タイムカプセル

曇り日。午後から寒気が流れ込んで来たようだ。

北西の風が吹き一気に肌寒くなる。

北海道や東日本では真冬並みの寒さになったそうだ。

けれども一時的なものらしく数日経てば平年並みの気温になるとのこと。

体調管理に気をつけながら穏やかな秋の日を待ちたいと思う。



お昼休みに10年前の日記を読み返していた。

先日のN先生の言葉がずっと心に残り続けている。

とにかく納得がいくまで読み返さなければ気が済まない。

潔く燃やしてしまうことは出来ないけれど

ネット上から忽然と消滅してしまうことは覚悟の上だった。

ダウンロード機能はあるけれどそれは画像のみであるらしい。

ファイルを確かめてみて初めてその現実を知った。

かと言って20年間もの日記をプリントアウトするのは不可能である。

それをしたところでいずれは紙屑になってしまうだろう。

ひどく追い詰められた気分になる。私はとても焦っているらしい。


それにしても10年前の日記のなんと懐かしかったことだろう。

まだ生まれて間もない初孫のあやちゃんの可愛いこと。

愛犬あんずもまだ生きていて毎日の散歩の光景がよみがえる。

思ったこと感じたことも記されていて歳月の流れをしみじみと感じた。

「10年後私は生きているのだろうか」そんなことも記されていた。

まるでタイムカプセルを開けたような気持になる。

思わず「生きちょるけん」と微笑みながら呟いていた。

また新たに同じことを書いてみたいとも思う。

この場所が無くなっていてもきっと何処かで私は記しているだろう。

とにかく最後の最期まで書くことを諦めずにいたいと思っている。


たかが日記と思う人もいるかもしれない。

けれどもそこには私の人生そのものが記されている。

雨の日も嵐の日も雪の日も春夏秋冬私は書き続けてきた。

それが私のささやかな誇りでもある。


明日のことなど誰にも分からない。

だからこそ今日を「いま」を大切に生き続けていきたい。




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