ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年10月11日(火) この秋をこれからの冬を

ぐんと肌寒い朝。今季初暖房のお世話になる。

年寄りの冷や水ではないけれど寒さを我慢してはいけない。

光熱費が気になるけれど身を守ることが一番ではないだろうか。


母はお気に入りの毛糸のベストを羽織っているだろうか。

部屋は暖かくしているだろうけれど気になってならない。

体調には異変がないらしく施設からの連絡はずっと途絶えている。

この秋をこれからの冬をなんとしても乗り越えて欲しいと願う。





義父の稲刈りがすべて終わり今日は飼料米の出荷。

今年は豊作とはいかず全体的にお米の量が少なかったようだ。

おまけに安値で米農家の痛手は計り知れない。

それでも義父は決して嘆くことをしなかった。

79歳になったばかりの義父はとても逞しく活き活きとしている。

65歳の私などまだひよっこで義父を見習わなければいけない。

前途に希望を持ち立ち向かっていかなければならないと思った。





息子から連絡がありけい君が発熱とのこと。

息子の職場は家族に発熱があれば出勤出来ない規則になっており

高齢者施設がどれほど慎重になっているか思い知らされる。

午前中に小児科を受診。幸い陰性と聞きほっと胸を撫で下ろす。

季節の変わり目で急に体調を崩すことはよくあることだった。

夕方電話をしたらまだ熱が下がらないとのこと。

可哀想でならないけれどどうすることも出来なかった。

お嫁さんの体調は落ち着いているそうでそれが何よりに思う。

お母さんが元気ならきっと大丈夫だろう。

けい君頑張ろうね。お熱をやっつけようねとエールを送り続けている。



9年前の秋の日記。もう二度と結婚はしないと言っていた息子が

突然「また嫁さんをもらうから」と言った日が記してある。

彼女のおなかにはすでにけい君が宿っていたのだった。


仕事のストレスで鬱状態になっていた息子がやっと立ち直る。

前途は明るく希望に満ちていたあの頃がとても懐かしい。


そんな懐かしさが糧になり得るのかもしれない。



2022年10月10日(月) こころ旅

爽やかな晴天に恵まれ優しい陽射しが降り注ぐ。


今朝は火野正平さんの「こころ旅」を見ていて

急に何処かに出掛けてみたくなった。

じいちゃんに相談したら快くうなずいてくれて

さて西に行くか東に行くかと行き当たりばったりのドライブ。

結局四万十川を遡り私の生まれ故郷の江川崎まで。


あれはまだ子供たちが小学生の頃だったろうか

故郷に帰ってみたいと云う私の願いを叶えてくれたことがあった。

当時はまだ住んでいた家が残っておりなんと懐かしかったことだろう。

あの時はもう二度と訪れることもないだろうと思っていたけれど

それ以来何度も訪れもう数えきれないほどになった。


住んでいた家は壊され今は更地になっている。

けれども家に続く石段は昔のままで踏みしめながら歩いたこともある。

思い出に浸る私をいつも見守ってくれた彼には感謝しかない。


今日はかつての小学校の跡地に行ってみたかったけれど

今は消防署になっていてもう昔の面影はないだろうと言う。

車を降りてかつての通学路を歩いてみたかったけれど

足の痛みもありさすがに断念せざるを得なかった。

「また来ればいいさ」と彼が言う。生きているうちにそれは叶うだろう。

故郷は遠くにありて思うものと言うが今では身近な場所になった。


車中でいろんなことを語り合う。5年後、10年後のこと。

そのうち自動車免許も返納になるかもしれないなとも言う。

それまでに行きたいところに行こうなと彼は言った。

遠距離はすでに厳しくなっている。同乗する私も心配でならない。



江川崎からまた四万十川沿いに車を走らせ四万十町に向かった。

お昼も近くなり無性に豚太郎の「味噌カツラーメン」が食べたい。

けれどもさすがに有名店で店の外に行列が出来ていた。

潔く諦め以前から行きつけの「椿食堂」で中華そばを食べる。

あっさりとしたスープの美味しいこと。すっかり満足して帰路に就く。

椿食堂では明日からおでんも始めるらしい。

「また来るけんね」と幡多弁丸出しで告げるのも愉快であった。


次は「紅葉」になるだろう。楽しみにしていようと思う。

私たちの思い出作りはまだまだ続けられそうだ。














2022年10月09日(日) 希望なのか奇跡なのか

日が暮れてからぽつぽつと雨が降り始めた。

しみじみと胸に沁みるような旋律に聴こえる。

切なさなど口に出来る歳ではもうないのだけれど

なぜかしんみりとしてしまうのは何故だろうか。



夜明け前、いつものように短歌と詩を書こうとしたら

何かの不具合だろうか文字入力が正常に出来なくなっていた。

一行目の短歌は書けるが一行空白にして三行目からが書けない。

三行目からの詩を書こうとしたら最初の短歌が消えてしまうのだった。

焦ってしまって何度もやり直したけれどもう諦めるしかなかった。

どうやらWindows11とSNSの相性が悪いように思える。


親切にアドバイスを下さった方が居て他のプラウザで試してみる。

まずはインストールから始めなければならず手間取ったけれど

やっと正常に書き込めるようになりなんと安堵したことだろう。


私は書けなくなることを異常なほどに怖れているらしい。

一瞬目の前が真っ暗になってしまった今朝の出来事だった。






朝のうちに一時間ほど川仕事に行っていた。

先日から海苔の人口種付けが始まっており今日は少しだけであったが

漁場に網を張る作業をしていた。網はもちろんまだ真っ白である。

希望が全くないわけではない。きっと緑に染まると信じたい。


朝の川風のなんと心地よいこと。とても清々しい気持ちだった。

やっぱり好きだなとつくづく思う。きっと天職なのだろう。




パソコンのトラブルも解消され午後は読書のつもりであったけれど

瀬戸内寂聴の小説「秘花」を読み始めたが溜息が出るばかり。

最初の数ページからもう読む気がしなくなり本を閉じてしまった。

寂聴さんの随筆は好きだけれど小説はどうも性に合わないらしい。

そもそも私には文学を極めるような素質もないのだろうと思う。


その代わりと言ってはとてもおこがましく失礼に当たるけれど

先日から読み返している自分の日記を読んでいた。

今日は9年前の5月の日記を一時間ほどかけて読み終える。

読みながら胸が熱くなり不覚にも涙があふれそうになった。

あやちゃんに読ませたくてたまらなくなり声を掛けたら

素直に頷いてくれてパソコンの前に座ってくれて嬉しかった。

10年後二十歳になったあやちゃんがまた読んでくれそうな気がする。

それまでなんとしてもこの日記が消滅しないことを祈るだけだ。


先日、N先生は終活だと言い断捨離だと言った。

その潔さにひたすら頭が下がる思いである。

私はまだまだ諦めきれずにいるようだ。


定命が尽き私がこの世から消え去ってしまっても

この日記がもし残っているのならそれは奇跡ではないだろうか。



2022年10月08日(土) 初心に返る

二十四節気の「寒露」秋が深まり朝露が冷たく感じられる頃。

今朝はぐんと気温が下がり肌寒くなった。

明日は今日よりも気温が下がるのだそうだ。

日中の陽射しはとても有難くほっこりと幸せな気分になる。



娘夫婦が仕事だったので孫達と過ごしていたけれど

二人ともすっかり手が掛からなくなり楽をさせてもらった。

そんな楽も寂しいものでやがては祖父母離れをしていくことだろう。


めいちゃんと買い物。出掛けに「おばあちゃんお金ある?」と

また心配をかけてしまった。本当に優しい子に育ってくれたこと。

午後には洗濯物を取り入れるのを手伝ってくれて

夕方には自分から進んでお風呂を洗ってくれた。

そうしておじいちゃんと一緒にお風呂に入る。

娘が帰って来ると急に赤ちゃんみたいになって抱きついていた。

成長したとはいえまだまだ母親に甘えたい年頃なのだろう。






午前中にカーブスへ行っていて今日ははっきりと言わせてもらった。

とにかく励まさないでいて欲しい。過剰に褒めないで欲しいと。

コーチの反応が気になったけれど自分を守ることを選ぶ。

鬱々とした気持ちからなんとしても逃れたいと思っていた。

例の親身になってくれるコーチは今日も姿が見えない。

無いものねだりをするほど私は愚かではないのだと思ったのだ。


子供は褒められたら伸びるかもしれないけれど

大人も同じとは限らないのではないだろうか。

私はむしろけなされた方が伸びるではないかと思っている。

もっと悔しい思いをしなければならない。

どん底に突き落とされてこそ這い上がる勇気が出て来る。

試しに「足が痛くて駄目ですね。頑張れませんね」と言ってみなさい。

私はありったけの力を振り絞って頑張ることだろう。


カーブスに限ったことではない。人生には似たようなことが多々ある。

私のように「書く」ことに拘っている人間は特に評価に拘り

少しでも認めて欲しいとまるで欲の塊りになってしまうことがある。

この日記にしてもアクセス数が気になり得票数が気になってならない。

ランキングの上位に食い込もうと躍起になってしまうのだった。


「馬鹿じゃないか」今日は初めてそう思った。

私はもっともっと追い詰められなければいけない。

所詮駄文なのだからプライドなど捨ててしまうべきなのだ。


10年前の日記のなんと伸び伸びと穏やかなことだろう。

「初心に返る」今からでも遅くはないと思っている。



2022年10月07日(金) タイムカプセル

曇り日。午後から寒気が流れ込んで来たようだ。

北西の風が吹き一気に肌寒くなる。

北海道や東日本では真冬並みの寒さになったそうだ。

けれども一時的なものらしく数日経てば平年並みの気温になるとのこと。

体調管理に気をつけながら穏やかな秋の日を待ちたいと思う。



お昼休みに10年前の日記を読み返していた。

先日のN先生の言葉がずっと心に残り続けている。

とにかく納得がいくまで読み返さなければ気が済まない。

潔く燃やしてしまうことは出来ないけれど

ネット上から忽然と消滅してしまうことは覚悟の上だった。

ダウンロード機能はあるけれどそれは画像のみであるらしい。

ファイルを確かめてみて初めてその現実を知った。

かと言って20年間もの日記をプリントアウトするのは不可能である。

それをしたところでいずれは紙屑になってしまうだろう。

ひどく追い詰められた気分になる。私はとても焦っているらしい。


それにしても10年前の日記のなんと懐かしかったことだろう。

まだ生まれて間もない初孫のあやちゃんの可愛いこと。

愛犬あんずもまだ生きていて毎日の散歩の光景がよみがえる。

思ったこと感じたことも記されていて歳月の流れをしみじみと感じた。

「10年後私は生きているのだろうか」そんなことも記されていた。

まるでタイムカプセルを開けたような気持になる。

思わず「生きちょるけん」と微笑みながら呟いていた。

また新たに同じことを書いてみたいとも思う。

この場所が無くなっていてもきっと何処かで私は記しているだろう。

とにかく最後の最期まで書くことを諦めずにいたいと思っている。


たかが日記と思う人もいるかもしれない。

けれどもそこには私の人生そのものが記されている。

雨の日も嵐の日も雪の日も春夏秋冬私は書き続けてきた。

それが私のささやかな誇りでもある。


明日のことなど誰にも分からない。

だからこそ今日を「いま」を大切に生き続けていきたい。





2022年10月06日(木) 母の奇跡

朝の肌寒さを覚悟していたけれどさほど気温は下がらず

思いがけずに快適を感じる朝となった。

けれども油断は禁物だろう。身体に堪える日が来るのに違いない。

血圧がぐんと高くなりぽっくり死んでしまうことだって在り得る。

命は取り留めても祖母のように半身不随になる可能性もあるのだ。

まだ秋の序の口からもう冬が怖くて不安でならなかった。

潔くどうして死ねよう。私はまだまだ生きたくてたまらない。




母がお世話になっている施設のSNSが更新されていて

お習字をしている写真がアップされていた。

そこに母の姿が見つからず一気に不安がつのる。

これまでは必ず母の姿を見せてくれていたのだった。

どうにも気掛かりでならず今日は思い切って施設に電話をしていた。


やはり思った通り先日の母の元気は空元気だったと分かる。

けれども決して嘘をついたわけではない。母に自覚が無いようなのだ。

母らしくあっけらかんとしていて全く気にしていない様子だと言う。


幸い担当の医師と話すことが出来て詳しい病状を聞くことが出来た。

今は頭の上に壺を載せて恐る恐る歩いているような状態らしい。

躓けば壺が落ちて割れてしまうと言う。それは当然のことだった。


心臓を守ろうすれば腎臓が弱る。腎臓を守ろうとすれば心臓が弱る。

今はどちらにも負担が掛からないように最善を尽くしてくれているらしい。

素人にも良く分かるように説明してくれて少し気持ちが楽になった。

とにかく母の生命力を信じるしかないのだと思う。


コロナ禍で面会は叶わないけれど面会が叶う時には

「それは危篤状態になった時ですよ」と医師は言う。

だから面会出来ないことをむしろ喜ぶべきなのだろうとも思った。

異変があれば必ず連絡すると言う。連絡が無いことを祈るしかない。

どれほどの日々が流れるにしても受け止めていかなければいけない。


コロナ感染を乗り越えたのも奇跡だと医師は言った。

母の生命力が人並み以上に強いことを物語っている。


そんな母を残してどうして先に逝けようか。

私は不安がっている場合ではない。

もっともっと強く逞しく生きていかなければならない。







2022年10月05日(水) 執着を潔く手放すこと

北日本や東日本では一気に気温が低くなったとのこと。

西日本は一日遅れ明日から肌寒くなりそうだった。

今日もほぼ真夏日となり蒸し暑い一日となる。



高知新聞に「あけぼの」と云う随筆欄があり

今朝は小学校4年生の時の担任だったN先生の随筆が載っていた。

80歳になられた先生はそろそろ終活を始めたらしい。

断捨離をしていたら女学生だった頃の日記帳が見つかったとのこと。

懐かしさもありついつい読み耽ってしまったと書いてあった。

少女だった頃の先生を知る由もないけれど

文学少女であり恋もし物思いに耽る時もあったことだろう。

私も読んでみたかったなと思った。それは憧憬にも等しい。


先生と私は50年以上も会ったことがないけれど

今でもその縁はささやかに繋がっているのだった。

お昼休みに早速電話をするととても喜んでくれた。


そうして衝撃的な事実を知ることになった。

随筆には書かれていなかったけれどその日記帳のすべてに

火を点けて燃やしてしまったのだと言う。

私が残念がると笑い飛ばすように「すっきりした」と言った。

読み返した時点で納得しもう未練はないのに違いない。

それほどまでに潔くこの世から消してしまえるものだろうか。

私はひたすら胸を打たれた。きっと私もそうするべきなのだろう。

この20年間書き続けてきた日記がまさにそうである。


執着を潔く手放すこと。それこそが断捨離なのだと思った。






整形外科の受診日だったので仕事を終えるなり急いで病院へ。

予約制であったけれど今日もかなりの待ち時間だった。

診察を諦めて薬の処方箋だけ貰って帰ろうかとも思ったけれど

医師に会いたくてならない。少しでも語り合いたかった。

ひたすら待った甲斐があった。医師のなんと優しいことだろう。


先日の川仕事のことも気にかけてくれて「よう頑張ったね」と。

まるで子供を褒めるように言ってくれてとても嬉しかった。

鎮痛剤は胃弱の私にはあまり勧められないけれど

朝だけだったのが夜の分を頓服として処方してくれる。

我慢できない程の痛みがあればどれほど救いになることだろう。

私はもはや藁にも縋る思いである。本当に良き医師と巡り合った。


帰り道はとても清々しい。すかっと爽やかな気分だった。

スーパーで沢山買物をしたけれど重い荷物もなんのその

気がつけば颯爽と歩いている自分が別人のように思えた。


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