ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年10月04日(火) 令和枯れすすき

大気が不安定だったのか少しだけにわか雨が降った。

陽射しもあったけれど異常なほどの蒸し暑さとなる。

かつて10月にエアコンのお世話になったことがあっただろうか。

今年の秋は短く一気に冬が訪れそうな気がしている。


秋らしい風景を見かけるとほっとする。

今日は芒とセイタカアワダチソウ。漢字だと背高泡立ち草だろうか。

まだ三角帽子のてっぺんをわずかに黄色く染めたばかり。

「ぶた草」とも呼ばれ花粉症の原因にもなるので

嫌う人も多いけれど私はなんとなく好きだなと思う。

子供の頃には見かけなかった花だ。いつ頃日本に渡って来たのだろう。

繁殖力が強い外来種なので駆除対象になっているようだ。

生き残るために必死の思いで花粉を放っているのだと思う。


芒はまだ若く艶々とした穂がなんとも美しい。

これは古来から日本に生息していたことだろう。

万葉の人々も歌に詠み慣れ親しんでいたのに違いない。

秋の日の風になびく姿はまるで空の波のようにも見える。


やがては枯れ芒となるのだけれど「昭和枯れすすき」を思い出す。

「貧しさに負けた いえ世間に負けた」

決してふざけているのではないけれど私は「令和枯れすすき」を歌いたい。


いけないいけない。書いているうちに脱線してしまったようだ。


それにしてもこうして書くのが本当に好きでならない。

この場所を失ったら生きていられないとも思う。

出来ることならば生前の最後の日記なるものを残したい。


「この場所を追われた いっそきれいに死のうか

 力の限り生きたから未練などないわ」



2022年10月03日(月) 季節の変わり目

朝は肌寒く日中はほぼ真夏日となる。

そんな夏の名残もあとわずかのようだ。

今はまさに季節の変わり目と云って良いだろう。


私はぽつねんと佇んでいる。

背中を押されたくはない。手を引かれたくもなかった。


職場の庭の片隅に秋桜が咲き始める。

昔はそれは沢山咲いたけれど今はほんのわずかである。

母を恨む気持ちはないが母のせいだと思っている。

いつだったか花が終わった頃に「汚い」と言って

根こそぎ引き抜いてしまったのだった。

母はそんな人だったのだろうか今はとても信じられない。

その証拠に母が育てていた季節ごとの花が今も咲き続けている。





今朝は職場に着くなり「みい太」が鳴きながら擦り寄って来た。

餌は毎朝義父が与えており空腹とは思えない。

かと言って私に甘える程には懐いていないのだった。

「お仕事するよ」と言ったら工場の車の下に潜り込んでしまった。


昼間、義父が「おう!」と声を上げるので何事かと思ったら

庭に数匹の子猫がよちよちと歩いている。

それはもちろんとても可愛らしかったけれど

一瞬どうしようと思うほど複雑な気持ちになってしまった。

父猫はみい太に違いない。母猫は黒い猫で時々姿が見えていた。

けれども餌を与えられているのはみい太だけなのだった。

子猫たちはまだ生まれて間もなく母猫のお乳だけが頼りだろう。

母猫もしっかりと食べなければお乳も出なくなるのではないか。

そんな心配が頭を過る。小さな命が不安でならなかった。


義父も元々の飼い主のKちゃんも黒猫には餌はやらないと言う。

心を鬼にしている気持ちは分かるけれどあまりにも残酷なこと。

みい太の家族を見殺しにするのだろうかと思った。


義父曰く。自然界の掟に沿うしかないのだそうだ。

野良猫には野良猫の生きる術がきっとあるのだろう。

情けをかけることは猫のためにならないと云うことだと思う。


みい太はあっけらかんとしている。

おそらくまだ父猫の自覚もないのかもしれない。

一日中工場に居て今日も看板猫を務めていた。



2022年10月02日(日) 明日がきっとありますように

残暑と言うより「秋暑し」と言った方が良いだろう。

もう10月だと言うのにほぼ真夏日の気温になる。


彼岸花が枯れ始めた。どす黒い血のような色。

よけいに怖ろしくなってつい目を背けてしまう。

けれども最後まで見届けてやらなければいけない。

緑の葉がその亡骸をきっと包み込むことだろう。




お隣のご主人のお葬式。お向かいのご夫婦と一緒に参列する。

なんとか他言無用を守り続けたけれどやはり複雑な気持ちであった。

私達以外は親族のみでわずか30名ほどの寂しいお葬式だった。


コロナ禍のせいもあるけれど遺族の意志で

今後のおつきあいが出来なくなるのが一番の原因らしかった。

奥さんは家を手放し娘さんとの同居をもう決めているとのこと。

お隣づき合いが出来るのも49日忌までではないだろうか。

奥さんも高齢なのでそれは致し方ないことにも思える。

今生の別れになることだろう。それも寂しくてならない。


亡くなられたご主人はとても安らかな顔をしていた。

それだけが救いに思える。ただただ冥福を祈るだけだった。



昔、何かの本で読んだことがあるのだけれど

自分のお葬式に誰が来てくれるか考えてみなさいと

あの人もこの人もと沢山の顔が浮かんだことだった。

私は「緊急連絡先」と称し電話番号を記し部屋に貼り付けたことがある。

娘がきっと皆に知らせてくれるだろうと信じていた。


歳月が流れてしまうと一人消え二人消える。

決して縁が切れるのではないけれど心に遠慮が生じてくるのだった。

もう迷惑なのかもしれないと思う。歳月にはそんな儚さもある。


今はもうその紙を破り捨ててしまったけれど

また新たな連絡先を記して置きたいと思うようになった。

遠方の友が多いけれどきっと駆けつけて来てくれるに違いない。

最期になんとしても会いたい。私の亡骸に声を掛けて欲しい。

そうでなければ私はどれほどの未練を残すことだろう。


歳を重ねるごとに人の「死」に慣れてくる。

悲しみよりも観念を感じることが多くなった。

出来ることならば長生きをしたいけれど

こればかりは自分の意志で叶うことではなかった。


希望はある。未来だってきっとあるだろう。

けれども生きれば生きるほど「死」が身近になって来るのだった。


「明日がきっとありますように」祈り続ける日々が続いている。





2022年10月01日(土) 気分一新の神無月

窓から三日月が見えている。まるで一切れの檸檬のようだ。

そんな月を仰ぎながら一日を振り返るのも良いものである。


カレンダーを10月にしたら一面の秋桜畑だった。

ラジオから山口百恵の「秋桜」が流れてくる。

母を想った。胸に熱いものが込み上げてきて涙がこぼれる。



早朝にお大師堂へ。ほぼひと月ぶりではなかっただろうか。

花枝(しきび)が気になっておりあらかじめ準備して行く。

これだけは人任せに出来ない。私の役目なのだと思っている。

日捲りの暦を今日にして花枝を活け替える。


さらさらと川のせせらぎの音を聴きながら般若心経を唱えた。

家族皆の平穏無事を祈らずにいられない。

神様は出雲の国だけれど仏様はきっと身近に居てくれるだろう。

ふとそんなことを思いながら手を合わせていた。


お線香の補充をしようとしたらもう買い置きがなかった。

買うことは容易いけれどすぐに持ってくる自信がない。

今朝は特に足の痛みが酷く歩くのも辛いほどだった。

仕方なくSさんに頼むことにして書き置きを残す。


手水鉢の水も空っぽ。ああどうしようと困り果てる。

川の水を汲みに行けない。なんとも情けない有り様だった。

Sさんや他のお参り仲間さんがきっと気づいてくれるだろう。

後ろ髪を引かれるようにしながらお堂を後にする。

疎かにしていることばかりだけれど私は精一杯であった。





買物を済ませてからカーブスへ。

先週は川仕事があり休んでいたので2週間ぶりだった。

例の親身になってくれるコーチが不在でなんとなく心細い。

案の定、足の痛みを気遣ってくれる人もなく気分が塞ぐ。

新人コーチが声を掛けてくれたけれど社交辞令に聞こえる。

頑張れないのに「頑張りましょう」とは辛いものである。


気分転換を兼ねてすぐ隣のセリアに寄っていた。

娘が働いているお店なので見つからないようにこっそりと。

「恥ずかしいので来ないで」といつも言われているのだった。

可愛らしいお皿を見つけたので孫たちにと買い求める。

レジに娘が居なかったのでこれ幸いと逃げるようにお店を出た。



気分転換が出来るうちはまだ大丈夫だと思う。

負にばかり囚われてしまうと本当に壊れてしまいそうだ。

けれども世の中には不治の病と闘っている人もたくさん居る。

私の足の痛みなど本当に些細なことなのではないだろうか。

命に係わることではないそれだけで恵まれているのだと思う。


70歳、80歳と人生はまだまだこれからなのだ。







2022年09月30日(金) 9月の晦日に吹いた風

9月もとうとう晦日。駆け抜けたような日々であった。


朝の国道321号線、伊豆田峠でMさんと再会する。

身体を少し左右に揺らげながら歩く癖がありすぐにMさんだと分かる。

Mさんも私の車を覚えていてすぐに手を挙げてくれた。

交通量が多くすぐに車を停められなかったけれど

近くにバス停があり歩道を歩いて来るMさんを待った。

「乗って行くよね」と声を掛けたら「ほ〜い」と明るい声。

重い荷物と金剛杖を車の後部座席に積み込みすぐにおしゃべりが始まる。


お孫さんの名前は「小雪ちゃん」なのだそうだ。

名前だけで可愛くてならないと言う。

すっかりおじいちゃんの顔になっていてなんとも微笑ましかった。

携帯電話を持っていないので写メも受け取れない。

どんなにか小雪ちゃんの顔を見たいことだろうと思う。

娘さんに何処かの札所宛に写真を送って貰うことを提案する。

「それはいい考えだ」ともうそれが叶ったかのように喜んでいた。

辛い歩き遍路も小雪ちゃんと一緒ならどれほど励みになることだろう。

会うことも抱くことも叶わない。Mさんの旅はまだまだ続きそうだ。

歩けるうちは歩きたいと言う。百巡目を過ぎても諦めてはいない。

いったい何処からそんな強い精神力が湧いて来るのだろうか。


ご縁を頂いてからもう12年目の秋となった。

雨の日も風の日も猛暑の日も雪の日もMさんのことを想わない日はない。






お昼前にやっと母の声を聴くことが出来る。

それは思いがけないほどに明るく元気な声であった。

体調はどこも悪くないと言う。「ぴんぴんしている」と笑いながら言う。

それを鵜呑みにして良いものか先日の看護師さんの話とは全く違う。

もし本当に恢復しているのなら施設から報告があるはずだった。

施設側が疎かにするはずはなく母に騙されているような気がした。

「まだ死にそうにないよ」と笑いながら言うだろうか。

私が心配するからと思っているのならそれは大間違いだと思う。

私だからこそ心配する権利がある。血を分けた母と娘ではないか。


母との電話が終わりすぐに真偽を確かめようと思ったけれど

多忙な施設に電話をするのも躊躇われもうしばらく様子を見ることにした。

母の言葉が本当なら必ず施設から報告があるだろう。







今日はいろいろあってお隣のご主人が昨夜亡くなったそうだ。

息子の勤めている施設に入居していたのだけれど

体調を崩し入院したと息子から聞いていた。

お隣の奥さんは随分と長いこと自宅で介護に務め

もう限界となり施設入居を決めたらしかった。

ご主人の怒鳴り声がよく聞こえておりその心労を察する。

コロナ禍で面会も叶わなかったことだろう。

おそらく最期を看取ることも叶わなかっただろうと思う。

痰が喉に詰まり窒息死だったと聞いた。本当に一瞬のことである。


今夜はお通夜で夫が焼香に参列していた。

親族のみの家族葬でわずかな人数の寂しいお通夜だったそうだ。

コロナ禍でなければきっと多くの人が参列したことだろう。


夫は他言無用を言い渡されなんとも複雑な気持ちだったそうだ。

そのうえに悼む気持ちが重なり肩を落として帰宅した。


生前の元気だった頃には少し頑固者ではあったけれど

近所付き合いも良く朗らかな人で皆から慕われてもいた。

温泉が大好きで近くの「癒しの湯」にもよく行っていたことを思い出す。


亡くなったことを誰にも言ってはいけない。

故人は本当にそれを望んでいたのだろうか。



2022年09月29日(木) マイナポイント

曇り日。午後少しだけにわか雨が降る。

一雨ごとに秋が深まるだろうと思っていたけれど

今日は蒸し暑くなりエアコンのお世話になった。

もうすぐ10月。一気に気温が下がるのかもしれない。


山里の柿の実がほんのりと色づき始める。

今は亡き義祖母の家の庭に2本の柿の木があった。

認知症ではあったが柿は大好物で常に見張っていたようだ。

「柿泥棒がいる」と大騒ぎしたこともあったけれど

犯人はどうやらハクビシンだったようで逮捕することも出来ない。

今となってはそれも懐かしい思い出である。

仏前に柿を供えてやったらどんなにか喜ぶことだろうか。





定時で仕事を終て市役所にマイナンバーカードを受け取りに行く。

空いていたのですぐに受け取ることが出来たけれど

そこにはなんとも不細工で目を背けたくなるような自分が居た。

私はよほど写真映りが悪いらしい。実物はもう少し可愛いはずだ。

こんなもの他人に見せられるものかと思った。

免許証の方がまだまし。年相応の熟女ぶりが表れている。

5年後に更新らしいが果たして生きているやらも定かではない。

娘には決して遺影にしないように頼んでおこうと思う。


マイナポイントの手続きも済ませた。

2万円相当のポイントだそうでなんと助かることだろう。

いつも買物をしているスーパーのポイントカードを登録する。

宝くじを買うよりも希望がある。一気に前途が明るくなった。


スーパーで夫名義のポイントカードも作ってもらった。

夫のマイナポイントも家計を助けてくれることだろう。

早速に「焼き肉が食べたい」と言う。そんな贅沢をする気はないが

値上がりするビール代くらいにはなるのではないだろうか。


貧乏もまんざらではない。時には希望さえ与えてくれる。

裕福な暮らしの人には味わえないであろう「幸福」がそこにある。





2022年09月28日(水) 白い彼岸花

午後ほんの少しだけ雨が降ったけれど通り雨だったようだ。

夕方には茜色の空。鱗雲がまるで生き物のように見えた。


今朝はSNSに白い彼岸花の写真を載せる。

過去写真だけれど今年もきっと咲いていることだろう。

情けないけれど足が痛くて河川敷まで歩いて行けない。


それはすぐご近所の奥さんが数年前に植えたものらしい。

ご主人が急逝されてからのことだった。

河川敷にはご主人の形見である川船がひっそりと置いてあり

その近くの川辺に白い彼岸花が群生しているのだった。

どんな思いで植えたのだろうと思うと切なくてならない。

紅ではなく白を選んだ。まるで夫婦の絆のように感じられるのだった。





腹痛と睡魔に悩まされた一日。腹痛はまた「赤玉」を服用し治まる。

睡魔は夕方まで続き帰り道の運転が怖ろしいほどだった。

季節の変わり目だからかもしれないがいささか辟易としている。


仕事はさほど忙しくもなく疲れるほどではなかった。

母にもしものことがあってはいけないと月末の支払いも済ませる。

縁起でもないことだけれど明日のことが分からないのだった。


今日はやっと義父と母のことを話すことが出来たけれど

何かあれば施設から連絡があるだろうと笑い飛ばしていた。

私もそれくらいあっけらかんとしていないと身が持たない。

今日は不謹慎にもお葬式のことを考えていた。

葬儀場は何処にしようか。遺骨はどうしようかなどと

考え出したらきりがなく自分でも呆れてしまうのだった。

挙句の果てに母に電話を掛ける。当然のように音信不通である。


私はいったい何を待っているのだろう。

母の生還かそれとも安らかな死なのだろうか。


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