ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年09月30日(金) 9月の晦日に吹いた風

9月もとうとう晦日。駆け抜けたような日々であった。


朝の国道321号線、伊豆田峠でMさんと再会する。

身体を少し左右に揺らげながら歩く癖がありすぐにMさんだと分かる。

Mさんも私の車を覚えていてすぐに手を挙げてくれた。

交通量が多くすぐに車を停められなかったけれど

近くにバス停があり歩道を歩いて来るMさんを待った。

「乗って行くよね」と声を掛けたら「ほ〜い」と明るい声。

重い荷物と金剛杖を車の後部座席に積み込みすぐにおしゃべりが始まる。


お孫さんの名前は「小雪ちゃん」なのだそうだ。

名前だけで可愛くてならないと言う。

すっかりおじいちゃんの顔になっていてなんとも微笑ましかった。

携帯電話を持っていないので写メも受け取れない。

どんなにか小雪ちゃんの顔を見たいことだろうと思う。

娘さんに何処かの札所宛に写真を送って貰うことを提案する。

「それはいい考えだ」ともうそれが叶ったかのように喜んでいた。

辛い歩き遍路も小雪ちゃんと一緒ならどれほど励みになることだろう。

会うことも抱くことも叶わない。Mさんの旅はまだまだ続きそうだ。

歩けるうちは歩きたいと言う。百巡目を過ぎても諦めてはいない。

いったい何処からそんな強い精神力が湧いて来るのだろうか。


ご縁を頂いてからもう12年目の秋となった。

雨の日も風の日も猛暑の日も雪の日もMさんのことを想わない日はない。






お昼前にやっと母の声を聴くことが出来る。

それは思いがけないほどに明るく元気な声であった。

体調はどこも悪くないと言う。「ぴんぴんしている」と笑いながら言う。

それを鵜呑みにして良いものか先日の看護師さんの話とは全く違う。

もし本当に恢復しているのなら施設から報告があるはずだった。

施設側が疎かにするはずはなく母に騙されているような気がした。

「まだ死にそうにないよ」と笑いながら言うだろうか。

私が心配するからと思っているのならそれは大間違いだと思う。

私だからこそ心配する権利がある。血を分けた母と娘ではないか。


母との電話が終わりすぐに真偽を確かめようと思ったけれど

多忙な施設に電話をするのも躊躇われもうしばらく様子を見ることにした。

母の言葉が本当なら必ず施設から報告があるだろう。







今日はいろいろあってお隣のご主人が昨夜亡くなったそうだ。

息子の勤めている施設に入居していたのだけれど

体調を崩し入院したと息子から聞いていた。

お隣の奥さんは随分と長いこと自宅で介護に務め

もう限界となり施設入居を決めたらしかった。

ご主人の怒鳴り声がよく聞こえておりその心労を察する。

コロナ禍で面会も叶わなかったことだろう。

おそらく最期を看取ることも叶わなかっただろうと思う。

痰が喉に詰まり窒息死だったと聞いた。本当に一瞬のことである。


今夜はお通夜で夫が焼香に参列していた。

親族のみの家族葬でわずかな人数の寂しいお通夜だったそうだ。

コロナ禍でなければきっと多くの人が参列したことだろう。


夫は他言無用を言い渡されなんとも複雑な気持ちだったそうだ。

そのうえに悼む気持ちが重なり肩を落として帰宅した。


生前の元気だった頃には少し頑固者ではあったけれど

近所付き合いも良く朗らかな人で皆から慕われてもいた。

温泉が大好きで近くの「癒しの湯」にもよく行っていたことを思い出す。


亡くなったことを誰にも言ってはいけない。

故人は本当にそれを望んでいたのだろうか。



2022年09月29日(木) マイナポイント

曇り日。午後少しだけにわか雨が降る。

一雨ごとに秋が深まるだろうと思っていたけれど

今日は蒸し暑くなりエアコンのお世話になった。

もうすぐ10月。一気に気温が下がるのかもしれない。


山里の柿の実がほんのりと色づき始める。

今は亡き義祖母の家の庭に2本の柿の木があった。

認知症ではあったが柿は大好物で常に見張っていたようだ。

「柿泥棒がいる」と大騒ぎしたこともあったけれど

犯人はどうやらハクビシンだったようで逮捕することも出来ない。

今となってはそれも懐かしい思い出である。

仏前に柿を供えてやったらどんなにか喜ぶことだろうか。





定時で仕事を終て市役所にマイナンバーカードを受け取りに行く。

空いていたのですぐに受け取ることが出来たけれど

そこにはなんとも不細工で目を背けたくなるような自分が居た。

私はよほど写真映りが悪いらしい。実物はもう少し可愛いはずだ。

こんなもの他人に見せられるものかと思った。

免許証の方がまだまし。年相応の熟女ぶりが表れている。

5年後に更新らしいが果たして生きているやらも定かではない。

娘には決して遺影にしないように頼んでおこうと思う。


マイナポイントの手続きも済ませた。

2万円相当のポイントだそうでなんと助かることだろう。

いつも買物をしているスーパーのポイントカードを登録する。

宝くじを買うよりも希望がある。一気に前途が明るくなった。


スーパーで夫名義のポイントカードも作ってもらった。

夫のマイナポイントも家計を助けてくれることだろう。

早速に「焼き肉が食べたい」と言う。そんな贅沢をする気はないが

値上がりするビール代くらいにはなるのではないだろうか。


貧乏もまんざらではない。時には希望さえ与えてくれる。

裕福な暮らしの人には味わえないであろう「幸福」がそこにある。





2022年09月28日(水) 白い彼岸花

午後ほんの少しだけ雨が降ったけれど通り雨だったようだ。

夕方には茜色の空。鱗雲がまるで生き物のように見えた。


今朝はSNSに白い彼岸花の写真を載せる。

過去写真だけれど今年もきっと咲いていることだろう。

情けないけれど足が痛くて河川敷まで歩いて行けない。


それはすぐご近所の奥さんが数年前に植えたものらしい。

ご主人が急逝されてからのことだった。

河川敷にはご主人の形見である川船がひっそりと置いてあり

その近くの川辺に白い彼岸花が群生しているのだった。

どんな思いで植えたのだろうと思うと切なくてならない。

紅ではなく白を選んだ。まるで夫婦の絆のように感じられるのだった。





腹痛と睡魔に悩まされた一日。腹痛はまた「赤玉」を服用し治まる。

睡魔は夕方まで続き帰り道の運転が怖ろしいほどだった。

季節の変わり目だからかもしれないがいささか辟易としている。


仕事はさほど忙しくもなく疲れるほどではなかった。

母にもしものことがあってはいけないと月末の支払いも済ませる。

縁起でもないことだけれど明日のことが分からないのだった。


今日はやっと義父と母のことを話すことが出来たけれど

何かあれば施設から連絡があるだろうと笑い飛ばしていた。

私もそれくらいあっけらかんとしていないと身が持たない。

今日は不謹慎にもお葬式のことを考えていた。

葬儀場は何処にしようか。遺骨はどうしようかなどと

考え出したらきりがなく自分でも呆れてしまうのだった。

挙句の果てに母に電話を掛ける。当然のように音信不通である。


私はいったい何を待っているのだろう。

母の生還かそれとも安らかな死なのだろうか。



2022年09月27日(火) 触れてはいけない花

つかの間ではあったが雷雨の時間帯があった。

午後には雨もやみ静かな夕暮れ時となる。


あちらこちらで彼岸花が満開となり鮮やかな紅に目を奪われる。

幼い頃には怖ろしいと思っていた花も

今では愛でることが出来るようになった。

それがきっと「おとな」になると云うことなのだろう。

けれども未だに触れたことはない。触れてはいけない気がするのだった。

上手く言葉にできないけれど何かが私を拒絶している。

それはいったい何なのだろうか。知れば哀しくなってしまいそうだ。





母の施設から何の音沙汰もなし。容態が落ち着いているのだろうか。

こちらから電話をして確かめることも考えたけれど

昨日の看護師さんの苛立った様子が気になり躊躇してしまった。

多忙な折に家族からの電話は迷惑に違いないと思ったのだ。

きっと最善を尽くしてくれていることだろう。

「お任せします」と言った以上は黙って待つしかないのだと思う。

そのうちきっと連絡があるだろう。「もう大丈夫ですよ」と。


やきもきしているのはどうやら私だけのようで

誰も母のことを話題にしない。

それだけ母は孤独であったのかと今更ながらに思う。

家族を捨てた昔のことを今更責める気持ちはないけれど

「自業自得」だと云われればそれも納得せざるに得ないのだ。


母は今どんな気持ちでベットに横たわっているのだろう。

決して過去を悔やんではいないような気がする。

それは母の人生に他ならず母の決めたことなのだったのだから。


私はずっと薄情な娘であったけれど

ほんの少しだけ遠い昔の家族であったような気がしている。



2022年09月26日(月) 崖っぷちに立つ

晴れのち曇り。明日はまた雨になりそうだ。

一雨ごとに秋が深まっていくのだろう。

9月も残り少なくなってしまった。


月末までになんとしてもやり遂げたいことがあり

数日前から努力を重ねていたけれど

それが今日やっと仕上がりポストに投函することが出来た。

大げさかもしれないけれど私の人生を賭けている。

負けるわけにはいかない。この勝負だけは誰にも譲れない。

半世紀にわたり詩を書いてきた。それが誇りでなくてなんだろう。

たとえ崖っぷちに立たされても私は叫び続けるであろう。




西日を浴びながら洗濯物を取り入れていたら

母の施設の看護師さんから電話があった。

母の体調に異変があったらしく応急処置を始めると云う。

それも家族の同意が必要でまずは私の同意を求めて来た。

義父は稲刈りをしていて連絡が取れず仕方なく私の一存とする。


持病の心不全の発作のようだった。幸いまだ初期症状ではあったが

こればかりは急変することも考えられ油断がならない。

ふたふたと心が落ち着かない夕暮れ時となってしまった。


二晩続けて母の夢を見たけれど虫の知らせだったのだろうか。

祖母の命日には電話をしたけれどなしのつぶてであった。

これまで何度も発作に見舞われたけれどずっと乗り越えてきた。

今回もきっと大丈夫と信じたい気持ちでいっぱいである。


夢の中の母のなんと元気だったことか。それが救いでもある。

ただコロナ禍で面会が叶わないことがとても残念でならない。






2022年09月25日(日) 秋暑しだからこその初の鍋

午後6時半、もう日が暮れすっかり暗くなった。

SNSで繋がりのある方から「秋暑し」という言葉を教わる。

「残暑」には違いないがなんと風情のある言葉だろうと思った。

日本語の奥ゆかしいこと。逝く夏のせつなさと愛しさを感じる。



予定通りの川仕事。今朝は昨日ほど足の痛みが無く順調に捗る。

潮が完全に引くまではふくらはぎまで水があり

水圧を受けながらばしゃばしゃと歩くことが出来た。

もはやそうなれば荒治療にもなり痛みが徐々に薄れていく。

2時間ほど頑張りやっと漁場に竹杭を打ち終えていた。

程よい疲れと心地よい達成感は何ものにも代え難いと思う。


すっかり潮が引くと今までに見たこともない貝がたくさん見えた。

灰色の三角帽子のような形をした貝でとても珍しい。

確かに生きているらしくゆっくりと動いている貝もあった。

大量に発生するには川に異変が起きているのかもしれないけれど

生き物が生息出来る場所であることは救いにも思えるのだった。


海苔はどうだろう。自然環境の変化に耐えられるだろうか。

試練を乗り越える命の営みを信じてやりたい気持ちでいっぱいになる。




「秋暑し」の一日だったけれど夕飯は初鍋物で「水炊き」にした。

鶏肉と魚のすり身がメインの質素な水炊きであったけれど

素潜り漁から帰って来た娘婿の石鯛とグレ、伊勢海老も加わる。

そうして思いがけないほどに豪華な水炊きになった。

家族揃っての夕食も久しぶりのことでなんと嬉しかったことだろう。


「家族ではない」と言われ続けているけれど

時々はこうして家族の真似事もしてみたいものだった。


不確かなことがあっても幸せには違いない。





2022年09月24日(土) 駄目で元々

爽やかな秋晴れ。最高気温が30℃を超え真夏日となる。

夏の最後の置き土産だろうか。私の元にも届いたようだ。


心配していた台風15号は東北沖で低気圧に変わったようだけれど

静岡では土砂崩れで亡くなられた方もいて心が痛むばかりである。

一日も早く台風シーズンが去ってくれることを願ってやまない。




今日こそは川仕事と意気込んでいたのだけれど

出掛けになりなぜか酷く右足が痛み始めた。

まともに歩くこともままならなかったけれどとにかく行くしかない。

足を引き摺りながらの作業で思うように動けずなんと情けないこと。

整形外科の医師の言葉を思い出していた。

「やれるだけやってみなさい」その言葉がとても励みになる。


今朝はめいちゃんが「川へ行きたい」と泣いて訴える。

一昨年だったか手伝ってくれたことがあって憶えていたのだろう。

幼い手で漁場に竹杭を配ってくれたのだった。

私は猫の手も借りたい気持ちであったけれどじいちゃんが反対し

泣きじゃくるめいちゃんを宥めてお留守番をさせることになった。

「お手伝いしたい」その気持ちは本当に嬉しくてならなかった。


今年で最後になるかもしれない漁場の準備はいささか虚しい。

けれどもまだ完全に諦めるわけにはいかなかった。

ほんのわずかの希望に縋りつくような思いである。

「駄目で元々さ」と笑い合えるだけでも救われる気持ちであった。


どんなに努力をしても報われるとは限らない。

くたびれ儲けになっても精一杯でありたいものだと強く思う。


漁場の準備が終われば海苔の種付けが待っている。

海苔網が緑に染まるのを夢のように目に浮かべているのだった。


神様も仏様も今日の私達をきっと見てくれていたのに違いない。




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