ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年09月27日(火) 触れてはいけない花

つかの間ではあったが雷雨の時間帯があった。

午後には雨もやみ静かな夕暮れ時となる。


あちらこちらで彼岸花が満開となり鮮やかな紅に目を奪われる。

幼い頃には怖ろしいと思っていた花も

今では愛でることが出来るようになった。

それがきっと「おとな」になると云うことなのだろう。

けれども未だに触れたことはない。触れてはいけない気がするのだった。

上手く言葉にできないけれど何かが私を拒絶している。

それはいったい何なのだろうか。知れば哀しくなってしまいそうだ。





母の施設から何の音沙汰もなし。容態が落ち着いているのだろうか。

こちらから電話をして確かめることも考えたけれど

昨日の看護師さんの苛立った様子が気になり躊躇してしまった。

多忙な折に家族からの電話は迷惑に違いないと思ったのだ。

きっと最善を尽くしてくれていることだろう。

「お任せします」と言った以上は黙って待つしかないのだと思う。

そのうちきっと連絡があるだろう。「もう大丈夫ですよ」と。


やきもきしているのはどうやら私だけのようで

誰も母のことを話題にしない。

それだけ母は孤独であったのかと今更ながらに思う。

家族を捨てた昔のことを今更責める気持ちはないけれど

「自業自得」だと云われればそれも納得せざるに得ないのだ。


母は今どんな気持ちでベットに横たわっているのだろう。

決して過去を悔やんではいないような気がする。

それは母の人生に他ならず母の決めたことなのだったのだから。


私はずっと薄情な娘であったけれど

ほんの少しだけ遠い昔の家族であったような気がしている。



2022年09月26日(月) 崖っぷちに立つ

晴れのち曇り。明日はまた雨になりそうだ。

一雨ごとに秋が深まっていくのだろう。

9月も残り少なくなってしまった。


月末までになんとしてもやり遂げたいことがあり

数日前から努力を重ねていたけれど

それが今日やっと仕上がりポストに投函することが出来た。

大げさかもしれないけれど私の人生を賭けている。

負けるわけにはいかない。この勝負だけは誰にも譲れない。

半世紀にわたり詩を書いてきた。それが誇りでなくてなんだろう。

たとえ崖っぷちに立たされても私は叫び続けるであろう。




西日を浴びながら洗濯物を取り入れていたら

母の施設の看護師さんから電話があった。

母の体調に異変があったらしく応急処置を始めると云う。

それも家族の同意が必要でまずは私の同意を求めて来た。

義父は稲刈りをしていて連絡が取れず仕方なく私の一存とする。


持病の心不全の発作のようだった。幸いまだ初期症状ではあったが

こればかりは急変することも考えられ油断がならない。

ふたふたと心が落ち着かない夕暮れ時となってしまった。


二晩続けて母の夢を見たけれど虫の知らせだったのだろうか。

祖母の命日には電話をしたけれどなしのつぶてであった。

これまで何度も発作に見舞われたけれどずっと乗り越えてきた。

今回もきっと大丈夫と信じたい気持ちでいっぱいである。


夢の中の母のなんと元気だったことか。それが救いでもある。

ただコロナ禍で面会が叶わないことがとても残念でならない。






2022年09月25日(日) 秋暑しだからこその初の鍋

午後6時半、もう日が暮れすっかり暗くなった。

SNSで繋がりのある方から「秋暑し」という言葉を教わる。

「残暑」には違いないがなんと風情のある言葉だろうと思った。

日本語の奥ゆかしいこと。逝く夏のせつなさと愛しさを感じる。



予定通りの川仕事。今朝は昨日ほど足の痛みが無く順調に捗る。

潮が完全に引くまではふくらはぎまで水があり

水圧を受けながらばしゃばしゃと歩くことが出来た。

もはやそうなれば荒治療にもなり痛みが徐々に薄れていく。

2時間ほど頑張りやっと漁場に竹杭を打ち終えていた。

程よい疲れと心地よい達成感は何ものにも代え難いと思う。


すっかり潮が引くと今までに見たこともない貝がたくさん見えた。

灰色の三角帽子のような形をした貝でとても珍しい。

確かに生きているらしくゆっくりと動いている貝もあった。

大量に発生するには川に異変が起きているのかもしれないけれど

生き物が生息出来る場所であることは救いにも思えるのだった。


海苔はどうだろう。自然環境の変化に耐えられるだろうか。

試練を乗り越える命の営みを信じてやりたい気持ちでいっぱいになる。




「秋暑し」の一日だったけれど夕飯は初鍋物で「水炊き」にした。

鶏肉と魚のすり身がメインの質素な水炊きであったけれど

素潜り漁から帰って来た娘婿の石鯛とグレ、伊勢海老も加わる。

そうして思いがけないほどに豪華な水炊きになった。

家族揃っての夕食も久しぶりのことでなんと嬉しかったことだろう。


「家族ではない」と言われ続けているけれど

時々はこうして家族の真似事もしてみたいものだった。


不確かなことがあっても幸せには違いない。





2022年09月24日(土) 駄目で元々

爽やかな秋晴れ。最高気温が30℃を超え真夏日となる。

夏の最後の置き土産だろうか。私の元にも届いたようだ。


心配していた台風15号は東北沖で低気圧に変わったようだけれど

静岡では土砂崩れで亡くなられた方もいて心が痛むばかりである。

一日も早く台風シーズンが去ってくれることを願ってやまない。




今日こそは川仕事と意気込んでいたのだけれど

出掛けになりなぜか酷く右足が痛み始めた。

まともに歩くこともままならなかったけれどとにかく行くしかない。

足を引き摺りながらの作業で思うように動けずなんと情けないこと。

整形外科の医師の言葉を思い出していた。

「やれるだけやってみなさい」その言葉がとても励みになる。


今朝はめいちゃんが「川へ行きたい」と泣いて訴える。

一昨年だったか手伝ってくれたことがあって憶えていたのだろう。

幼い手で漁場に竹杭を配ってくれたのだった。

私は猫の手も借りたい気持ちであったけれどじいちゃんが反対し

泣きじゃくるめいちゃんを宥めてお留守番をさせることになった。

「お手伝いしたい」その気持ちは本当に嬉しくてならなかった。


今年で最後になるかもしれない漁場の準備はいささか虚しい。

けれどもまだ完全に諦めるわけにはいかなかった。

ほんのわずかの希望に縋りつくような思いである。

「駄目で元々さ」と笑い合えるだけでも救われる気持ちであった。


どんなに努力をしても報われるとは限らない。

くたびれ儲けになっても精一杯でありたいものだと強く思う。


漁場の準備が終われば海苔の種付けが待っている。

海苔網が緑に染まるのを夢のように目に浮かべているのだった。


神様も仏様も今日の私達をきっと見てくれていたのに違いない。





2022年09月23日(金) 貧しさには優しさを

秋分の日が暮れようとしている。

昼と夜の時間が同じになり次第に日が短くなっていく。

そうして秋がぐんと深まっていくのだろう。


けれども今日は少し夏の名残を感じた。

午後から晴れて蒸し暑くなりエアコンのお世話になる。

土佐沖を北上している台風の影響かもしれない。

紀伊半島から関東に接近するとのこと、大事に至らないことを祈る。



この三連休のうちに海苔養殖の漁場の準備をする予定であったけれど

迂闊にも川で作業をするための磯足袋を買い忘れていた。

昨年破けてしまって捨ててしまったことをすっかり忘れていたのだった。

仕方なく長靴を履いて川岸まで行ったのだけれど

海が荒れていてなかなか潮が引かない。おまけに小雨も降っていた。

どうしようかとしばし迷ったけれど潔く諦めることにする。

娘夫婦が仕事のため孫達に留守番をさせていたのでそれも気になっていた。

「今日はやめておけと云うことさ」とあっけらかんと笑い合った。


とにかく磯足袋を買いに近くのフィッシング専門店へ行く。

珍しくめいちゃんも一緒に付いて来てくれて嬉しかった。

1980円位かなと思っていたら4950円もしてびっくりする。

今年限りでもう不要になるかもしれないとじいちゃんが言う。

もったいないけれど思い切って買うしかなかった。


お財布が寂しくなりスーパーのATMで年金を引き出す。

めいちゃんが心配そうに見ていた。「びんぼうなの?」と言わんばかり。

「だいじょうぶよ、お菓子も買おうね」と一緒に買物をした。

さっそくお菓子売り場からお菓子を提げて来たのだけれど

38円の駄菓子が2個。よほど心配をかけてしまったらしい。


「ポテトサラダにしようかね」と言ったらじゃが芋を籠に入れてくれる。

「他に食べたいものはない?」と訊けば「もうない」と応える。

あやちゃんの好きな鮭を買い豚肉の生姜焼きをすることにした。


セルフレジで精算を済ませるとめいちゃんが重い籠を持ってくれた。

なんと優しく気の利く子だろうとほろりと目頭が熱くなる。

牛乳とボトルコーヒーは駐車場まで運んでくれた。

それも決して得意顔ではなく当然のことのようにして。


駐車場で待っていたじいちゃんが「めいはえらいな」と褒めてくれた。

その時やっと笑顔になって得意そうな顔をして見せる。

めいちゃんと一緒に買物をしたのは本当に久しぶりのことだった。


思い遣る気持ち。それが成長のあかしでなくて何だろう。

どれほど貧しくても私のこころはそうして満たされていく。



2022年09月22日(木) 祖母を偲んで

午後少しだけ霧雨が降った。お天気は下り坂のよう。

夕方のニュースでまた新たな台風が発生しそうとのこと。

今度は四国沖を通過しそうだけれど少しは影響があるだろう。

台風シーズンだと受け止めれば仕方ないことだと思う。

自然あってこその人の営みなのではないだろうか。



母方の祖母の命日。今日はいろんなことを思い出した。

大好きだったおはぎ。季節に関わらずよく作ってくれた。

夏休みも冬休みも私の顔を見るたびに腕を振るってくれたものだ。


祖母は60歳の時に脳出血を患い右半身が不随となった。

命は取り留めたもののどれほど辛い思いをしたことだろう。

当然のことのようにおはぎも作れなくなってしまって

祖父が見よう見まねで作ってくれたこともあった。

それは祖母のおはぎとはかけ離れていて少し塩辛い味がした。

祖父は「やっぱり駄目か」と苦笑いをしていたけれど

祖母はとても悲しそうな顔をしていたのだった。

右手がまったく使えない。どれほど悔しかったことだろう。


80歳を過ぎた頃だったろうか。祖父の介護も限界となり

祖母は近くの老人ホームに入居することになった。

面会に行った時に酷く機嫌が悪く私も泣いてしまったことがある。

祖母は私の顔を見るなり「すんぐに帰るがやったら来んといて」と言った。

それはいつも穏やかだった祖母とは別人のように思えた。

今では当たり前に思える老人ホームだけれど

その当時にはまるで姥捨て山のようなイメージが強かった。

祖母は寂しくてならず辛い思いでいっぱいだったのだろう。


祖母の言葉通り長居は出来なかった。

「また来るね」と祖母に声を掛けたけれど笑顔も見せてくれない。

車椅子に乗ったまま背を向けてもしかしたら泣いていたのかもしれない。

身体は不自由であっても元気な祖母に会ったのはそれが最後となった。


次に祖母に会った時は入院先の病院だった。

「もう時間がありません」と医師から告げられていて危篤状態だった。

けれども意識はあり私の手をしっかりと握りしめて

「お手々つないで野道を行けばみんな可愛い小鳥になって」と

最後まで歌い続けにっこりと微笑んでくれたのだった。


病室を出ておいおいと私は泣いた。

夫が「もう最後だぞ」と声を掛けてくれたことをよく憶えている。

それから数日して祖母は安らかに息を引き取った。



2022年09月21日(水) 私にもあった青春時代

今朝は10月並みの気温だったらしくぐんと肌寒くなる。

日中は陽射しがあったけれどもう夏の名残を感じなかった。

とうとう夏が逝ってしまったのかと寂しさを感じる。


職場の庭の片隅に白い彼岸花が咲く。

毎年咲いていただろうになんだか初めて見つけたような気がした。

彼岸花には葉が無く花が終わってから緑に包まれるのだそうだ。

その頃には誰も目を留めないであろうせつない緑である。






昨夜から今朝にかけての冷え込みが災いしたのか

午前中は腹痛に苦しめられていた。

しぶしぶと痛み何度もトイレに通う。

正露丸を飲んでも効かず職場の置き薬の「赤玉」を飲んでやっと治る。

季節の変わり目にはよくあることで用心しなければならない。

今日は冷たい飲み物を控え今も焼酎のお湯割りを飲んでいる。


血圧も少し高くなっていてなんだか不安でならないけれど

まさか今夜ぽっくり死ぬことはないだろうと思い直す。

何事も気の持ちようだろう。もっと強気にならなければいけない。



夕方のローカルニュースで母校の高校の「仮装行列」の様子を見た。

伝統行事だけあって今でも続いていることに感動を覚える。

確か三年生のみの参加であった。私が参加したのは47年前のこと。

「白雪姫と7人の小人」で私は小人の姿であった。

白雪姫は誰だったのだろう。どうしても思い出せないけれど

クラスメイトとそれは楽しく街中を闊歩した記憶は鮮やかだった。

高校時代の良き思い出となった。そしてそれはとても懐かしい。


この歳になればついつい昔のことばかり思い出してしまうけれど

青春時代は宝物であり一生忘れることはないだろう。

悲しいことも辛いこともあったけれど決して惨めではなかった。


人はこの世に生まれた時から人生が始まる。

それは定命が尽きるまで続く運命のようなものだろう。


時には運命に押し流される時もある。

こんなはずではなかったと否定したくもなるだろう。


けれども生かされている限り受け止めるのが使命なのではないだろうか。


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