ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年09月22日(木) 祖母を偲んで

午後少しだけ霧雨が降った。お天気は下り坂のよう。

夕方のニュースでまた新たな台風が発生しそうとのこと。

今度は四国沖を通過しそうだけれど少しは影響があるだろう。

台風シーズンだと受け止めれば仕方ないことだと思う。

自然あってこその人の営みなのではないだろうか。



母方の祖母の命日。今日はいろんなことを思い出した。

大好きだったおはぎ。季節に関わらずよく作ってくれた。

夏休みも冬休みも私の顔を見るたびに腕を振るってくれたものだ。


祖母は60歳の時に脳出血を患い右半身が不随となった。

命は取り留めたもののどれほど辛い思いをしたことだろう。

当然のことのようにおはぎも作れなくなってしまって

祖父が見よう見まねで作ってくれたこともあった。

それは祖母のおはぎとはかけ離れていて少し塩辛い味がした。

祖父は「やっぱり駄目か」と苦笑いをしていたけれど

祖母はとても悲しそうな顔をしていたのだった。

右手がまったく使えない。どれほど悔しかったことだろう。


80歳を過ぎた頃だったろうか。祖父の介護も限界となり

祖母は近くの老人ホームに入居することになった。

面会に行った時に酷く機嫌が悪く私も泣いてしまったことがある。

祖母は私の顔を見るなり「すんぐに帰るがやったら来んといて」と言った。

それはいつも穏やかだった祖母とは別人のように思えた。

今では当たり前に思える老人ホームだけれど

その当時にはまるで姥捨て山のようなイメージが強かった。

祖母は寂しくてならず辛い思いでいっぱいだったのだろう。


祖母の言葉通り長居は出来なかった。

「また来るね」と祖母に声を掛けたけれど笑顔も見せてくれない。

車椅子に乗ったまま背を向けてもしかしたら泣いていたのかもしれない。

身体は不自由であっても元気な祖母に会ったのはそれが最後となった。


次に祖母に会った時は入院先の病院だった。

「もう時間がありません」と医師から告げられていて危篤状態だった。

けれども意識はあり私の手をしっかりと握りしめて

「お手々つないで野道を行けばみんな可愛い小鳥になって」と

最後まで歌い続けにっこりと微笑んでくれたのだった。


病室を出ておいおいと私は泣いた。

夫が「もう最後だぞ」と声を掛けてくれたことをよく憶えている。

それから数日して祖母は安らかに息を引き取った。



2022年09月21日(水) 私にもあった青春時代

今朝は10月並みの気温だったらしくぐんと肌寒くなる。

日中は陽射しがあったけれどもう夏の名残を感じなかった。

とうとう夏が逝ってしまったのかと寂しさを感じる。


職場の庭の片隅に白い彼岸花が咲く。

毎年咲いていただろうになんだか初めて見つけたような気がした。

彼岸花には葉が無く花が終わってから緑に包まれるのだそうだ。

その頃には誰も目を留めないであろうせつない緑である。






昨夜から今朝にかけての冷え込みが災いしたのか

午前中は腹痛に苦しめられていた。

しぶしぶと痛み何度もトイレに通う。

正露丸を飲んでも効かず職場の置き薬の「赤玉」を飲んでやっと治る。

季節の変わり目にはよくあることで用心しなければならない。

今日は冷たい飲み物を控え今も焼酎のお湯割りを飲んでいる。


血圧も少し高くなっていてなんだか不安でならないけれど

まさか今夜ぽっくり死ぬことはないだろうと思い直す。

何事も気の持ちようだろう。もっと強気にならなければいけない。



夕方のローカルニュースで母校の高校の「仮装行列」の様子を見た。

伝統行事だけあって今でも続いていることに感動を覚える。

確か三年生のみの参加であった。私が参加したのは47年前のこと。

「白雪姫と7人の小人」で私は小人の姿であった。

白雪姫は誰だったのだろう。どうしても思い出せないけれど

クラスメイトとそれは楽しく街中を闊歩した記憶は鮮やかだった。

高校時代の良き思い出となった。そしてそれはとても懐かしい。


この歳になればついつい昔のことばかり思い出してしまうけれど

青春時代は宝物であり一生忘れることはないだろう。

悲しいことも辛いこともあったけれど決して惨めではなかった。


人はこの世に生まれた時から人生が始まる。

それは定命が尽きるまで続く運命のようなものだろう。


時には運命に押し流される時もある。

こんなはずではなかったと否定したくもなるだろう。


けれども生かされている限り受け止めるのが使命なのではないだろうか。



2022年09月20日(火) それぞれの一等賞

台風一過の爽やかな秋晴れ。なんと久しぶりの青空だろう。

彼岸の入りでもあり今朝はぐんと気温が下がり肌寒いほどだった。

暑さ寒さも彼岸までとは本当によく言ったものである。


列島縦断コースとなった台風も温帯低気圧に変わったとのこと。

夕方のニュースでは特に何の報道もなかったので

何処にも被害が無かったのものと信じてほっとしている。

けれども週末にはまた大雨の予報となっている。

自然には逆らえず受け止めるしかないのだろう。



秋晴れの下、孫達の運動会が予定通りに行われた。

半日ではあったが盛だくさんの競技があり応援にも力が入る。

日頃から運動神経の良いめいちゃんはそれはもう得意顔。

どの競技も一番でとても誇らしく思う。


「運動会は嫌い」と言っていたあやちゃんも本当によく頑張った。

苦手な一輪車もずいぶんと上手になっていて感動する。

これまでどれほど辛かったことだろう。

本番に向けて人一倍努力をした結果を今日は発揮できたのだと思う。

「出来ない」と諦めないこと。それは大きな成長ではないだろうか。


あやちゃんは準備係の役目も果たしていた。

競技ごとに走り回っていてずいぶんと忙しそうだった。

裏方も大切な役目であることを身をもって感じたことだろう。

そんなあやちゃんに私は一等賞をやりたいと心から思った。



心配していたけい君は祖父母の応援は許されなかったとのこと。

コロナ禍でもありマンモス校なので仕方ないことなのだと思う。

けれども体調の悪いお嫁さんが一人で応援に行ってくれていたらしい。

息子もどんなにか気遣っていたことだろう。

お嫁さん一人ではとても無理だと先日も電話で聞いたばかりだった。

結局無理をさせてしまったけれどよく行ってくれたと思う。

どんな状態であっても我が子のことを一番に考えてくれたのだろう。

けい君も運動神経はあまり良くないけれどダンスが得意らしく

「どの子よりも一番に上手だった」と聞いてほっと嬉しく思っている。

お母さんが見に来てくれてどんなにか嬉しかったことだろう。


あやちゃん、めいちゃん、けい君。今日は本当によく頑張ったね。

おばあちゃんは感動で胸がいっぱいです。













2022年09月19日(月) 嵐は去ったけれど

午前中は台風の暴風圏内にあり強い風が吹き荒れる。

幸いだったのは昨日から殆ど雨が降っていなかったこと

豪雨に見舞われた地域も多い中なんと恵まれていたことだろう。

四万十川上流地域の梼原ではかなりの雨が降ったらしく

川は増水し濁流が怖ろしいほどに流れていた。


心配していた停電も免れどれほどほっとしたことか。

けれども高知県内では大規模な停電があり他人事ではなかった。

夜になり一刻も早く復旧することを願ってやまない。



今日は「敬老の日」で地区の高齢者にお赤飯を届ける役目があった。

じいちゃん(夫)が行ってくれたけれど心配でならない。

明日に延期しても良かったのではないかと恨みがましく思った。

けれども無事に届け終えて帰って来たじいちゃんが

「みんな喜んでくれたぞ」とその一言で救われたように思う。

毎年楽しみにしてくれている人達がいる。今日で良かったのだ。

台風で心細い人もいただろう。笑顔になってくれて何よりだった。



午後、やっと暴風圏内を抜け少し静かになる。

敬老の日に何もしてやれない母が気掛かりになり電話をかけてみた。

そうしたら今日が何の日やらまったく関心がない様子。

へらへら笑いながら呆けたふりをしているようだった。

おまけに台風が来ていたことも知らなかったようで

「ぜんぜんなんちゃあじゃない」とこれも笑い飛ばすのだった。

さすがに飽きれてしまってしばし絶句してしまった。

テレビはいつも見ているはずである。よほど興味がなかったのか

もしかしたらもう窓際のベットではなくなっているのかもしれない。

雨が降っても風が吹いても分からない。それも憐れなことだった。


「点滴は?」と訊ねると今日も「していない」と応える。

「腕を見て、針が刺さっちょるろ」と言うとびっくりしたように

「ありゃほんま」とまるで他人事のように笑うのだった。

まるで漫才をしているような有り様で私も笑うしかなかった。

それにしてもこんなに切ない漫才があるだろうかと思う。

母が壊れてしまいそうな気がしてならなかったのだ。


コロナ前には施設で「敬老会」があり私も参加したことがある。

あの時の母の楽しそうな顔が今も忘れられない。







2022年09月18日(日) ありのままの苦しさ

台風の影響で強い風。幸い雨はさほど降ってはいない。

過去に例がないほどの大きな台風であるらしく

九州ではすでにかなりの被害が出ているのではないだろうか。

高知県は明日の午後に最接近とのこと

決して油断をしてはいけない。用心に越したことはないだろう。

停電も覚悟しておかなくてはならず今夜は早めに夕食を済ませた。

カレーを沢山作ったけれど明日の朝ご飯が炊けるだろうか。

そんな心配ばかりしている。ある意味非常識なのかもしれない。


台湾で大きな地震があり宮古島などに津波注意報も出ている。

何事も無ければ良いが自然災害は待ったなしで襲って来るものだ。




夜明け前からざわざわと心が落ち着かず短歌や詩どころではなかった。

私の心はよほど臆病に出来ているらしい。

おまけに葛藤もあり「書けない」ことに苛立ちを覚える。

「まあいいか」と納得するまでの時間が苦しくてならない。

それを吹っ切ってしまえばそれなりの言葉が浮かんでくる。

拘るのはよそうと思っているのについつい拘ってしまうのだ。

いったい何様のつもりだろうと自分を愚かに思う時もある。

どうせ一生無名なのだから無名らしく生きれば良いのだろう。

あがいても何も生まれないかもしれない。

ただ努力はする。それは生きている限り私の「課題」である。


明日の朝、大荒れの天気だったら「大荒れ」の詩を書いてやろう。



2022年09月17日(土) 継続はチカラなり

嵐の前の静けさ。日中は雨も降らず平穏に過ぎる。

日が暮れてからぽつぽつと雨が降り始めたけれど

まだ序の口で危機感を感じる程ではなかった。


明日から明後日にかけて大荒れになるとのこと。

来るものは拒めず受け止めるしかないだろう。

直撃となりそうな九州が心配である。

大きな被害がないことをひたすら祈っている。


朝のうちに食料品の買い出しに行っていたけれど

二日分が限度でそれ以上はとても無理だった。

停電の心配もあり保存出来ない可能性もある。

まあなんとかなるだろうとあまり深刻に考えないことにした。



息子から電話がありけい君の運動会も20日に延期になったらしい。

どうしても仕事が休めないらしく困っている様子だった。

とても心苦しかったけれど快く引き受けてやれなかった。

お嫁さんの体調も芳しくなさそうで実家のご両親に頼むことする。

けい君はきっと大丈夫。笑顔できっと頑張ってくれるだろう。



10時からカーブス。気の持ちようで今日も満足だった。

先週のコーチが今日も居てくれて親身に声を掛けてくれて嬉しい。

やはり私はかまって欲しいのだと思う。かなり困った性格である。

溌溂とはいかなかったけれど清々しい達成感があった。


先週も見かけたけれどかなり腰の曲がったご老人が来ていて

80歳は超えていると思う。母と同じ年頃ではないだろうか。

ご老人と呼ぶのは失礼であろう。れっきとした女性に違いない。

まだ始めたばかりの初心者にも関わらず積極的に筋トレに励んでいる。

その姿を見ていると私も「負けないぞ」と勇気が湧いて来るのだった。


何かを始めるのに遅過ぎることはないのだとつくづく思う。

そう思うと私はなんと弱気だったことだろう。

足の痛みのせいにしてくよくよと嘆いてばかりいたのだった。


今更ながら可能性を信じてみようと思った。

筋肉が付けば必ず足の痛みが改善されるのではないだろうか。

それはやってみなければ分からないけれど

「継続はチカラ」だと今こそ信じてみようと思う。





2022年09月16日(金) さらりと水に流す

台風接近前の貴重な青空となる。

明日は雨、明後日は暴風雨になりそうだ。

どうか大きな被害がないことを祈るばかりである。


孫達の運動会は20日の火曜日に延期が決まった。

午前中なので私はなんとか半日休みが取れたけれど

娘婿は仕事。娘は親子競技だけ参加しすぐに職場に向かうそうだ。

両親ともに来られない生徒もいることだろう。

可哀想でならないけれど仕方ないことなのだろうか。

運動会は毎年のことだけれど6年生にとっては最後となってしまう。

台風シーズンに運動会を予定すること自体に無理があるように思う。





山里では稲刈り。今日でほぼ飼料米の収穫が終わりそうだった。

手伝ってくれる人が居てくれて義父はどれほど助かっていることか。

今日はとても機嫌がよく溌溂として出掛けて行った。


一昨年のことだったか本業の仕事をすっかり忘れてしまい

同僚に稲刈りの手伝いをさせてしまったことがあった。

そのことに私が口を挟んだものだから義父を怒らせてしまって

私は泣きながら謝ったことがあった。あの時のなんと辛かったこと。

けれどもそれが教訓となりそれ以来一切口出しをしていない。

義父の顔色を窺うことも多くなったけれどそれは当然のこと。

とにかく義父の農業に対する強い意欲を尊重しなければならない。



私はどうして過去の辛かったことばかり思い出すのだろう。

そうしてなぜそれを書き残そうとするのだろう。

昔ネット上で「不幸好きの女」と叩かれたことがあったけれど

それはきっと本当のことなのだろうと今も思っている。


傷口を見せたいのだ。同情して欲しいのかもしれない。

けれども私はそれほどまでに可哀想な人なのだろうか。


あたたかい家族に囲まれこんなにも幸せだと云うのに

何かが間違っている。一刻も早くその間違いに気づきたいと思う。


過ぎたことはさらりと水に流す。

本当に大切なのは「いま」なのに違いない。


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