晴れたり曇ったり雨が降ったりなんと忙しい空だったこと。
雨になれば地面を叩きつけるような土砂降りの雨であった。
まだ台風の影響ではないと思うのだけれど大気がかなり不安定のようだ。
台風14号は18日の日曜日に九州に上陸しそうである。
四国は台風の右側になるので大荒れが予想される。
用心に越したことはない。備えあれば患いなしと思いたい。
日曜日は孫達の運動会だけれどおそらく無理だろう。
延期となれば平日に行われるそうでそれも残念である。
娘夫婦は仕事を休めないかもと今から気を揉んでいる。
学校側も行事はなるべく早めに終わらせたいようだ。
それも時代の流れだろうか。昔だったら考えられないことだった。
子供の気持ち、親の気持ちもそうして踏みにじられていく。

仕事を終えていつものスーパーで買物をして外に出ようとしたら
土砂降りの雨になっていてしばらく雨宿りをしていた。
傘を持っていない人ばかりで皆雨が止むのを肩を並べて待っていた。
ふと隣の女性を見たら金髪の外人さんで胸がドキドキする。
声を掛けたい衝動に駆られたけれど勇気が出ない。
その時強い風が吹いて横殴りの雨が降り込んできた。
思わず「オーノー」と声をあげたらその女性が反応してくれて
ほんの一瞬のことだったけれど顔を見合わせ微笑み合った。
女性はご主人だろうか男性が運転する車に飛び乗った。
その時の白い足のなんと綺麗だったことだろう。
深くスリットの入ったワンピースを着ていて太腿まで見えたのだ。
私はその一部始終をうっとりしながら眺めていた。
若さと美貌。その上に外国人となればもう言うことはない。
目の保養と言えば失礼に当たるかもしれないけれど
なんと美しい姿だったことか。まるで雨の中の薔薇の花のようであった。
雨宿りも良いものだなと思う。もしかしたらまた会えるかもしれない。
その女性の姿が忘れられなくなってしまった。
| 2022年09月14日(水) |
未来にもきっと笑顔を |
曇りのち晴れ。風があり涼しく感じたけれど
最高気温が34℃を超えていたらしい。
彼岸の入りも近くなり夏の名残もあと少しのことだろう。
台風シーズンでもあり週末頃には影響がありそうだ。
孫達の運動会があるのでなんとかお天気が持って欲しい。
今朝は高知新聞に「高新文芸」8月の月間賞が発表されていた。
私の短歌が二席に選ばれていてとても励みに思う。
認められた嬉しさよりもささやかな希望を頂いたような気がする。
これからも諦めずにこつこつと書き続けていこうと思った。
「少しだけ残しておいた夢がある林檎のようにかじる一切れ」

めいちゃん8歳の誕生日。もう8歳なのかと感慨深く思う。
元気で明るく優しい女の子に育ってくれた。
娘達と同居を始めてすぐに生まれた子なので
私も育児を助けずいぶんと奮闘したことを懐かしく思い出す。
あやちゃんもそうだったけれどよく熱を出す子だった。
生後2ヶ月でRSウィルスに罹り入院したこともある。
その頃の日記を読むとつい昨日のことのように思い出すのだった。
最近ではあえて孫達のことをあまり書かないように努めている。
だんだんと年頃になりプライバシーも守らなければいけない。
「おばあちゃん書いたでしょ」と叱られてしまいそうだ。
10年後、この日記が残っている可能性は低いけれど
私の記憶は永遠であり続けたいと願ってやまない。
めいちゃんいつもお手紙をくれてありがとう。
「大好き」って言ってくれておばあちゃんはとても嬉しいよ。
おたんじょうびおめでとう。これからもずっと笑顔でいてね。
雨が降ったり止んだり。大気がよほど不安定なのだろう。
気温は低めであったけれど蒸し暑さを感じた。
雨遍路さんが二人。雨合羽も身に着けず颯爽と歩いていた。
荷物は少な目だったので野宿ではなさそう。
けれどもリュックの中身が濡れてしまうのではと気になる。
日が暮れるまでに延光寺さんに着いただろうか。
民宿ならお風呂に入れるだろう。少しでも旅の疲れを癒して欲しい。
9月になってから少しずつお遍路さんが増えている。
相変わらず声を掛けられずなんとなくもどかしくてならない。
縁があればきっとそれも叶うだろう。一期一会もあるのに違いない。

今日は足の痛みがいつもより酷く気が滅入る。
なんのこれしきと思っていても痛みには勝てない。
仕方なくお昼に鎮痛剤を服用して少しマシになった。
仕事を早めに終わらせてもらって定期の内科へ。
医師との面談さえ済ませば処方箋が貰えるのだ。
わずか30秒ほどの面談なのに1320円も支払う。
いつも思うのだけれど高過ぎるのではないだろうか。
貧乏人のひがみかもしれないけれど納得がいかない。
薬局で薬を貰い車に乗るなり母から電話があった。
先日から毎晩のように電話をしていたけれど一向に繋がらず
今日は施設を訪ねる予定だったのでそのことを告げようと思っていた。
母はやっと着信に気づいたらしく「ごめん、ごめん」と謝っていた。
声は明るく元気。食欲も出て点滴もしていないと言う。
その言葉をすっかり信じてほっとしていたのだけれど
施設のケアマネさんに会って話を聞けばそれが嘘だと分かった。
食欲は未だ回復せず点滴はずっと続けているらしい。
母はどうして嘘を言ったのだろう。私を安心させる為だったのか。
認知症ではないのだから呆けているとも思えなかった。
本当のことを言って欲しかった。面会も叶わない時だからこそ
真実を知る権利のようなものがあるのだと思う。
食欲不振はコロナの後遺症なのかもしれない。
ケアマネさんも心配してくれていたけれど気長に見守るしかないだろう。
施設側も精一杯の介護に務めていてくれているのだった。
母の嘘を許そう。それは母にとって軽い冗談だったのかもしれない。
| 2022年09月12日(月) |
限界に立ち向かう勇気 |
夜明け前、西の空に十六夜の月。
さすがに名月だけあってそれはなんと綺麗に輝いていた。
仰ぎ見ているのは自分なのだけれどなんだか見られているように感じる。
私は嘘偽りもなくありのままだっただろうか。
いつも自信がない。ただ確かに生きていて命の息を感じていた。
月の光は希望そのものである。一瞬にして暗闇を忘れてしまう。
手探りの感情もその光によって救われて行くのに違いない。

山里では義父が稲刈りの第二段、今度は飼料米の収穫であった。
昨日の予定だったけれど天候が悪く仕方なく今日に延期となる。
手伝ってくれる人達も来てくれていたのでなんとしても順調にと願う。
義父も焦っていたのか苛立っているのが手に取るように分かった。
お昼前に大切な来客がありしばらく応対に追われる。
お昼休みもなく午後4時近くまで掛かってしまった。
義父と約束をしていたらしいが今日はそれどころではなく
代役を引き受けたものの思うようにいかない。
同僚にも助けてもらってなんとか遣り遂げることが出来た。
くたくたに疲れ切ってしまったけれど心地よい達成感があった。
何事もやれば出来るのだろう。少しだけ成長したように思う。
明日は義父に報告するけれどひたすら笑顔を待っている。
稲刈りも無事に終わっていればどれほどほっとするだろうか。
この歳ともなれば日頃から限界を感じることが多い。
やってやれないことはないのだと思いながらも
ついつい弱気になってしまうのだった。
その上に足の痛みが拍車を掛ける。
情けないけれど心と身体は決して一体ではなかった。
心に身体が付いていかない。悔しいけれどそれが現実だろう。
ただその現実に立ち向かう勇気は必要なのではないだろうか。
「どうせ私なんか」と思うより「こんな私だけど」と
まるで賭けるように自分を試してみることも必要だと思う。
試してみてどうすることも出来なければそれが「限界」なのだろう。
限界を知って弱くなるのではない。
むしろ強くなるのではないかと私は思っている。
夜明け前に中秋の名月は見れなかった。
雲の上ではきっと輝いていたことだろう。
空に何の罪もありはしない。それは嘆くことでもなかった。
むしろありのままの空を愛しく思えるのだった。
曇り時々晴れの予報だったので思い切って洗濯物を干したら
青空が見え始めてとても嬉しかった。久しぶりに空の写真を撮る。
そんな喜びもつかの間、あらあらという間に雨が降り始める。
がっくりとするよりなんだか愉快でならない。
女心と秋の空とはよく言ったものだと可笑しくなってしまったのだ。
午後にはまた青空が見え始める。それも女心の気紛れであるかのよう。
私もまだ少しは女であるらしく空の気持ちが分かるような気がした。

買物に行っていてスーパーの駐車場でちょっとしたアクシデント。
カートを押しながら車に向かっていたら段差で躓いてしまい
カートに載せていたビールを落としてしまったのだった。
缶が割れてしまい勢いよくビールが噴出する羽目となる。
困ったどうしようとおろおろしていたら直ぐにガードマンが来てくれて
お店のサービスカウンターに相談するようにと助言してくれた。
痛い足を引き摺りながら店員さんに事情を説明すると
店長さんだろうか男性が駐車場まで駆け付けて来てくれた。
「大丈夫ですよ、交換しましょうね」と言ってくれなんと有難いこと。
その間5分もかからないとても迅速な応対であった。
男性は売り場から新しいビールを走って持って来てくれたのだろう。
感激屋の私は涙が出るほど嬉しかったのは言うまでもない。
元々は私の不注意。足さえ痛くなければ軽々と荷物を運べただろう。
このところずっとカートに頼りっぱなしでいささか反省もした。
どんなに重くても両手で持てるように頑張ってみなくては。
出来るか出来ないかはやってみなければ分からない。
もう二度とこんな失態はあってはならないと強く思った出来事だった。
それにしてもお店のサービス精神には頭が下がる。
毎日利用しているけれど一層信頼感が増した。
「優しさと思いやり」それは商売の基本だと思う。
夕方から本降りの雨になった。
残念ながら中秋の名月は見られないけれど
もしかしたら明日の夜明け前に叶うかもしれない。
月明りを楽しみにしていようと思う。
雨音もまた耳に心地よい。夏が押し流されているようだ。
追い駆けることも縋りつくことも出来ない。
そうして季節は巡っていく。私はぽつんと取り残されている。

カーブスでほっと嬉しいことがあった。
今日は他店から応援に来ていたのか見かけないコーチが来ていて
私の痛む足を気遣ってくれなんと親身になってくれたのだった。
私はずっとそんなコーチを求めていたのだと思う。
それもエゴかもしれない。私の身勝手な欲なのかもしれないけれど
優しい言葉が身に沁み胸に熱いものが込み上げて来た。
気がつけば鬱々とした気分も晴れ渡り
弱気も少しずつ強気へと変わっていたのだった。
出来ないことがあって当たり前だと思う。
それよりも出来ることを頑張れば良い。
それが「努力」なのではないかとあらためて思った。
心にはスイッチのようなものがあり
それはいとも簡単に切ったり入れたり出来るらしい。
時には壊れてしまって操作も出来なくなることもあるけれど
だからと言ってそれを捨ててしまうことは出来ない。
自力で直せなければ人に頼っても良いのだと思う。
「助けて」と口に出せなくてもきっと救われるのだと信じたい。
今日の私はそのスイッチを持て余していたのかもしれない。
もう仕方ないときっと諦めていたのだろう。
そんな私に気づいてくれた人が居てくれたのだと思う。
コーチがまるで神様のように思えてならなかった。
来週からは笑顔で通えそうだ。
もうそのコーチには会えないかもしれないけれど
私の心のスイッチはオンになっている。
| 2022年09月09日(金) |
やれるだけのことをやってみる |
おおむね晴れ。日中は30℃を超え真夏日になったけれど
夏の名残だと思うと暑さも心地よく感じた。
百日紅も散れない花だったのだろうか。
花が終わった後に実のようなものが見えている。
種になるのかもしれないけれど詳しいことは分からない。
千切って保存することも考えてみたけれどいつ頃蒔けば良いのだろう。
もし芽が出ても木になるのはずいぶんと先のことに思える。
夏を彩っていた花の盛りが終わるのはなんとなく寂しいものだ。

昨日から海苔の漁場の準備が始まっており
今日は個人別の漁場割がありじいちゃんが出掛けていた。
希望は殆ど無いと言う。それでも最初から諦める訳にはいかない。
とにかくやれるだけのことをやってみて結果は二の次だろう。
駄目で元々だと思っている。何もしないよりはましなのではないか。
漁場の杭打ちはもう少し涼しくなってから始めることにした。
秋のお彼岸頃を予定している。私も精一杯のことをしたい。
東日本大震災の時をふと思い出していた。
わずか50センチの津波であったけれど漁場は壊滅状態となり
海苔網ごと流され思いがけずに大きな被害となった。
それも被災地に比べればほんの些細なことだったのだと思う。
あの悲惨な現実を目の当たりにして被害者などとどうして言えよう。
奇跡的にほんの少しだけ残った海苔網があった。
とても強く逞しかったのだろう。生育が目覚ましく救われたのだった。
おかげで収穫が出来てそれなりの収入に恵まれたのである。
そんな奇跡はもう二度とないだろうと思いつつ希望を捨てきれずにいる。
やったらやっただけのことがあるのではないか。
神様も仏様も決して見捨てはしない気がするのだった。
何かを信じなくては生きる甲斐もない。
生きてさえいればきっと報われる日が来るだろう。
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