ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年09月06日(火) 捨てる神あれば拾う神あり

台風の影響で風は強かったけれど雨はさほど降らず。

午後には薄く陽射しがあり青空が見えていた。

今は夕焼けがきれい。明日は朝から晴れそうだ。

無事に一日を終えられてほっとしているところである。



職場に信用金庫の外交員さんが来てくれて

お金を貸してくれることになった。

パソコン代を会社から一時借り入れしていたので

それをすぐに戻せる目途が立つ。

恥ずかしながら我が家には貯金など全くなかった。

それでよく思い切ってパソコンを買ったものだと思う。

「なんとかなる」と思った通りになったのである。

まさに捨てる神あれば拾う神ありではないだろうか。

外交員さんも私を決して貧乏人扱いにはしないのだ。

貸付もノルマ達成になるのだそうでとても喜んでいた。

もっと借らないかと言ったりして思わず笑ってしまう。

貧乏もまんざらではない。嘆くことではないのだと思った。


その日暮らしではあるけれどけっこう愉しい。

毎日の食費を切り詰めるのにも遣り甲斐を感じている。

それでいかに家族を満足させるのかまるで博打のようだ。

丁と出るか半と出るかそれは家族の笑顔にかかっている。

今夜は丁だった。この勝負私の勝ちと誇らしく思う。



精神的にはそう強くもなく落ち込むことも多いけれど

私には多少なりとも立ち向かう勇気のようなものがあるようだ。

ある意味打たれ強いのかもしれない「負けるもんか」とよく思う。

人生七転び八起きなのだ。明日転んでもすぐに起き上がってみせよう。



2022年09月05日(月) 待ってくれているひと

曇り日。時折雨が走り抜けるように降る。

風も少し強くなり台風の影響が出始めたようだ。

北九州を掠め日本海を北上するコースとなりそう。

高知県西部は明日の明け方から大雨の予報になっている。

どうか被害などなく無事に通り過ぎて欲しいと願ってやまない。



仕事を終えてから電器店に寄り新しいパソコンを受け取って来た。

店員のN君がすぐに使えるようにしてくれていて有難いこと。

おかげで焦ることもなく今夜もこれを記すことが出来ている。

今朝は不安でいっぱいだったのだ。「案ずるより産むが易し」と

何度も自分に言い聞かせていた。「なるようになる」と。

よほど神経質なのだろう。そんな自分に呆れてしまう。


古い母のパソコンはさすがに処分する気にはならず

せめて母が生きているうちは保存して置くことにした。

時々は使うことにして茶の間に持って行く。

私はスマホを持っていないのでスマホ代わりにはなるだろう。

まだ完全に壊れてはいない。確かに生きているのだと思う。

「長いことご苦労さま。ありがとうね」と声を掛けた。

今生の別れでもないのに目頭が熱くなってしまう。



明日の夜明け前からSNSも復活し短歌や詩を書きたい。

もしかしたら書けないかもしれないけれど

息をしながら自分の命と向き合ってみようと思っている。


今朝はある方が声を掛けて下って

私のツイートを見るのが毎朝の日課だったと言ってくれた。

復活を心待ちにしてくれているようでとても励みに思う。

いつも独りよがりで自信など無かったものだからよけいに嬉しかった。

こんな私でも待ってくれている人がいる。なんと有難いことだろう。


私は私の生き方を拡散したいと分不相応なことをふと考えている。



2022年09月04日(日) 古いものと新しいもの

大気がとても不安定でぱらぱらと雨が降ったり

かと思えば夏の名残りを思わすような強い陽射し。

台風が去り秋雨前線が退くまでは爽やかな秋空は望めそうにない。

再来週には孫達の運動会が予定されていているのだけれど

練習もままならないことだろう。いったいどうなることやら。

無事に開催されることをひたすら願ってやまない。



午前中に電器店へ。新しいパソコンの支払いを済ませて来たけれど

あれこれと設定があるらしくすぐに使える訳ではなかった。

それが自分で出来ないのがなんとももどかしい。

9日の金曜日に店員のN君が我が家に来てくれる予定だったけれど

早い方が良いだろうと今夜自宅でやってくれることになった。

順調に行けば明日の夜から新しいパソコンを使えるようになる。

それがどうしたことか少しもわくわくとしないのだった。

正直言って不安である。使いこなす自信が殆ど無い。

それと同時に今の古いパソコンに異常なほど愛着を感じているようだ。

母はまだ生きているのだから形見では決してないのだけれど

新しいのを買いました。もうお払い箱だとは告げたくはない。

本来ならば寿命が尽きるまで大切に使い続けてやりたかった。


パソコン教室へ通っていた頃の母を思い出す。

文字入力も上手くできない。マウスさえも操ることが出来なかった。

それでも必死の思いで母は格闘していたのだと思う。

職場のパソコンで練習するようにと勧めたこともあったけれど

母はまるで意地を張っているかのように頑なに拒否していた。

今思えば母は悔しくてならなかったのではないだろうか。

「出来ない」事実を受けとめることはとても辛いことだと思う。


母には何も告げてはいないけれど複雑な思いが込み上げて来る。

「新しい」ことが希望だとは決して限らないのではないかもしれない。











2022年09月03日(土) 書くことは生きること

昨夜は激しい雷雨となり停電もあった。

一夜明けて今日は静かな空であったけれど

夕暮れ間近になりまた雷が鳴り始めている。

ざわざわと落ち着かないけれどとにかく書き始めてみよう。

書く場所があり本当に有難いことだと思っている。

失うのが怖い。それは死ぬことと同じくらいに。

「書くことは生きること」に等しいのかもしれない。



午前中にカーブスへ。今日こそは楽しもうと思っていたけれど

欝々とするばかりで少しも楽しくはなかった。

コーチから励まされたり褒められたるするのが嫌なのだ。

我ながら偏屈な性格だなと思う。むしろ同情されたいのではないか。

「痛いでしょう」と言って欲しくてならないのだ。

人並みに筋トレが出来ない。口惜しさよりも辛さが勝ってくる。

けれども嘆いても何も変わりはしない。

リハビリだと思って気長に耐えていくしかないだろうと思う。



午後は友人が所属する写真クラブの写真展を見に行っていた。

まさに目の保養である。気分転換にもなりとても清々しい。

友人は朝日新聞社の賞を貰ったそうでさすがだなと思う。

それは蛙の写真だった。苔むした岩の上にじっと佇む蛙は

とても存在感がありその大きな瞳には命が漲っている。

きっと友人はその姿に愛情を感じたのだろう。

心の赴くままに撮られた写真は見る者の心を打つのだった。

私は友人を尊敬している。まるで雲の上の人のようにも思える。



夕方まで読書。瀬戸内寂聴の「烈しい生と美しい死を」読了。

衝撃的でありながら最後には心地よい読後感があった。

今更ながら寂聴さんの死が惜しまれてならない。

最後の最期まで書くことに命を賭けていたのだと思う。

生前の寂聴さんに一度お会いしたかった。

嵯峨野の寂庵を訪ねて見たかったと思う。

もう何も叶いはしないけれど私の犯した罪を打ち明けたかった。









2022年09月02日(金) 秋の空と母心

女心と秋の空と云うがにわか雨も降り青空も見える。

夏の名残りの入道雲も見え空は賑やかであった。


今日もみい太が愉快。義父の側から片時も離れず

「にゃおんにゃおん」と鳴きながら追い掛け回していた。

朝ご飯は食べていたけれどもしやと義父が餌を与えたら

がつがつと食べお皿までぺろぺろと舐めているのだった。

食べ盛りなのか食いしん坊なのかなんとも微笑ましい。

義父の穏やかな顔がまた良い。ほっこりと心が温まる。

猫の居る暮しはこんなにも幸せを感じるものだったのか。

みい太がまるで天使のように思えてならなかった。




母がお世話になっている施設から電話。

コロナは完治したけれどその後もずっと食欲が無いらしい。

栄養面の心配があり毎日点滴をしているとのこと。

それもあまり長く続けると心臓に負担が掛かるのだそうだ。

「どうしますか?」と訊かれたけれど何と応えれば良いのだろう。

主治医の判断に任せるしかなくどうすることも出来なかった。

コロナの後遺症とも考えられ長期戦になるのかもしれない。


帰宅してすぐに母に電話をしてみた。

そうしたら点滴なんかしていないと言い張る。

「薬だと思ってご飯を食べんといかんよ」と言ったら

「ビールが飲みたい」とまるでふざけたように応えるのだった。

母はどうやら食べなくても死なないと思っているようだ。

しっかりと食べて体力を付けなければいけない時なのに。

かと言って無理強いは出来ない。なんとも複雑な心境である。

これはもうしばらく様子を見るしかないだろうと思った。


声は明るく元気。それが何よりも救いだった。

そうして私や家族のことを気遣ってくれる。

「大丈夫よ、心配ないけんね」と言ったら

母の微笑んでいる顔が目に見えるようだった。


最後に「ありがとうね」と母が言った。

私も「ありがとうね」と言って電話を切った。


胸に熱いものが込み上げて来て涙がほろりとこぼれていた。



2022年09月01日(木) 大切なのは「いま」だろう

朝のうちは雷雨。午後には思いがけずに青空が見えた。

台風は来週の火曜日に最接近するらしい。

直撃は免れそうだけれど雨や風が気掛かりでならない。



カレンダーを9月にしたら燃えているように紅い彼岸花。

母の生まれ故郷に咲くその光景が目に鮮やかに浮かんだ。

祖父母の命日も近い。二人とも9月に亡くなったのだ。

3年前にお墓参りに行ったきりでずっと供養を疎かにしている。

お盆に迎え火を焚く人もいない。どんなにか寂しかったことだろう。

せめて思い出すことが供養になればと願ってやまない。



長かった夏休みが終り孫達の新学期が始まる。

生憎の雷雨でじいちゃんが学校へ送って行った。

先にけい君を。それからあやちゃんとめいちゃんを。

雷が泣くほど怖いけい君も笑顔で登校したらしくほっとする。

2学期には運動会もある。元気に楽しい学校生活を送って欲しいものだ。


夏休みの間ずっと昼食係だったじいちゃんは呆けていたらしく

今日もお昼に孫達の名を呼んではっと我に返ったそうだ。

「俺は独りぼっちや」と寂しくてたまらなかったらしい。

それを聞き娘と笑い転げてしまったけれど

「じいちゃんのおかげやね」と娘が感謝の気持ちを伝えていた。

核家族が多い中、祖父母との同居が救いになることもあるだろう。

恩を着せる気持ちは全くないけれど「存在」を認められたのだと思う。

それが何よりも嬉しかった。じいちゃん本当にご苦労様でした。



窓から三日月が見えている。折れてしまいそうな程に細い月だ。

明日も雨だなんて信じられないけれど大切なのは「いま」だろう。

隣室から孫達の声が聴こえている。ほのぼのとした夜になった。



2022年08月31日(水) 自分の心を休ませること

曇り一時雨。気温は30℃を超えており酷く蒸し暑かった。

台風の進路が気になっているけれど今のところ直撃はなさそう。

大型の非常に勢力の強い台風とのことで沖縄が心配である。

慣れてはいるだろうけれど想定外の被害をもたらす可能性もある。

沖縄も日本なのにと思う時がある。報道は極めて消極的であった。



今日は看板猫のみい太がとても愉快で可愛らしかった。

義父の長靴が気に入っているらしく枕にして寝ているのだ。

「長靴をはいた猫」は聞いたことがあるけれど

まさか枕にするなんて誰が思うだろうか。

義父は「よほど俺の匂いが好きなんだな」と嬉しそうに笑っていた。



パソコンの調子がすこぶる悪く今朝は書くことを断念する。

SNSだけの不調でおそらく画像や動画が多いせいだろう。

「ディスプレイの応答が停止しました」とメッセージが出て

いきなり画面が真っ白になってしまうのだった。

気長に待っていればやがて回復するのだけれど

とても書く余裕はなく短歌や詩どころではなかった。

気が滅入るばかりで集中力も出ずこれは駄目だなと潔く諦めた。

冷静になって考えれば「休みなさい」と告げられているのだろう。

あまりにも書くことに拘っていた戒めなのかもしれない。

365日書けばそれだけの短歌や詩が出来るけれど

自分が納得するようなものが果たして書けていたのだろうか。

もしかしたらとても愚かなことだったのかもしれない。

「いいね」の数やリツイートの数ばかり気にしていて

それが評価だと思い違いしていたのかもしれないのだった。


私の書き方は「オン書き」なのだと昔ある詩人さんが言ってくれた。

ノートに書いたものをパソコンんで打ち込んでいるのではない。

パソコン画面をノートだと思って常に即興で書いている。

一歩間違えれば取り返しのつかないことをしているのだろう。

だからいつも自信はない。そしていつも臆病であった。


今朝はしばらく休むことを宣言したので

明日からノートに書いてみようと思っている。

書けるかどうか分からないけれど自分を試してみたいのだ。


幸いSNS以外のサイトは全く支障が無く助かっている。

今夜もこうして書くことが出来た。なんと有り難いことだろう。

パソコンをシャットダウンするたびに手を合わせている日々である。


明日もどうか書かせてください。それはもはや祈りに他ならない。


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