| 2022年08月30日(火) |
娘に叱られましたの巻 |
晴れたり曇ったり。今は西の空が茜色に染まっている。
夕焼けが見えると翌日は晴れると聞いたことがあるけれど
明日は雨の予報。夏が一気に去ってしまいそうで少し寂しい。
今朝はどうしたことか得体の知れない不安に襲われる。
上手く言葉に出来ないけれど何かに押しつぶされそうだった。
一瞬死ぬのかと思った。それが怖ろしくてならない。
対向車が突っ込んで来るような気がしてハンドルを握りしめていた。
季節の変わり目だからかもしれない。精神が不安定になっていたようだ。
それほどに弱いのかと自分の頬を打ってやりたいくらいだった。
だいじょうぶ。今は落ち着いていていつものようにこれを記している。
仕事を終えてから電器屋さんに寄っていた。
ここ一月ほどパソコンの調子が悪くもう限界と買い替えることにする。
貧乏人だけれどなんとかなるだろうと楽天的なところもあった。
何よりも書けなくなるのが怖ろしい。目の前が真っ暗になる。
今使っているノートパソコンは母のお下がりでけっこう古い。
母がパソコン教室に通っていた頃に買ったものだった。
母の承諾を得ずに勝手に自分のものにしてしまったのだ。
今日は下見でどれにするかを決め仮契約をしてきた。
知り合いの店員さんが親身になってくれてなんと有り難いこと。
今週の日曜日に購入し初期設定等は来週の金曜日になる。
店員さんが休みなので我が家まで来てくれるのだそうだ。
設定料金も正規の半額にしてくれると言う。
帰宅してじいちゃんに報告したら特に異存はなし
「いくらするんだ?」とも訊かずほっと胸を撫で下ろす。
それから娘に話したら思いがけずブーイングの嵐であった。
今時パソコンではないと言う。スマホかタブレットで充分だと。
ネットをするのにそんな高い物を買って馬鹿じゃないかと言われた。
詳しく話を聞けばスマホやタブレットにも専用のキーボードが
ちゃんとあるのだそうだ。それは全く知らなかった。
文字入力さえスムーズに出来れば問題なしと言うことなのだ。
結局、私馬鹿よねお馬鹿さんよねとなった。やれやれ。
真夏日だったけれど随分と涼しく感じた。
身体が猛暑に慣れてしまっていたのだろう。
ささやかな秋の気配を受けとめるように過ごす。
明日からしばらくは雨の日が続きそうだった。
台風は洋上を西に向かっているけれど
迷走台風らしく急に進路を変えるかもしれない。
日本列島には秋雨前線が掛かっていて豪雨の心配もありそうだ。
今朝は出勤するなり猫の鳴き声。
先週から行方不明になっていた「みい太」が帰って来ていた。
鉄工所のKちゃんが飼っていた野良猫だったけれど
Kちゃんのコロナ感染があったりでしばらく義父が面倒を見ていた。
それ以来すっかり職場の看板猫になってしまったのだった。
今ではKちゃんよりも義父に懐いていてなんとも微笑ましい。
今日も仕事をしている義父の側から離れず付きまとっていた。
最初は「みい」と呼んでいたけれど雄猫だと分かって
「みい太」と呼ぶことにした。それは私が付けた名前である。
臆病者なのか私が名を呼んでも近寄って来ないのだけれど
今日は珍しく側に来て甘えるので撫でてやったらうっとりとしていた。
なんとも癒される。とても優しい気持ちになるのだった。
猫の居る暮しにずっと憧れていたけれど
我が家には大の猫嫌いのじいちゃんが居るので到底叶わない。
どうして嫌いなのかと訊ねたことがあるけれど
子供の頃に祖母が飼っていた猫の毛がお茶に入っていたのだそうだ。
そのお茶を飲んだのかどうか定かではないのだけれど
とにかくそれ以来猫が大嫌いになったらしい。
私は子供の頃から猫も犬も大好きで犬は物心付いた頃から飼っていた。
父も母も猫嫌いではなかったけれど犬を優先していたのだろう。
中学生の時に捨て猫の子猫を保護して数日飼ったことがある。
まだ生まれたばかりの子猫で母猫のお乳が必要だったのだろう。
スポイドで牛乳を飲ませてみたが上手く飲ませてやれなかった。
学校から帰ったらもう冷たくなっていてなんと悲しかったことか。
父が「もう二度と拾って来るなよ」と言ったのだった。
拾うのと保護するのは違うと思ったけれど小さな命を失ってしまった。
尊い命を守ってやれなかった悔いは今でも忘れられずにいる。
みい太は明日も私を出迎えてくれることだろう。
もう野良猫なんかじゃない。れっきとした看板猫として生きている。
今朝は随分と涼しく秋らしさを感じる。
早朝にお大師堂へ。爽やかな川風の心地よいこと。
お堂の扉を開けたら真っ先に枯れ始めた花枝が見えた。
まだ大丈夫だと思い込んでいたので持参しておらず
踵を返しシキビを手折りに車を走らす。
足の痛みさえ無ければ少しも苦にはならないのだけれど
今朝は歩くのがやっとでなんとも難儀であった。
「がんばれ、がんばれ」と自分を励ましていたら
目頭が熱くなりなんと情けないことだろうと思う。
日頃からお参りを疎かにしている罰ではないかとも思った。
けれども自分の役目をなんとしても果たしたいのだった。
花枝を活け替えるとほっと肩の荷が下りる。
拙い般若心経の後につい欲が出てしまって
「足を治して下さい」と手を合わせていた。

今日は娘達と同居を始めて8年目の記念日。
家族の誰も記念日だとは思っていないようなのだけれど
私のカレンダーにはそれらしく記してあるのだった。
今朝は2014年の8月の日記から読み返していた。
やはり日記は誰の為でもない自分の為のものだと改めて感じる。
ささやかなことだけれどそこには家族の歴史があった。
臨月であった娘のこと。次々と娘達の荷物が増えていったこと。
同居が始まると私の日記は書けない日が多くあった。
9月にめいちゃんが生まれるとそれはいっそうに増している。
ミルクを飲ませたりオムツを替えたりと忙しかったのだろう。
日記どころではない日々がしばらく続いていたようだ。
それも今となってはとても懐かしく感慨深く思い出される。
あやちゃんとお大師堂へ行ったこともよく記されていた。
「おだいししゃん」木魚を玩具のように叩いたことなど懐かしい。
「なむだいしへんじょうこんごう」がまだ上手に言えなくて
「こんごん、こんごう」と小さな手を合わせたことなど微笑ましい。
あやちゃんは憶えていないだろうけれど私はしっかりと憶えている。
あやちゃんは10歳となりめいちゃんはもうすぐ8歳となる。
孫たちの成長は私にとって宝物のように思えてならない。
家族ではないと言われた時にはとても悲しかったけれど
同じ一つの屋根の下に暮らす家族に違いないと私は信じている。
娘は口癖のように「いつまでも居ないから」と言っているけれど
未だに我が家を出て行く気配は感じられなかった。
これ幸いと思いつつ私達老夫婦はすでに覚悟を決めている。
家族だった事実があればどれほどの寂しさにも耐えられるだろう。
もしかしたら10年目の記念日も訪れるのかもしれない。
雲ひとつない快晴。空がいっそう高く感じる。
風は沖の風。海からの南風を土地の言葉でそう云う。
それは涼風となり微かに秋を匂わすのだった。
娘達は午前中から川遊びに出掛ける。
夏休みも残り少なくなり孫達の良き思い出となったことだろう。
ふとけい君のことを想った。どうして過ごしているだろうかと
多忙な息子のこと、子供の夏休みに付き合うどころではないと察する。
青白い顔をしたけい君の姿が目に浮かび憐れに思うばかりだった。
今夜は納涼花火大会が行われる。
四万十川の河川敷からたくさんの花火が打ち上げられるようだ。
あれは息子が3歳の時だったからもう40年も昔のこと
お舅さんの川船で花火を観に行ったことがある。
すぐ間近で観る花火のなんと素晴らしかったことだろう。
お舅さんにとってはそれが最後の花火になってしまった。
夏の終わりに癌を患い秋が深まった頃に亡くなってしまったのだ。
今なら早期発見で治療も叶うけれどその当時は発見が遅れ
体調を崩した時にはもう手遅れになってしまっていた。
今思えばお舅さんには虫の知らせがあったのかもしれない。
「今年は船で観に行こうや」と満面の笑顔で言ったのだった。
せつない思い出となってしまったけれど懐かしく心に残っている。
花火は鎮魂でもある。決して華やかなことばかりではない。
これも昔の話だけれど純白の花火を仰ぎながら泣いたこともあった。
色とりどりの花火が多い中、どうして純白だったのだろう。
女心にそれがどうしようもなく切なく感じたのだった。
すぐにある人に電話をしたけれど繋がらなかった。
心が押しつぶされるように寂しかった記憶だけが残っている。
今夜は土手から遠い花火を観ようと思っている。
そうして私の夏が終わっていくことだろう。
猛暑日の一歩手前、厳しい残暑であったけれど風は爽やかだった。
空がなんとなく高く感じる。今日は飛行機雲を仰いだ。
機体がきらきらと光っていてとても綺麗で感動する。
乗客はもっと感動したことだろう。見渡す限りの青い空である。
昨夜はどうしたことか夢見が悪く午前二時から眠れずにいた。
そんなことは滅多になく酷く途惑ってしまう。
姑さんが夢の中で死んでしまったのだ。
もうすでに亡くなっているのだから夢に違いないのだけれど
妙にリアルで緊迫感があった。大変なことになったと思った。
家の前に黒塗りの霊柩車が停まっていてなんと不気味なこと。
遺体は見えない。ただ死んだ事実だけが追い詰めるように迫って来る。
私は何故か素っ裸だった。喪服を着なければと焦っていたようだ。
家族の姿も見えない。いったいみんな何処に行ってしまったのだろう。
そこではっと目が覚めたのだけれど汗びっしょりになっていた。
隣の布団ではじいちゃんが寝息を立てている。なんと平和な現実か。
もう大丈夫。4時まで眠ろうとしたがどうしても眠れなかった。
夜が明けてから娘に夢の話をしたら笑い飛ばすどころか
真剣な顔をして「お祖母ちゃんまだ居るんじゃないの」と言う。
お盆に帰ってからそのまま天国に帰らずに居るのかもしれないと。
そう言った直後、娘が悲鳴をあげて背中の痛みを訴える。
「やばいよ、なんか急に背中が重くなった」と叫ぶのだった。
とにかくお祓いをしなければ。お経を唱えつつ娘の背中を擦った。
心当たりが無い訳でもない。お盆に疎かにしていたことがある。
今年は般若心経を唱えなかったのだ。自分でもそれが心残りであり
生前から私のお経を頼りにしてくれていた姑の顔が目に浮かぶ。
きっとずっとそれを待ち続けてくれていたのではないだろうか。
今からでも遅くはない。とにかく自分の役目を果たしたい。
仕事を終えて帰宅するなり義妹宅に行き仏壇に手を合わせていた。
遺影に声を掛けるように般若心経を唱えることが出来る。
姑さんの声は聴こえないけれど遺影の笑顔に救われるようだった。
思わず「もう死なんとってね」と呟いていた。
私は普通の人より少しばかり霊感が強いようだった。
母譲りでもありそれは娘にも遺伝している。
霊の存在も信じているし死後の世界も信じている。
魂は不滅なのだ。そうして輪廻転生を繰り返すのだと思っている。
それなのに死ぬのが怖い。まだまだ修行が足らないのであろうか。
| 2022年08月25日(木) |
何があっても母は強し |
明け方まで雨が降っていたけれど日中は晴天となる。
法師蝉が声を限りにして鳴いていた。
彼らも8日の命なのだろうかとふと空を仰いだ。
入道雲は見られずうろこ雲が空を秋に見せようと泳いでいた。
厳しい残暑ではあったけれど空に救われたような気がする。
嫌なことを見つけるより嬉しいことを見つけたいと思っていた。
けれどもさらりと水に流せないことがどうしてあるのだろう。
不愉快なこともある。それが未だに尾を引いていて苦しい。
他人に誠実さを求め過ぎるのだろうか。それは思い通りにはいかない。
こればかりは日にち薬が必要なのかもしれない。

今日はやっと母の声を聴くことが出来た。
嬉しさよりもどれほどほっとしたことだろう。
散々迷ったけれどもう限界に思えて今朝は病院に電話をかけてしまった。
あくまでも伝言としてケイタイの充電を依頼したのだった。
しばらくしてからケアマネさんから電話があり
母のコロナ完治、今日一般室に移ったと報せがあった。
やはり危惧していた通り未だに感染が拡がっているらしい。
まだまだパニック状態が続いているようだった。
ケアマネさんも現場で闘っているとのこと頭が下がるばかりである。
多忙にも関わらず電話をかけてきてくれてひたすら感謝に尽きる。
午後、母からの電話。声を聴くのは2週間ぶりであった。
ただ介護士さんに促されてかけたらしく少し不機嫌な様子。
私が仕事中なのを気遣ってくれていたのだろう。
ちょうど来客中でゆっくりと話せなかったけれど
最後に母は「ありがとうね」と言ってくれた。
親不孝な娘にとってそれほど嬉しいことがあるだろうか。
その一言でどれほど救われたことだろう。
コロナを乗り越えた母。やはり信じていた通りだった。
何があっても母は強し。私はそんな母の娘であることを誇りに思っている。
晴れたり曇ったり。暑さは少し和らいでいたようだ。
もう猛暑日になることはおそらくないだろう。
黄花コスモスが咲き始めている。
黄色と云うよりオレンジ色に近い花だった。
毎年秋桜より少し早く咲き始めるのだけれど
もうそんな季節になったのかと感慨深く思う。
写真を撮らなくなってからずいぶんと経った。
心が動こうとしない。どうしてだか分からない。
来月には友人の写真展があるので観に行くつもりである。

定時で仕事を終わらせてもらって整形外科へ。
予約の時間よりも早く着いていたのに1時間以上も待たされる。
それほど時間が有り余っている訳でもないものだから苛立つばかり。
おまけに2週間後にまた来るように言われ納得がいかない。
鎮痛剤の量を減らすので様子を見るのだと医師は言う。
痛みが酷くならなければ良いのだけれど不安でいっぱいになった。
川仕事の相談も出来なかった。次回までのお預けとなる。
帰宅がすっかり遅くなり焼くだけのハンバーグを買った。
そうしたら娘がお昼にもハンバーグを食べたのだと言う。
仕事が休みだったので孫たちとジョイフルへ行っていたそう。
あやちゃんに相談したら「夜もハンバーグでええけん」と言ってくれる。
優しい子だなとつくづく思った。本当に有り難いことである。
今朝はSNSで少し気分が落ち込むようなことがあった。
今日はそのことが頭から離れず憂鬱でならなかったけれど
「書きたい」気持ちを封じ込めあえて書かないことを選んだ。
書けばまたトラブルになるだろう。傷つけ合うことは避けたい。
私は決して強くはないけれど何を言われても耐えられると思う。
それだけ長いこと生きて来た。それを誇りにさえ思っている。
けれども泣きたい時もある。人間だからそれは仕方ない。
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