ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年08月19日(金) 信じるも信じないも自分次第

今朝は随分と涼しく秋の気配を感じた。

日中は厳しい残暑となったけれど空にはうろこ雲が見える。

木陰に入ると爽やかな風が吹き抜けていた。

ゆっくりと夏が退こうとしている。まるで燃え尽きるかのように。



帰宅して従姉妹のK姉の畑に葱を貰いに行っていた。

茄子や胡瓜もあっていつでも自由に獲って良いと言われているけれど

我が家から目と鼻の先にある畑まで歩くのがとても大変である。

一気には歩けず途中で休まなければいけない。なんと情けないことか。

事情を知らないK姉は遠慮していると思っているらしく

一昨日には茄子と胡瓜をわざわざ届けてくれたのだった。

なんと有り難いこと。どちらも美味しくご馳走になった。



来月に入れば海苔の漁場の準備が始まるのだけれど

今年は大幅に減らし例年の半分にすることに決めた。

期待が薄いせいもあるけれどじいちゃんが私の足を気遣ってくれる。

足の痛みは昨年の漁場準備が発端でそろそろ一年になろうとしていた。

私も自信がない。やってやれないことはないだろうけれど

無理をすればよけいに悪化するのではないだろうか。

来週また整形外科に行くので医師に相談してみようかとも思っているが

ドクターストップが掛かればにっちもさっちも行かなくなる。

じいちゃん一人ではとても無理だろう。少しでも手伝ってやりたい。


限界を試してみるのも一つの手かもしれない。

やってみて出来なければそれまでだけれど遣り甲斐はあるのではないか。

限界を知ればまた新しい道が開けるような気もするのだった。


私はいつもぎりぎりのところで生きている気がする。

大らかな性格でもなく楽観的でもなかった。

切羽詰まった所で本領を発揮するのかもしれない。

火事場の馬鹿力ではないがもっと追い詰められてみたいとも思う。


見捨てられないのだ。それは自分を信じているからだろうか。



2022年08月18日(木) 夏に生まれた子はおひさまの匂いがする

朝のうち小雨が降っていたけれど午後にはよく晴れる。

猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となった。


職場は来客多し。同僚が汗だくになって頑張ってくれる。

お昼前に支払いに来てくれたお客さんはコロナだったとのこと。

全くの無症状で狐につままれたようだと話す。

自宅待機期間が終わればもうPCR検査はしないのだそうだ。

本当にもう大丈夫なのだろうかと私は不安でならなかった。

無症状の人も多いと聞く。そんな人達が普通に日常生活を送っているのだろう。

いつ何処で接触するか分からない。それは大きな危機だと思う。


午後、母の施設から電話があり経過報告があった。

昨夜も母に電話してみたけれど繋がらず気になっていたところだった。

熱は微熱とのこと。幸い肺炎の心配は今のところ無いようだった。

ただ喉の痛みが治まらないのか食欲があまりないらしい。

点滴で栄養分を補ってくれているとのこと。至れり尽くせりである。

職員の感染で人手不足になっているのにも関わらず

家族に報告をしてくれて本当に感謝せずにはいられなかった。

「頑張って下さいね」と告げるのが精一杯であったけれど

「ありがとうございます」と応えてくれて胸が熱くなってしまう。





我が家は平穏そのもので今日は娘の41歳の誕生日であった。

早朝からの陣痛は夕方まで続きどれほど痛みに耐えたことだろう。

産院で夕陽を浴びた。傍らには母が付き添ってくれていたことを思い出す。

流れる汗を母が団扇で扇いでくれたのだった。「もう少しやきね」

やっと産まれた娘は産声をあげず「お願い泣いて」と狂ったように叫んだ。

おぎゃあおぎゃあと娘の産声が聴こえた時には私も涙を流していた。


夏に生まれた子はおひさまの匂いがする。

娘はずっと我が家の太陽のように明るく輝いていた。

結婚式も挙げないまま我が家を風のように飛び出して行ったけれど

今は二人の可愛い孫の母となり再び我が家の太陽になっている。

「いつまでも居ないから」はもう口癖のようになってしまったけれど

私はもうすっかり覚悟していてその日を恐れてはいない。


41年の歳月は何物にも代えがたい「幸福」そのものであった。





2022年08月17日(水) 女心に未だ秋風は吹かず

晴れのち曇り。猛暑が少し和らぐ。


お盆休みを終えて5日ぶりの山里だった。

あちらこちらに稲刈りを終えた田んぼが目立ち微かに藁の匂いがする。

そんな田舎らしさが好きだなと思う。なんとなく懐かしい匂いだ。

母の生まれ故郷の祖父母の家だろうか。稲が干してあったのを思い出す。

昔は乾燥機など無かったので竹を組み天日干しをするのが習いだった。


義父もお盆休みの間に稲刈りを終えていてほっと寛いだ様子。

乾燥した玄米を袋詰めにする作業を少しずつしていた。

とても機嫌が良い。それが何よりも嬉しく感じる。





お昼休みに読んでいた本が時間切れとなり読了出来ず

後数ページだったのでスーパーの駐車場で一気に読んだ。

このところずっと瀬戸内寂聴ばかり読み耽っているのだけれど

出家する前の作品はなんとなく馴染めずにいる。

女盛りに対する拒否反応だろうか。嫌悪感さえ感じるのだった。

言葉は悪いけれど気持ちが悪い。とても共感など出来ない。

恋愛云々にはもう関わりたくはなかった。近寄りたくもないのだ。


この日記を書き始めた頃の私は45歳だった。

まだ女盛りだったのかは定かではないけれど

試しに20年前の日記を読み返してみたら正しく気持ちが悪かった。

恋をしていたのだろうと思われる文章に鳥肌が立つ。

よくもまあこんな恥知らずのことをしたものだと呆れてしまう。

今さら削除する気持ちは無いけれど二度と読み返すまいと思った。


寂聴さんはどうだったのだろう。若い頃の作品が愛しかったのだろうか。

「ありのままの自分」として受け止めていたのかもしれない。

それとも自分を許したのだろうか。どれほど愚かであったとしても。

作品は永遠にこの世に残る。既に過去の人になっても未来永劫なのだ。


もう誰も「晴美さん」とは呼ばない。それが唯一の救いかもしれない。


今年は初盆だった。寂庵にはどんな草花が咲いていたのだろう。

寂聴さんはにっこりと微笑みながらその庭に佇んでいたのに違いない。



2022年08月16日(火) 送り火にまた会える日の炎燃え

午後4時を過ぎると熱風が少しだけ涼風に変わる。

お盆が終わると朝晩涼しくなるものだけれど今年はどうなのだろう。

「処暑」まであと一週間となった。夏が退き始めるのだろうか。


もう何年も会っていない友人から残暑見舞いの葉書が届く。

先日の「高新文芸」を見てくれたのだそうだ。

いつも気にかけてくれていて本当に有難いことだと思う。

メールや電話ではなく心のこもった便りがよけいに嬉しかった。

声を聴きたい気持ちもあるけれど私も便りを出そうと思っている。




夕方送り火を焚いた。来年も帰って来て下さいねと手を合わす。

昨夜は亡き姑さんの夢を見た。毎年のことだけれどお盆にはよくあること。

もしかしたら供養が足らないのではないかとつい思ってしまう。

今年は特に般若心経を唱えられなかったので少し悔やんでた。

けれども夢の中の姑さんは昔の古い台所に居てそれは沢山の料理を作り

「はよう食べたや」と笑顔で私に勧めてくれたのだった。

夢の中だと云うのに煮物が美味しい。なんとも懐かしい味であった。


ああ、帰って来てくれていたのだなとつくづくと思う。

家族は誰も会えなかったらしいが私は会うことが叶ったのだろう。

娘が「おかあは霊感が強いけんね」と云うけれどそうなのかもしれない。

死後の魂は生き続けていると私は信じてやまないのだった。


私も定命が尽きればあの世にデビューするのだけれど

お盆には必ず帰って来て家族みんなを喜ばせてやりたいと思う。

孫たちの夢の中でハンバーグを作ってやりたい。

そう思うと死を怖れる気持ちが薄れて行くのだった。



2022年08月15日(月) 負けるもんかと母の声

今日も厳しい残暑。風はあったけれどドライヤーの温風のようだった。

涼を求めてエアコンの部屋に閉じこもってばかり。

家事らしいことも殆どしない。すっかり怠け者になってしまっている。



昨夜この日記を書き終えて母から着信があったとばかり思っていた。

確かに繋がっているのだけれど母の声が聴こえない。

私の声は聴こえているはずと「頑張りよ、負けたらいかんよ」と叫んだ。

今朝になり着信履歴を確認したらそれが何処にもない。

もしやと思い発信履歴を見たら私から母に電話していたことが分かった。

「酔っぱらっていたからじゃ」とじいちゃんに笑われてしまう。

よほど母の声を聴きたかったのだろう。心配でならなかったのだろう。


年金支給日で7月分の支払いもあり午前中に病院を訪ねる。

担当のケアマネさんには会えなかったけれど他のケアマネさんが

連絡を取ってくれて母の様子を少しだけ聴くことが出来た。

熱は少し下がったらしいけれど喉の痛みが酷いらしく

食事が殆ど摂れず点滴をしているそうだった。

看護師さんがずっと診ていてくれているそうで「心配ないですよ」と言う。

どんなにかパニック状態になっているだろうと思うと感謝しかない。

感染を怖れずに患者に立ち向かっている姿に感動さえ覚えたのだった。

胸に熱いものが込み上げて来る。気がつけば涙が溢れていた。



これを記しているいま。テレパシーが伝わったのだろうか

今度こそ母から着信があった。弱々しい母の声ではあったけれど

「絶対に負けんよ」とその声にどんなにか救われたことだろう。

「ついに流行に乗ったね」と言えば微かに笑い声も聴こえる。

そうして「あんたも気をつけよ」と私のことを気遣ってくれるのだった。


母の優しさが心に沁みる。けれども私はもう泣いたりしない。








2022年08月14日(日) 少しだけ残しておいた夢がある

連日の猛暑日。今日も厳しい残暑となる。


今朝はとても思いがけずに嬉しいことがあった。

感極まりほろほろと涙がこぼれる。

高知新聞の「高新文芸」で短歌が一席に選ばれていたのだった。

3月に月間賞を頂いてからもどれほど投稿を続けたことだろう。

それは悉く落選となり紙面に掲載されることは無かったのだ。

その口惜しさをバネにと思いながらも自信は失われるばかり。

それでも諦めずに投稿を続けていて本当に良かったと思う。


真っ先に父の顔が浮かんだ。生きていればどんなにか喜んでくれただろう。

いや違う。父の魂が私を救ってくれたのに違いない。

お盆の時期ほど魂が身近に感じられることはなかった。

この世に帰って来てくれている。そうして私を守ってくれたのだろう。

これからも諦めずに頑張れよ。そんな声も聴こえて来るのだった。


生前最後に父に会った日に「おまえは短歌をやれ」と言ってくれた。

私はその言葉が父の遺言だったと思って今まで過ごして来た。

だからどんなに蔑まれても自分を見失ってはいけないのだと思う。

そうして今回のようなことがあっても決して驕らないことだ。

驕ることほど醜いことはない。またこつこつと努力を惜しまずにいたい。


「少しだけ残しておいた夢がある林檎のようにかじる一切れ」





2022年08月13日(土) 迎え火に小さき子らが手を合わす

日中は快晴。気温が高くなり猛暑日となる。


母が入居している施設から電話がありコロナ陽性とのこと。

昨夜電話で話した時にはとても元気そうだったので信じられない。

今朝の検温で発熱がありすぐにPCR検査をしたのだそうだ。

幸い熱以外の症状は無く軽症のまま済むのかもしれない。

介護士さんがしきりに「すいません」と謝罪してくれた。

どうして責めることなど出来よう。こればかりは仕方のないこと。

それよりも施設内がどんなにかパニックになっていることだろう。

改めて医療従事者の苦労を労う気持ちが強くなった。

母はきっと大丈夫。コロナに負けず乗り越えてくれると信じている。

嘆くことだけはしたくない。嘆いても何も変わりはしないのだ。



今夜は迎え火を焚き義妹宅に親族が集まりお盆の宴会をしている。

これも三年ぶりのことでまだとても安心とは言い難いけれど

「もう誰が感染してもいいじゃないか」とじいちゃん(夫)が言う。

我慢も限界になったのだろう。私一人が反対するわけにもいかなかった。

皆の楽しそうな笑顔を見ているとなんだかとても懐かしくなる。

コロナ前の日常がつかの間戻ってきたような錯覚に陥るのだった。


今は少しだけ座を離れ帰宅しこれを記しているけれど

そうそう自分勝手も出来ないだろう。そろそろ戻らなければいけない。

走り書きのような日記なってしまい申し訳なく思っている。


舅さんや姑さんも二人揃って帰って来ていることだろう。

ひ孫が5人、仏壇のある部屋ではしゃぎまわっている。

にぎやかなお盆となりどんなにか喜んでいることだろうか。




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