ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年08月12日(金) 思いがけない希望の光

薄曇り。気温はさほど高くはなかったけれど酷く蒸し暑かった。

太平洋上を台風が北上しているせいかもしれない。

明日は関東に接近とのこと大きな被害が無いことを祈っている。


山里ではいよいよ稲刈りが始まった。義父も忙しくなる。

お盆休みの間に終えようと意気込んでいるのが分かる。

お天気次第であった。どうかにわか雨が降りませんように。



お昼前に支払いに来てくれたお客さんの家族がコロナ感染とのこと。

濃厚接触者と見なされ17日まで外出を控えるように言われたらしい。

支払いなど急ぐこともないのにどうして守れなかったのだろう。

あまりにも非常識に思えて酷く途惑ってしまった。

お金を触ったので手指の消毒。事務所の換気もすぐに行う。

一難去ってまた一難。右を向いても左を向いてもコロナだらけである。



仕事を終えてからいつもの病院へ。診察があったので緊張していた。

そのせいか血圧が異常に高くなっており自分でも驚く。

私とは馬の合わないはずの医師が今日はやけに愛想が良い。

一瞬話せるかもしれないと思い先日からのコロナ騒動を切り出した。

そうしたら私の場合は濃厚接触者ではないと教えてくれたのだった。

「濃厚接触者」とは一メートル以内で15分以上の接触があった者。

たとえ相手がマスクをしていなくても感染リスクは低いと言う。

素人考えでは同じ部屋の空気を吸っただけで危険だと思っていた。

義父の場合は濃厚接触者となるけれど奇跡的に助かったと言えよう。


「そんなに神経質にならなくても大丈夫ですよ」と医師は笑った。

そうして私の肩に手をそっと乗せて励ましてくれたのだった。

ずっと張りつめていたこころが一気にほぐれたように思う。

医師に対する不信感も何処かに消え去っていた。


医師が成長したのか私が成長したのかよく分からないけれど

おそらく後者ではないかと思われる。

私はきっと素直だったのだろう。そうして医師の懐に飛び込んだのだ。


医師は心療内科の専門医ではないけれど日々学んでいるのだと思う。

院長である専門医を慕って他の病院から移って来ただけのことはある。

まだ30代と思われる若さであるがいずれは病院を継ぐだろう。

その時にどれほど患者の心に寄り添うことが出来るのか

病気の治療ばかりではなく心のケアが出来るようになるのか

私は長生きをしてそれを見届けたいと思ったのだった。


今日はなんだか希望の光を見つけたような気がしている。








2022年08月11日(木) 負け組にも根性がある

晴れてはいたけれど午後にわか雨が降った。

それも土砂降りとなり驚く。洗濯物が可哀想。

娘とめいちゃんと三人がかりで取り入れたことだった。

後は乾燥機の「乾太くん」にお任せする。

主婦の味方だけあってなんと頼もしいことだろうか。



午後、久しぶりの胃痛に襲われる。

あまりの痛さに脂汗が流れる程だった。

冷たい物の飲み過ぎであろうか、整形外科の鎮痛剤のせいかもしれない。

もともと胃弱なのをすっかり忘れておりその報いだと思われる。


胃薬を飲み少し楽になり茶の間で高校野球を観戦していた。

高知代表の明徳は健闘したけれど初戦突破ならず。

何度も逆転のチャンスがあったけれどそれを活かせなかった。

けれども選手みな爽やかな顔をしており精一杯だったことが分かる。

力を出し切ったらもう後悔はないのかもしれない。

勝ち負けに拘るよりもそれが大切なことなのではと思った。



私はどうだろう。人生の負け組だとずっと思い込んでいたけれど

誰からも認められないことに拘り過ぎていたのではないだろうか。

傷つくばかりの自尊心。悔しさをバネに出来ない虚しさ。

それはもしかしたら自分の力を出し切っていないのではないか。


誰にだって限界はあるだろう。それは天から与えられていること。

その限界を乗り越える精神力が足らないと云うことかもしれない。


蔑まされることに慣れてしまってはいけない。

惨めだと嘆きすべてを投げ遣りにしてはいけない。


負けても誇りを失ってはいけないのだと思うのだった。

私は小説家でもエッセイストでもない。歌人でも詩人でもないけれど

この世に生きていることに誇りを持ちたいと思う。





2022年08月10日(水) 弱さを強さに変えるべき時

山里ではお昼過ぎににわか雨が降った。

大気がよほど不安定なのだろう。

8月になってから快晴の日は殆ど無いと云っても良い。


帰省客が増え始めたよう。県外ナンバーの車が多く見られる。

高知の城下では「よさこい祭り」が3年ぶりに開催され賑わっているようだ。

ラジオを聴いていたら「感動で胸がいっぱいだ」と観客の声がする。

私はとても複雑な気持ちになった。本音を言ってしまえば

「不安で胸がいっぱい」なのである。気分はとてもよさこいどころではない。

祭りの後にどれほどの危機が襲って来るのだろうと気掛かりでならない。

奇しくも今日は過去最多の感染者。もうどうしようも出来ないと思う。



今朝は体調も変わりなく元気そのものだった。

接触から6日目となりもう大丈夫とすっかり安堵していたけれど

出勤前に熱を測ったらまさかの37度で一気に不安が襲って来る。

どうしたものかと困惑しながらも職場に向かっていた。

職場に着くなりすぐ近くにある診療所に電話をして相談する。

そうしたら37度は発熱とは見なされないとのこと。

夏は平熱が高くなることがあるのだそうだ。

体調が良いのであればPCR検査の必要はないだろうと言う。

これまでのいきさつを話し不安でならないことを伝えたら

なんと親身に耳を傾けてくれたことだろう。有り難くてならない。

話し終えるなり涙がほろほろと溢れてしまっていた。


義父も心配してくれて再度熱を測ってみたら36度3分。

「ほら、なんともないじゃないか」と笑い飛ばしてくれた。

人一倍神経質なものだからこんなこともあるのだろう。

気にし過ぎていることは自分でもよく分かっているのだった。

もっと気楽にもっと大らかにと思うけれど上手くいかない。

今こそ「かかってこいや」位の強気が必要なのだろう。


弱さを強さに変えることはきっと可能だと思っている。

それは立ち向かう勇気だろうか。自分を信じることだろうか。

上手く言葉に出来ないけれど私はきっと変われるのに違いない。









2022年08月09日(火) 楽観にはまだほど遠い

少しずつだけれど日が短くなっているようだ。

つい先日まで西日がいっぱいに射し込んでいた部屋が薄暗くなった。

夕風も心地よくなり今も窓を10センチ程開けて風に吹かれている。

もうすぐ陽が沈むだろう。おひさまも早く休みたいに違いない。



仕事は今日も通常通り。お盆休みを前にしての繁忙期であった。

体調は特に変わりなし。義父も元気そのものである。

接触から5日を経過したのでもう大丈夫だと思うのだけれど

念のためにPCR検査を受けたほうが良いのではと迷っている。

無症状でも陽性は在り得る。もしそうなったら仕事はどうすれば良いのか。

そんな考え自体が不謹慎なのかもしれないと罪悪感も感じるのだった。

今までとは事情が違う。自分が感染源になる可能性もあるのだと思う。


義父はもうあっけらかんとしていてマスクも着用しない。

それを咎める勇気がない。見て見ぬふりをするばかり。

来客するお客さんも殆どがマスクを着用していないのだった。

暑さのせいもあるだろう。まして小さな山里のことでもある。


けれどもそんな山里にも今日は5名の感染者が出たようだ。

誰もがもっと危機感を感じるべきなのではないだろうか。

私は人一倍神経質なものだから怖くてならなかった。



帰宅して今日もマスク着用で家事をしていたら

あやちゃんが「おばあちゃん気にせんでもええよ」と言ってくれる。

優しい子だなとつくづく思った。私を信じてくれているのだろう。

じいちゃん(夫)も娘一家も元気でいてくれてほっと救われている。

もし私が感染していたら真っ先にじいちゃんに感染するだろう。

「俺はぜんぜんなんともないぞ」その言葉がとても心強い。


12日の金曜日に内科を受診する予定なので

医師に相談してみようかとも思っている。

まともに話せる医師ではないけれど少しは親身になってくれるだろう。

その医師も濃厚接触者となり昨日まで病院を休んでいたそうだ。

公式のSNSで今日そのことを知ったばかりだった。

もし全く親身になってくれなかったらもうこそ縁を切ろうと思う。


とにかくあと3日。なんとしても無事に乗り越えなければいけない。

家族を守りたい。ひたすらそう願い続けている。





2022年08月08日(月) まさかの濃厚接触者

厳しい残暑。暑さで有名な江川崎では猛暑日だったようだ。

「立秋」を待ちかねていたのに今度は「処暑」を待っている。

秋風が吹き始めるとなんとなく寂しくなってしまうのだけれど

それを求めているのだろうか。自分の心がふと解らなくなってしまう。



エアコンを一晩中点けっぱなしにしていたせいだろうか

今朝は目覚めるなり喉に違和感を感じていた。

寝冷えだろうとさほど気にもせずに山里の職場に向かったのだけれど

職場に着くなり義父が「大変なことになったぞ」と血相を変えて言う。


同僚ではないけれど同じ敷地内で鉄工所を経営しているK君が

コロナに感染したらしい。昨日判明したのだそうだ。

数日前から微熱があると言っていたけれど「まさか」と云うより

「やっぱり」と思う気持ちが強かった。

そうして一気に大きな不安に襲われてしまったのだった。


義父は一緒に溶接の仕事をしており私も事務所でしばらく語らっていた。

私は常にマスクを着用しているけれど義父もK君もしていない。

濃厚接触者には違いなくすっかりパニック状態になってしまう。

私は特に喉に違和感があったのでよけいに気になってしまったのだった。


義父が保健所に電話をしてどうすれば良いのか対処策を訊ねた。

そうしたら接触から5日間症状が出なければ大丈夫だと言う。

今日で4日目だったので後1日様子を見るようにと言われた。

会社の営業も通常通りで差支えないらしい。

けれどもどうしてすぐに平常心に戻れるだろうか。

まるで悪夢を見ているような気持ちになってしまう。


帰宅して家族に事情を話しマスク着用で家事をしていた。

これまでなんとしても家族を守りたいとどれほど願ったことだろう。

まさか自分がこれほどの危機に見舞われるとは思ってもいなかった。


幸い喉の違和感は夕方には薄れ今は殆ど感じなくなった。

明日までに発熱が無ければもう大丈夫かもしれない。


どれほど平穏無事を祈り続けていてもこんな日もある。

何事も試練だと口癖のように言っていてもさすがに参った1日だった。









2022年08月07日(日) 定命を知らずままに秋が立つ

「立秋」秋の気配がほの見えるころ。

ちいさな秋は夜明け前の虫の音から始まる。

りりんりりんと今朝は鈴虫の声が聴こえていた。

日中は厳しい残暑となったけれど幸い猛暑日にはならず

風もあり心地よいほどの暑さとなった。



早朝やっとお大師堂へ。お参り仲間の従兄弟から花枝の傷みを聞いていたので

まずは花枝を切りに畑へと足を運ぶ。

畑と云っても今はその面影も無く夏草の生い茂った荒れ地であった。

姑さんが健在だった頃には見事に手入れをしてあり季節ごとの野菜が

たくさん育っていたのだけれど、なんだか申し訳ないような有り様である。

その畑の隅に3本のシキビが植えられていて今でも活き活きと育っている。

枝ぶりがとても良いのだ。まるで姑さんの魂が宿っているかのよう。

「お大師さんへ持って行くね」と声を掛けて枝を数本切り落とした。


お大師堂へ着くと日捲りの暦が金曜日のままだった。

Sさんも来れない日があるのだろう。なにしろこの暑さである。

草刈りも出来ないらしくお堂の周辺は夏草が生い茂っていた。

疎かにしているのは私だけではないのだと思えば少し気も楽になる。


花枝を活け替え蝋燭に火を灯しお線香を2本立てる。

本来は3本らしい。お大師さんと家族と自分の分だと聞いたことがある。

お線香を折ってはいけないとも云う。寿命が縮まるのだそうだ。

けれども私はあまり拘らない。2本で十分に思うのだった。

寿命は定命であり生まれた時からすでに決まっていることらしい。

どれほどもがいてもどれほど願っても定命が尽きればあの世へ逝く。


般若心経は心を清め穏やかにする。謂わば精神安定剤のようなものだ。

唱えたからと云って救われる訳でもないけれど

不思議と充実感を感じる。たとえそれが自己満足だとしても

生きている限り唱えたい呪文のようなものなのかもしれない。


「お願いします。守って下さい」それは不安で心細いからこそのこと。

定命を知らされることもなくどれほど生き永らえられるのだろうか。


欲深い私はとにかく生きたくてならないのだった。





2022年08月06日(土) 青春は記憶の底から蘇る

猛暑は和らいでいたけれど午後は突然のにわか雨。

慌てて洗濯物を取り入れたりしていた。

その後しばらく雷雨となったけれど今は晴れている。

ほんのりと茜色の空を仰ぎつつ平穏無事を噛みしめているところだ。


広島原爆投下から77年目の夏。報道は年々少なくなっているようだ。

沢山の尊い命が無残に失われ被爆された人達もどれほど多いことか。

10歳の子供が87歳になっている。その記憶を葬ってはいけないと思う。

もっと語り継がれるべきなのではないだろうか。





午前中はカーブスへ。午後は高校野球を観戦していた。

カーブスは今日も不完全燃焼で苛立ちばかりがつのる。

やはり気持ちの切り替えが必要に思うけれど上手くいかない。

継続は力だと云うけれど続けられるのか不安になった。


プロ野球には全く興味が無いけれど高校野球は好きだった。

若いって素晴らしいなと思う。それは青春そのものである。

第二試合の大分の明豊対群馬の樹徳の試合を夢中になって観ていた。

大分と云えば徳さんを思い出し徳さんも観ているかなと思う。

もちろん明豊を応援していたのは言うまでもない。

まさか逆転は無いだろうと最後まで信じていた甲斐があった。

7対3で明豊の勝ち。なんとも清々しい勝利であった。

二回戦も応援しようと思う。すっかり明豊のファンになる。



高校一年生の時だったか高知商業の益永投手に淡い恋をしていた。

恋と云うより憧れだったのだろう。私にとってはスターであった。

高知大会の予選も観に行き写真を撮らせてもらったこともある。

その時の益永君の照れくさそうな横顔が今でも忘れられない。

甲子園出場が決まった時には涙が出るほど嬉しかった。

そうして甲子園での活躍も熱狂的に応援したことだった。

益永君の青春は私にとっても青春だったのだと思う。

67歳の益永君を私は知らない。知らないほうが良いのかなとも思う。

けれども今でも野球に関わる仕事をしてくれていたらと願っている。

孫に野球を教えているかもしれない。それもほのぼのと目に浮かぶ。


青春とは程遠い年齢になってしまったけれど

記憶と云うものは本当に有難いことだとつくづく思っている。


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