ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年08月09日(火) 楽観にはまだほど遠い

少しずつだけれど日が短くなっているようだ。

つい先日まで西日がいっぱいに射し込んでいた部屋が薄暗くなった。

夕風も心地よくなり今も窓を10センチ程開けて風に吹かれている。

もうすぐ陽が沈むだろう。おひさまも早く休みたいに違いない。



仕事は今日も通常通り。お盆休みを前にしての繁忙期であった。

体調は特に変わりなし。義父も元気そのものである。

接触から5日を経過したのでもう大丈夫だと思うのだけれど

念のためにPCR検査を受けたほうが良いのではと迷っている。

無症状でも陽性は在り得る。もしそうなったら仕事はどうすれば良いのか。

そんな考え自体が不謹慎なのかもしれないと罪悪感も感じるのだった。

今までとは事情が違う。自分が感染源になる可能性もあるのだと思う。


義父はもうあっけらかんとしていてマスクも着用しない。

それを咎める勇気がない。見て見ぬふりをするばかり。

来客するお客さんも殆どがマスクを着用していないのだった。

暑さのせいもあるだろう。まして小さな山里のことでもある。


けれどもそんな山里にも今日は5名の感染者が出たようだ。

誰もがもっと危機感を感じるべきなのではないだろうか。

私は人一倍神経質なものだから怖くてならなかった。



帰宅して今日もマスク着用で家事をしていたら

あやちゃんが「おばあちゃん気にせんでもええよ」と言ってくれる。

優しい子だなとつくづく思った。私を信じてくれているのだろう。

じいちゃん(夫)も娘一家も元気でいてくれてほっと救われている。

もし私が感染していたら真っ先にじいちゃんに感染するだろう。

「俺はぜんぜんなんともないぞ」その言葉がとても心強い。


12日の金曜日に内科を受診する予定なので

医師に相談してみようかとも思っている。

まともに話せる医師ではないけれど少しは親身になってくれるだろう。

その医師も濃厚接触者となり昨日まで病院を休んでいたそうだ。

公式のSNSで今日そのことを知ったばかりだった。

もし全く親身になってくれなかったらもうこそ縁を切ろうと思う。


とにかくあと3日。なんとしても無事に乗り越えなければいけない。

家族を守りたい。ひたすらそう願い続けている。





2022年08月08日(月) まさかの濃厚接触者

厳しい残暑。暑さで有名な江川崎では猛暑日だったようだ。

「立秋」を待ちかねていたのに今度は「処暑」を待っている。

秋風が吹き始めるとなんとなく寂しくなってしまうのだけれど

それを求めているのだろうか。自分の心がふと解らなくなってしまう。



エアコンを一晩中点けっぱなしにしていたせいだろうか

今朝は目覚めるなり喉に違和感を感じていた。

寝冷えだろうとさほど気にもせずに山里の職場に向かったのだけれど

職場に着くなり義父が「大変なことになったぞ」と血相を変えて言う。


同僚ではないけれど同じ敷地内で鉄工所を経営しているK君が

コロナに感染したらしい。昨日判明したのだそうだ。

数日前から微熱があると言っていたけれど「まさか」と云うより

「やっぱり」と思う気持ちが強かった。

そうして一気に大きな不安に襲われてしまったのだった。


義父は一緒に溶接の仕事をしており私も事務所でしばらく語らっていた。

私は常にマスクを着用しているけれど義父もK君もしていない。

濃厚接触者には違いなくすっかりパニック状態になってしまう。

私は特に喉に違和感があったのでよけいに気になってしまったのだった。


義父が保健所に電話をしてどうすれば良いのか対処策を訊ねた。

そうしたら接触から5日間症状が出なければ大丈夫だと言う。

今日で4日目だったので後1日様子を見るようにと言われた。

会社の営業も通常通りで差支えないらしい。

けれどもどうしてすぐに平常心に戻れるだろうか。

まるで悪夢を見ているような気持ちになってしまう。


帰宅して家族に事情を話しマスク着用で家事をしていた。

これまでなんとしても家族を守りたいとどれほど願ったことだろう。

まさか自分がこれほどの危機に見舞われるとは思ってもいなかった。


幸い喉の違和感は夕方には薄れ今は殆ど感じなくなった。

明日までに発熱が無ければもう大丈夫かもしれない。


どれほど平穏無事を祈り続けていてもこんな日もある。

何事も試練だと口癖のように言っていてもさすがに参った1日だった。









2022年08月07日(日) 定命を知らずままに秋が立つ

「立秋」秋の気配がほの見えるころ。

ちいさな秋は夜明け前の虫の音から始まる。

りりんりりんと今朝は鈴虫の声が聴こえていた。

日中は厳しい残暑となったけれど幸い猛暑日にはならず

風もあり心地よいほどの暑さとなった。



早朝やっとお大師堂へ。お参り仲間の従兄弟から花枝の傷みを聞いていたので

まずは花枝を切りに畑へと足を運ぶ。

畑と云っても今はその面影も無く夏草の生い茂った荒れ地であった。

姑さんが健在だった頃には見事に手入れをしてあり季節ごとの野菜が

たくさん育っていたのだけれど、なんだか申し訳ないような有り様である。

その畑の隅に3本のシキビが植えられていて今でも活き活きと育っている。

枝ぶりがとても良いのだ。まるで姑さんの魂が宿っているかのよう。

「お大師さんへ持って行くね」と声を掛けて枝を数本切り落とした。


お大師堂へ着くと日捲りの暦が金曜日のままだった。

Sさんも来れない日があるのだろう。なにしろこの暑さである。

草刈りも出来ないらしくお堂の周辺は夏草が生い茂っていた。

疎かにしているのは私だけではないのだと思えば少し気も楽になる。


花枝を活け替え蝋燭に火を灯しお線香を2本立てる。

本来は3本らしい。お大師さんと家族と自分の分だと聞いたことがある。

お線香を折ってはいけないとも云う。寿命が縮まるのだそうだ。

けれども私はあまり拘らない。2本で十分に思うのだった。

寿命は定命であり生まれた時からすでに決まっていることらしい。

どれほどもがいてもどれほど願っても定命が尽きればあの世へ逝く。


般若心経は心を清め穏やかにする。謂わば精神安定剤のようなものだ。

唱えたからと云って救われる訳でもないけれど

不思議と充実感を感じる。たとえそれが自己満足だとしても

生きている限り唱えたい呪文のようなものなのかもしれない。


「お願いします。守って下さい」それは不安で心細いからこそのこと。

定命を知らされることもなくどれほど生き永らえられるのだろうか。


欲深い私はとにかく生きたくてならないのだった。





2022年08月06日(土) 青春は記憶の底から蘇る

猛暑は和らいでいたけれど午後は突然のにわか雨。

慌てて洗濯物を取り入れたりしていた。

その後しばらく雷雨となったけれど今は晴れている。

ほんのりと茜色の空を仰ぎつつ平穏無事を噛みしめているところだ。


広島原爆投下から77年目の夏。報道は年々少なくなっているようだ。

沢山の尊い命が無残に失われ被爆された人達もどれほど多いことか。

10歳の子供が87歳になっている。その記憶を葬ってはいけないと思う。

もっと語り継がれるべきなのではないだろうか。





午前中はカーブスへ。午後は高校野球を観戦していた。

カーブスは今日も不完全燃焼で苛立ちばかりがつのる。

やはり気持ちの切り替えが必要に思うけれど上手くいかない。

継続は力だと云うけれど続けられるのか不安になった。


プロ野球には全く興味が無いけれど高校野球は好きだった。

若いって素晴らしいなと思う。それは青春そのものである。

第二試合の大分の明豊対群馬の樹徳の試合を夢中になって観ていた。

大分と云えば徳さんを思い出し徳さんも観ているかなと思う。

もちろん明豊を応援していたのは言うまでもない。

まさか逆転は無いだろうと最後まで信じていた甲斐があった。

7対3で明豊の勝ち。なんとも清々しい勝利であった。

二回戦も応援しようと思う。すっかり明豊のファンになる。



高校一年生の時だったか高知商業の益永投手に淡い恋をしていた。

恋と云うより憧れだったのだろう。私にとってはスターであった。

高知大会の予選も観に行き写真を撮らせてもらったこともある。

その時の益永君の照れくさそうな横顔が今でも忘れられない。

甲子園出場が決まった時には涙が出るほど嬉しかった。

そうして甲子園での活躍も熱狂的に応援したことだった。

益永君の青春は私にとっても青春だったのだと思う。

67歳の益永君を私は知らない。知らないほうが良いのかなとも思う。

けれども今でも野球に関わる仕事をしてくれていたらと願っている。

孫に野球を教えているかもしれない。それもほのぼのと目に浮かぶ。


青春とは程遠い年齢になってしまったけれど

記憶と云うものは本当に有難いことだとつくづく思っている。



2022年08月05日(金) もういいよとにかくさっさと眠りなさい

風があったせいだろうか少し猛暑が和らぐ。

空も入道雲ではなく秋を思わすようなうろこ雲が見えていた。

立秋を心待ちにしているけれどどうなるのだろう。

厳しい残暑が待っているような気がしてならない。


今日も局地的な豪雨のニュース。今度は福井県や滋賀県とのこと。

濁流が流れ込んだ家屋、土砂崩れで家を一瞬にして失った人達。

幸い死者は出ていないようだけれど生きた心地がしなかっただろう。

なんとも言葉にならない。映像を見ながら胸が詰まりそうだった。

せめて寄り添う気持ちを大切にしたいと思うばかりである。





仕事が一段落し明日は休めることになった。

けれども嬉しさよりもなんだか後ろめたくてならない。

職場は休みではないのだ。私一人が休んで良いものか。

同僚や義父に申し訳ない気持ちがつのる。

今日も汗だくになって頑張ってくれていたのだった。


私は自分さえ良ければと云う性分では決してない。

時には周りに気を遣い過ぎるのかもしれないけれど

それが損な性分だと思ったことは一度もない。

とにかくまあるく納めようと努力していることには違いない。


身勝手な行動は必ずトラブルを引き起こす。

それは母と一緒に仕事をしていて学んだことでもあった。

今さらここで母の悪口を並べ立てても仕方ないけれど

母ほど自己中心的であった人は他にいないのではないだろうか。


そんな母も今ではずいぶんとまあるくなった。

電話をするたびに「気をつけてよ」と口癖のように言う。

整形外科の件など口が裂けても言えなかった。

話せばきっと過剰に心配をすることだろう。


書いているうちに収拾がつかなくなってしまったようだ。

こんなはずではなかったと少し悔やんでいる。


ほろ酔っているうちにさっさと眠ろう。



2022年08月04日(木) 誰にでも明日が未来であるように

今日も厳しい暑さとなる。まさに「太陽がいっぱい」

ずいぶんと昔そんな題名の映画があったのではなかっただろうか。

観てはいないけれど薄っすらと憶えていてこれを記し始めて思い出した。

映画の内容も全く知らずにいてよくもまあ書いたものだと呆れている。

恥知らずなのだ。今に始まったことではないのでどうかお許し願いたい。



西日本は猛暑に見舞われたけれど山形や新潟、石川までも豪雨となり

家屋の浸水や崖崩れなど大きな被害があったようだ。

なんと気の毒なことだろう。とても他人事とは思えず胸を痛めている。

いつ何処で何があっても不思議ではない世の中なのだと思う。

人は自然の猛威に逆らえないけれど仕方ないことと一言では済まされない。

皆それぞれにどれほど平穏無事を祈っていたことだろうか。


私は毎朝般若心経を唱えているけれどついつい願ってしまうことが多い。

「お守りください」はもう口癖のようになってしまった。

そうそう願われても仏さまも途惑っておられることだろう。

そう思うと平穏無事はまるで奇跡のように感じるのだった。


そうなればもう感謝しかない。寝る前には「ありがとうございました」と

手を合わす。「どうか無事に朝を迎えられますように」とまた願う。

そんな日々の繰り返しだけれど心はとても平安であった。


何か悪いことがあってもこれは試練なのだと受け止められるようになった。

そうしてなんとしても乗り越えようと思う。

神さまも仏さまも乗り越えられない試練は与えないのだそうだ。


私は強くも逞しくもないけれど信じる気持ちを大切にしている。

この歳になっても希望を持って突き進んで行きたい。


信じてみませんか。明日と云う未来を。






2022年08月03日(水) 有り難くいただきますよ何事も

エアコンを付けても室温がすぐには下がらずやっと32度。

今日の最高気温はいったい何度だったのだろう。

猛暑日には違いなくうだるような暑さであった。


一際元気なのは百日紅の花。夏の陽射しによく映える。

それから鉄砲百合もあちらこちらに咲き始めている。

「鉄砲」と言うだけあって一見勇ましく見えるけれど

その花は純白でとても清楚で可憐な花であった。

夏の花は逞しく命が漲っている。暑さを物ともしない強さがある。




仕事を終えてから整形外科に行っていたけれど

先日の血液検査、尿検査ともに特に異常はなかったようだ。

いったい何を調べたのかよく理解できない。

数値を記した紙を貰ったけれど専門的なことが解るはずもなかった。

ただ「悪い病気ではないですよ」と医師は笑って言うのだった。


左足の痛みは我慢できない程では無くなりしばらく様子見となる。

けれども大きな病院なら即手術になるくらい悪いのだそうだ。

ちなみに入院となると一月はかかるらしい。とんでもない話である。

こればかりは仕事をリタイア出来てから考えようと思った。


「骨粗しょう症」は何もせずにいるとどんどん悪化するらしい。

とりあえずカルシウムの吸収を助ける薬を処方してもらう。

魚はほぼ毎日食べているけれど骨ごと食べる雑魚が良さそうだ。

煮干しを齧ってでもなんとしても乗り越えて行かねばならない。

今後整形外科とは長い付き合いになりそうだ。そう覚悟する。


駐車場に戻り車のドアを開けるなり「負けるもんか」と声が出る。

これくらいのことでへこたれる訳にはいかない。

今こそ強気になって立ち向かうべき時なのだと思った。


本音は悔しくてならない。どうして私がと情けなくも思う。

歳を重ねることはいくつもの試練を頂くことなのだろう。

それを有り難く頂くような私でありたいものだ。


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