ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年08月04日(木) 誰にでも明日が未来であるように

今日も厳しい暑さとなる。まさに「太陽がいっぱい」

ずいぶんと昔そんな題名の映画があったのではなかっただろうか。

観てはいないけれど薄っすらと憶えていてこれを記し始めて思い出した。

映画の内容も全く知らずにいてよくもまあ書いたものだと呆れている。

恥知らずなのだ。今に始まったことではないのでどうかお許し願いたい。



西日本は猛暑に見舞われたけれど山形や新潟、石川までも豪雨となり

家屋の浸水や崖崩れなど大きな被害があったようだ。

なんと気の毒なことだろう。とても他人事とは思えず胸を痛めている。

いつ何処で何があっても不思議ではない世の中なのだと思う。

人は自然の猛威に逆らえないけれど仕方ないことと一言では済まされない。

皆それぞれにどれほど平穏無事を祈っていたことだろうか。


私は毎朝般若心経を唱えているけれどついつい願ってしまうことが多い。

「お守りください」はもう口癖のようになってしまった。

そうそう願われても仏さまも途惑っておられることだろう。

そう思うと平穏無事はまるで奇跡のように感じるのだった。


そうなればもう感謝しかない。寝る前には「ありがとうございました」と

手を合わす。「どうか無事に朝を迎えられますように」とまた願う。

そんな日々の繰り返しだけれど心はとても平安であった。


何か悪いことがあってもこれは試練なのだと受け止められるようになった。

そうしてなんとしても乗り越えようと思う。

神さまも仏さまも乗り越えられない試練は与えないのだそうだ。


私は強くも逞しくもないけれど信じる気持ちを大切にしている。

この歳になっても希望を持って突き進んで行きたい。


信じてみませんか。明日と云う未来を。






2022年08月03日(水) 有り難くいただきますよ何事も

エアコンを付けても室温がすぐには下がらずやっと32度。

今日の最高気温はいったい何度だったのだろう。

猛暑日には違いなくうだるような暑さであった。


一際元気なのは百日紅の花。夏の陽射しによく映える。

それから鉄砲百合もあちらこちらに咲き始めている。

「鉄砲」と言うだけあって一見勇ましく見えるけれど

その花は純白でとても清楚で可憐な花であった。

夏の花は逞しく命が漲っている。暑さを物ともしない強さがある。




仕事を終えてから整形外科に行っていたけれど

先日の血液検査、尿検査ともに特に異常はなかったようだ。

いったい何を調べたのかよく理解できない。

数値を記した紙を貰ったけれど専門的なことが解るはずもなかった。

ただ「悪い病気ではないですよ」と医師は笑って言うのだった。


左足の痛みは我慢できない程では無くなりしばらく様子見となる。

けれども大きな病院なら即手術になるくらい悪いのだそうだ。

ちなみに入院となると一月はかかるらしい。とんでもない話である。

こればかりは仕事をリタイア出来てから考えようと思った。


「骨粗しょう症」は何もせずにいるとどんどん悪化するらしい。

とりあえずカルシウムの吸収を助ける薬を処方してもらう。

魚はほぼ毎日食べているけれど骨ごと食べる雑魚が良さそうだ。

煮干しを齧ってでもなんとしても乗り越えて行かねばならない。

今後整形外科とは長い付き合いになりそうだ。そう覚悟する。


駐車場に戻り車のドアを開けるなり「負けるもんか」と声が出る。

これくらいのことでへこたれる訳にはいかない。

今こそ強気になって立ち向かうべき時なのだと思った。


本音は悔しくてならない。どうして私がと情けなくも思う。

歳を重ねることはいくつもの試練を頂くことなのだろう。

それを有り難く頂くような私でありたいものだ。



2022年08月02日(火) 泣くほどの笑い話を待っている

夜明け前に虫の声を聴く。コウロギではないだろうか。

立秋も近くなりささやかな秋の気配を感じる。

日中はほぼ猛暑日となったけれど関東の酷暑に比べれば

心地よい暑さと言って良いだろう。恵まれているのだと思う。

それより冷房の効いた事務所に座りっぱなしで心苦しくてならない。

敷地内の草引きをしようとしていたら義父に止められてしまった。

稲刈りが終わって一段落したら草刈り機で刈ってくれるのだそうだ。

最近の義父はとても優しい。それがほっと嬉しくてならない。





郵便局の由美ちゃんからとても愉快な話を聞いて涙が出るほど笑った。

とあるご老人が座薬を間違えて飲んでしまったのだと言う。

飲み薬にしては大きいので鋏で半分に切ったのだそうだ。

医師から座ってするように言われたのでちゃんと座って飲んだと言う。

そうしたら数時間後に酷く胸やけがしたらしい。

異変を感じた娘さんが医師に相談しやっと間違いに気づいたのだった。

幸い胸やけ以外に身体に支障はなく笑い話で済んだとのこと。

その話を娘さんが面白がって皆に言いふらしているらしい。


高齢者には在りがちなこと。笑ってはいけないのかもしれないけれど

由美ちゃんの話し方がユーモアたっぷりで笑わずにはいられない。

「また笑わせちゃるけんね」と言って配達に出掛けて行った。


お腹を抱えて涙が出るほど笑ったことがあっただろうか。

かつてあったような気もするけれど随分と昔のことに思える。

「笑う」って幸せなことだなと思った。心が大喜びしている。


由美ちゃんは私より一つ年下だけれど現役の郵便配達員をしている。

バイクに乗って颯爽と村中を走り回っているのだった。

その姿にどれほど元気を分けてもらっていることだろう。

そろそろ引退も近いらしく「もうちょいよ」と言っている。

由美ちゃんに会えなくなるのがとても寂しくてならない。

今度はいつ笑わせてくれるのだろう。私はまた涙を流したい。

由美ちゃんとのお別れも笑い話になってくれたらいいなと思う。



2022年08月01日(月) 後悔はいつも後の祭りです

晴れてはいたけれど時おりぱらぱらと雨が降る。

「狐の嫁入り」と云うのだろうか。大気が不安定だったようだ。


家中のカレンダーを捲る朝。なんとも清々しく感じる。

「さあ始めよう」と思った。一歩踏み出すような気持ちになる。

そんな新鮮な気分になったのは久しぶりのことであった。

このところ少し荒んでいたのではないだろうか。

卑屈な気分は己を貶める。嘆けば嘆くほど傷つくばかりである。

可哀想な人であってはならない。もっと胸を張るべきなのだ。




仕事を終えての帰り道、ダム湖の橋の上でMさんの後姿を見つける。

ふらふらとよろめくように歩いていてよほど暑さが堪えていたのだろう。

すぐに車を停めて声を掛けたのは言うまでもない。

てっきり延光寺に向かっているのだと思っていたけれど

竹島大師堂まで帰ってゆっくり休みたいと言うのだった。

私も帰り道なのですぐに了承するべきであったけれど

途中で買物もしなければならず即答できなかったのだった。


Mさんは一瞬残念そうな顔をしたけれどすぐに笑顔になり

「大丈夫、やっぱ先へ進むわ」とお遍路を続ける気になったようだった。

「くれぐれも気をつけてね」と手を振って別れたのだけれど

その後すぐに後悔のような複雑な思いが込み上げて来る。

Mさんの望みを叶えてやるべきだったのではないか。

買物は後からでも出来る。真っ直ぐにお大師堂へ向かえば良かった。

Mさんにとってお大師堂は唯一寛げる場所なのに違いない。


それも後の祭りとなり後悔だけが残ってしまった。

「買物をせんといかんのよ」とどうして言ってしまったのだろう。

もし先に買物をしていてもMさんの夕食を整えてやりたかった。

そんなに大したことは出来なくてもお弁当ぐらいは買えただろうに。


野宿ばかりのMさんのことが気掛かりでならない夜になった。

無事に延光寺に着いただろうか。テントを張れただろうか。

夕食はどうしただろう。食料を買うお金があっただろうか。

後から後から色んなことが押し寄せて来る。


Mさん今日はほんとうにごめんなさい。

私はもっともっと気遣ってあげるべきでしたね。



2022年07月31日(日) あるがまま愚かな自分を愛したい

夜中から早朝にかけて時おり強い雨となる。

酷く蒸し暑くエアコン無しでは眠れなかった。

また新たな熱帯低気圧が発生しており夏空は程遠いのだろうか。

七月も晦日となり立秋まであと七日になった。


お大師堂の花枝がそろそろ枯れているのではと気になりつつ

行動しようとする気力がない。なんと疎かなことだろう。

自分を情けなく思いながら来週こそはと思っていた。

以前は毎日だったのが週に一度になりとうとう月に一度になってしまう。

そのくせ管理をしているなどと偉そうなことを言っている。



つい先日猿の花子のことをここに記したけれど

なんとなく気になって猿の寿命について調べてみた。

そうしたら日本猿の場合ほぼ27年が寿命だと判明した。

当時の花子がいったい何歳だったのか知る由もないけれど

現在80歳だなんてとんでもないことを書いてしまったようだ。

猿は人間の祖先のように思っていたので長命だと思い込んでいた。

雌なので子は産んだかもしれないけれどそれも定かではない。

もしかしたら檻の中で息絶えてしまったのかもしれないのだ。

そう思うとなんとも憐れでならなかった。

旧い学校史のようなものがあれば花子のことが記されているかもしれない。

そうは思うものの今の私にいったい何が出来るのだろうか。

もし母校を訪ねることが出来たとしても訊ねる勇気さえもないのだった。


無知無学の故とんでもない誤りを記してしまうこともある。

だから私の書くことを信用してはいけない。私は馬鹿なのである。


半世紀にわたり詩や短歌を書き続けて来た。

この拙い日記も20年目となってしまったけれど

私は全く成長していないのかもしれない。

誇りはあるけれど自信は全くないのが「とりえ」なのだろうか。

自分らしさとは何だろうと最近よく考え込んでしまう。


あるがままの自分を愛すること。かっこつければそう云うことかもしれない。







2022年07月30日(土) 頑張らずひっそりと咲く花がある

雨が降ったり止んだり。時おり激しく降る。

気温はさほど高くはなかったけれどとても蒸し暑い一日だった。

読書が遅々として進まず。やはり夏には向かないようだ。

エアコンを付ければ快適だけれど光熱費が気になってしまう。

私は静かな場所を求めるしたとえ家族でも人が居る場所で本を読めない。

気が散って集中出来ないのだ。それでは読書の意味がない。

困った性分だなと思う。それも我儘なのだろう。




午前中に二週間ぶりにカーブスへ行っていたけれど不完全燃焼。

これも困った性分でどうやらちやほやされたくてたまらないらしい。

気分は低迷しており「楽しもう」と云う積極的な気持ちもない。

嫌々やっているものだから面白くもないのは当然のことである。

筋トレとストレッチを終えてアンケート画面をタッチしたが

「楽しくなかった」と押し「続けられるか不安である」を押す。

正直に応えたつもりではあるが所詮ひねくれ者なのであろう。

何事も気の持ちようだと分かっているけれど思うようにはいかない。


先日の整形外科で医師から「カーブスは良いから続けなさい」と。

言ってもらった時には目の前が明るくなったのだけれど

相変わらずの左足の痛みについつい気が滅入ってしまうのだった。

溌剌と動いている人が羨ましくてならない。それが僻みにもなる。

自分は自分だと割り切れることが出来たらどんなに気が楽だろう。


けれども希望が全く無い訳ではない。この試練を乗り越えれば

きっと明るい未来が待っているに違いないと信じる気持ちはある。


人生には山もあれば谷もある。野原だってあるのに違いない。

その野原にひっそりと咲く一輪の花のように生きたいと思う。


頑張れないことがあってもいい。

きっと救われる日が来るだろうと信じてやまない。



2022年07月29日(金) 猿ものは追わないけれど懐かしき

台風の影響だろうか大気が不安定だったようだ。

雨が降ったり止んだりで午後には風が強くなる。

幸い直撃は無さそうだけれど明日は大雨になるかもしれない。


今朝は山道に差し掛かる前にお遍路さんに声を掛けることが出来た。

立ち止まって地図を広げていたので気になってしまったのだ。

「道は分かりますか?」と訊いたら「はい、大丈夫です」と。

一瞬お節介だったかなと思ったけれど笑顔に救われたような気がした。

「お気をつけて」と声を掛けたら「ありがとうございます」の声。

ささやかなことだけれどとても清々しい気持ちになった。

躊躇ってはいけないのだなと思う。これからも進んで声を掛けよう。





夕方のニュースで民家に野生の猿が侵入し住民に危害を加えたらしい。

ちょうど孫たちも見ていて思わず「おばあちゃんも噛まれた」と。

決して自慢することではないけれどつい自慢げな口調になる。


小学生の頃、学校で何故か猿を飼っていたのだった。

校庭の隅に檻があり猿の名は「花子」と言った。

その花子よほど賢かったのだろう度々檻の鍵を外し脱走するのだった。

「生徒はみな教室に入りなさい、外に出てはいけません」

あれは校長先生の声だったのだろうか、記憶は定かではないけれど

用務員をしていた母の声ではなかったようだ。

昼休みのことで私は校庭で遊んでいたのだけれど

逃げようとはせず花子に襲われてしまったのだった。

左足を噛まれもの凄い痛みで血がいっぱい出た。

けれども不思議と恐怖心が湧いて来なかったのだ。

もしかしたら花子に親近感を抱いていたのかもしれない。

いつも檻の中に居る花子は愛嬌がありとても可愛らしかった。


友達はみな逃げて教室に駆け込んでいたのだけれど

私は逃げなかった。その時の心境は今もってよく分からない。

花子と遊ぼうと思っていたのかまるで仲間のように思っていたのか。


そうして私は再び噛まれた。そうなればもはや名誉の負傷である。

学校でも前代未聞のことだったようで「二度も噛まれた少女」となる。

そんなことで有名になってもどうしようもないけれど

私は何故か誇らしかった。花子に噛まれた傷跡を見せびらかしたりする。


小学四年生になる前に父の転勤で転校することになった。

その頃にはもう花子は何処にも居なかった。

いつの間にか姿を消していたように記憶している。

元々野生の猿だったのかもしれない。山に放されたのだろうか。


傷跡は65歳になった今もはっきりと残っている。

花子との思い出と言っても良いだろう。懐かしい痛みであった。


猿の寿命には詳しくはないけれど

もし人間と同じならば80歳位ではないだろうか。

子もいれば孫もいるだろうひ孫もいるかもしれない。

花子は私を噛んだことを憶えているだろうか。




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