雨が降り始めるまでのなんと蒸し暑かったこと。
出勤時の8時には気温が30度を超えていた。
不快指数百パーセントとはそんな朝を云うのだろう。
山里では「お日和とんぼ」が群れをなして飛び交っていた。
祖母だったか母だったか忘れたけれど雨が降る前兆だと聞いたことがある。
その通りとなりやがて大粒の雨が降り始めたのだった。
高知県は線状降水帯からは離れており豪雨にこそならなかったけれど
九州や中国地方などでは冠水の被害が少なからずあったようだ。
そんなニュースを聞くたびにとても他人事とは思えない。
明日は我が身である。何があっても不思議ではない世の中なのだった。

仕事が忙しく少し遅くなったけれど母の新しい携帯を届けに行く。
ずっと面会禁止の状態が続いており直接手渡すことは出来なかった。
昨日、弟が孫の写真を送信してくれて待ち受け画像にする。
それもちゃんと説明してやりたくて夕方母に電話をしたら
開口一番に「ポリデントが無い」と苛立った声が聴こえて来る。
前もって施設の職員さんから連絡をしてくれていたらと残念に思う。
今日行ったばかりでまた出直さなければいけないと母に告げると
「無くても死にはしない」とこれもまた苛立った声に聴こえる。
私もつい声を荒げてしまったのでとても穏やかな会話は出来なかった。
よく聞けばもう随分前から無くなっていたのだそうだ。
ケアマネさんとは何度か話したのに伝わっていなかったのだろう。
そうなると私の頭の中はポリデントでいっぱいになる。
明日にでも買い求めて届けてやらねばと思わずにはいられなかった。
母は「無理せんでもええわ」と言い、「どうでもええわ」とも言う。
それを母の本心だと決めつけるほど私は愚かでもない。
汚れた入れ歯で過ごしている母をただただ不憫に思うのだった。
母にしてみれば娘だからこそ言えることなのだろう。
それは決して我儘ではなくささやかな甘えなのではないだろうか。
またこれからいくらでも穏やかな会話が出来ることだろう。
私はあくまでも優しい娘で在り続けたいと思う。
薄曇り。朝の涼しさもつかの間のこと日中はかなり蒸し暑くなる。
大量の洗濯物が乾燥機に入りきらずいちかばちかと
外に干していたら思いがけずによく乾いていて嬉しかった。
たかが洗濯物に一喜一憂するのも可笑しいことだけれど
私にとっては重要なことで乾かないとがっくりと落ち込んでしまうのだ。
些細なことがストレスになる。そんな自分にうんざりしてしまう。
朝のうちに同人誌へ掲載してもらう短歌をメール送信する。
全部で16首。相変わらずの愚作ばかりで反応が怖くてならない。
詩はいっさい受け付けないと言われており短歌だけが頼りだった。
その短歌も見捨てられたらもう私の居場所は無いに等しい。
いずれ破門もあり得ることで常に覚悟が必要であった。
身の程を知り自ずから退くことも考えてはいるけれど
とにかくしがみつくこを選ぶ。それは命がけの行為でもあった。
気がつけば認められないことに慣れてしまっている。
仲間も誰一人いない。なんと孤独なことだろうと惨めにもなる。
被害妄想気味にもなり自分は虐められているようにも感じるのだった。
俳人の杉田久女は高浜虚子の「ホトトギス」を突然に追放された。
それでも俳句を諦めずに書き続けていたらしい。
けれどもそれを発表する場を失いどれほど苦しかったことだろう。
経済的な理由も在り句集を発刊することも叶わなかった。
ついに精神を病み戦後の精神病院でほぼ餓死の栄養失調で亡くなっている。
戦後の最悪の食糧難は今では考えられない程に深刻だったのだ。
まさに命がけで俳句と向き合った壮絶な人生だったのだと思う。
今回、田辺聖子の「花ごろもぬぐやまつわる」を読了し
深い感動と言葉に出来ないような哀切を感じずにいられなかった。
明日は我が身とまでは云えないまでも
私も命がけで立ち向かっていかなければならない。
| 2022年07月17日(日) |
初蝉に恋しくおもう母の声 |
つかの間の青空。午後にはぽつりとにわか雨が降る。
今朝は今夏初めて蝉の声を聴いた。まだか細い鳴き声であったけれど
夏らしさが嬉しくなって思わず微笑まずにはいられなかった。
「初蝉」と云うのだろか。なんだか俳句が出来そうな気がする。
蝉は地上に出てから8日しか生きられないと聞くけれど
なんと儚い命だろう。それでも決して嘆いてなどいない。

午後、母の携帯の機種変更にドコモショップへ行く。
本人確認の手順を踏まねばならずそうそう簡単にはいかない。
施設に電話して電話口まで母を連れて来てもらった。
それも車椅子でのことで介護士さんに面倒を掛けざるを得ない。
店員さんが母と話す前に事情を説明しやっと母は理解したようだった。
「そういえばケイタイがないね」と言って笑わせてくれる。
店員さんが生年月日を訊ねてはらはらしたけれど
母はしっかりと応えたようだ。ほっと胸を撫で下ろすばかり。
そうしてやっと本人確認が整い手続きを進めることが出来た。
けれども古い携帯は故障しており電源も入らないらしく
データーを移行できないかもしれないと言われ焦りまくる。
店員さんがあれこれと試してくれていたら一瞬電源が入ったようだ。
「とにかくやってみましょう」その待ち時間もはらはらし通しだった。
「出来ましたよ」その声を聴くなり目の前がぱあっと明るくなる。
直ぐに母に届けてやりたかったけれどそれは叶わず。
病院が休診の日は玄関が閉まっており家族であっても立ち入り禁止なのだ。
この4月からそんな規則が出来たらしくなんとももどかしいこと。
仕方なく連休明けの火曜日に届けることにしたのだった。
今日は少しだけ母の声を聴けて嬉しかった。
薄情な娘であってもやはり本音は恋しくてならないのだろう。
いつの間にか以前のような躊躇いは消え失せてしまっている。
私にも人恋しい夜がある。無性に誰かと話したくてたまらない夜に
母はいつでも待っていてくれるのだ。
「変わりないかね、元気かね」その声を聴くととてもほっとする。
相変わらずすっきりしない天気が続いている。
朝のうちは涼しかったけれど午後から一気に蒸し暑くなった。
今夜は小学校で「夏祭り」が行われるのだそうで
孫たちが楽しみにしており先ほど出掛けて行った。
めいちゃんは浴衣を着たのだけれどあやちゃんは嫌だと言う。
「暑いし動きにくいやんか」確かにその通りである。
女の子らしいおしゃれを選ぶより現実的であるのが面白い。
けれども見たかったなと思う。ささやかな憧れのようなもの。

午前中に恐る恐るであったけれどカーブスへ行っていた。
先週のこともあり出来るかどうか不安でいっぱいだった。
幸い足の痛みは薄れておりなんとか出来たのだけれど
コーチの気遣いが全く感じられずいささか不服気味となってしまう。
私は余程いじけやすい性格なのだろう。一言で良いから
「足は大丈夫ですか?」と訊いて欲しくてたまらなかった。
他の元気なメンバーと一緒にされてはたまらない。
そう思うと腹も立って来てふくれっ面をしてしまうのだった。
マシンを使っているとコーチが寄って来て励ましてくれるのだけれど
それも気に入らない。とにかくそっとしておいて欲しい。
マイペースで無理のないように心がけているのだから。
励まされたら気が滅入る。褒め言葉などももちろん不要である。
張り切って一生懸命に頑張れたらどんなに良いだろうか。
それが出来ないから苦しんでいることをどうか分かって欲しいのだ。
終始苛々とするばかり。身体を動かした後の爽快感は皆無であった。
溜息をつき肩を落として帰路につく。なんだか涙が出そう。
メンタルが落ちているのが自分でもよく分かる。
これではいけないなと思うのだけれどどうしようも出来ない。
「悔しさをバネに」とか「やれば出来る」とか
常日頃から自分に言い聞かせているのだけれど
自己暗示力も極めて衰えているようであった。
こんな時はとことん落ち込んでしまうのが得策かもしれない。
そうすればまた這い上がろうとするのではないだろうか。
自分を守れるのは他の誰でもない。自分自身なのだと思っている。
戻り梅雨と聞いて幾日目だろう。今日も夏空は見られず。
それでも稲穂は日に日に色づき微かに頭を垂れている。
逞しいものだなと思う。人もそうでありたいものだ。
私はなんとなく負の感情が勝りすくっと顔を上げられずにいる。
ついつい悪いことばかり考えてしまう。これも短所なのだろう。
それから少し涙もろくもなってしまった。
特に優しい言葉に弱い。すぐに目頭が熱くなってしまうのだった。
時にはそっとしてほしいと願う。誰とも関わりたくないとさえ思う。
今さら楽天家にはなれはしない。あっけらかんと生きるのは難しい。

仕事を終えていつもの病院へお薬を処方して貰いに行ったら
受付の職員さんに「来月は診察を受けて下さいね」と言われた。
それが威圧的に感じ少しむっとする。思わず「嫌です」と応えたら
「そう云う訳にはいきませんよ」と睨み付けるので余計にむっとする。
「じゃあ考えておきます」と言って逃げるように薬局に向かった。
元々の主治医は人気者で予約制になっており私などは時間の余裕がない。
仕方なく若手の医師のお世話になり始めてから数年が経った。
心療内科は専門外なのかいつだったか私を泣かせたこともある。
その時は何があっても自己責任ですよと言って私を追い詰めたのだった。
もう二度と話したくないと思った。その気持ちは今でも変わらない。
その医師と向き合わなければいけないのが大きなストレスとなっている。
じいちゃん(夫)に相談したらとにかく余計なことを話さないこと。
「お変わりないですか?」と訊かれたら「はい」と応えれば良いと。
ふつふつと胸に込み上げて来ている灰汁のようなものは
行き場を失いまた延々と巣くい続けることだろう。
あれこれと考えても仕方のないことなのだ。
勇気とは少し違うかもしれないけれど来月は診察を受けようと思う。
そう決めると少しこころが楽になったような気がする。
何事も当たって砕けろなのかもしれない。
曇り日。薄っすらではあるけれど西の空が茜色に染まっている。
聴こえるのはホトトギスの鳴き声。なんだかとても必死であった。
まるで何かを訴えているような。とにかく聴いてやらねばならない。
語り合うことが出来たらどんなによいだろうか。
それはいつも一方通行で私の片想いのようでもある。
夜明け前に耳にすることが多いだけに夕暮れ時には切なさよりも
力強さを感じるのは不思議なことだなと思う。

仕事から帰宅したら小学校から電話がありあやちゃんが腹痛とのこと。
保健室で休んでいるらしく少し早めに迎えに行っていた。
今日はプールの授業がありその後の腹痛らしかった。
顔色が少し悪かったけれどけっこうあっけらかんとしている。
下痢もないようだし心配する程のことではないだろう。
夕食の支度をしていたら娘が帰って来ていきさつを話したら
「そろそろかもね」と二人で頷きあったことだった。
先月に初潮を迎えておりほぼ一月が経っている。
こればかりは女の子の宿命でどうしようもできないことであった。
とにかくそっと見守るしかない。いくら家族でもタブーである。
私も書くべきではないと今まで触れずにいたことであった。
あやちゃんが知ったらきっと傷つくことだろう。
たとえ日記だとしても家族のプライバシーを守らねばならない。
公開されいてることを前提として慎重に対処するべきなのだろう。
そのぶん自分を曝け出す。ありのままを記したいと思っている。
少しずつ私は変わって行くかもしれない。
たとえどんなにつまらない日記でも私の「いのち」を信じて欲しい。
| 2022年07月13日(水) |
文学少女の成りの果て |
おおむね晴れ。やはりまだ夏空とは云い難い。
湿度が高くただただ蒸し暑さを感じる。
そういえば蝉の声もまだ一度も聴いておらず
真夏と云うにはもうもうしばらく待たねばならないのだろう。
例年ならそろそろ海苔網を洗う時期ではあるけれど
不安定な天気が続いており先延ばしにしている。
そうして少しずつ準備をするつもりではあるけれど
来年の春にまた全滅ならばもう諦めようと話し合っている。
ほんとうに博打のようなものだとはよく言ったものだ。
丁とでるか半とでるか誰にも分かりはしないのだった。
全く希望が無い訳ではない。とにかくやってみなければ。

読書が遅々として進まず。もう読み始めて10日にもなるけれど
一日一時間がやっとでほんの数ページしか読むことが出来ない。
NHK朝ドラ再放送の「芋たこなんきん」に刺激されて
田辺聖子の本ばかり読み続けていたけれど今回の本は極めて難解である。
「花衣ぬぐやまつわる」俳人の杉田久女について書いてある。
興味深い内容だけれどとにかく難読な漢字が多く読みづらいのだった。
なんとしても読了しようと頑張っているけれど打ちひしがれている。
朝ドラで見る作者が書いたものとはとても思えない作品であった。
家事をこなしながら片手間に書いた作品ではないことは確かである。
書きたかったことをついに書いた。作者の熱意が込められているのだろう。
ここで私が蘊蓄(うんちく)を述べても誰も喜びはしない。
所詮無知な文学少女の成りの果てである。
小説は書いても多額の金銭を要求され「本にしてやる」と言われ
詩を書いても短歌を書いても認められることは皆無であった。
それでも書かずにいられないのは生きた証を残したいからである。
もう少女ではないけれど涙を流しながら書いていたあの頃の私は
今でも泣きながら書き続けている。
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