戻り梅雨で大気が不安定だとか。夏空はしばらく見られそうにない。
こんな私でも主婦業があり毎朝大量の洗濯物に悩まされている。
今朝は雨だったけれど日中は陽射しがありそれを残念に思う。
乾燥機のお世話にならずとも十分に乾いただろうと悔しくなるのだった。
専業主婦なら臨機応変に対処出来ることだろうと思うとそれも悔しい。
仕方のないことに拘ってしまう私の短所のひとつであろう。
短所にはよく気づくけれど長所には全く気づかない。
私に長所はあるのですか?知っていれば教えて頂けないでしょうか。

このところ息子から何も音沙汰名が無いのでどうしているかと
噂をしていたら夕方久しぶりに電話があった。
お嫁さんの体調も落ち着いているようで何よりである。
家族3人の暮しを再開したばかりでどれ程心配したことだろう。
もうけい君が我が家に来ることも無くなり少し寂しくもある。
けれどもけい君が元気で笑顔で居てくれたらもう云うことはない。
どうか平穏無事が続きますようにとひたすら祈るばかりである。
優しいあやちゃんが「最近、けい君来ないね」と気遣ってくれていた。
ちゃんと説明してあげるべきだったとなんと迂闊だったことだろう。
ずっと親身になってくれていたことを今更ながらに気づいたのだった。
傷つきやすいけい君を守ってくれてほんとうにありがとうね。
私達も精一杯だったけれど息子の苦労も報われたのかもしれない。
この先またどんな困難が待ち受けているのか分からないけれど
きっと乗り越えられるだろうと信じてやまない。
| 2022年07月11日(月) |
めげるなよ、しっかりしろや |
明け方少し雨が降ったけれど日中は青空が見えていた。
それは真夏の空と云うよりなんとなく梅雨の晴れ間のような
陽射しは遠慮がちでまるで後ろめたいことがあるように感じる。
空の気分は如何なものか。打ち明け話があるのなら聴いてやりたい。
私も聴いて欲しいことがある。空になら話せるような気がするのだった。
職場の庭には百日紅(さるすべり)の花が満開となった。
これも母の育てていた花でふと懐かしさが込み上げて来る。
背を丸めて夏草を引いていた母の姿が目に見えるようだった。
百日咲くのか。本当に咲くのか。見守ってやりたいと思う。

先日から鎮痛剤を服用し続けているけれど今日もまともに歩けない。
薬が無ければどれほどの痛みだろうと思うと怖ろしくもなった。
仕事で県税事務所に行っていたけれどエレベーターは無く
必死の思いで階段を上がって行く。「頑張れ、頑張れ」
やっと着いたと思ったら会社の代理人確認で免許証が要るとのこと。
うっかり車中に置いておりまた駐車場まで戻る。
そうしたら今度は書類に不備があり受付が出来ないと言われた。
もう目も当てられない。すっかり打ちひしがれるばかりであった。
とにかく落ち着こうと車中で煙草に火を点ける。
気がつけば涙が溢れていた。悔しいのか情けないのかよく分からない。
そうして「めげるなよ、しっかりしろや」と声を上げていた。
これくらいのことで負けてどうする。そう自分に言い聞かせていた。
思うようにいかないことは日常茶飯事だとも云えよう。
すべてのことが順調とは限らない。それは世の常でもある。
その時にどう対処するのか。これは自分のメンタル次第である。
弱いのなら強くなる。それは決して無理をすることではない。
辛いことが多いほど人は成長するのだと思っている。
辛さに感謝するくらいでないと乗り越えられないのかもしれない。
今こそ試練を頂き「ありがとうございました」と言うべきなのだろう。
泣きたい時は泣けばいい。笑える日には笑えばいい。
私は自分の一歩を信じたい。きっと救われる日が来るだろう。
おおむね晴れ。真夏日となりこの時期らしい蒸し暑さだった。
早朝の涼しいうちにお大師堂へ。花枝(しきび)が気になってならず
活け替えようと持参していてちょうど良かった。
夏はどうしても長持ちしない。萎れて葉が落ち始めていた。
お大師堂のすぐ近くの河川敷に車を停めたのだけれど
お堂までの30メートル程の距離が辛くてならない。
一歩一歩と自分を励ましながらなんとか辿り着いた。
お堂の傍らには浜木綿(はまゆう)の花が咲いており
まるで人影のように佇み私を待っていてくれたようだ。
毎年のことでSさんに無残に刈られてしまうのだけれど
今年は気が向かなかったと見える。Sさんの気まぐれに感謝だった。
花枝を活け替えるとなんとも清々しい気持ちになる。
役目を果たした達成感のようなものだろうか。
義務なのではなく「与えられたこと」と受けとめるばかりである。
川のせせらぎの音を聴きながら拙い般若心経を唱えた。
近況報告をしながらつい欲が出て自分の足のことを祈ってしまう。
完治は望めないとしてもせめて痛みが薄れますように。
なんだかお大師さんが苦笑いしているようでもあった。

午後はドコモショップへ。じいちゃん(夫)の機種変更と
母の携帯の修理を依頼しに行ったのだけれど
なんと思いがけず3時間も掛かり酷く疲れてしまった。
母の携帯は修理不可能と言われ機種変更するしかないらしい。
それも本人確認が必要らしくいくら娘でも駄目だと言われた。
施設に入居していることを伝えたらとにかく意思確認をと言う。
そうそう簡単にはいかない。臨機応変ともいかないようだ。
仕方なく来週の日曜日に再度予約を入れて帰ることになった。
施設に予め連絡をしショップの人が母と話をするらしい。
母はどんなにか戸惑うことだろう。それも気がかりなことであった。
娘は娘。母は母。代理では何事も整わないことを強く実感する。
けれども母とはなんとしても繋がっていたい。
こんな時に限って母の声を聴きたくてたまらない私であった。
今朝は今にも雨が降り出しそうな空模様であったけれど
日中は思いがけずにつかの間の青空となる。
職場の庭の片隅に純白の芙蓉の花が咲いており
これも母の育てていた花とその面影を重ねずにいられない。
雑草が背高く生い茂り近づくことが出来ず
まるで母との距離を物語っているようであった。

週一のカーブスを終えてから職場に向かう予定だったけれど
今朝は左足の痛みが酷く思うように動けない。
どうやら先日の右足の痛みを左足が庇ってくれていたらしい。
知らず知らずのうちに無理をしてしまったのだろう。
カーブスを休むことも考えていたけれど「もしかしたら」と思う。
やってやれないことはないかもしれないと思ったのだった。
けれどもやはり出来なかった。悔しくて情けなくてならない。
自分の中で焦る気持ちが大きくすっかり意気消沈してしまった。
駐車場の車から整形外科に電話をして鎮痛剤の処方を乞う。
仕事に行かねばならず時間が無いことを伝えると
医師が「すぐに来なさいや」と言ってくれてどれほど助かったことか。
「無理したらいかんろ、仕事も休んだや」とも言ってくれる。
本当に優しい医師に巡り合えたことを今更ながら感謝するばかりだった。
患者の苦痛に真摯に向き合って誠心誠意で救おうとしてくれるのだ。
まるで神様のように思えて感激で胸がいっぱいになった。
11時過ぎには職場に着き4時間程仕事をする。
鎮痛剤はすぐに効いてくれてずいぶんと楽になっていた。
もしかしなくてもずっと服用し続けることになるだろう。
中毒性も考えられなんとなく不安になってしまうけれど
もはや医師の言葉と薬だけが頼りに思えてならなかった。
気力だけでは治せないのだとつくづく思ったことだった。
この先私はいったいどうなってしまうのだろう。
どうしても楽観視出来ないでいる。
けれども立ち向かう勇気はほんの少しだけあるような気がする。
曇り日。薄っすらと陽射しもあった。
お昼前に衝撃的なニュースが流れ驚く。
安倍元首相が奈良で銃撃されたと云うこと。
心肺停止ではもはや絶望的だろうと思うしかない。
夕方のニュースで死亡の発表があった。
人の命とはなんと儚いものなのだろうか。
悲しみよりも理不尽な思いが込み上げて来てならない。
67歳、まだまだこれからの人生だったことだろう。
ありきたりの言葉で冥福を祈ることなど出来はしなかった。
どんなにか悔しく無念だったことだろう。
人は死に方を選べない。それは一瞬で命を失うこともあるのだった。
仕事を終えてから母の施設がある病院を訪ねる。
一昨日から携帯電話が繋がらなくなっており
介護士さんに様子を見てもらたっらどうやら故障しているらしい。
母は特に気にしていないらしいけれど今は電話だけが頼りであった。
コロナ禍で面会は叶わずせめて声だけでも聴きたいと思う。
日曜日にドコモショップに行くことにして引き取りに行っていた。
介護士さんが母の写真を手渡してくれて嬉しかった。
けれども写真の母は泣き顔でなんとも憐れでならない。
ずっと美容院に行きたがっていたのを外出禁止となり
仕方なく施設の散髪屋さんにお願いしておいたのだった。
母も納得してくれていたので大丈夫だと高を括っていたけれど
いざ髪を切るとなると拒否反応が出たのだと思われる。
母にとっては初めての散髪屋さんであった。
「嫌だ、嫌だ」と泣きながら抵抗したらしくそれも母らしいこと。
切った後はけろりと笑顔になっていたと聞きほっと胸を撫で下ろした。
今はすべてにおいて「我慢」の時なのだろう。
けれども「希望」が全く無い訳では決してないのだと思う。
どれほど暗い世の中であっても光は分け隔てなく降り注ぐ。
命ある者は生きなければいけない。
ある日突然の死を怖れてはいけないのだとつくづく思った。
二十四節気の「小暑」いよいよ本格的な夏の始まりである。
「大暑」「立秋」と季節は巡って行くことだろう。
なんだか急ぎ足で背中を押され続けている様な気がしてならない。
自分が何処に向かっているのか分からず少し途惑ってしまうのだ。
それは老いなのかもしれないけれど不思議と焦りは感じない。
とにかく身を任せるしかない。なるようになるのだろうと思うばかり。
何処に向かっても生きてさえいればと希望を抱き続けている。
「七夕」でもあるけれど若い頃のように夢見心地にもなれない。
あまりにも醒めているような気がして少し白けてしまった。
おそらくそれは恋とは無縁になってしまったせいだろう。
逢いたい人も居ないのだ。天の川を渡る勇気さえもない。
そもそも私の目の前に天の川が無いのだ。その現実を受けとめている。
若い頃には死ぬまで女で在り続けたいと願ったものだった。
最期の時にその人の名を呼びたいとさえ思っていたけれど
それはまるで遠い日の記憶のように薄れていくばかりである。
私は「ひと」になりその命を全うしたいと願っている。
自分がどれほど生きて来たかそれは私自身が感じることだろう。
もしも願い事が叶うのであればありったけの命を下さい。
午後から青空となり真夏日の暑さとなる。
おひさまは元気なのが好い。心地よいほどの陽射しだった。
稲の穂が少し見え始めている。来月になればもう稲刈りなのか。
早いものだなと思いながらその逞しさに感動さえ覚える。
仕事を終えて整形外科へ。もう右足の痛みは全く感じなかった。
医師も驚き予定していた注射はもう必要ないだろうと言う。
けれども石灰の沈着しやすい体質なので今後も要注意とのこと。
それはやはり突然の痛みに襲われるのだそうで
怖ろしくもあるけれど「その時はその時のこと」と思っていたい。
あまり神経質になってもいけないだろう。
とにかくあっけらかんと生きて行こうと自分に言い聞かせていた。
しばらくは整形外科とも間遠になるだろうと思い込んでいたけれど
左足の股関節の痛みはまだ続いており通院を勧められる。
手術以外に治療法が無いと聞いていたので意味がないのではないか。
自然に治るとは考えられず医師の考えていることがよく分からない。
定期的に骨の状態を診た方が良いと言うので頷かざる得なかった。
一瞬「これは捉まったな」と思った。もう逃げられはしないだろう。
おそらく私は手術を決心するまで通い続けることだろう。
真っ先に経済的なことを考えてしまうのも情けないことであった。
待合室ですぐ隣に座っていた老女から話し掛けられたのだけれど
聞けば整形外科以外に内科、皮膚科、歯科にも通っているのだそう。
自宅は山奥で自動車免許も返納しバスを利用しているのだと言う。
身なりからしてさほど裕福そうにも見えずなんとも憐れに見えた。
独り暮らしだと聞きより一層不憫に思えてならない。
嘆きたくてたまらなかったのだろう。しばらく話し相手になっていた。
なんだか明日は我が身のように思えて目頭が熱くもなる。
老いることは確かにせつない。
それでもみな精一杯に生きようとしているのだと思う。
「悪いことばかりで良いことはひとっつもないけん」と老女は言ったけれど
彼女にもほっとする瞬間はきっとあるだろうと信じてあげたかった。
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