二十四節気の「小暑」いよいよ本格的な夏の始まりである。
「大暑」「立秋」と季節は巡って行くことだろう。
なんだか急ぎ足で背中を押され続けている様な気がしてならない。
自分が何処に向かっているのか分からず少し途惑ってしまうのだ。
それは老いなのかもしれないけれど不思議と焦りは感じない。
とにかく身を任せるしかない。なるようになるのだろうと思うばかり。
何処に向かっても生きてさえいればと希望を抱き続けている。
「七夕」でもあるけれど若い頃のように夢見心地にもなれない。
あまりにも醒めているような気がして少し白けてしまった。
おそらくそれは恋とは無縁になってしまったせいだろう。
逢いたい人も居ないのだ。天の川を渡る勇気さえもない。
そもそも私の目の前に天の川が無いのだ。その現実を受けとめている。
若い頃には死ぬまで女で在り続けたいと願ったものだった。
最期の時にその人の名を呼びたいとさえ思っていたけれど
それはまるで遠い日の記憶のように薄れていくばかりである。
私は「ひと」になりその命を全うしたいと願っている。
自分がどれほど生きて来たかそれは私自身が感じることだろう。
もしも願い事が叶うのであればありったけの命を下さい。
午後から青空となり真夏日の暑さとなる。
おひさまは元気なのが好い。心地よいほどの陽射しだった。
稲の穂が少し見え始めている。来月になればもう稲刈りなのか。
早いものだなと思いながらその逞しさに感動さえ覚える。
仕事を終えて整形外科へ。もう右足の痛みは全く感じなかった。
医師も驚き予定していた注射はもう必要ないだろうと言う。
けれども石灰の沈着しやすい体質なので今後も要注意とのこと。
それはやはり突然の痛みに襲われるのだそうで
怖ろしくもあるけれど「その時はその時のこと」と思っていたい。
あまり神経質になってもいけないだろう。
とにかくあっけらかんと生きて行こうと自分に言い聞かせていた。
しばらくは整形外科とも間遠になるだろうと思い込んでいたけれど
左足の股関節の痛みはまだ続いており通院を勧められる。
手術以外に治療法が無いと聞いていたので意味がないのではないか。
自然に治るとは考えられず医師の考えていることがよく分からない。
定期的に骨の状態を診た方が良いと言うので頷かざる得なかった。
一瞬「これは捉まったな」と思った。もう逃げられはしないだろう。
おそらく私は手術を決心するまで通い続けることだろう。
真っ先に経済的なことを考えてしまうのも情けないことであった。
待合室ですぐ隣に座っていた老女から話し掛けられたのだけれど
聞けば整形外科以外に内科、皮膚科、歯科にも通っているのだそう。
自宅は山奥で自動車免許も返納しバスを利用しているのだと言う。
身なりからしてさほど裕福そうにも見えずなんとも憐れに見えた。
独り暮らしだと聞きより一層不憫に思えてならない。
嘆きたくてたまらなかったのだろう。しばらく話し相手になっていた。
なんだか明日は我が身のように思えて目頭が熱くもなる。
老いることは確かにせつない。
それでもみな精一杯に生きようとしているのだと思う。
「悪いことばかりで良いことはひとっつもないけん」と老女は言ったけれど
彼女にもほっとする瞬間はきっとあるだろうと信じてあげたかった。
台風4号は早朝に長崎佐世保に上陸し温帯低気圧になったようだ。
その後青森や北海道にまで強い雨雲が襲ったとのこと。
北海道では雷の被害も大きかったようで気の毒でならない。
高知県では大雨のピークは去りほっと胸を撫で下ろしていたのだけれど
昨日の豪雨で土砂崩れや家屋の浸水などが少なからずあったようだ。
自然災害はどうしても避けられない。とても他人事には思えなかった。
今朝はいつもの山道を抜け山里の民家が見え始めたあたりで
県道が土砂崩れで通行止めになっていた。
幸い迂回路があったので無事に職場に着くことが出来たけれど
もしその瞬間にその道を通っていたらと思うと恐怖心がつのった。
頼みの綱の携帯電話は通信障害中で全く使い物にならずにいる。
いわばお守りのような物なのだ。やはり無くてはならないもの。
昨夜土砂崩れがあった事を同僚が知らせようとしてくれたらしいけれど
電話が繋がらずどうしようも出来なかったと今朝になって聴いた。
「便利は不便」と言う人もいるけれど依存していることは確かである。
昔に比べれば便利な世の中になったけれど失えばすぐパニックになる。
夕方のニュースで完全復旧と知りすぐに試してみたけれど
やはり一向に繋がらないので私だけなのかなと不安になった。
もしかしたらと一度電源を切り再起動したら繋がるようになる。
「それほど神経質にならんでも」と家族皆に笑われてしまった。
家族は皆docomoでauは私だけなのであった。
復旧作業には大変な労力を強いられた事だろう。
この場を借りても伝わりはしないけれどただただ感謝である。
信頼を取り戻すのもまた苦労だと思うけれど
私がそうであるように「裏切られた」と思う人は居ないのではないだろうか。
気長に待ったかいがある。それは信じていたからこそのことだろう。
台風一過で明日は午後から晴れるそうである。
右足の痛みも楽になり私はすくっと前を向いている。
何があるか分からない世の中だけれどそれが生きがいでもあるのだろう。
| 2022年07月04日(月) |
もしもし亀よ亀さんよ |
朝から大雨となる。夕方には洪水警報が発令されたようだ。
四万十川沿いに住んでいるけれど河口に近く川幅が広いので
堤防が決壊しない限り安全だと高を括っているのだけれど
自然の猛威を甘く見てはいけないのだろう。用心に越したことはない。
四万十川は別名暴れ川とも云われており過去には大きな水害もあった。
私が子供の頃にもあり自衛隊の大きなヘリを見た記憶がある。

右足の痛みが酷く昨夜は眠れぬ夜を過ごしてしまった。
とても尋常とは思えず今日は早退させてもらい整形外科へ。
どしゃ降りの雨で駐車場が少し遠くずぶ濡れになってしまう。
とにかくまともに歩けないのだ。まるで亀の歩みであった。
レントゲンの結果、太腿の付け根の筋肉に石灰が沈着しているとのこと。
「石灰沈着性腱炎」と云うらしくそれは突然発症するらしい。
原因は定かではなく体質にもよると医師はあっけらかんとして言う。
石灰はカルシウムなので私は魚の食べ過ぎではないかとふと思った。
筋肉を付けるために毎日馬鹿みたいに魚ばかり食べているのである。
激痛を伴うことが殆どで「なんぼか痛いろう」と医師は優しかった。
「注射をするけんね」と云うので子供みたいに緊張する。
注射はステロイドホルモン剤で石灰を溶かす作用があるらしい。
その時にはもう藁にも縋る気持ちだった。痛い注射もなんのそのである。
一日置いて水曜日にまた注射をすることになった。
鎮痛剤とシップを処方されまた亀の足取りでやっと車に辿り着く。
帰宅して一時間程経った頃、右足の痛みが随分と楽になっていた。
いつまでも亀ではいられない。まだ兎にはなれないけれど
猫にはなれるかもしれないと愉快なことを考えたりしている。
今夜はきっとぐっすりと眠れるだろう。ありがたやありがたや。
小雨が降ったり止んだり。「戻り梅雨」「半夏雨」と日本語は風情がある。
単に台風の影響だろうと云ってしまうのももったいない気がする。
浅学のせいもあり季節に相応しい言葉を知らなすぎる私でもあった。
書く文章も自然と稚拙になる。これも仕方ないことなのだろう。
気圧の変化のせいか湿度が高いせいなのか原因は分からないけれど
今朝から左足だけではなく右足まで痛くなってしまった。
もう踏んだり蹴ったりの心境であり悔しくてたまらない。
思うように歩けないのはほんとうに辛いことであった。
仕事が休みなので気が緩んでいるのだろうとじいちゃんは言う。
確かにそれもある。だらだらごろごろするのがいけないのかもしれない。
けれども痛みさえなければ溌剌と動くことも出来るだろうに。
なんとか買物には行けたもののお大師堂には行けなかった。
リハビリだと思って歩いて行ってみろやと酷なことを言うじいちゃん。
それは絶対に無理と笑い飛ばしてみたけれど情けなくてたまらない。
午後には椅子に座って本を読んでいてもズキズキと痛むので
仕方なく鎮痛剤を服用する。夕方には少し痛みが薄れていた。
お風呂上がりに湿布を貼り今は様子見をしているところである。
まだ65歳。これからなのだと思ったばかりであった。
何があっても私は前を向いて歩み続けなければいけない。
たくさん歩けなくてもいい。ほんの一歩でも良いではないか。
晴れのち雨。おかげで暑さがかなり和らいでいる。
室温28℃で快適と言って良いだろう。
ここ数日の暑さで朝顔を枯らしてしまったようだ。
萎れていたのですぐに水遣りをしたのだけれど手遅れだったのか
今朝になっても萎れたままで無残に項垂れている。 毎朝花を咲かせていただけに残念でならない。
金魚草、日日草、夏スミレはとても元気である。
朝顔は夏を代表する花であるだけに強いものと思い込んでいた。
まるで親しい人を突然失ってしまったような哀しい気分である。

同人誌のお仲間さんであるYさんがエッセイ本を出版されて
私のような落ちこぼれの者にもその本を送り届けて下さった。
お手紙も添えて下さり昨年の秋に初めて会った時の私のことを
「エネルギッシュな方だなあと思いました」と書いて下さっていた。
それは思いもよらないことでとても意外な「第一印象」である。
どうしてそんな風に感じられたのか腑に落ちないくらいである。
Yさんはとても気さくな方で親しみやすい女性であった。
70歳を過ぎているとは思えない生き生きとした若さが感じられた。
Yさんこそがエネルギッシュだと言っても他言ではないだろう。
頂いた本を早く読みたくてたまらなくなり午後からそれを開いた。
ぐんぐんと惹き込まれる文章にひたすら魅了されるばかりである。
読み進むうちに感動で胸が熱くなる。それは正に恵みの水に他ならない。
私はおそらく萎れていたのだろう。枯れる目前だったのかもしれない。
Yさんはそんな私に水を与えて下さったのだった。
「大丈夫よ、まだ生きられる」そんな声が聴こえて来るようだった。
命の蝋燭のことが書かれていた。それはいつ消えてしまうのか。
不安でならないのは決して私だけではなかったのだ。
この世に生まれた時から神様が授けて下った蝋燭に火を灯し
時に風に揺らぐ炎をどれほど守り続けて来たことだろう。
蝋燭は日毎に短くなる。永遠に灯り続けることなど出来やしないのだ。
けれどもその蝋燭を胸にかざしている。それが生きると云うこと。
水を与えられた私は再び咲く朝を待っている。
そうしてやがては種になり地にこぼれては芽をだすことだろう。
| 2022年07月01日(金) |
寂しがり屋の独り好き |
室温が35℃もありとうとうエアコンのスイッチを入れてしまった。
昨日までは夕風が心地よく苦にはならなかったのだけれど
今日は無風状態で窓には夕陽が射しカーテンをオレンジ色に染めている。
特に書きたいことがあるわけではない。
けれども書かせて欲しいと願っている。
とにかく書き始めてみないと分からないことなのだった。
7月のカレンダーは鳥取砂丘に何故かラクダが居る。
にっこりと微笑んでいるラクダを初めて見た。
そうかこんな風に笑うのかと不思議と親しみが湧いてくる。
20年以上も昔の事だけれど鳥取砂丘に行ったことがある。
中学高校と仲良くしていた友人達と4人の一泊旅行だった。
兵庫県の温泉宿で一泊したのだけれどその温泉地の名が思い出せない。
吉永小百合の「夢千代日記」だったかその舞台となった温泉地であった。
早朝に一人抜け出し温泉のお湯を飲んだことはよく憶えている。
確か胃弱に効くと書いてあり胃に沁み込むように美味しかったのだ。
「天橋立」は京都だろうか。最後に行ったのが鳥取砂丘だった。
皆でわいわいと賑やかに。正直言ってさほど楽しくはなかった。
おしゃべりばかりで耳を塞ぎたくなる時があったせいだろう。
独りぼっちになりたいなと思った。私は寂しがり屋の独り好きなのだ。
風光明媚にしんみりと浸りたい。感慨深く物思いにふけりたい。
それらの願いは悉く却下されていたのだろう。
おまけに喫煙を酷く詰られとても辛かったことが忘れられない。
皆友達。これからもずっと友達で在り続けるのだろう。
先日その一人と電話で久しぶりに語り合った時のこと
「また旅行に行こうよ」と弾んだ声で言ってくれたのだけれど
私は社交辞令で頷くことしか出来なかった。
本音を言えばもう二度と御免だと思っている。
けれどもそれは口が裂けても言ってはならないことだった。
仕事をリタイアし時間の余裕のある友達。
経済的にも旅行ぐらいならと余裕のある友達。
すべてにおいて私とはあまりにも掛け離れているのだった。
ひがみかもしれないけれどそれが現実である。
もし夢が叶うのであれば私は一人旅がしたい。
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