ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年06月30日(木) 未来への扉

最高気温が34℃を超えほぼ猛暑日となった。

まだまだ序の口と思っている。いずれは40℃近くなる日も来るだろう。

来週には戻り梅雨だとか。一週間ほど雨の日が続きそうである。

やはり夏空が好い。陽射しをいっぱいに浴びて夏を楽しみたいものだ。


6月も晦日となり一年の半分が過ぎたことになる。

歳のせいでもあるだろうけれど日々が駆け足で過ぎ去るばかりだった。

少し焦っている。私の信念とはいったい何だろうかと考えてしまう。

微かな自尊心に大きな劣等感が覆い被さり押しつぶされてしまいそうだ。

もしかしたらこのまま粉々になってしまうかもしれない。

それが怖くてたまらない。私はいったい何処に向かっているのだろうか。





昨夜はけい君を預かり今朝は我が家から登校したのだけれど

もしかしたら我が家に泊まるのも最後になるのかもしれない。

心配していた微熱も治まり今朝はすこぶる元気であった。


息子のお嫁さんの精神状態が落ち着き帰りたがっているのだそうだ。

それは朗報ではあるのだけれどまだ油断は出来ないのだと思う。

息子も複雑な気持ちを抱え、それは私達も同じであった。

一件落着とはいかないだろう。またいつ再発するか分からない。

その時どう対処するのか。けい君はいったいどうなってしまうのか。

何があっても母親であって欲しいと願わずにはいられなかった。

気をしっかりと持って母親としての務めを全うして貰いたい。

お腹を痛めて産んだ我が子ではないか。守ってあげなくてどうする。

どれ程けい君が我慢して耐えて来たか知らないでは済まされやしない。


厳しい事を云うようだけれどこれは「祈り」に等しい。

心の底から信じさせて欲しいのだ。どうか明るい未来でありますように。




2022年06月29日(水) ささ身フライ

連日の真夏日。猛暑が続いている関東に比べれば恵まれているのだと思う。

湿度が低く風もあったのでさほど苦にはならない暑さであった。


合歓(ねむ)の木の花が散り始めてなんとも無残な有り様。

地に落ちるとやがて茶色になりまるで藁屑のようになってしまうのだ。

今朝は箒でかき集めたけれど火を点ければ燃えてしまいそうであった。

「可哀想に」思わず声が出る。花に罪などあるはずはない。

木にはまだ沢山の花が風に揺れておりとても健気に見えた。

やがては散る運命なのだ。嘆くことも哀しむこともせずに微笑んでいる。




午後から特定健診があり早退させてもらい小学校の体育館へ。

検診が終り外に出たら孫たちがにこにこしながら待っていた。

集団下校を止め私の車で一緒に帰るつもりだったようだ。

私の車を見つけて「やったあ」と嬉しかった様子。

まさか待っていてくれたとは思ってもいなくて私も嬉しかった。


車中で夕飯のメニューを訊けば「そうめんが食べたい」と言う。

お安い御用と孫たちを家まで送り届け買い物に出掛けた。

素麺とささ身フライ、肉じゃがも作ることにする。

5時前になり娘からメールがあり急きょ残業になったとの知らせ。

揚げ物はいつも娘がしてくれるのだけれど今夜はあやちゃんがしてくれた。

慣れない手つきではあったけれどカラリと上手に揚げてくれる。

「お母さんに似て上手やね」と褒めたらとても嬉しそうにしていた。


やれば出来ると自信にもつながったことだろう。

自ら進んで手伝おうとするそれも大きな成長なのではないだろうか。

あやちゃんありがとうね。今日はとても佳い日となった。



2022年06月28日(火) 絵本の中の女の子

四国地方も梅雨明け。例年よりも随分と早いようだ。

空にも伝わったようで今日は入道雲が見られた。

偶然ではないだろう。よくしたものだなと感心さえする。

そんな夏空が茜色に染まるのを見上げつつこれを記し始めた。


土手の道では夕散歩に出掛けためいちゃんがまあちゃんと遊んでいる。

お揃いの服を着ていてまるで双子のように見えて微笑ましい。

絵本の中の女の子のようだ。おしゃべりの声をそのまま絵本にしてみたい。


そんなめいちゃんに今朝はほろりとさせられたのだった。

寝起きがすこぶる悪く例のごとくで癇癪を起し大暴れしていた時

私が部屋を覗いたら「見るな!くそばばあ」と叫んだのだった。

子供の事とは云え少しは傷つく。余計な事をしたのだなと思った。

娘も負けじと暴言を吐いており穏やかな朝は何処に行ったのか。


それからしばらくしてからの事だった。

めいちゃんが私の部屋に入って来て「おばあちゃんこれ」と言って

紙切れに書いた手紙を照れくさそうに渡してくれたのだった。

そこには「おばあちゃんごめんね」とハートマークも添えてある。

思わず目頭が熱くなるような心のこもった手紙であった。

「ありがとうね」と思わずぎゅっと抱きしめたくなるほどに。


子供心に自分が癇癪持ちだと分かっているのだと思う。

でもそれが起こると自制が出来ずに大きな苛立ちになってしまうのだ。

泣きわめき大暴れをした後に我に返る。そうしてやっと冷静になる。

反省もするし後悔もする。それこそが成長の証ではないだろうか。

今朝は真っ先に私に謝ろうと思ってくれたのだろう。

その気持ちは根っからの優しさに他ならないと信じてやりたかった。


絵本の中の女の子は眠くなって大きなあくびをしている。

学校から帰ってすぐ宿題をしなかったからそのツケが回って来たらしい。

ぐすんぐすんと泣きたくてたまらないのを一生懸命我慢をしている。

「出来るよめいちゃん」隣室からおばあちゃんはエールを送っている。



2022年06月27日(月) 苦労を待つ身

午後から青空。まだ入道雲は見られないので夏空とは云い難い。

関東や南九州では梅雨が明けたらしい。関東では連日の猛暑である。

異常気象なのだろう。今年の夏は酷暑になるのではないだろうか。


夏は好きだけれど意に反して身体には少し堪えているようだ。

こればかりは「夏の思い出」も助けてはくれそうにない。

あの日は36℃だった。などと感慨に浸るのも程々にしようと思う。

ただ記憶があまりにも鮮明で私を捉えて離そうとしないのだった。

女は愚かだ。だからもう女ではいられなくなった。




同僚が退院し復帰したけれど今日は仕事中に怪我をする。

不注意を責める訳にもいかず「なんとかなった」一日。

義父が汗だくになりながら精を出してくれて随分と助かった。

新車が立て続けに3台も売れる。目の前がぱあっと明るくなった。

仕事はやはり面白くてならない。後10年頑張れそうな気がする。

75歳が何だって云うのだ。くたばるもんかと勇気が出て来た。

自分は試されているのかもしれない。ならばとことん試してくれたまえ。


何事も気の持ちようだけれど弱気になる時もあるだろう。

不安や心細さは歳を重ねる程に膨らんで来るのだと思う。

嘆くのも自分。負けるのも自分だと云うことを忘れてはならない。

ようは立ち向かう体力も気力も自分次第だと云うことなのだ。

私は暗示に掛かりやすい性格なのでそれを上手く逆手に取るようにする。

自分を励ましてやらねばならない。決して人任せなどにせずに。

それが出来ないのであれば生きている甲斐もないのだとさえ思う。


ひとはみな弱いのだ。強く逞しく生きているひとは

どん底の苦労を乗り越えて来たからではないだろうか。

私はまだまだ苦労が足らない。だから苦労を待ち続けている。



2022年06月26日(日) 種を蒔く

大気が不安定だったのか今朝はにわか雨が降る。

大量の洗濯物を干し終えたばかりで大急ぎで取り入れたことだった。

午後は青空となり夏らしい陽射しが降り注ぐ。

関東など6月とは思えないほどの猛暑だったようだ。



朝のうちにお大師堂へ。花枝はまだ大丈夫。

お線香の補充のみ。後は拙い般若心経を唱えた。

お大師さんにけい君の報告をする。

ささやかな祈りとしてきっと伝わるに違いない。

仏頼みとして縋りつきたいような気持であった。

なんとしても守ってやりたい。それは願掛けにも等しい。



それから図書館へ。凝りもせずまた田辺聖子の本を借りて来る。

とにかく不信感を拭い去りたい。納得できる作品がきっとあるはず。

「欲しがりません勝つまでは」そこには13歳の彼女が居た。

すでに小説を書いている。まさに天才的な少女だったのだ。

今日一日で3分の2程読み進む。手応えは確かにある。

とにかく読みたい。とにかく知りたい気持ちが募るばかりであった。


私も15歳から詩や短歌を書き始めたけれど

半世紀の歳月が流れても未だ芽を出せずにいる。

もしかしたらずっとこのまま種として生きる運命かもしれない。

認められたい欲ばかりが先走りなんと愚かなことだろう。

それでも書かずにいられないのは自分を信じているからだと思う。

種としての誇りがある。それは実があってこその種に他ならない。


諦めずに何度も何度も種を蒔いた。その度に悔しさがバネになって行く。

そんな生き方もまんざらではない。私はよりいっそう逞しくなっている。




2022年06月25日(土) 姥の切なさ

朝のうちつかの間の青空。その後は薄曇りとなりとても蒸し暑くなる。

鮮やかに咲き誇っていた紫陽花がとうとう枯れ始めてしまった。

桜のように潔く散れない花はなんとも切ないものだ。

毎年のことだけれど目を背けてはいけないと思う。

やがては化石のようになってしまう花を最後まで見届けてやりたい。

ついつい我が身に重ねてしまうけれど定めのようなことを

私はどれほど受けとめているのだろう。もがいたり嘆いたり

もしかしたら咲いてなどいなかったのかもしれないと云うのに。

紫陽花は毎年咲いてくれるけれど人生は一度きりのことであった。




田辺聖子の「姥勝手」を読了。文章は軽快で読んでいて楽しかった。

けれども80歳の主人公にどうしても感情移入が出来ない。

溌剌とした大阪の婆さんは作者自身だと解説に書いてあったけれど

その裕福ぶりが少し鼻につく。それは私のひがみかもしれない。

正直言ってこんな年寄りには決してなれないと思った。

豊富な趣味を持ち社交的で何よりも派手である。

老後の不安ばかりの私にどうしてそんな暮らしが待っていようか。

僅かの年金を頼りに生きていくだけで精一杯なのだと思う。

経済的なゆとりが無ければ趣味も諦めざる得ないだろう。

何をするにも「お金」が必要。それが世間の掟でもある。


あの「18歳の日の記録」を書いた田辺聖子は何処に行ったのか。

流行作家となり何を書いても売れたことだろう。

けれどもそれは本当に心底から書きたかったことなのだろうか。

好きな作家ではあるけれどなんだか不信感が募って来る。

「姥シリーズ」は何冊か出版されているらしいがもう読む気はしない。


老いは誰しも避けられないこと。それはとても切なくてならない。

高級なアクセサリーを身に着け浮かれている場合ではありません。






2022年06月24日(金) だからどうする

まるで梅雨が明けたかのような晴天。

強風注意報が出ていたけれど気温が高くなり今日も真夏日となる。

室温32℃、心地よい夕風に吹かれながらこれを記し始めた。



けい君またもや微熱があり登校を断念せずにはいられなかった。

懇意にしている小児科医に相談したら県立病院での受診を勧められる。

直接電話をしてくれて受診の段取りをしてくれ随分と助かる。

最初の発熱からもう10日目。尋常ではないと案じてくれていた。

仕事を休ませてもらい連れていくことに決めたのだけれど

早朝から出勤している息子に知らせておかなくてはいけない。

スマホは繋がらず仕方なく職場に電話を掛けてしまった。

それがいけなかったようだ。息子は即刻退勤命令が出たのだそうだ。

そんな大事になるとは思ってもいなかった。なんと迂闊だったことか。


結局、帰宅した息子と一緒に県立病院に向かったのだけれど

けい君は再度のPCR検査。陰性が判明してからやっと小児科外来へ。

息子の機嫌がすこぶる悪くひどく苛立っている様子であった。

「勝手なことをするな」と叱られて私も気分が落ち込んでしまう。


診察と検査の結果、取り立てて何処にも異常は見られなかった。

微熱が続く原因が判らない。それでどうして安堵が出来ようか。

やはり心因性のものなのかもしれないそう思うしかなかった。

懇意にしている小児科医はそれも在り得ると言っていた。

子供の心はおとなが思っているよりずっと繊細でか弱いものなのだ。


だからどうする。その対処方法が今は未だ見つけられない。

けい君自身が乗り越えて行くとしても不憫さの方が勝るのだった。

じいちゃんは甘やかしてはいかんぞと厳し過ぎる。

私はとことん甘えさせてやりたい気持ちが募るばかりであった。


けい君の心の中が見えない。ただ感じることは出来る気がする。

けい君は寂しくてたまらないのだと思う。


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